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南アジア学会 in 金沢

 10月6、7日と金沢で「南アジア学会」があった。私はそれに参加してみて、専門書の出版についていくつか考えさせられた。以下、そのことについて述べてみたい。

 ひとつ目は、国内で比較的読者をえにくいこの分野では、自分の研究の成果を日本語ではなく英語で発表して、世界に向けて出版したいと考えている研究者が少なくないということである。
 私にそのことを教えてくれて、日本でそうした出版形態をおこなった場合、流通問題に関して強力な相談相手となるであろうインドのManohar書店を紹介してくれたのは、拓殖大学教授の坂田貞二先生である。先生は、私の大学時代の恩師の大先輩にあたる方で、学生時代にその著作にはずいぶんお世話になったものの、お目にかかるのは今回が初めてであった。また、先生は若き日、出版社にお勤めになられていたこともあり、教員になってからも出版には並々ならぬ情熱を注いできたようで、出版事情に非常にくわしく、本の製作費や刷部数についてかなり突っ込んだ質問をして、私は冷や汗をかかされた。
 またManohar書店のほうは、ニューデリーに事務所をかまえる書店兼版元である。社会科学系の出版社のなかではインド1位なのだそうだ。今回の日本のみならず、世界各地で開かれる「南アジア」関係の学会に直接足を運び、会場で自社の出版物や他社の関連書籍を販売している。インド自体、英語が公用語のひとつであることもあって、Manohar書店では、当初よりマーケットは世界であったようだ。自社の出版物とインド国内の有力出版社の本を海外に紹介するほか、自社本の著者についてみてみると、国内の研究者のみならず日本、ヨーロッパ、北アメリカ、オーストラリア等じつに様々である。さらに、海外の出版社との共同出版の実績もあって、もちろんその販売代理業もおこなう。じっさい、学会期間中もManohar書店は非常に繁盛していた。

 ふたつ目は、この学会所属の研究者は、デジタルデータの扱いに関する意識が非常に高いことである。インドがIT大国だからであろうか。(じっさい、公用語だけで18を数えるこの国の言語を、どのようにコンピュータ上で表示させるかという多言語処理に関する研究発表があった。)いや、それよりもあまり販売の見込めないこの専門書の分野で、著者なりに製作コストに敏感にならざるを得ない現実があるのでは、と私はひそかに思った。
 具体的には、著者が出版社に原稿を提出する場合、FD等におさめられたデジタルデータと紙に打ちだされたハードコピーの両方を渡す。デジタルデータのほうは、例えばWordで作成したものであっても、テキストにおとして保存したものを送る。そしてハードコピーのほうには、テキストで表示できない文字やレイアウト上の注意を赤字で書き込む、といった基本的な事柄だ。

 この出版の第一歩であるデジタルデータの作成に関して、著者側と出版社側でなかなか意思の疎通がうまくできていないのではないか、と私はずっと思ってきた。これは著者の責任というよりも、むしろ出版社の責任だろう。今回、会場で何人かの方とこの問題について話してみて、テキストなんて当然ですよ、とみな口を揃えて言うのにおどろき、さらには、そのまた何人かは、TeX(テフ)を使って英語論文を書いているという方までいて、文科系なのにスゴイ、と私を仰天させた。そして、なぜ出版社のほうではデジタルデータの作成に関してこうしてくれ、ああしてくれと何も言ってこないのか。そんなことは些細なことなのだから、どんどん言ってくれて構わないし、むしろそうした部分に労力を使ってでも、これまで採算ベースに乗らなかったような企画が実現すれば、そのほうがずっといいだろう、という注文を受けた。おっしゃるとおりである。

 学会がおわった翌朝、ホテルから犀川まで歩いてみた。15分くらいの距離である。香林坊の交差点にはなぜか渋谷と同じ109が。そこを曲がって、金沢随一の繁華街片町の商店街をぶらぶら行く。途中、九谷焼をおいた店や金箔をあしらった和紙をかざった土産物屋のまえを通りすぎる。人通りはまばらで、金沢という街自体、とても小さくてきれいな印象をうける。ほどなく犀川にほとりにでたが、これも小さくてきれいな川だった。金沢らしい、と思った。

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