美術館にて——本をめぐる事ども

2004-10-13 水曜日

彩流社 塚田敬幸 :http://www.sairyuusha.co.jp/

 9月末、東信濃、塩田平にある「無言館」と「信濃デッサン館」という小さな美術館を訪れた。村山槐太の絵を観たかったのだ。私の郷里から車で30分ほどのかの地には、たびたび足を運ぶ機会があったものの、美術館に立ち寄ったのはこれがはじめてであった。
  実は3年前にも行ってみたのだが、正月休みで閉館中だったのだ。仕方なく隣接する未完成の三重塔で有名な前山寺に参詣し、ついでに美術館のグッズを販売している喫茶店で、窪島誠一郎氏の『鼎と槐太』という評伝、森口豁の『最後の学徒兵』を購入。せめてもの慰めとしたのだった。もっともそのときは「槐太」という限定発売の地酒(辛口安価美味)もその店で手にいれ、帰り際の路傍では地元で試みに栽培しているという「ヤーコン」なる南米原産の不思議な野菜(その後ミニブーム)を100円で分けてもらったりし、思わぬおまけがあり、冬の塩田平をじゅうぶん堪能したのだけれど。
 
  『鼎と槐太』と『最後の学徒兵』はすこぶるおもしろく、とくに『鼎と槐太』は槐太の奔放な天才ぶりが鮮烈で、どうしても絵を観たくなり、今回の訪問となった。
  その心残りの美術館、まずは「無言館」。(1997年開館、画業の志半ばで戦没した画学生の絵を展示し話題をよび、来館者がひきもきらず観光コースにもなっている)は厳粛な雰囲気で胸に迫る絵が多い。また、館長でもある前述窪島氏設計の館内のそこかしこに氏の個性が感じられ、「反戦」「夭折」美術館という喧伝されるイメージとは違った、なにかあたたかみがあり少々意外だった。ここの鑑賞料は300円以上の評価制。500円を払って、ついでに窪島氏の『「無言館」の坂道』というエッセイ集(このひとは多作である)も購入。
  さて、もう一つの「信濃デッサン館」。1979年窪島氏が私財を投じてつくりあげた「夭折画家」の素描コレクションが中心だが期待に違わず素晴しく、とりわけ槐太の迸るような才気の奔流には圧倒される。ただ鋭い才気というより、どこか愛嬌、野趣のある画風は槐太ならではのものだろう。ここの入館料は 700円。帰りにまたしても裏手の「槐太庵」というミュージアムショップで信濃デッサン館の画集、安売りしていた別の画集も購入。帰り際、今回は妻のリクエストで前山寺の名物「くるみおはぎ」を縁側で塩田平を遠望しながらいただきコース終了、念願成就と相成った。
 
  この「美術鑑賞物語」の間、私は実に5冊、8000円分も本を購入してしまった。窪島氏の本は確かにおもしろく、買う価値もあり、両館の館長ということもあるがそればかりでなく、美術館という雰囲気、旅、そしてそこに本があったから買ってしまったのだ。
  昨年訪れた馬籠の「藤村記念館」でも『夜明け前』を自宅本棚の奥底に眠っているのを知りながら、『藤村の童話』(だったと思う)と藤村カルタともどもつい買ってしまった。
  美術館ばかりでなくテーマパーク効果というか、映画館、博物館、コンサート会場、ライブ会場、講演会場、学会会場、寄席などは書店よりずっと効率よく本が売れる。好きな人=目的買いに近い人たちが集まるのだから当然である。書店売りに比べ絶対数は少ないのであくまで本道ではないけれど、確実に売れるという実感がある。私は営業も担当しているが、管理的な仕事が多く、特定の担当書店をもたないのでいきおいこうした異種流通、直販を多く扱うことになる。
 
