『書店はなぜくも消えて行くのか』続篇
北海道のある地方都市に、(当然札幌ではない)地場老舗で5店舗を展開している書店がある。総体として売上が落ち込んでいて、取次から3店ほど整理しなさいと迫られているという。確かにどの店舗も活気がなく、客入りも悪く、とても経費をペイできているとは思いがたい。この地方都市の経済力そのもののレベルダウンを反映している結果と考えれば、それもいたしかたないかとも思う。
5店舗のうち黒字のところが1店だけあるという話を聞き、郊外のかなり遠いところではあったが足を運んでみた。平日の午後3時頃である。結構入っている。30人強の客が狭い通路にひしめいている。雑誌・書籍の売り場が40坪ほどだから、りっぱなものである。しかも肝心のレジも休みなく音を立てている。ほかの店との違いはなんだろうと、棚を見て驚いた。
さほど広くない書籍スペースに、文芸、人文、芸術を問わず現在の売れ筋や根強い人気のロングセラーものがしっかりと並び、積んである。一見して既刊本に詳しく、最新の情報を正確に捉えている棚作りである。地方都市ということもあり、芸術分野の最新売れ筋は薄めだったが、都内や全国の同規模店と比較しても、その密度の濃さで記憶に残る書店となった。趣味・実用・ビジネス系はわたしの守備範囲外なのでそもそも見ていない。
担当者に会った。30歳前後の書店歴10年ほどの女性である。多くを語らない。ただわたしの矢継ぎ早の質問に臆することなく私見を言う。そのすべての答えが理にかなっている。場当たり的な棚作りでないことがこれでよくわかった。そうなのだ。こうした読者に対する「攻め」の姿勢がいま失われつつあるのだ。
「自分の考え、自分の理想を棚にこめて表現する」とは、もうなんども繰り返されてきた言葉だが、いまだに生きている。本の需要の乏しいこういう地方都市の郊外店でも(失礼)なにかを語っている棚、アピールする棚は強い。蟻が甘味にたどりつくように(これまた失礼な例えだが)、読者もどこをどう探すのか、いい棚をしっかり嗅ぎ分けて集まってくる。換言すれば、こうした読者が担当者をして棚を作らしめているのだ。
いま全国の書店をまわっていて、もっとも情けないことはこの書店人のように、棚を通して読者と切々と会話をしてきたベテランの書店人が、ことごとく消えていきつつあることだ。店の方針と合わずにやめていく人、高給料が災いしてやめさせられる人と、そのほとんどが意図せざる退社であった。そしてそのなかで書店業界に残ったのはわずかである。多くの力ある書店人が去り、その数だけ棚は荒廃していった。
前稿で書店廃業の外的要因をみた。今回はその内的要因に焦点をあてている。それは表面に出にくい「書店の自滅現象」である。地方書店のいまの危機的状況は、その多くが内部崩壊によるものではないかと思える。事業が順調なときは問題ないのだが、経営的に八方塞がりの状況で、社長を支え、事態を乗り切るために手足となって動く人材がいなくなっているのだ。「こいつらと一緒になんとかしよう」という、最後のひとふんばりとなるはずの土俵際の「徳俵」がもうないのだ。だからいとも簡単に諦めてしまうのである。
一説に(いや、すでに常識か)、地方の書店では年収が500万を越えると肩たたきにあうと言われている。そういう人はほとんどが40から50歳代で、その社の中心的な役割を果たしてきた人たちである。確かに替わりに若い社員を抜擢しても、その給料の差ほど利益が下がるわけではない。当面を乗り切れればいいのだし、なにより「店を潰さないため」という自らを慰める方便もある。しかし、そうした近視眼的対応がすこしずつ自社の体力を奪っていることに気づいていないのか。
いや気づいているんだろう。気づいていてどうしようもないのだろうと思う。まさに、蟻地獄にはまったようなもので、打つ手がすべて悪い方向にしか結果を出さないということもあろう。しかしと思う。見かけの売上を立てるために、よく市場調査もせずに新規出店をするとか、ノウハウもないのに本以外の商品に手を出すとか、また前述したように、出費を抑えるために社員をやめさせるなどの安易な打開策に走ることはなかったかと。
わたしにはやめていった(やめさせられた)たくさんの人たちの言葉がいまも残っている。「給料は半分ぐらいになるけど、一緒に建て直そうと言ってくれれば、残るつもりだった」「自分の身を切る覚悟のない社長にはついていけなかった」「毎週ゴルフに行く金があるのなら、店や仕入に使ってほしかった」など。彼らの本にかける情熱は、危機的状況であればあるほど発揮されたのではないかと、口惜しい気がしないでもない。
書店の人件費の問題が出ると必ず正味問題(書店の仕入値率のこと、高すぎると書店側が業界に要求している)が出てくる。この問題はわたしも出版界全体が早急に取り組まなければならない、最重要課題だと思っている。しかし絵に描いた餅のうまさをいくら語っても腹はふくれない。いまできることを考えるなら、とにかく本を売る原点に立つことではないかと思う。そこで冒頭の北海道にある書店の話に戻る。この書店の棚が語るのは「読者に買わせる」商売から「読者に棚を作らせる」商売への転換である。商空間が売り手のものだった時代は過ぎ去った。それは顧客の作り出す空間であるべきだし、それを実践している小売店は、他業種でもほとんどが成功しているのである。