12月下旬刊行!『満州 奇跡の脱出――170万同胞を救出すべく立ち上がった3人の男たち』の編集を終えて
1945年8月15日、日本人にとっては決して忘れ得ぬ日であり、また忘れてはならない一日でしょう。この日をもって3年9ヶ月に及んだ太平洋戦争は終結し、日本本土に住む国民はともかくも戦争による恐怖から解放されたのです。
けれども本土から離れて外地に暮らす日本人にとり、それは新たなる苦難の始まりでした。敗戦によって現地の統治機構が崩壊したなか、日々の暮らしをどうしてゆくか、現地人の敵愾心からどう身を守るか、そしていかにして日本へと引き揚げるか……朝鮮、樺太、台湾などの各領有地はそれぞれの困難に見舞われましたが、なかでも最も苛酷な運命を強いられたのが満州に住む約170万の人々でした。
終戦に先立つ8月9日、ソ連軍は突如満州に侵攻し、対日戦争に参戦します。うち続く日本軍の敗退、そして8月15日の終戦。日本の傀儡であった満州国は崩壊し、170万の日本人は混乱と恐怖のるつぼに叩き込まれました。進駐したソ連兵は暴虐をほしいままにする一方、国境と港を閉鎖して日本人引き揚げの途を断ってしまいます。
そうしたさなか、日本人引き揚げを実現させるべく立ち上がったのが丸山邦雄でした。満州きっての工業都市・鞍山にある昭和製鋼所の社員であった丸山は、終戦後、家族とともに日本へ帰国するための情報を探るべく、満州国首都・新京(現・長春)に向かいますが、途中の奉天(現・瀋陽)でソ連軍によって列車の運行が停止されていることを知るとともに、職を失い、また銀行口座も封鎖され悲惨な生活を送る日本人の姿を目の当たりにしました。以降情報収集のためたびたび奉天を訪れるなかで、丸山の心の中に日本人引き揚げを実現させるべく立ち上がろうという考えが沸き上がるのです。
その後丸山は新甫八朗、武蔵正道の二人とともに、中国国民党軍の協力を得て極秘に満州を脱出、日本に帰国しました。帰国後は全国で世論喚起の公演を行なう傍ら、時の外相・吉田茂、GHQ最高司令官・マッカーサーといった要人と面会し、引揚船の派遣を訴え続けます。そして終戦から8ヶ月経った1946年4月、GHQは中国渤海湾のコロ島港に引揚船の派遣を決定、ここに満州からの日本人引き揚げが実現したのでした。
その後も3人はさらなる引き揚げのために活動を続けます。貧困とソ連軍による暴虐のため決して全ての命は救えなかったものの、終戦時約170万だった日本人のうち、およそ130万人が日本に引き揚げることができました。
以来65年、こうした3人の活動がほとんど知られることもなく時は過ぎ去っていきます。丸山は日系アメリカ人の妻との間に6人の子供をもうけましたが、三男のポール(日本名・邦昭)は成人後アメリカ合衆国空軍に入隊(ちなみに彼は1964年の東京オリンピックに柔道軽量級のアメリカ代表として出場、金メダルを獲得した中谷雄英の前に惜しくも敗退しています)、退役後はコロラドカレッジで教鞭を執っています。その彼が父親たちの偉業を後世に残そうと記したのが”Escape from Manchuria(満州からの脱出)”でした。その邦訳版『満州 奇跡の脱出――170万同胞を救うべく立ち上がった3人の男たち』
もちろん、一般の歴史的知識として、苦難に満ちた満州引き揚げの話は知っていましたが、その裏にこうした勇気ある人々の活躍があろうとは全く思いも及びませんでした。勇気と熱意、そして他人を思いやる心。そうしたとかく現代の日本で忘れられがちな美徳を、この本は思い起こさせてくれました。弊社が自信を持っておすすめする、今年度イチオシの期待作です。