出版とウィキペディア──新たな関係と業界独自の課題
Yahoo!検索結果に書影表示
Yahoo!の検索ではウィキペディア日本語版(以下、ウィキペディア)の記事が上位にヒットすることはよく知られているが、最近、画像が含まれているウィキペディアの記事では、検索結果に記事中の画像がひとつだけ表示されるようになっている。出版に関する記事についても例外ではなく、画像が含まれている記事ならば、同じような結果が得られる。例えば、戦前の雑誌「労農」を検索すると、その表紙の画像が表示される。この画像は、ウィキペディアの姉妹サイトであるウィキメディア・コモンズという全世界的なフリー画像ファイル等の受け入れサイトに撮影者自身が「クリエイティブ・コモンズ表示-継承 3.0 非移植」とのライセンスを付けてアップロードされている。
しかし、このように書影がウィキペディア日本語版の記事内に掲載されることはごく稀である。
これは、ウィキペディアの執筆や編集に関わるボランティアたちが書影の著作権は簡単にクリアできないだろうと考えており、ウィキメディア・コモンズやウィキペディア日本語版に本の表紙の画像をアップロードすることに消極的だからである。ウィキメディア・コモンズのガイドラインでは、創作性が認められないような単純なデザインの本の表紙以外は独自のライセンスがない限りアップロードできないという見解が示されている。一方、ウィキペディア日本語版では少し事情が異なり、一定の条件で独自のライセンスを付加すれば本の表紙の画像もアップロードできるとする見解が有力となりつつある。
出版社が自社の出版物の書影をウィキペディアで自由に使ってもらいたいと考えるならば、まずフリー利用可能な書影の画像データをパブリックドメインに置くことを宣言し、あわせてウィキペディア日本語版での使用許諾を明記しておくという方法がある。このような画像を確認した第三者が記事に必要な画像だけをウィキペディア日本語版にアップロードするというのが最も現実的である。他にも様々な解釈によってライセンスや使用条件、ウィキペディア日本語版側の受け入れ条件の選択肢はあるようだ。いずれにせよ、このようにして、ウィキペディアのボランティア執筆者(ウィキペディアン)たちが必要なものを選んで、自分の関心のある記事内に書影を貼り込むことが増えてくれば、Yahoo!の検索でもっと多くの書影の表示を見ることができるようになるかもしれない。
ISBNコードから検索ページに自動リンク
ウィキペディアのようなサイトが肥大化していくと、世の中から書籍化された百科事典や辞書類がすべてなくなってしまうのではないかと危惧する人も少なくないだろう。確かにその考えは杞憂ではないかもしれないが、必ずしもそうとは言い切れない状況がある。それは、ウィキペディアの記事が実は書籍や新聞などの広義の出版物の情報に依拠して成り立ってきたからである。
ウィキペディアのガイドラインは、無根拠な記事が氾濫することを避けるために、記述内容の出典を主に出版物(書籍、雑誌のみならず、新聞も含む)に求めてきた。ウィキペディアは、従来の「書籍」の百科事典に代わるものとして提案されたウェブ上の百科事典としてスタートしたが、記事の信頼性を確保する上で欠かせない情報源を主に出版物に求めるというかたちになっている。また、参考文献リストを記事内に作成することに対しても、出典を補強するものとして奨励されている状況にある。
このように出版物を土台にして記事を成立させてきた経緯もあるためか、ウィキペディアでは、閲覧者が記事の情報源となる出版物に到達できるように、ISBNのリンクが自動的に生成されるように設定されている。出典や参考文献リストの書籍の記述の末尾に、その書籍のISBNと半角スペースに続けてコード番号(正確な位置のハイフォン付きの13桁、または下10桁のハイフォンなしでも可能)を貼りつけておくだけで、ISBN検索ページへのリンクが自動的に生成され、そのページからさらにAmazonなどのオンライン書店の個別の商品ページへ飛べるようになっている。
