志ほど素敵な商売はない。
つかこうへいさんが死んだ。しかも風間杜夫さんまで、ああ、こっちはNHKのドラマの話でしたね。風間さんらしい死に向かうシーンでした、「楽しかった」で人生をしめたいものです、ああ、これもドラマです。重ねてすみません。
「ゲゲゲの女房」目を離せません、特に、最初のころの貸し本版元悲話の辺。他人事とは思えなくて。つい先日、仕事が突然無くなったところも。
ちゃいました、今回は、この話ではありません。
大学一回生の時、関西で初めてつかこうへい事務所の公演が行われました。
あれは忘れもしない、熱海殺人事件だったか、初級革命講座飛竜伝だったか、ストリッパー物語たったか、忘れてるがな。
ともかく、かたっぱしから観に行きました。平田満さん風間杜夫さん、石丸謙二郎さん、加藤健一さん、長谷川康夫さん、その速射砲のようなセリフ、熱気、男たちが本質的に持つセコさ、そして、ある時はすすり泣き、またある時は泣き叫ぶように大音響で流れる、ヒット歌謡の数々。
奈良の片田舎の町、生駒で安穏と高校生生活を送っていた僕には、そのすべてが衝撃でした。
同じように感じていた人は多くいたようで、京都大学ではそとばこまち、辰巳琢郎さんがつみつくろうの名で活躍した劇団ですね、同志社では、第三劇場でマキノノゾミさんが、大阪芸大では、劇団新感線でいのうえひでのりさんが、つかさんのコピー芝居を始め、そのどれもが、「つかさんすごい」がテーマであるような出来でした。
僕はというと、滑舌悪くあのセリフをしゃべることができず、でも何か表現をすることで生きていきたいと、つか芝居を観るたびに思ったものでした。
先日、そのマキノノゾミさんの劇団MOPの解散公演が京都でありました。芝居にはつかさんの血が流れていました、その翌日、劇団新感線の看板役者だった筧利夫さんが主役を演じた、つかさんの「広島に原爆を落とす日」を観ました。
泣きました、あのこころの思いが湧きでてきました。筧さんには、風間さんのセコさは無かったけど、芝居としても初演時のキレは無かったけど、女子大生だったカトウカズコはいなかったけど、マキノさんは、今では当代随一の劇作家で演出家ですから、独自の世界を作っていたけど、でも、みんな志を貫いている、あの思いを持ち続けている。
7月に今年の決算を終えました。前年30%ほどの売り上げ増、累積赤字も創業9年にして100万円を切るところまで来ました。
作った本は60点ほど。ジャンルは、なんでもありですが、何というか、そう、一本ピーンと筋が通っています。志、忘れてないやん。注文書を見ながら思いました。
大学を出て最初に入った出版社が、駸々堂出版。
大阪の思いを、大阪の思想を全国に発信するんや、それが僕の使命や、そう思って入社、「最初は営業やけど、何年かしたら編集も考えるし」、配属は営業でした、営業しか募集してなかったんで、しかたがなかったとも言えますが、最初の担当エリアは兵庫、山口、北九州市、大分、宮崎。
当時、大阪は出版不毛の地と言われていました、そこで、2年目の夏のボーナスを使って、関西の出版社の実情を調べるべく、出版年鑑や電話帳を繰って探した関西に本社を置く出版社600社余りに、往復はがきを送りアンケート調査を行いました。
そして、それを冊子にし「関西の出版社600」を発行、大阪の取次柳原書店にお願いして販売してもらいました。600円、初版2000部重版500部、今、僕の手元にもありません。
ジュンク堂サンパル店では、この600社の商品を一堂に集めフェアもやりました、展示パネルは、劇団そとばこまちの美術さんに作ってもらいました。商品集めは、大阪屋さん、帳合のない版元とも交渉し、現金仕入れして下さいました。
思えば、よくやったものです。みんな手弁当。他の大阪の版元の営業さんも手伝って下さいました。
いつのまにか僕の熱気に巻き込まれていたのでしょう。
新聞各紙でも取り上げられ、NHK大阪局の特番にもなり、「関西にも出版社があるやん」話題にもなったと思います。
ただ、大騒ぎになりすぎ、京阪神エルマガジン社に転職。
ここでは雑誌営業をやりました。
