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リトルプレス「小さな声で」をつくりました!

 この2年の急場(窮場)をなんとか凌ぎ凌ぎやってきました。お祭り騒ぎもようやく終わりましたが、コロナはそのお祭りで“元気”をいただいたのか、益々パワーアップした感がありますね。

 うちの出版事業は一般の方の本づくり(いわゆる自分史)で支えられている部分もあって、コロナ禍はそこを直撃したかたちになりました。出版延期がいくつも重なり、あまりありがたくない時間の余裕に身悶えしながらも、空いた時間をどう使うか…が主題となった2年でもありました。
 ボーッと何もせず時の過ぎるままに身を任せる余裕もなく、そんな性分でもない私が実行したのは2つのことでした。
一つは読書。今まで読もう読もうと思いながら書棚の奥で冬眠させていた懐かしき本たち(買ってから10年以上経っているものも)を、この機に引っ張り出すことにしたのです。『歎異抄』『現代政治の思想と行動』『ヒロシマ・ノート』『和解のために』……いつか読まねばと思いながらその時機を逸していた懐かしき読み忘れ本の数々。せっせと買い込んでは積んでいくを重ねてきた結果の本の山。古本屋でも始めてどんどん売っちゃいなさいよ! という連れ合いの容赦無きジャブにもめげず保管しておいて良かった、とつくづく感じた日々でもありました。
 思えばこれまでの人生でいちばん本を読んだ2年だったかもしれません。もちろん読みっぱなしではなく、読んだものは、地元で地味に続けている読書会で発表していますし、死ぬまでに読み切りたいと願う『源氏物語』の講読も、仲間内の読書会で続けています。目も頭も大丈夫なうちは(少なくともあと10年は…)と思いつつ。
 それともう一つは、『小さな声で』と名付けたリトルプレスの発刊(季刊の予定)です。

 創刊号は昨年10月、特集テーマを「雪かき仕事の現場から」とし、コロナ禍で現場仕事をしている知人友人に原稿を書いていただきました。2号は「本づくりの周辺と“種まく人”としての仲間たち」、3号は「♯わきまえない女たち」で、私がその時々で関心のあるテーマを即興的に設定しています(ちなみに2号では会員社でもある皓星社の晴山生菜さん、3号ではよはく舎の小林えみさんにも原稿を頂戴できました。感謝!)。
 ちゃんと本も出せていないのに、何やってんだか…という心の声も聞こえてくるのですが、何かやっていないと、身が持たないというのも、正直なところでした。そんなリトルプレスですが、ありがたいことに置いてくださる書店(古書店)もあり、感謝に堪えません。浅草(田原町)のReadin’Writin’ BOOKSTORE、下北沢の本屋B&B、古書ビビビ、東大・池之端門前の古書ほうろう、分倍河原(京王線・南武線)駅前のマルジナリア書店等々です。お立ち寄りの際は、ちょっと見てやってください。
 ご参考まで、創刊号と2号に書いた私の駄文をここに〈再載〉いたします。ご興味をもっていただければうれしいです。