 ●美術館では同じ信州安曇野の「碌山美術館」(文覚上人のブロンズ像がある)で小社の『文覚上人の軌跡』が15年くらい売られ続け500冊を超えている。書店では惨敗だけど…。
 ●3年くらい前上野にプラド美術館展が来たときは『スペイン宮廷画物語』が2ヶ月弱で200冊売れた。これは店頭でもよく売れ2刷目である。レンブラント展は京都と東京で『レンブラント』が計150冊。
 ●映画館では一昨年アイリス・マードックの生涯を描いた「アイリス」が渋い映画館ばかり15館ほどでロードショーをし各館でアイリス・マードックの最後の小説『ジャクソンのジレンマ』が140冊ほどの売上。おもしろいのは銀座で2ヶ月弱で80冊。関内が2週間で12冊売れたのに地方が惨敗でとくに仙台では2週間で1冊も売れなかった。
 ●同じく映画館、渋谷のシネ・アミューズと池袋文芸座ほかで連合赤軍をテーマにした高橋監督の「光の雨」。1ヶ月弱で『あさま山荘1972』のほか関連書含め300冊を超えた。これは小社の特色かつヒットシリーズなので当然なのだが、映画を観にきたのは20代の若い層が多く、新しい読者を開拓できたことがうれしかった。
 ●今年上映されたスペイン映画「女王フアナ」では10館ほどで2ヶ月で200冊。
 ●博物館では「発掘された日本列島2004」の巡回展で『関東の古墳散歩』が100冊ほど売れて関連書も少し置かせてもらって売れている。
 ●神社で売れた本もある。『卑弥呼と宇佐神宮』(品切れ)は宇佐神社で400冊くらい。
 ●著者が路上で売ることもある。昨年末私が編集した新宿の路上書家、大西高広君の『一笑を大切に』は2200冊作って在庫が500冊くらいだが彼が路上で600冊売ってしまった。
 ●そして最近2刷になった『天下御免の極楽語』。寄席の爆笑王の異名を取る芸暦50年、73歳、誰にも文句は言わせない川柳川柳師匠が、爆笑ネタとともに高座で大宣伝するのだから客は買わざるをえない。6月初刷り3000部、寄席の販売500弱、市場でも好調で増刷決定となった。 
 
  と、このほか学会売りなど実例を挙げるとキリがないし、失敗例もこれに輪をかけてキリがないのでこの辺でやめておくが、これらの営業活動は書店にきちんと本があれば本来不要なものも多い。そしてやはり、本は「書店で売ってナンボ」である。ただ小社の本はジャンルにもよるが、「平積みよりも棚差し」が売れると書店員さんに言われることが多い。すると小社の読者のかなりの数が平台には目もくれぬ「棚差し族」ということになる。それはまあいいのだが、店頭における商品生命がますます短くなり、単品管理が可能な店とそうでない店の格差が広がる一方の現在、貴重な「棚差し族」と本の出会いは相対的にどんどん減っているのだ。
  そうした流通事情を鑑みれば異種流通営業は、逆説的にきちんと商売になると思う。また、書店で売れずとも、ほかの場所なら売れるケースはかなり増えているのではないか。生協はもちろん美術館専門の代行屋さんもあったりして、地味だがそれなりの売上を確保する手立てとして有効であろう。
  そして面倒は多いけれど読者の顔が見えるというメリットも大きい。多くの版元さんに通じることだと思うが、小社の商品は多分野にわたるとはいえ専門書に近い。一般書的なものの店頭売上をみるにつけ、今後ますます大量部数販売が厳しくなることが予想される。これらの営業活動とそのノウハウが小出版社として生き延びるヒントのひとつなるのではないかと思う。
 
 さて、窪島氏『「無言館」の坂道』を読了した。氏は1941年生まれで前述の二つの美術館を苦労されながら「個人」で経営しているので、その話が多く出ている。小社社長と同世代でもあり小出版の状況と大変よく似ていて、示唆に富んでいる。以下引用する。(窪島誠一郎著『「無言館」の坂道』平凡社  2003年 より)

「—— どんなに美術文化の向上、芸術至上の理想をうたっていてもやっていることといったら——中略——観光地の門前で店びらきしている土産物屋センターなんかとたいした違いはないのである。——中略——「個性派美術館」を自認し「個性派コレクション」を標榜する美術館であっても、けっきょくは美術館というものが一定の集客を目的とした不特定多数相手のサービス機関であるいじょう、その「個性」の腹八分目化もしくは不完全燃焼化(ああ何と不健康なことよ!)を強いられてしまうという現実だろう。やりたいことをやり、見てもらいたいものだけ見てもらって世の中を渡れるほど美術館業界は甘くない。個性派美術館がその矜持と理念とを投げ棄てることなく、また明日への展望と夢を見うしなことなく、最小限の「個性派」たる自己の理想をつらぬくためにはそれ相応の努力と知恵が必要なのである。——」

小版元そっくりそのままではないか。窪島氏は全国の画学生の遺族から作品を委託されている性質上「無言館」は公益化する意向ということだが、二つの美術館を核にした4年制大学「信濃浪漫大学」を構想しているということだ。そこでは芸術家を育てるのではなく感性豊かな「鑑賞者」を育てるのだという。そして氏の経験を生かした「放浪科」も予定しているとか。なんとも楽しい構想でこれまた知恵である。

