アメリカという国
私は、戦後史の年月がほぼ自分の年齢に重なる世代だが、北海道の片田舎に生まれ育ったし、あまりに幼かったから、占領軍の米兵たちに出会ったり、チョコレートやチューイングガムをもらった記憶は残っていない。小学校に入ったころから、ターザン映画や西部劇の洗礼をたっぷりと受けて、面白がって、観た。アメリカという国と出会ったというより、面白い映画を観ていた、というだけのことだったろう。
やがて、各地の米軍基地反対闘争を遠くから眺めていたが、高校時代に第一次安保闘争に出会い、「反米」感情をもった。大学に入って、「反米」意識の民族主義的偏向に気づき、帝国主義批判として、この問題を考えるようになった。ちょうど、黒人の公民権運動や先住インディアンの権利回復闘争が、暴動・占拠という極限的な形態でも展開されていた1960年代で、それまで知らず知らずのうちにも身につけていた白人中心史観を抜け出すに当たっては、この客観情勢の援助があった。
黒人やインディアンや少数者の歴史・文学・音楽・映画などを通して、この超大国の欺瞞的な歩みを見つめておこうーーかなり長いこと、そう思い定めてきた。
でも、いつの頃からか、アメリカに住み、この国の大勢とは違う考えをもって生きている白人少数派のことが気になり始めた。アジア太平洋戦争への反省から、(憲法の定めとは裏腹に、自衛隊が強力な軍隊となって以降も)海外派兵だけはしないとしてきた社会的な世論が決壊し、国連の平和維持活動への参加が具体化したカンボジア派兵の時点であった。ここまできたら、戦争への加担は際限がなくなるだろうーー私はそう考え、20世紀は言うにおよばず、19世紀半ばから戦争に次ぐ戦争を重ねて富を蓄積してきたアメリカで、そういう国のあり方とは違う方向を求めている人びとの考えと生き方が、にわかに切実に迫ってきたのだ。
その頃ちょうど、ベトナム反戦運動の時期に日本でも政治・社会評論が紹介された言語学者、ノーム・チョムスキーの、最近の政治評論を翻訳したいという人が現われた。ソ連の崩壊を見届けた戦後史の大転換期に、第二次世界大戦後のアメリカの対第三世界政策に厳しい批判的検討を加えた本である。喜んで出版した。
『アメリカが本当に望んでいること』。1994年のことである。初版3000部だった。
定価は1300円と安い本だが、売れなかった。2001年9月までの7年間に1700部くらいしか売れなかった。一年に一度原著出版社に行なう売上げ報告に対して、先方は「残念ですね(What a pity!)」と書いてよこしていた。
「9・11」の直後から急に売れ始めた。一年半のうちに4刷りまできた。以前から計画していて、2002年春に出版したチョムスキー本『アメリカの「人道的」軍事主義』もすぐ2刷りになった。「テロ」に見舞われたからといって、世界の最貧地域に報復戦争と称して爆弾の雨を降らせる「論理」がどこから生まれるものか、人びとは知りたかったのだろう。内部からの強烈な「大国主義」批判者、チョムスキーの言論は、いろいろな示唆を与えてくれる、ひとは、そう感じたのだ。他の出版社も大急ぎでチョムスキーの本を出版するようになった。いまや書店店頭には、何冊ものチョムスキー本が並んでいる。
イラクに対する攻撃を米英軍が中心になって始めた。アメリカの政権中枢には、1960年代とちがって、大統領補佐官ライスや、国務長官パウエルなどのように、黒人やジャマイカ移民出身の人間も入っている。黒人やインディアンや民族的少数者への、ヘンな「思い入れ」が可能な時代ではない。日本の首相も、真っ先に攻撃を支持すると言明した。はるかに小型だが、この国はますますアメリカに似てきた。
自分の社会が、戦争や大国主義的ふるまいで世界中を掻き乱すことに堪えられない人間は、マイケル・ムーア言うところの「アホで、マヌケな、アメリカ白人」ではないアメリカ人と出会うことががますます重要な時代になった。チョムスキーは、まだしばらくのあいだ、読まれるだろう。
それにしても、戦争や他人の不幸があってはじめて売れ始める本というのは、つくり手にとって、居心地のよいものではない。