運動と販売の距離
商売ごとは2月と8月は売上が悪い。俗に「ニッパチ」と言われるやつだ。今年は8月にはいって書店からの注文の落ち込みがとくに激しい。あの暑さでは無理もなかったんだろうけど。
ウチのような教育書の版元にとっての救いは、夏は教員向けの研究集会や講演会が多数あるということだ。これで落ち込んだ収入を若干カバーできる。とはいえ、出張費が出るほど売れるわけでなし、人手もなしで、たいがいは主催者か地元書店に販売を委託することになる。
その、集会販売を熱心におこなっている書店から、悲しい話が聞こえてくる。
最近、販売に制限がつくことが多すぎる、というのだ。制限というのは、
○講演者・パネラーの著書以外は販売できない。
○会場から離れた人通りのないところに販売場所が設定される。
○主催者の紀要や雑誌に広告を掲載した版元の本しか販売できない。
といったもので、こうなってくると、出かけていって出店料を払った甲斐のあるほどの売上はなかなか上がらないという。
「この会場で現金の授受はできないので、注文だけとって、あとで精算してください」などと言われたこともあるという。
多くの場合、表面的には会場側(とくに公民館・学校などの公的設備)の都合で、販売が制限される。しかし、役人が商売人を見下して居丈高な命令をするのは昔からあったことで、むしろ制限は緩くなりつつあるのが現状だろう。
むしろ問題なのは、主催者が販売者の立場に立って、会場側との交渉にあたってくれなくなっていることらしい。
主催者側の教員は多くが公務員だが、以前は「関連する書籍を販売するのも、運動の一部」と考えてくれていたのが、最近は「書店や版元は、ウチの集会の動員人数をあてこんで商売にくる業者」と見る人が多くなったという 。
私も直接間接に経験のあることだが、公務員の「業者」蔑視には目にあまるものがあり、そのくせ供応に慣れていて便益を要求するから、教科書などもちろんつくっておらず、大規模採用をねらいようもない版元にとっては、ギブ&テイクの関係がつくれない。
逆に商才ゆたかに主催者自ら販売を請け負い、版元に条件交渉し、利益で主催費用の一端をまかなおうという会もある。これは尊敬できる姿勢だ。この商才がべつの方向に行くと、前述の広告費や出店料での「業者食いもの路線」に行ってしまう。
ともあれ、私は、話を聞いた書店さんが懐かしんでいた「同志的連帯」の時代が、必ずしもいい時代だったともおもえない。そこに巣くっていた「運動ゴロ」たちがつくった馴れあいの関係が、下り坂の時代には不良債権となっていくのをすこしは見聞してきたからだ。
しかし、「イベントプロモーターと提携業者」の関係となって、売れる本を仕掛け、一時の熱気で著者サイン本を売りまくる、という「参加者食いもの路線」もなかなか寒い構図だ。
なんとか、販売ブースが集会の一部として成立しながら、日々の衣食に足るだけの利益も出る、という関係をつくりたい。本を売ることはその内容を広める運動であり、この両者は矛盾しないはずだ。
本も売れない「研究集会」なんてロクなものではないのだから。
次回は、同時代社の川上さんです。