世界の国々・地域を知るために -「エリア・スタディーズ」の目指すもの
ある本で目にした1枚の写真に惹かれ、インドを訪れた。もう20数年前になる。
空港から市内に向かう車中から、路上で眠る人を見ては「ハハン、なるほどね」と、それまで読んだ本を思い出しては追体験する事に空しさを感じた。
しかし、その後数ヶ月間続けた旅は、竹の家で暮らす青年の「来世は良くなるよ」とのことば、居候した寺で飲んだ井戸水でなった赤痢、これ以上ないほど美味いとおもえた泥臭いフィッシュカレー…あげればきりがないが、常に心が揺さぶられ、生きることに必死にならざるを得ない日々の連続だった。ただ、同時に痛感したのは、インドを知らなすぎる自分とそれに対する苛立ちや情けなさだった。
毎年、約1,700万人もの人が海外に出かけている。観光からビジネスまで、その目的やスタイルは人それぞれ、他人が口を挟むべきことではない。しかし、行ってきた、見てきたという体験は、訪れた地や人を理解することとはまるで異なる。
まずは、旅という体験を、理解につなげたい…そんな想いでシリーズ「エリア・スタディーズ」の刊行は始まった。1998年の『現代アメリカ社会を知るための60章』を第1回配本とし、日本人が身近に感じているアジアの国々、そしてヨーロッパやアフリカ、ラテンアメリカまで、刊行点数はこの9年間で68点にのぼる。「アメリカ」は例外として、その構成は、地理・歴史・言語・政治・経済・社会・宗教・文化等々、いわば「特定地域に関する総合的研究」と一般的に定義される地域研究の枠組みを基本に、各分野を理解するのに重要なテーマを章立て・網羅している。ただ、けして研究者だけが執筆した学術書ではなく、その国や地域を訪れ魅せられた、それぞれの分野をよく知る専門家が綴った概説書である。表層的な情報の羅列ではなく、より本質的な知識を織り込み、また写真・図版を加え対象をより多面的に捉えることを目指している。さらに日本との関係にもできるだけ章を割くようにしている。
今や世界のどこであれ、日本(人)が何も関わりがないといえる国(地域)は、皆無に等しい。
物理的にも近く歴史的にも関係の深い東アジアの「隣国」はもとより、その位置さえ不確かな、また誤解と偏見に満ちた文化的隔たりを感じている国や地域であれ、私たちは関わっている。そして、場合によっては、相手国の歴史や現実を、自ら時に大国に追従することでゆがめることに加担している。
2001 年10 月、アメリカによるアフガニスタン空爆開始直後、もっとも売れた本は「アフガニスタンとその周辺」の地図との話がある。もちろん報道関係者をはじめその目的に多少の開きはあったとおもうが、同国に対する一般的な認識は地理的な確認から始まったというのも否定できない事実であろう。それは介入であれ支援であれ、結果的に関わりをもってしまった私たちが認識しなければならない寂しい現実である。
何も知らない国や地域に関わることの無責任さ(というより、やはり苛立ちや情けなさ)を感じる。本を出せば果たせるとはいえず、その意味では微力といえる出版活動ではあるが、かつての敵国研究や研究のための研究とは異なる目的で、国や地域に対する研究を支え、ひいては理解に資する枠組みを提示していければとおもう。それが、国際化や共生というキーワードで語られるのかもしれないが、いずれそれらの語さえ「死語」になることを願い、シリーズの刊行は続く。