ISBNのリンクの追加も基本的には出典を補強する意味でウィキペディアの中では特に推奨されている。このため、ウィキペディアの記事のなかに自分の好きな書籍の情報をみつけた時、暇にまかせて、そこにISBNのリンクを追加しても何ら咎められることはない。例えば、出版社に勤務する編集者が時折、自分の関わった出版物の情報だけにISBNのリンクを追加していってもおそらくガイドライン違反だと警告されることもないだろう。
ウィキペディアのガイドラインでは、自分のことは書いてはいけない、自分が関与したことを書いてはいけない、宣伝サイトではないと明言しているが、出典を補強するというウィキペディアのポリシーに協力する立場からISBNリンクを貼付したものであるならば、削除されたり、警告を受けたりする謂れはないのである。
版元サイトの情報も出典リンクの対象に
ウィキペディアでは、こうして印刷された出版物を出典として提示する記事を歓迎すると同時に、最近では、ニュースサイトの記事やウェブ上にある専門家の論文などを出典とすることも容認する傾向が強くなっている。出版物を出典として提示した場合、その書物が手元にない限りすぐに確認する術がないのに対して、ウェブ上に出典がある場合なら、すぐに確認できるという利点がある。
ウィキペディアの出典が市販されている出版物ではなく、無料で閲覧できるウェブ上の情報に置き換えられていくことを危惧する出版関係者は少なくないだろう。しかし、出版元や著者が工夫することによって、ウィキペディアのボランティア執筆者を出版物の情報ページに誘導することは可能である。
出版社サイトや書誌情報のサイトでSE0対策を工夫すると同時に、書誌情報だけでなく、著者の略歴や用語辞典、専門的なエッセイなどを多く載せることで出版物の情報が様々なキーワードの検索結果に多く反映されるようにすることは可能である。こうした努力をしていくならば、ウィキペディアの執筆者の目にとまりやすくなり、出典として採用される機会も増えてくるだろう。
著者の詳細なプロフィールや年譜、専門的な情報であれば、それが出版社のサイト内にあっても、ウィキペディアが求める出典の要件を十分に満たすことができる。ウィキペディアのガイドラインでは、出典の外部リンクに書籍の販売サイトなどを選択しないほうがよい旨、明記されているが、著者の詳細なプロフィールが掲載されている出版社のウェブページが出典となるケースも増えてきている。同じように、著者の詳細プロフィールが掲載されている版元ドットコムの書誌情報ページがウィキペディアの出典になるケースも少しずつ見られるようになっている。
書籍化が目標ではないウィキペディア
このように、ウィキペディアは、多くの出版物を信頼できる情報源として紹介し、ネット上の販売ページまで間接的に誘導してくれる貴重なサイトになっている。書物・出版関連の新着記事も漫画を除外しても月に数百というペースで追加されている。出版関係者もウィキペディアへの執筆の必要性を感じて執筆するケースも少なくないだろう。例えば、ウィキペディアの他言語版には記事が豊富にあるが日本語版にはない海外の著者の翻訳書を出版する場合、編集者が日本語版の記事を執筆することもあるかもしれない。自社のサイトに掲載しているプロフィールの丸写しでは削除対象となる可能性があるため、独自に書き起こし、適切な出典などもつけて行き届いた記事を書く羽目になる。こうして取り組んでいくうちに出版関係者がウィキペディアにはまってしまうこともあるだろう。しかし、出版関係者であるならば、ウィキペディアの項目の拡大や内容の充実に対して、過大な期待をかけるのはやめたほうがいいというのが私の見解である。
ウィキペディアの目的が記事の書籍化、印刷された百科事典の出版ではないということは、理解しておかなければならない。ウィキペディアの記事は、出版物に依拠してきたが、その記事の書籍化などを目標としていない。ケータイ小説やブログの書籍化は、行われているのに、ウィキペディアの「秀逸な記事」の書籍化は聞いたことがない。膨大なガイドラインや注意事項を書籍にしたものがあれば、傍線をひっぱたり、付箋をつけたりして便利だと思うが、こうした本も出版されていないようである。ウィキペディアそのものが「電子書物」として自己完結することを希望している。記事の内容にしてもガイドラインにしても、ウィキペディアでは、いったん本としてまとめられるのではなく、ウェブ上にのみ存在して、ほぼ永続的に加筆、更新されていくことに意義があるのだろう。
