「個人情報保護法案」に関して
「ダカーポ」6月6日号(マガジンハウス刊)掲載の<個人情報保護法案なんていらない!>を読んで、またぞろエライ法案が進行中であることを知った。出版社に席を置きながら何を寝惚けたことをと、会員・会友諸兄からお叱り受けることと思います。風営法・暴対法このかた、ことの重大さが身に染みるよりも早いペースで斯くも容易に次々と楔が撃ち込まれているらしいことに対して「何をなすべきか」。今回、営業日誌のテーマより大きく外れます、ご勘弁下さい。
まずは、多少長くなりますが引用から。
「<言論><暴力>を対立する概念と規定するところから、文弱の思想が生まれ、戦後擬制の民主主義の迷妄は発する。言論は暴力であり、武闘と文闘とは権力を撃つ双つの矛であるという認識を私たちは持たなくてはならない。さもないと、天下大乱に先立つ言論統制は、再びなべての反体制的言辞を容易に圧殺してしまうであろう。
ニッポン低国の官憲は、すでに大がかりな思想・表現・言論の弾圧を始動しつつある。『週刊ポスト』“衝撃の告白”事件(2名の社外記者逮捕)は、そのまぎれもない予告であるにもかかわらず、新聞ジャーナリズムは、“低劣週刊誌”キャンペーンに汲々たるありさまであり、総合雑誌もそうした次元の低い問題にはわれ関せセズである。
私が無名性の回復を志すゆえんは、国家権力との私闘を貫徹していく以上、いずれは当然のなりゆきであるという判断にもとづくものであり、ことさら奇矯を衒うのではない。もうそこまで、冬の時代が迫ってきていることを、私は予感する。ゆえに暗黒に待ち伏せて、言論の暴力の回路を確保して、敵を迎え撃たねばならないのだ。このような発想を被害妄想とわらえるのは、筆を折られたことも、ものを書くことに暴力的な干渉をくわえられたこともない、幸福な人々である。」
以上、ご存知の方も多いと思います。出典は竹中労著 『ルポライター事始』(ちくま文庫版)所収「言論暴力とは何か?」<初出は1971年『展望』掲載>と題された文章。これを読んだ当初、<言論>と<暴力>を結びつけるとはなんと極端な論理であることかと思った。
しかしながら冒頭の「ダカーポ」記事を読むとまさしくそのような<冬の時代>が執行段階にあること明白。その上、ここ一週間で予防拘束を含む刑法改正までプログラムに載ってくる可能性が出てきた。
こころしたいのは風営法・暴対法の延長線上に破防法を持ってきたこと。はじめにエロと暴力という環の中で最も弱い部分から手をつけてくるということ。記事中、「青少年社会環境対策基本法」にも言及している、<有害図書とは何か?>。「我々は出版活動を通して青少年育成をはじめとする文化活動に貢献しているのだから<有害図書>の版元とは自ずと別だ。」といった
態度が同じ結果を招くことになる。
戦中、「中央公論」や「改造」までもが出版できなくなくなった状況が現行憲法の元で鵺のように進行してゆく。「何をなすべきか」。
今回はテーマを俎上に乗せるに留まります。
「ダカーポ」記事については、講談社とマガジンハウス内に「共同アピールの会・事務局」が設けられているようです。宮崎学さんのホームページにレポートがアップしてありますので、まずはそちらからご覧になった方がよろしいかと思います。
http://www.zorro-me.com/2001-4/010419.htm
個人情報保護法案全文は以下より
http://www.mainichi.co.jp/digital/houan/01.html
以上。