仕事とは?
吹けば飛ぶような弱小出版社なのに雑用がやたらと多い。効率的に仕事をして、あとは読書の時間をできるだけ確保したいのだが、なかなか実現できない。最近、仕事について書かれた本(新書)を少しまとめて読んだ。
『仕事術』(森清著、岩波新書)、「良い仕事」の思想』(杉村芳美著、中公新書)。『失敗を生かす仕事術』(畑村洋太郎著、講談社現代新書)などだが、どれもそれなりに面白かった。これらの仕事術とはちょっと毛色のちがう異色の本がある。『「ひらきこもり」のすすめ——デジタル時代の仕事論』(渡辺浩弐著、講談社現代新書)。バーチャル空間の中では土地の広さやビルの高さは関係ない。才能さえあれば、そんな組織やビルがなくても各種情報機器やネットワークを使い、自宅で個人で収入のよい、短時間ですんでしまう仕事がどんどんできるという。実際に多くの若者たちが、電脳空間への移住を始めているらしい。あるコンピュータ・プログラマーは年収1千万円以上を得ていたが三十台前半で引退してしまったという。理由は「一生遊んで暮らせるメドが立った」から。がっぽり貯め込んだのではなく、「一本あれば何ヶ月も遊べるゲームソフトをすでに数千本持った」。あとはゲームをやって一生暮らすだけの必要最低限の金銭は確保したとのこと。著者の渡辺浩弐氏も定職についたことはなく、学生時代からゲームセンターに入り浸りゲームの専門家、ゲームクリエータになってしまった。勤勉に働くことが良いこと、とされてきた今までの仕事観はバーチャル空間に住む人には意味がない。電脳空間での、組織を頼らない新しい仕事論として画期的内容だ。
もう一冊、『翻訳はいかにすべきか』(柳瀬尚紀著、岩波新書)を読むと別の仕事観に羨望を覚える。著者は、翻訳を志す人は日本語の常識を持て!という。それを、これでもかこれでもか、というほど述べる。自分の訳と他人が訳した訳文を比較して、いかに柳瀬訳がすばらしいかを説明するのだが、読むとスッと納得する。二葉亭四迷の翻訳に対する態度「余が翻訳の標準」の引用からはじまり、翻訳者は最低でも「漱石全集」や「森鴎外全集」くらいは読んでいるのが常識だ、とか、『渋沢龍彦翻訳全集』をいつも側において参照する、とか、とにかく日本語の言葉にこだわる。大切にする。こんなに細部にこだわる職人仕事をやっていたら一生楽しめるだろうなあ、とうらやましく思う。自分が訳するに足るだけの価値のあるものしか訳さないという態度も徹底している。けっして金銭のための仕事はしない。くだらないものを訳して時間を浪費するのがもったいないから。『ユリシーズ』や『フィネガンズ・ウェイク』の訳者だから言える言葉。
少し前に話題になった『翻訳夜話』(文春新書)。村上春樹と柴田元幸による翻訳談義も基本的には、翻訳という仕事が好きで好きでたまらない二人のジャズ・セッションのような対話。「好きこそ物の上手なれ」なのかも。『海辺のカフカ』を読んでウンザリした村上春樹だが、これを読むと「春樹もなかなかいいね」と思ってしまう。
仕事に関する本をたくさん読んだ結論は、「お金はたいして儲からなくても、楽しくて価値のある、大好きな仕事をコツコツしていこう!」という平凡なところに落ち着いた。