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本業と副業の日々 これまでとこれから

新曜社営業部アルバイトに就いて7年が経ちました。はじめまして、高橋健太郎と申します。その軌跡と自分のアピールを書けと半ば強制的に営業部部長のNさんの要請で今これを書いています。この7年間、自分が歩んできた道のりを自分で振り返るという意味も込めてかなり長くなってしまいましたが記させていただきます。
 
 
2012年2月、大学卒業を間近に控えた私は「写真」で自分の撮りたいものを撮るための時間とその道で食っていくための猶予を得るためにも、アルバイトをして生きていく方法はないかと模索していました。はい?写真??と思われるかもしれませんがそれは後ほど書かせていただきます。
 
アルバイトを探すにあたり、「写真」の仕事に関係するようなところが良いのではと考えました。出版社はどうだろうか?と自問します。写真、扱ってるよな。良いかもしれない。そこで自分の部屋の本棚に目を行かせました。では大学のゼミで最初に勧められた本の出版社はどうかと考えました。誰のためのデザイン

の訳本がそれでした。そしてその出版社である新曜社のサイトを検索すると、「営業部アルバイト募集」とタイミング良く書いてありすぐに連絡を取りました。メールで履歴書のPDFを送ると数時間後に「明日、面接に来てください」と返信が来ました。出版社は華やかなところなんだろうなと翌日、神保町までワクワクしながら向かったのを覚えています。
 
google mapを頼りに徒歩3分ほどしてたどり着いたのは華やかさとは程遠く、今にも倒れるんじゃないかと思うほどの6階建ての寂れた貸しビルでした(6年前当時)。google mapと何度にらめっこしても「新曜社」の看板は確かにそのビルの壁にくっついていて思わず「まじか、、、」と入るのを躊躇しました。それでも誠実で科学的事実に沿って社会的洞察に優れた実直な本を世に出す出版社たるもの、こういった趣のあるビルでひっそりとやっている感が逆にいいのかも。さすがだ!と前向きにとらえてボロビルの2階に上がり、営業部のドアを叩きました。入って名前を告げると営業部長Nさんが「こんにちは、じゃあ明日から来れる?」。全く私の素性などには興味を示さず、そのまま何も聞かれずに採用されてしまいました。え?何も話していませんけど?と驚きましたが、もしもこの時、採用されていなかったら今の自分はいなかったのだろうなんてふと思うことがあります。
 
そして迎えたバイト初日、本を売ることの右も左もわからないまま1000冊を超える商品数のISBNや自社管理コードをもとに出庫のための短冊入れに始まり、取り次ぎの運送のドライバーさん方は新曜社の社員なのかどうか?と思い迷い、不安になりながらも日に日にその環境にも慣れて行き、日常的によく使われている常備、配本、返品、〇掛入帳、〇〇了解でお返しください、延勘等々、わからなかった言葉がだんだんと体に馴染んで行きました。今ではネット関連、もちろん版元ドットコムの新刊情報の入力なども私が担当です。
 
さて、それと同時に「写真家」活動も行っていました。新曜社バイトの1年前、2011年3月11日、東日本大震災が起こります。この時私は大学3年から4年の変わり目を迎えておりました。周りが就職活動に活発になる中、こんな時代に自分は何をすべきなのだろうかと迷っていました。まずは自分の周りで起きていることを意識的に記録として残したいなと思い、デジタルカメラをその年の5月に購入します。震災後、多くの方がテレビやネットで何度もその土地を一瞬で飲み込む津波の映像に言葉を失ったと思います。私もその一人で、そうであるならば、どうしてもそれを記録しておきたい、一瞬でも残しておきたい、そんな思いでした。
 
最初はただただ趣味で、自分の身の回りを撮るだけ、でも「趣味なら本気で」と当時宣伝していたCanonの60Dを買いました。広告に完全に踊らされました。そうして毎日写真撮っていたところ突然転機が訪れます。カメラを買ってひと月後、東京に住むスイス人のドキュメンタリーフォトグラファーAndreas Seibert(アンドレアス・サイバート)と福島での震災関係ボランティアを通して出会います。中国の都市労働者や環境汚染を取材し撮影していた彼は、既に海外の写真界では中堅から巨匠になるような位置にいました。彼の撮る写真に心を動かされ、もっと写真をまじめに学びたいと、彼に写真を教えてもらうようになります。その過程で自分でも興味関心のある事柄を取材しそれらを撮影してポートフォリオにまとめて行きました。プロなど目指していなかったのですが、フリーランスでこういう生き方もあるのかと心はだんだんと写真家業に向いていきます。
 
