覚悟めされよ!!
イラクでのアメリカ兵の死者が2000人に達した。今日(10月26日)のウェブ版『ワシントンポスト』は米国東部の田舎町での戦死者(複数)の家族をレポートしている。記事にはブルーリッジ・マウンテンとかサスケハナ川のような地名がちりばめられている。ブルーリッジ・マウンテンはジョン・デンバーの「カントリー・ロード」の歌詞に出てくるし、サスケハナはペリー艦隊の旗艦の名だ。なんとなく知らないところという気がしない。→記事
この田舎町出身で戦死した若者は、カレッジへ行くために州兵に応募したのであって前線に行って戦うなどとはもうとう考えていなかった。
妻と赤子を残してイラクへ行き、重傷を負って故郷へ帰ってきたものの、治療むなしく結局死んだ兵士は、イラクで瀕死の重傷を負う前にイラクから妻に送ったメールで、「愛している」と繰り返したという(結局彼は負傷がもとで死んだ)。
それでも米兵は「まだ」2000人「しか」死んでいない。米兵の負傷者は1万5000人を超えるという。『ワシントンポスト』ではないが別のレポートによると、負傷者の多くは手足を失った重傷者だ。頭部や胴体はヘルメットや防護服などでしっかりと護られているため、逆に手足を失う例が続発しているらしい。私が子供のころの東京・渋谷には、手足を失って道にうずくまり、ハーモニカを吹きながら金を乞う復員傷病兵がいた。
ではイラク人はどうなのか。『イラクボディ・カウント』によれば、イラク人の死者は最大で3万を超えた。太平洋戦争末期の日本でも、沖縄戦では二十数万といわれる犠牲者を出しているし、広島で20万人、東京大空襲で10万人の市民が死んでいる。私の祖父も東京大空襲の日の深川で「行方不明」になって以来60年になる(誰も死体を確認していないので依然として行方不明だ)。
苛烈な沖縄戦を生き残った人たちは自らを「艦砲の喰ぇぬくさー」(艦砲射撃の食い残し)と称して平和を望む歌を作った。→http://camilo.exblog.jp/
イラクの市民もきっと同じような気持ちでいると思う(イラクの市民の声は以下を参照。日本語の翻訳で生の声が読める)。→http://www.geocities.jp/riverbendblog/
無条件・無批判にアメリカに追随する小泉政権と外務省を見ていると、戦争がよその国のことだとは決して思えない。われわれが戦争の当事者になる日は遠くない。
おのおの方、覚悟めされよ!!
こんな時代には、ジョン・レノン式アナーキズムがいちばんかも? イマジンの歌詞はこちら→http://www.merseyworld.com/imagine/lyrics/imagine.htm