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書籍の未来に幸あれ!

私自身が急遽編集者として出版事業にかかわることになったのは2013年、社内の出版事業整理のためだった。
手探りで始めたこともあり、様々な出版社の方にヒアリングの時間を頂いた。聞けば聞くほど、出版業界は特殊な業界だった。出版社と取次ぎの関係、取次ぎと書店の関係、書店と出版社と倉庫の関係など、特にキャッシュフローはややこしく複雑である。我が社の本業である翻訳業界と比べて、明治大正期の商売形態が出版業界には残っているようだった。

出版事業の不明点に直面したとき、私がことあるごとに教えを請うたのは、福音館書店の元編集者Kさんである。Kさんには、出版業務や出版業界のことを教わるだけでなく、信頼できるデザイナーの方を紹介してもらったり、企画の立て方を教えてもらったり、Kさんが考えている企画について聞かせてもらったり、大変お世話になった。Kさんは私にとって守護神のような存在だった。
そのKさんとKさんの旦那さんと私の3人でロシア料理を食べに行ったときのことである。当時まだ大学の先生であった旦那さんがこんなことを言っておられた。
「うちの奥さんは好きな人たちに囲まれて、好きな人たちとだけ仕事していられて、本当に楽しそうでうらやましいんですよ」
翻って見れば、企画から2年越しで上梓にこぎつけた『紫禁城の月 大清相国 清の宰相 陳廷敬』(上下巻)


の制作過程も、編集者の私がえり好みしてお願いした方々としか働いていない。Kさんの旦那さんの言うとおりである。
この人ならば、と信頼した中国文芸の訳者さんに会いに行き、今の時期に対応できるかわからない、と不安を感じている子育て中の訳者さんに、なんとか仲間になってもらって翻訳をスタート。その訳者さんが、ご自身の信頼する友人訳者さんを紹介してくれた結果、翻訳を2名体制で進めることになり速度が飛躍的にアップした。この方もやはり信頼できる方だった。
中国人の作家に連絡を取る際には、自分で文例集などから中国語を拾ってくるだけでなく、中国人の同僚たちに翻訳をお願いした。著者とは版権の話からしていたので、業務の合間に手伝ってくれた中国人の同僚たちがいなければ、とても出版にはこぎつけなかっただろう。
デザイナーのNさんにも苦労をかけた。出版とは異なる業務で出会ったNさんだったが、書籍の中身を体現するデザインや装丁を提供してくれただけでなく、最後まで修正箇所の指摘も続けてくれた。あたかも校正者ではなかろうかと驚くほど本文をよく見てくれた。縁の下の力持ちだった。印刷業者さんと用紙業者さんもまったく同じで、限られた予算の中で、書籍の手触りも含めて最大限私の思い描く風合いの書籍に仕上げるために尽力してくださった。
自宅で校正のボランティアを買って出てくれた同僚。編集者の気づかないところまで修正指示を出してくれた校閲者の彼女が欠けていたら、長編小説『紫禁城の月』はとんでもなく読みづらい文章のままだったに違いない。『紫禁城の月』は中国語の原文が50万文字を越える超大作かつ古典の単語が多く出てくる歴史小説だったこともあり、誰一人欠けても、2年の短期間で書籍として日の目を見ることはできなかったろうと思う。
やはり、Kさんの旦那さんのおっしゃるとおり、大好きな人たちに囲まれて生み出された書籍であることに間違いはない。

編修にかかった時間の長短によらず、編集者の思いに呼応した仲間たちの参加と力強いサポートがあってはじめて出来上がっているのが、書店に並ぶ、1冊1冊の書籍なのである。複雑な商売形態の業界だと思っていた出版の世界に、書籍を作るごとにのめりこんでいく自分を感じた。
しかし、そんな書籍を取り巻く環境は厳しくなる一方だ。この1年で、私の住む町でも駅の周辺から書店が消え続けている。
最寄り駅を中心にして半径100メートル以内に3店舗あった新刊書店のうち、駅からすぐの百貨店上層階にあった書店が2016年に閉鎖。じっくりと読ませる書籍も扱っていた書店だったが、盗難被害がひどかったと聞いている。そしてこの2月半ばには駅ビルの中にある書店も閉鎖してしまった。一時期書籍量を減らして100円ショップを併設したり、駄菓子売り場を設けたりと、営業努力を惜しまず工夫を凝らしていた書店だったので応援していたのだが、もう限界だったのだろう。取次ぎの「太洋社」が自主廃業したあとの大変な時期を乗り越えて存続してくれていた書店だっただけに、一抹の淋しさを感じるとともに、書店の消える町に住んでいる現実が刻一刻と身に迫ってくるようだ。書店の消えるニュースに接するたびに、書店の売り上げが書籍価格の約15~20%という状況で、いったい書店はどうやって経営を続けているのだろうと考えてしまう。
「大学生の5割超、読書時間がゼロ」という新聞記事を見るとため息が出てしまうが、書籍の現場では、大事な仲間と少しでもいい書籍を作って世の人にも読んでもらいたいと人知れず奮闘している編集者たちが数多くいる。それを受け止めてくれる読み手の減少や、紹介する場所を提供する書店が消えていく現実に抗うためには、果たしてどんな方法があるのだろうかと考えずにはいられない。

一方で、イギリスチェコでは、携帯電話の普及で不要になった電話ボックスをミニ図書館として活用する動きが少しずつ広がっているという。
世界をめぐってみれば、長らく人々の暮らしの日常風景に本は空気のような欠かせない存在だった。人類の書籍離れが、技術革新の一時的な余波なだけであると信じたい。作り手たちが愛着を持って生み出す1冊1冊の書籍に、同じように愛着を感じてくれる読者が1人また1人と世界中に増えてくれることを、心から願わずにはいられない。
書籍の未来に幸あれ!

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