匿名共有サイトとしてのウィキペディア
ウィキペディアは、匿名集団による共同著作・編集の面白さもあり、優れた執筆者の豊富な知識や質の高いリサーチや辛口の指摘から学ぶことも多い。しかし、ほぼ全員が匿名のアカウントで参加し、一部には正体不明のIPユーザーがネットカフェなどを通じて投稿、修正に関与している。時には、一部の利用者が強引に持論を押し通して不毛な議論が頻発していることを忘れてはならない。また、うっかり書き込んで後で消したつもりの記事でも、履歴に残ってしまい、それが誰でも閲覧できる設定になっていることから気苦労も少なくない。投稿や更新の履歴から投稿者の生活時間帯や関心分野、出身学校、在住地域、思想や宗教までも類推・特定することも可能である。ウィキペディアに関与する場合は、他者との議論はできるだけ避けて、必要な記事の執筆以外はポータルの新着記事の追加など実務的な最低限の作業に留めておいたほうがよい。
書籍化と連動する出版ウィキサイトの可能性
出版関係者がウィキペディアに匿名で寄稿しているケースは少なくなく、かなり筆力のある優れた記事が多く生み出されていると考えられる。しかし、出版の将来を考えれば、ウィキペディアに必要以上にのめり込むことは避けるべきだと考えている。
ウィキペディアに関心を払う一方で、それとは別に、自社または出版業界の関係者や著者どうし、あるいは気心の知れた者どうしで書籍化(電子書籍も含む)プロジェクトと連動するウィキペディアのようなサイトを立ち上げたほうが自分たちのためになるはずである。
しかも、そのような書籍化のための共同執筆・編集サイトを立ち上げる際、ウィキペディアのように、匿名アカウントによる自由閲覧・編集システムではなく、全員が本名でアカウントを作成することを前提とし、ログインしなければ書き込みはもちろん、記事・更新履歴の閲覧もできない会員制の情報共有サイトにすべきである。
ウィキペディア用の開発されたMediaWikiというフリーソフトウェアをインストールして様々な設定をすれば、ウィキペディアによく似た機能をもつサイトは、月500円程度のレンタルサーバでもすぐに立ち上げることができる。私もすでに複数のサイトを構築しつつあるが、現在、公開されている出版元関連のMediaWikサイトとして、版元ドットコムと馴染みの深いスタジオ・ポットSDが構築に携わった日本林業調査会の「現代林業電子辞典」(林業Wiki)が挙げられる。これは、「コトバンク」の林業関連用語(農林水産省提供)と比べて圧倒的な用語の豊富さを示し、カテゴリ構造も快適に設計されている。
MediaWikiでは、デフォルトの設定を変更すれば、画像もアップロードでき、拡張機能を装備させ、テンプレートを読み込んでいけば、複雑なレイアウトの見映えのするサイトをつくることも可能だ。メインページやログインページなど一部のページ以外は非登録者がアクセスできない設定ができるため、共同編集・共同執筆のシリーズの出版物をつくる際にも役に立つ。とくに用語集や事例集、エピソード集の編集では、章立てを考えたり、個々の記事を分類したりするうえで、MediaWikiが役立つかもしれない。
このようなサイトでは、有能な書き手を発掘する場としてもウィキサイトが活用できるかもしれない。様々な理由でウィキペディアへの寄稿をやめた優秀なボランティア執筆者たちを集めれば、フォーマットが整った多様な出版物を低予算でつくることも可能だろう。「秀逸な記事」を書いてもほぼ無償のウィキペディアとは違って、多少なりとも報酬が得られて、希望すればクレジットも入り、著作権が書籍化(電子書籍も含む)プロジェクトならば、様々な有償ボランティアの協力が得られる可能性は確かにある。
MediaWikiのようなシステムには、書籍の全文検索システムにおいても、ネット上で注目を浴びたコンテンツの書籍化においても、出版界が主導権を握るうえでヒントが隠されていると考えている。こうしたサイトと書籍化との連動は避けて通れないだろう。書籍化にスムーズに結びつけるためにも、MediaWikiのコンテンツを電子書籍作成ソフトやIndesignなどのDTPソフト向けの整然としたデータとして、書き出せるプラグインが開発されることを期待したい。