版元ドットコムもまた小出版の知恵と努力のひとつのカタチだと思うが、私も「個性派」出版社の端くれとしていずれ、何か知恵とひねりださずばなるまい。


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私は本が嫌いだった

2004-10-6 水曜日

径書房 山田裕子 :http://www.komichi.co.jp/

私は、高校の頃からずっと、本が嫌いだった。
正確に言うと10年、本が読めなかったのだ。もちろん教科書も。言葉が、文章が、頭に入らないのである。だから、身の回りの活字は、生活から排除していたほどだ。たまに読むのも雑誌だけ。そうなったのは、高校3年の時の転校から。今思えば、ウツの傾向があったのだろう。本人は、どうして読めないのか、内容が理解できないのか、悶々と悩んでは、自己嫌悪の日々を送っていた。

ほんとうに運良く径書房に拾ってもらった。もちろん、本嫌いは内緒で。でも、そんなことも言っておれず、本を手にすることに。私が入社して初めて読んだ本が弊社の『ゴーマニズム思想講座 正義・戦争・国家論』だった。何しろ思想とか正義とか、あまりにも私の暮らしとかけ離れているようで、正直おもしろいのかな? 理解できるかな? と半信半疑だったのだが……これが、すこぶる面白かった。学生の頃教わったはずの「民主主義」という概念をこの本で社会学者・橋爪大三郎氏と哲学者・竹田青嗣氏に学んだ。そして、「私でもきちんと社会と関わることができる!」と思えるようになった。これは、私の人生の中で、大事件だった。こんなに堕落した日常を過ごしてきた人間でも、「本当のことを知ることができる」こと、「社会と自分のことがわかる」ことを実感できて、身震いするほど嬉しかった。広く明るい世界が目の前に開ける感じ。「あ、わかった!」の気持ちよさを知って、自己嫌悪から少し解放された気がした。

最近、自分の大切な小説に出会って、さらに本の面白さが広がった。まさに、本との出会い。人文書とは違う、物語にのめり込む楽しさに引き付けられている。これぞ、快・感……。読者をぐいぐい引っ張る文章、日本語の美しさや強さ。テレビドラマや漫画より、ぜんぜん面白い! 本から、目が離せない。止められなくて、あっという間に夜中に。読後の余韻がまた、たまらない。今、私のお気に入りは昔の大衆文学。三浦綾子『氷点』に始まり、有吉佐和子『悪女について』、谷崎潤一郎『痴人の愛』、田山花袋『布団』などなど、めくるめく世界にくらくらしながら夢中になっている。この後は内田百間、夏目漱石が書棚に鎮座ましましているのだ。つくづく楽しい。

今さらながら気付いたことは、「読書は楽しい」ということ。
最近、小・中学校では、「朝の読書」の時間を設けていると聞く。ああ、私の学生時代に「朝の読書」があったら、もっとずっとたくさんのワクワクやゾクゾクする本に出会えていたかも……と思うと、何とも口惜しい気持ちと、羨ましい思いで一杯だ。教育によって本好きの子どもが増えるとおもうと、日本の将来も捨てたもんじゃあない、と思えて嬉しい。がんばれ「朝の読書」。

私はたまたま出版社に入って、遅ればせながら本と著者と幸せな出会いをしている。これは、編集作業をしていると、なおさらで、一冊の本の魅力の全てを知り尽くせるという、この上なく素敵な現場に立ち会える。ここから、少しでも、一人でも多くの読者に、魅力満載の本を届けられたら、こんな嬉しいことはない。

皆さん、本とたくさん出会ってください。幸せが少し広がります。必ず。

径書房 秋のオススメ本

・爆笑必至    『不美人論
・社会をより深く 『近代哲学再考
・自分らしく   『自分を好きになる本』『おとなになる本
・センチメンタルに『泣こう
・スタイリッシュに『ひとり暮らしののぞみさん』『女は何を欲望するか


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キャンペーンの告知をしようと思っていたんですが書店でのメモ書き及びデジ万の件が気になって気になって……、

