あこがれの(?)営業さん
いまから何年前のことだったか。はじめてのバイトが書店員でした。採用が決まったとたんに店長から「明日大丈夫だったら来て欲しい」との連絡。日曜日の朝で荷物は来ないしお客さんも少ないその日。他のバイトが来れなくなったのです。確か開店と同時の朝9時頃。小さな店なのですぐ実践体験です。レジの基本的な操作法を覚えたところで店長が「あ、すぐ戻るからちょっとレジにいて」と店を出ていってしまいました。
生まれてはじめての本格的店員経験。「いらっしゃいませ」と口に出すのも勇気がいる状態のレジに十数冊の文庫を持ってお客さんが来ました。僕にとってはじめてのお客さん。その人が発した一言がパニック状態を発生させます。
「全部カバーかけてください」
僕が働いていた店は、地域の老舗で、創業者がデザインしたオリジナルのブックカバー用紙にはさみをいれて1冊ずつ丁寧にカバーをかけていく店でした。悪いことに、僕はそのカバーのかけかたを知っていたのです。はじめての実践なので、とにかく時間がかかる。お客さんを待たせちゃいけないという焦りで手が震える。数冊カバーをかけた時に「お待たせしてすいません」と顔をあげると、後ろに待っている人が。慌てるとなかなかうまくカバーをかけられず、ちらっと見ると、レジの前に10人以上の人が並んでいるのです。日曜日の朝だというのに……。
そのうち「はやくしてよ!」という罵声までとびはじめ、文庫のお客さんに「残りはいいですよ」と言ってくれないかなぁと期待しつつ、その期待は裏切られ。レジ前に1本の長蛇の列を作って、ようやく文庫のカバーを仕上げました。
それから、お詫びの連続。「いらっしゃいませ」ではなく「申し訳ありませんでした」と謝りながらのレジ作業。その長蛇の列が終わると再びお客さんは誰もいなくなってほっと一息つけたのでした。その後戻ってきた店長に体験談をして大笑いをされ謝られましたが、終わってしまえば良い話のネタになりました。
それから、長い年月を経て、その程度の列が出来ても慌てることなく、同時に数人のお客さんをこなしつつ……なんてことができるようになった僕は、バイトの管理から仕入、版元との独自のキャンペーンなども行う社員になっていました。
書店は著者と読者をつなぐ最終拠点です。その役割を果たすためには、店に本を並べなければなりません。一言で本を並べると言っても、お客さんが本当に望む本や雑誌を確保するのはかなり大変な作業です。
普段の棚づくりもそうですが、ヒット商品が出た時などは大変です。僕がいたような中小の書店には、ヒット商品はそうそう送られてきません。初回配本はせいぜい数冊。版元や取次に何度注文しても「品切れ重版未定」と言われるだけです。
書店が著者と読者をつなぐ最終拠点なら、版元(出版社)は著者と読者をつなぐ出発点。その、出発点と最終拠点の間に取次という問屋が入るわけですが、その取次を通り越して出発点と最終拠点を結ぶ人がいます。それが、版元の営業さんです。版元の営業さんの情報は貴重でした。他の書店の様子や取り組み、出版社を通り越した売れてる本の情報や売れそうな本の情報。さまざまな情報を生の感覚で教えてくれる貴重な情報源でした。
営業の人と仲良くなっておくと、そうした情報が得られるだけでなく、利点もあります。「品切れ重版未定」と言われてしまう本を調達してもらえることがあったりするのです。ある時も、大人気となっていた本を100冊送ってもらったことがあります。その時、営業さんは不思議なことを言いました。「途中で取次に抜かれると困るので別の書名で送りますからね」と。たとえ版元がその書店に送りたいと思っても、あまりに人気があると途中で取次が減数してしまうのだそうです。品切れの書店が多い中で平積みにされたその本が次々に売れていくのが楽しかったのを覚えています。
返品にしても同様です。書店はいつでも返品できるといわれる事が多いのですが、実際には様々な条件があって、必ずしも返品はできません。版元の中には、一切返品を受け付けないところもあるのです。しかし、ここでも営業さんが出てきます。長い付き合いがあると、例外的に返品や新刊本との交換をしてくれるのです。
営業さんが来ると1時間以上おしゃべりをすることがありました。おしゃべりだけして注文もとらずに帰ってしまう営業さんもいました。仲の良い営業さんの会社の本はこちらも好意的に売ろうと思います。そうすると、相手も好意的に対応してくれる。結局、人と人の付き合いから商売は成り立つんだなぁと実感した時でした。
僕のいた店の目の前に大型チェーン店が出店してきて売上が急減した時のことです。昔は書店の出店には周囲の他の書店の了解が必要だったそうですが、その頃にはそうでもなくなっていて目と鼻の先に有名書店がオープン。そうした時も営業さんは応援してくれました。ある分野では最大手の版元さんが「うちはあちらの出店協力断りましたよ」と言ってくれたり、「あちらには売れ筋だけ入れてますが、こっちは全点欠かさないようにしてますから」と手に入りにくい本を多めにストックしてくれたり。こんな時でも応援してくれるんだなぁと、営業さんとのつながりを感じたものです。
さらに業績が悪化して、商品の引き上げという事態に至った時も、噂を聞いてわざわざ駆けつけてくれた営業さんもいました。「また復帰したらすぐ来ますからね」と。
その後僕は本を売るほうから作る方に転身しました。編プロと呼ばれる版元の下請けをするような会社に入ったのです。書店時代はあこがれをもって見ていた版元に出入りもするようになりました。そして、こんどは自ら版元となりました。
取次とも口座を開きつつ、書店に営業に行ったほうがいいかなぁと思い、しかし実際に行ったのは数店だけ。はじめて行ったのは、自分の会社の1階にある書店でした。同じビルのよしみで本を置いてくれたのですが、緊張のあまり名刺を置いてこなかったことに後で気づきました。どうも緊張すると何事もダメみたいです。
我が社からも全国の書店に営業さんを送り込みたい。僕の書店経験からはそう感じます。しかし、現在の我が社はそこまでの規模でもありません。その代わりといっては何ですが、FAXが全国の書店に営業してくれています。一方通行の営業ですが、いつの日か本物の営業さんを育てたいと夢みながら、出版業界の現実とのはざまに難儀しつつも、買ってよかったと思われる本を出し続けていきます。