〝雪かき仕事〟の現場から……『小さな声で』創刊号より

 コロナ禍が身の回りの動きをあれこれ止める働きをし始めてもう半年が過ぎました。というかあっという間の半年、だったような気がします。元々一人出版社なので、通勤せずに済みますし、朝起きたら、朝食後、そのまま仕事部屋に直行、パソコンを立ち上げれば始業です。外出しての打合せを極力減らしたのはいいものの、やはり人と会わないというのは寂しいものです。Zoomでのやりとりも何度かやりましたが、どうもしっくりしません。顔は見えて声も聞こえますが、その人の息遣い、喜怒哀楽を見せる瞬間の微妙な表情、ちょっと言い淀んだときの様子……などを感じ取れないのがどうにももどかしいのです。
 そんなことを思いながらの蟄居暮らしでしたが、外部との繋がりが断たれたわけではありません。週の二回はゴミ収集がありますし、宅配便はほぼ毎日、宅配してくれる生協もあり、同居の老義母には、毎週介護ヘルパーさんが訪問介護に来てくれています。そうです、最近よく聞くようになった〝エッセンシャルワーカー〟。この人たちに「外出自粛」はあり得ません。というか、「いくら緊急事態だっていっても、この人たちが動いてくれなきゃ社会生活が回らないじゃん。自分も困るし」と、誰もが都合よく素朴な疑問にフタをして、気付かないフリをしています。まるで戦後史における本土と沖縄の関係のようです。
 そんなわけで、いやでもその職業の人たちの存在に気づかされたこの半年でしたが、そういえば僕の周りにも、そのエッセンシャルな仕事に関わっている人がいることに改めて思い至りました。コロナ以前からの長いお付き合いの知人友人たちで、会えばそんな仕事の話題が時に出たりして、知らなかった世界のおもしろさに聞き入ったものでした。
 カラスに襲われながらゴミ収集に立ち向かう清掃員たちの奮闘、積荷の移動と伝票チェックに追われる宅配便貨物収集センターの作業の激務、コロナ禍でむしろ活況を呈しているというコールセンターの雰囲気……。そんな話を思い出し、これを聞きっぱなしにしているのはもったいないと思えてきました。
 そうだ、それって村上春樹がよく書いている「雪かき仕事」だよねと思い当たりました。

  雪が降ると分かるけど、「雪かき」は誰の義務でもないけれど、誰かがやらないと結局みんなが困る種類の仕事である。プラス加算されるチャンスはほとんどない。でも人知れず「雪かき」をしている人のおかげで、世の中からマイナスの芽(滑って転んで頭蓋骨を割るというような)が少しだけ摘まれているわけだ。私はそういうのは、「世界の善を少しだけ積み増しする」仕事だろうと思う。    (内田樹著『村上春樹にご用心』より)

 と思想家の内田樹さんが村上春樹を論じた本の中でとてもわかりやすく書いてくださっているので、引用させていただきましたが、つまり、そういうことです。
 僕はそんな「雪かき仕事」をしている彼ら彼女ら、つまり当事者の生の「声」を聴きたかったのです。
 ただ、声をかけた何人かの方からは「書けない」胸の内を、ちょっと苦しげな表情(あるいは声)で告げられました。現場仕事はあくまで生活のためで、好きでやっているわけではない、辛い一日の仕事が終わればすべて忘れて自分だけの時間の中でゆっくり休息したいのだ、忘れたいことをなんでまた思い出して書かなくてはいけないの?……ということだと思います。「そりゃそうだよなぁ」と思った僕は、心の中で小さく「ゴメンなさい」と呟きました。
ここに原稿をお寄せくださったのは、大変な現場仕事の中のどこかに自己表現の楽しみを見つけ出すことができた、というより、正確に言えば、無理やりその自己表現の楽しみとやらを聴きたがっている僕の哀願をかわいそうに思い「しょうがないなぁ」と、気乗りのしない気持ちを奮い起こしてくれたのだと思います。
一人ひとり仕事への向き合い方も、書き方のスタイルもそれぞれに異なりますが、「小さな声」は僕の胸にしっかり届きました。だから読んでくださるあなたにもきっと届くと思います。