2004-9-29 水曜日

語研 高島利行 :http://www.goken-net.co.jp/

私は出版社の営業になる前は都内某書店でアルバイトをしていました。その頃、店内にコピー機が置いてあったんですが、売り物の本をコピーしようとしているお客様を見かけることがたまにありました。アルバイトなのであまり強くも言えませんが、いちおう「売り物なので」とお断りすると大抵のお客様がすんなり引き下がってくださいました。多分、お客様にも「ちょっとまずいかなー」という気持があったんだと思います。が、中には「なぜ?」と不思議な表情をされる方もいらっしゃいました。私が直接ではありませんが「コピーを取らせたくないなら店内にコピー機など置いておくな」というお客様もいらしたそうです。
コピーほど極端ではないにしても、店内の雑誌や書籍などをメモされるお客様もいらっしゃいました。これも「売り物なので」と声をおかけするのですが、こちらは「どうしてメモしちゃいけないの」というお客様が意外と多かったのを覚えています。
書店員ではなくなってから随分経ちますが、最近はメモの代わりにケータイのデジカメで撮影してしまうお客様も多いと聞いています。いわゆる「デジタル万引き」という行為ですが、メモ書きよりもさらにお手軽なようで最近は「店内での携帯電話の使用禁止」という書店もよく見かけます。それだけ皆さん辟易しているということなんでしょう。

別に偉そうにどうこう言うつもりは全くありませんが、書店に並んでいる本や雑誌は売り物です。必要な情報がごく一部だけだからといってメモ書きで済まされては「商売あがったり」なんじゃないでしょうか。出版社も全く一緒です。売れないことには何も始まりません。自費出版で本を出す方を除けば、ほとんどの著者も「売れて欲しい」と心の底から思っている、はずだと思いますがどうなんでしょうか。

つい最近、ベストセラーになっている本の中で「雑誌や書籍は買わずにメモ書きで済まそう」といった趣旨の記述があり、ネット上で話題になっているようです。著者は無駄遣いを戒めるぐらいの軽い気持で書いたのかもしれません。そういう本のようですから。でも、編集者は何とも思わなかったんでしょうか。いや、もしかしたら「そうそう、雑誌って読み終わった後捨てるの大変だし」とか思ったのかもしれません。

それだけ取り上げるとどうにでも解釈できますし、理があるように思う方がいてもおかしくないかもしれません。ですが、出版社、特に広告収入のある雑誌ではなく販売収入がメインの書籍に頼っている出版社にとって「本屋で売る」というのはまさに「稼業」です。その出版社が「買わずにメモ書きで」という記述を見逃してしまうのはどんなもんなんでしょうか。

私にはこれは単なるモラルの問題ではなく商業出版という仕組みの根幹に関わる問題のような気がし
てなりません。

この問題はネット上のあちこちの掲示板で取り上げられているだけでなく、新聞の投稿欄などにも掲載されたようです。当該の著者のWebサイトにあった掲示板は賛否入り混じった書き込みとともに閉鎖されてしまいました。

この問題はポイントカードや割引販売の問題とは根本的に質が違います。ポイントカードや割引販売は少なくとも「もっと売りたい」という気持につながっています。が、今回のこの問題の先にあるのは「商売としての出版」に対する絶望(とか言うと大げさですが)のみです。

自分の出版社でもしこういうことが起こったら、どういった対応を取れるのかどういった対応を取るべきなのか、自分には答はわかりません。だから偉そうなことは言えません。もう少しこの事態を見守っていきたいと思っていますが、とても歯痒く思っています。

追記■今回のこの枠では弊社がWebサイトで開催中の『iPod miniが10名様に当たるプレゼントキャンペーン』をお知らせするつもりでした。音声教材をMP3ファイルにしてダウンロード販売しているんですが、それの告知を兼ねてのキャンペーンです。是非、ご応募下さい。なお、書店様には別途キャンペーンのポスター掲示をお願いしております。ポスター、貼っていただけませんか? こちらの趣旨についてもWebサイトで告知を行なっています。是非、ご協力ください。よろしくお願いいたします。

語研のWebサイト http://www.goken-net.co.jp/
書店さん向けのポスター掲示趣旨説明 http://www.goken-net.co.jp/sp/poster.htm


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外商と書店営業の両立は可能か?

2004-9-22 水曜日

皓星社 佐藤健太 :http://www.libro-koseisha.co.jp/

小社では、大学図書館や公共図書館を販売対象とする復刻のセット商品と、一般読者を対象とした単行本をつくっている。営業は私一人なので、大学営業(外商)と書店営業の双方を行わなければならない。どう両立させればいいのか、ここのところ悩んでいる。

大学営業は季節労働のような面があり、夏期休暇・冬期休暇をのぞいた5月から6月下旬まで、10月から12月下旬までが、営業するのに最適だ。1セット売れれば10万円以上の売上が上がる商品なので、この時期はひたすら大学行脚をすることになる。

当然、出張も多くなる。現実問題として全国を歩くのは無理なので、首都圏、関西、九州などを回るのだが、この間に新刊の単行本が出たりすると営業が難しい。いつも歩いている首都圏の書店にも行くことができない。FAXという手段もあるが、行けば多くのご注文をいただけることは分かっているのに、歩けない。電話すればいいじゃないかとも思うのだが、大学の研究室をひたすら歩きながら、その間に書店の担当者にご連絡をするというのは、時間をとるのが難しく効率が悪い。