結局、卒業を迎えると同時にフリーランスとして生きていくことを決意し、ひとまず卒業前にアルバイト採用していただいた新曜社で、時が来るまでお世話になろうと決めました。当初採用期間も3ヶ月程度とされていたはずが、居座り続けて早7年目、時給も据え置きで、しかも写真の仕事など新曜社にはなかった、、、それは置いておいて。
 
その写真活動も2013年の9月、急展開を迎えます。アメリカの日刊紙The New York Timesから初めての写真の仕事をもらうことになります。きっかけは師匠のAndreasにポートレートの撮影依頼が来たことでした。ただ彼はもうその時、16年住んだ日本から家族と共にスイスに帰っていたため、撮影ができない、と。そこでAndreasがそのThe NYTimesのフォトエディターに高橋健太郎という若いのが日本にいるけど、と紹介してくれたのです。(補足ですが、日本には写真を専門に見る編集者というのがあまり職としてありませんが、海外のメディアではフォトエディターが各メディアにいる方が一般的です。)そしてそのフォトエディターは別ルートでも日本でポートレートを撮れる誰か知らないかとあたっていたところ、知り合いのキュレーターからも名前を紹介されたそうです。そのキュレーターは私の写真をとある写真賞の審査をした際に見て覚えていてくださったそうです。その写真賞では何か受賞した訳でもありませんがこのようなつながりを生みました。信頼する異なる2人から紹介されたのならとThe NYTimesのフォトエディターは無名の私にアサインメントとなる初仕事を依頼してくれたようです。
 
その仕事とは、現代アーティストの名和晃平さんのポートレートを愛知トリエンナーレで、彼の展示されている作品とともに撮るというものでした。名和さんと対峙した時のあの感覚は今でもはっきり覚えています。名和さん本人が醸す著名人オーラももちろん凄いものだったのですが、それよりも自分が初めて写真の仕事をしているということにカメラを持つ手がとてつもなく震えていたことを今でも強く覚えています。写真で、しかもポートレートを撮るにあたって自分の震えから来るブレた写真なんて自分の技術不足を露呈したようなものですから。まずいぞこれは、と脳内で自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど緊張でさらに手は震えていきました。それでもなんとかその場での最適な背景を選択でき撮影は上手くいきました(http://kentaro-takahashi.com/2013-11-11/)。以降、依頼を繰り返しいただき、きゃりーぱみゅぱみゅさん、そして古川日出男さんとポートレート撮影は続きました。その後もThe NYTimes含むその他いろいろなメディアからの撮影依頼は続き、今でも写真の仕事を続けさせていただいております。
 
2015年の8月6日には「70年後の広島」という特集でフランスの日刊紙Le Mondeで表紙含む9ページの特集を組んでいただけました「70年後の広島」ほかには原発事故の被曝から身を守るために避難をされている方々や大切な人を過労死で亡くされた人たち。公害によって身体に傷を負わされた人々。ある日突然、拉致被害の家族になり自分の娘の命が外交カードにされてしまった親御さん。生活のために基地建設を賛成せざるを得ない沖縄の人々。戦時中、絵を描いていただけで国家に対する転覆を目論む思想犯として特高警察に捕らえられてしまった当時学生でいまや97歳のおじいさんたち。そして学生時代のいじめによって誰からも手を差し伸べられずに自らを否定せざるを得ない生き方をずっとさせられて来た女性。彼、彼女たちにお会いしてお話を伺い、そのような目に遭ったことのない自分は、たまたま今までそう言う目に遭わない道を歩んできただけなのだと心底思わされました。
 
このような方々が住みやすく生きやすい当たり前の生活をして行くために自分が出来ることはなにか。そしてこのような間違った社会のあり方によって人生を狂わされる日が今にも自分や自分にとっての大切な誰かに起きるかもしれない。今ではそれをいつも考えて写真を撮っています。
 
以上のような二足のわらじを履き、なんとか自分は生計を立てています。写真の仕事依頼が来る日というのはこれまたいつも不定期で、クライアントから「明日、大丈夫?」なんて日もあれば、「これから行ける?」という電話が入ることもあります。その度に新曜社の営業部の方々にはご迷惑をおかけして、それでも快く「写真の仕事?いいよ!早く行きなよ!」と言っていただけてどれほど救われていることか。さすがに2週間近く取材に行くときには「お前の代わりはいつでも用意している」とN部長から言われます。パワハラ案件ですが大目に見てあげたいと思います。
これが私の7年です。
 
以下サイト、ツイッターご覧ください。
高橋健太郎ウェブサイト
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