友人の死
1月も半ばにさしかかり今年もいよいよ本格的に始まってしまいます。私はテレビを倉庫にしまい込んでしまい新聞や雑誌も特に読むでもないので身のまわりのみが世界となってしまっています。世の中えらいことになっているようで正面から向き合うには相当の覚悟と自信を備えた世界観が必要なように思うのですが・・・。
かつて成人式は1月15日でした。成人の日といえば「ラグビー日本選手権」の日。釜石・松尾の時代から同志社−神綱・平尾の時代への世代交代のころは熱心に観戦をしてました。というのも私が高校時代、都立の弱小でしたがラグビー部に所属していたことがきっと大きいのでしょう。そのラグビー部で同期の友人が昨年の大晦日に胃ガンで他界しました、享年36歳。
その報せは年が明けた1月の5日にやはり同期の友人からの電話で受け、その晩行われたお通夜に参列をしました。彼とは卒業後、はがきのやりとりもないものの2年置きぐらいに友達を介して一緒に酒を飲むといった間柄でしたが、ここ5年ほどはその機会ももうけず仕舞いでした。遺影からは5年の月日を感じ取ることはできませんでした。
参列者の多くは会社関係の方々であるのは間違いなく、その他の関係者(受付でいえば一般)がどれほどいたのかは検討のつけようがありませんでした。会社関係の方々はお互いに新年の挨拶を控えめに取り交わし、お焼香を済ませて会場を後にされたようです。印象的だったのは彼と顔立ちのよく似た初老の男性が親戚縁者の席から順番にお焼香をすすめる参列者を笑みをたたえながらお辞儀もそこそこに眺めてらしたことです。おそらく叔父さんにあたる方なのでしょう。甥っ子がどんな人々に見送られるのかを感謝を込めてしっかり確認しておこうといった笑顔でした。
お通夜の後、同期の同級生・部員が十数名集まって席をもうけることになりました。それぞれ15年ぶりという面々です。高校時代の面子を集めるにはやはりクラス名簿が基本のようです。
名簿を基本に実家から本人への連絡が可能となり本人から何だかの付き合いが切れていない、その他の友人へと連絡は回ります。逆にいうと付き合いが切れ、実家が転居している面子には短時間では連絡のとりようがないということでしょう。そして、連絡の労を惜しまない人間が1人以上は必要です。そうして我々は集まることができました。勿論、来たくても来られない人もいるはずですが・・・。
その席上、彼の死そのものは話題になりにくいので同窓会になってしまうのはやむをえないと思います。彼の病は昨年の秋に発見され急激に進行したとのことでした。年齢が若いと進行も早いといわれているそうです。
その日、私は部屋に戻ってJ・ヘンドリックスを聞きながら酒を飲んで朝方寝てしまいました。