ヒロシマとナガサキ、二度の被爆を生きのびた人たち
本日は最近刊行した書籍「キノコ雲に追われて」の話をしたいと思います。
皆さんは、「二重被爆者」という言葉を耳にしたことがありますか。二重被爆者とは、1945年8月6日に広島で被爆し、8月9日に移動した長崎でまた被爆してしまった方々のことです。彼らの存在は、戦後65年間、ほとんど歴史の中に埋もれていました。
本書「キノコ雲に追われて」は、終戦から10年後、アメリカ人ジャーナリスト、ロバート・トランブルが、9人の二重被爆者を探しだし取材したことやインタビュウしたことをまとめたものです。アメリカで1957年に出版されていたのですが、日本では刊行されていなかったのです。このたび、半世紀後ですが小社より刊行いたしました。
著者は、1954年から61年、そして1964年から68年の二度に渡り、ニューヨーク・タイムズ東京支局長を務めるかたわら、1955年から「二重被爆者」の取材をはじめ、2年をかけて執筆しました。著者が、二重被爆に関心を持ったのは、ABCC(原爆傷害調査委員会)の資料をみてのことです。当時トルーマン大統領の命で設置されたABCCは、すでに二重被爆者を認識し、調査していたのです。
本文の構成は、被爆時の広島、被爆直後の広島、電車で移動中のこと、被爆時の長崎、被爆直後の長崎、復興のきざし、まとめ、という時間のながれにそって9名がどのように行動し被爆したかを、また当時の日本の状況などにもふれて、正直で公平な、そして平易な文章で語られています。本当のジャーナリストらしく中立的で純粋な人がらが文章から伺い知れます。
9名の中のひとりで地元紙の会長だった西岡さん(後に長崎県知事)は、上京し、帰る途中、広島で異様な光を浴び、上空に「波打つような巨大雲」を目撃。その後、被爆直後の広島市街で見た「地獄絵よりもおそろしく、悲惨な光景」を語っています。西岡さんは、長崎に帰るとすぐに当時の県知事に広島の惨状を報告しました。そして長崎が同様の攻撃を受けた場合を想定し、広島に視察を送ることを強く勧めたエピソードが記述されています。西岡さんはその後、再び被爆の惨状に遭遇してしまうのです。
二重被爆については日本ではまだまだ知られていません。二重被爆者たちは、その事実を「不名誉なこと」としてあえて語ってこなかったからです。本書に登場する山口さんが、自分の体験を積極的に語りはじめたのも次男をガンで失ってからでした。90歳になろうとする自分が生き、60歳の息子が原爆症でなくなったことにショックを受けたのです。山口さんは、二度も被爆しながらこの年齢まで生きてこられたのは、二度の体験を語るためではないかと考え、立ち上がりました。そして、国内どころか海外でも国連軍縮委員会職員を前に語ったのです。
その山口さんも今年1月にとうとう他界されました。アメリカの映画監督ジェームズ・キャメロン氏(アバターの監督)は、原爆をテーマにした映画を構想中で、昨年12月に山口さんの病室を訪ねて話を聞いていったそうです。その折、最後に山口さんは「私の役目は終わった。後はあなた方に託したい」と言われたそうです。1日も早く映画の制作に入ってほしいものです。
この山口さんの著書があります。朝日文庫の「ヒロシマ・ナガサキ 二重被爆」(朝日新聞出版)という本です。山口さんのすさまじい生きざまが描写され、被爆関連のことだけでなく、当時の弱り切った日本の状況が大変わかりやすく記述されています。また90歳になってからでも行動を起こし生き切ることができると、私たちに生きる力まで与えてくれる本です。みなさんもぜひ読んでみてください。
私たちは、山口さんを始め、本書で証言をしている9人の切なる思いを伝えていかなくてはなりません。被爆者たちのことや核兵器のおそろしさのことを。 (了)