本づくりの周辺と “種まく人” としての仲間たち……『小さな声で』2号より

 今年になって何冊か印象的な本に出会いました。大体のべつまくなしに本を読んでいて、ほとんどが贔屓筋の版元から出ているものの中で、えっ? こんな出版社があったんだと思った版元の(もしくはその版元の方が書いた)本が、その印象的な何冊かでした。『みぎわに立って』(里山社)や『めんどくさい本屋』(本の種出版)、夏葉社の島田潤一郎さんの著書『古くて新しい仕事』などです。
 前二著の版元と夏葉社はいわゆる「一人出版社」です。僕は出版社に関してはいまだブランド信仰的なところを捨てきれずにいて、本を選ぶ際、どうしても版元を気にしてしまいます。ああ、ここなら大丈夫、と読む前に安心してしまうのです。いけませんね、こっちこそまったく無名の一人出版社なのを棚に上げて。
 で、そんなブランド信仰で目が少しばかり曇っている僕をハッとさせてくれたのが、先の三冊でした。みんな小さくても、一人でも、頑張って良い本を出しているなぁ……(嘆息気味に)と思いながら、本を読む楽しさを満喫しました。
 いや、嘆息ばかりしていられないぞ、同業者の、それもうんと僕より若い彼ら彼女らが、この出版不況の中、知恵を絞って良い本を出しているわけで、僕も負けていられないという闘志(…はちょっと違うか)というか勇気を奮い起こしてくれました。
 この三冊に共通しているのは、どれも本屋さんや出版業界のことが書かれていることでした。一人出版社としてこの先どう進んでいったらいいものか、迷いのただ中で足掻いているからこそ引き寄せられるように手に取った本たちでした。
 そしてもう一冊、不思議な出会い方をした本があります(コロナ禍を不幸中の幸いと無理やり解釈して、仕事のなくなって空いた時間が願ってもない読書時間となりました)。若松英輔の『種まく人』(亜紀書房)です。Amazonで別の本を検索中、画面の一隅に突然現れました。AmazonのAI機能が時々こんなお節介をしてくることはよくわかっていますが、このときは「種まく人」という言葉に一瞬で気持ちがさらわれました。「アッ! これだ」。何か「これだ」なのかは、そのときはわかっていませんでしたが、とにかく「これ」だったのです。もちろん「若松英輔」という著者名も目に入りましたし、「種まく人」がミレーの絵だということも知っていましたが、それらとは関係なく、「種まく人」の四文字に瞬殺されるように感応しました。
 とにかくその場でクリックして「買い物カゴ」に入れました(古書のほうです)。それからですね、ああこれか……今の自分が求めていたものはと、時間が経つにつれてわかってきました。本が届いたのは数日後で、中の一項目「種まく人」を読むと、僕が頭の中で思い描いていたことが驚くほど深みのあるいい文章で語られていました。
 この逼塞した数か月の生活の中、頭の中をモヤモヤと渦巻くようにして発酵するのを待っていたのが「種まく人」という言葉だったことに気づきました。自分のやっている出版という仕事の意味はそれなんだと。本を作って読者に届けることは、本を読んでくれた人の心に言葉の種をまくことで、その人の心の中でその種がいずれ芽吹くのを気長に待つという行為なのではないかと思ったわけです。
 まだ刊行点数も少ないヨチヨチ歩きの一人出版社で、いまさらながら出版の意味をつらつら考えているというのも、なんとも暢気な話ですが、「種まく人」の“発見”で一人盛り上がってしまいました。
 しかしながらこの出版という仕事は一人でできるものではありません。一冊の本づくりにはとても多くの人たちが関わっています。企画から始まって本が完成するまで、そしてその本を取次や著者に納品し、書店へ図書館へと届けられてようやく読者の手に渡る、その一連の流れには、編集者、ライター、校正者、デザイナー、印刷・製本、取次、書店、図書館司書……など実に多くの人たちが参加してくれています。一つのチームみたいなもので、このチームがなければ、本はできません。
 つまり、このチームの中の一人ひとりも「種まく人」ではないかと、今さらながら気づいたわけです。

「書かれた言葉は、読まれることによっていのちを帯びる。そして、その言葉を種とした言葉が、読み手によって語られたとき、新たな生命として新生するのである」(同書より)

「書かれた言葉」を「本」に置き換えてみると、読書の意味、本質がくっきりと浮かび上がってきませんか。
 この第2号に執筆をお願いしたのは、その「種まく人」たちです。本に関わることで、出版文化を底で支えている良き仲間たち(勝手にそう呼ぶことをお許しください)の生の声を聞くことができました。
彼らの手仕事の様子に触れていただければうれしく思います。

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