つまらない本屋
先日発売になったインターネット白書(インプレス)によると日本のインターネット利用者は3000万人を突破したそうだ。
私がインターネットを始めた頃(94年ごろ)は非常に遅い回線でInternet ExplorerはもちろんNetscape Navigaterもない時代だったことを考えると、ここ7年での進化のスピードは驚きだ。当時は接続したらお風呂に入ってお茶を一服飲んだら、丁度ページが表示されるぐらい遅かった。それから回線やパソコンの発達もあり、利便性が増したので、ここまでの利用者になったのだろう。
しかし否応無しにンターネットを利用せざるを得ない状況を作り出しているのも事実である。
最近の世の中の傾向として皆同じ流れに乗る傾向がある。
前回文化ファシズムの話があったが、最近の世の中はいつのまにかファシズムが浸透しているように思える。
例えば小泉純一郎首相は私の好きな政治家ではあるが、彼や田中真紀子氏を攻撃すると抗議が殺到するというのでは真の民主主義国家とはいえない。
民主主義には「あなたの言うことに100%反対だが、あなたがその発言をする権利は命をかけて守る」と言う本質があるのだから、議論を封じ込める風潮や異端を排する傾向は心配である。首相の支持率もそうだが、ドラマなどの視聴率にも偏りが見られる。皆同じことを同じようにやるのが当然という風潮があり、良い傾向だとは思わない。一時期流行ったルーズソックスや厚底ブーツも同様である。
もっと自主性をもって行動する必要があるのではないか?
この傾向は出版業界にも存在する。
私はこの版元ドットコムに会友として参加しているが、出版業界とはゆかりのない人間である。
私は小学校から高校までを名古屋で過ごしたのだが、その当時はかなり本を読んだ。最近はあまり読まないのだが、自分ではそれを本屋のせいにしてしまっている。
本屋がないのである。もちろんコンビニのような本屋はいっぱいある。入ったところにはどこにでも売っているような売れ筋と称する本が並び、なんら代わり映えがしない。欲しい本を買いに行ってもない場合も多い。5冊シリーズで2冊欠けている場合、店員さんにいえば本棚の下から出てくるのだろうと思っていると、棚にない本はないという。
本屋さんも不況で大変のようだが、それなりに著名な本でもこのようなことはよく最近ある。
しかしこの大変な時代に前述のような「右にならえ」の戦法では苦しむのは当然である。あの本屋にいけばこういう本があるだろうという個性をださねば消滅するのは時間の問題だ。味のある本屋はもう復活しないのだろうか?
インターネットの普及で情報はほとんど手に入る。ネットの中で本の購入も可能だ。しかし本屋にいってたまたまいい本を見つけた感動を久々に味わってみたい。コンビニのような本屋だけでは探す楽しみも失せてしまう。
さて、ここまでインターネットが普及したということでホームページを開設する個人・会社も多い。3年ほど前から就職活動にインターネットは必須である。携帯電話のメールも当たり前のように利用されている。
しかし有効に活用していない人も多い。流行に流されて始めてしまったからだろう。これも本屋と同じで自主性に欠けているのである。
その原因に自分(自社)のウェブサイトがどのように利用されているのか、どんな人が利用しているかなどを想定して運営していないことや分析をしていないことがあげられる。
当社は2月にアクセス刑事を採用した。
彼はお客の依頼に応え、ウェブサイトへのアクセス状況やリンク元などを解決することを任務としているが、今や数百の顧客を抱えるほどである。
アクセス状況などを計測したい方は是非アクセス刑事をご指名していただきたい。
http://www.kan-net.com/
つい自社の宣伝をしてしまいましたが、私は版元ドットコムに会友として参加しweb編集のお手伝いなどをしています。
今後web制作やシステム構築だけでなく、インターネット広告市場やASP事業への参入を検討・準備中です。
是非御用命ください。