読みにくい社名と書名
先日のこと。ある旅行会社で、出張用の新幹線チケットを買い求め、領収書の発行をお願いしました。受付の方に「この名前でお願いします」と名刺を渡すと、「少しお待ちください」と奥のほうへ。どうやらパソコンで領収書を出すらしいのです。それから待つこと5分。ずいぶんかかるなあと思い、奥のほうをうかがうと、なにやら小声で相談しているようす。
「……で出るんじゃないの」
「いえ、この漢字じゃないです」
「これほんとはなんて読むの?……」
みなさん、はじめまして。松籟社と書いて「しょうらいしゃ」と読む会社です。
社名が読みにくい・書きにくいものであることはじゅうぶん承知していました。でも、キーボードで入力しにくい漢字だということは盲点になっていたようです(自分自身、はじめてこの漢字に触れたときはそのやっかいさを経験したはずなのですが、慣れでその記憶が磨耗してしまっていたのですね)。ちなみに、中央競馬主催の「松籟ステークス」というレースがあるためでしょうか、「しょうらい」と打ち込むと、ATOKでもIMEでも、「松籟」と変換されます。
領収書を出してもらうぐらいなら、時間をかけて気長に説明すれば、解決することができます。でも、読みにくいだけでなく、入力もしにくい漢字が社名に入っていることが、この検索文化全盛のご時世、意外と機会損失を生み出しているのではないか、とも思ってしまいます。ネット上ならどこかで見つけてきてコピー&ペーストできますが、たとえば書店の検索端末などではどうか?
これが社名でなく、書名となると、もう少し深く考えてみる必要があるかもしれません。小社は昨年の11月、『不埒な希望』という書籍を刊行しましたが、今年に入って朝日新聞の書評欄で取り上げられ、追加のご注文、客注を多くいただきました。
ただ、その注文のお電話、おそらく半分ぐらい、書名が読み間違えられていたのです。間違いで一番多いのが「フソンナキボウお願いします」。ついで「フシンナキボウ」。「ブシツケナキボウください」というのもありましたっけ。正解は、「フラチナキボウ」です。
書店員や取次の皆さんを責めるつもりは全くありません。自分自身、いかに漢字が読めないか、日々の仕事の中で痛感していることでもありますから。そうではなくて、私たちの側で、このタイトルが(現状では)難読だということを織り込んでおかねばならなかった。誤読されないように、工夫をこらす必要があった、ということです。広告や各種案内、スリップ等には必ずよみがなをつける、デザイン上可能ならば、カバーでもルビをふる、営業の際にはしつっこく正しい書名を言って、おぼえてもらうようにする、などなど。ほかにもいろいろあると思います。読み方がわからなければ、入力もできず、検索もできないわけですから。
誤解されている方はいらっしゃらないと思いますが、タイトルに難読漢字は使うのをやめるべき、と言っているわけではありません。書名はおそらく、その本を手にとったひとが最初に受け取るメッセージ。だからこそ、書き手・作り手は、タイトルに頭を悩ませるわけです。そのメッセージを一番よくあらわすものが、難読漢字を含む場合はもちろんあるでしょう。難読であること自体もメッセージのうち、ということもありうるでしょう(京極夏彦さんの『姑獲鳥(うぶめ)の夏』とか……)。
ただ、そのメッセージをほんとうに届けるためには、しなければいけないことがけっこうある──この当たり前のことを、読み間違えられた注文電話を受けながら、改めて実感したことでした。