京阪神エルマガジン社は、関西の情報誌、サヴィ、エルマガジンと、そこから派生するムックを発行していました。
前職の駸々堂は、本拠地は大阪ですが、市場は全国。
エルマガジン社は、情報誌版元なので、テリトリーは関西だけ、ここだけを市場として将来やっていけるのか、エルマガジン社が持っている情報は全国各地に届ける価値がある、この2点から、ガイドブック「シティマニュアル京都」をムック編集部に提案して発売しました。
初版4万はすぐ売れました、最盛期には実売で8万売りました。ついで神戸、京都、京都奈良を発行。
地方営業に行く余裕がなかったので、四国のタウン誌と四国、名古屋と名古屋、福井と福井、金沢と北陸を、僕が陣頭指揮を取りムック編集部に手伝ってもらって発行し、お互いに、それぞれの社の本の営業を、シティマニュアルシリーズを要にして行うという営業提携を始めました。
これは、今でも、うちでやっています。
「ミーツへの道」(本の雑誌社刊)やミシマ社さんのブログには、この辺を、返品増大の元凶で営業の暴走のように書かれていますが、会議で何度も詳しく話をしてたのに、理解してもらってなかったのかと、伝える努力のいたらなさを深く反省もし、考えもしました。
伝える技術、重要です。会社をやっていると心底思います、あの時、この思いがあったら。まあ、今言っても仕方がない話なのですが。サラリーマンを辞めて思うこと、特に反省は多々あります。頭から脂汗です。
本屋のみんなも編集部に紹介したかったのに、乗ってくれなくて・・。
その思いは西日本出版社ブログのずっと前の方に書いてあるので、興味があれば読んで下さい。http://masa-uchiyama.cocolog-nifty.com/blog/
大阪の思いを、大阪の思想を全国に発信すること。
それが、全国各地のタウン誌のみんなと話すことで、とりわけ、シティマニュアルでみんなと付き合うことで、大阪が、西日本になり、地方になってきています。
今は、「地方の思いを、地方の思想を全国に発信すること」が、テーマになりつつあります。
うちの税理士32歳が言います。
「このラインナップでは利益を上げることができません、漫画とか、アイドルの写真集とかやったら儲かるんちゃいますか。」ここは、経営指導をすることで有名な事務所なんですが・・。
アイドル、儲かりますかね、ちゃうちゃう、そうやなくて思いを発信できないのなら会社を閉めるしかありません。
内田樹さんが、「町場のメディア論」(光文社新書)の中で、思想を伝えたいから本を書くので、お金のためではありません、お金のために書いているという人がいたらその人を著作者と認めません、みたいなことを書いています。お金は、伝えた結果もらえるご褒美みたいなもの、みたいなこともありましたね。
そうなんです。
書店営業20年で出版社を始めたので、「売る」出版社だと思われていますが、違うんです、「伝えるべきもの」が先にあって、これを、読者に伝えるためにどうしたらいいかを考えるのが営業の第一の仕事なのです。装丁、定価、版面、そしてもちろん内容表現。
そうして作ったものを、取次さん、書店さん、いろんなショップさんに売っていただくよう思いを伝えます。
著者は、作家。編集、営業とも、作家さんに書いていただいた思いを、読者に伝えやすい形態に作りこみ、届ける仕組みに乗せるのが仕事ですから、じつはどちらも編集で営業なのです。
売れるものを選別するのが営業の仕事ではありません。
づーっと、そう思ってやってきました。
しかし、第9期、志で採算が取れて良かった。
こんなことを書くと、やっぱり根は営業や、金の話になってるがな、と言われるような気がしますが。ちょっと、ちゃいます。
出版は東京の地場産業、よく言われる言葉です。大資本のテレビ新聞に比べて資本のいらない出版の強みは、小さくてもやれること、小さな声も伝えることができること、であれば地方から発信していくメディアとして、出版は最適なのです。
思いと体力のある限り、読者が思いを「買ったるわ!!」と、ご褒美を下さる限り、がんばらねば。志ほど素敵な商売はないのですから。