一度関西出張の折に、大学営業を終了してから書店を回ったことがある。地方に行く場合、書店の外商部の方と一緒に回るのだが、だいたい夕方5時頃に営業を終えて(営業先によっては7時頃になることも)、翌日の打ち合わせを行うと最低6時半は過ぎてしまう。それから訪ねるとなると7時過ぎ。ずいぶん迷惑なことをしているなと思いながら、手短に営業をするのだが、こんな時間帯では担当者が帰っていることも多く、会えずに終わることも多い。

私はなんとも恥ずかしいことだが、車の免許を持っていない。いつか取らなければと思うのだが、なかなか時間を作ることができないでいる。単独で車を使えば、合間に書店を回ることも可能かと思うが、実際のところどうなのだろうか?

いろいろと経験豊富な営業の方に聞いても、外商と書店営業の両立は無茶だよと言われる。とはいえ片方を捨てることもできず、しかし二兎追うものは一兎も得ずになっても困るし、いったいどういう方法を取ればいいのか?悩みは深まる一方だ。


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「韓流」ブームと文化交流のすすめ

2004-9-14 火曜日

現代人文社 保月ゆかり :http://www.genjin.jp/

《冬のソナタ》から始まった「韓流ブーム」。ブーム到来の数年も前から秘密結社か何かのように友人の家に集まっては、韓国や香港、台湾などのドラマを鑑賞していた私には、韓国スターの写真集が書店売り上げベスト10に入り、コンビ二で「ハングル」の歌が流れる、そんな時代がこんなにも早く訪れるとは想像もできませんでした。一説によるとこの韓流ブームの仕掛け人は某広告会社だとかネット上では噂されていますが、韓国スターを通じて韓国という国に興味を持ったファンの中には、ハングルを学ぼうという熱心な人が少なくないと聞き、この勢いは単にブームでは終わらないのではないかと予感しています。

私自身もご多分に漏れず、アジアンスター、特に香港スターのファンになってから7年ほどたちます。何かにハマってもひととおり体験してしまうとあっという間に飽きていた私ですが、アジアンスターだけは長続きしているのです。その理由のひとつに言語への興味があると思います。憧れの香港スターが話している言語を学ぶうちにその国の生活や習慣を理解するようになり、更にもっと違った次元の興味が湧き、芸能だけでなく香港そのものが好きになりました。私と同じようなきっかけで日本に興味を持っている人達が香港にも大勢います。言葉、身振り手振り、筆談と、あらゆる手段を使い互いに自国の生活を紹介しあったりする時間はとても楽しいものです。音楽や映画は文化交流への入り口です。なにも海外に出向かなくとも、たとえば池袋の中華料理屋でもインド料理屋でも充分です、隣の外国人に話しかけて会話を楽しんでみるのはいかがでしょうか。

言語を学び、理解が深まり、交流が広がれば、相手の国(人)の良い面だけでなく悪い面も見てしまうことがあります。個人的に厭な思いをしがためにその国を嫌いになる人もいますが、個人と国家への評価は理性的に分けるべきですし、政治的な批判を個人や民族への攻撃に転換してしまうのは悲劇しか生みません。更に言えば、相手の文化を理解せず単に言語だけを習得するのは、免許ももたずに銃を持つのと同じぐらいに危険なことかもしれません。安田純平氏(著書:「囚われのイラク」現代人文社刊)がイラクで拘束された際に自身を助けたのは、拘束中にも言語を学ぼうとした姿勢と食への興味、生活習慣や文化への敬意だったのではないかと思います。

私には香港へ行くと必ず訪れる場所があります。BEYONDというバンドのボーカルだった《黄家駒》のお墓です。十一年前、アジアでカリスマ的存在であった彼は、日本での活躍の夢半ば、日本のバラエティ番組の収録中に不慮の事故で亡くなりました。そのお墓からは彼が愛した香港の港の風景が一望できます。香港でしか生まれ得なかった彼の声を聴きながら、彼の愛した香港を眺めそして、彼が音楽に託した「和平」について考える。それは私の心をリセットしてくれる大切な時間です。


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チェ・ゲバラ関連本の周辺

2004-9-8 水曜日

現代企画室 太田昌国 :http://www.shohyo.co.jp/gendai/index.html

7年前の1997年に『チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記』を発行した。
その年はゲバラ死後30年目に当たった。当時の世界の政治・社会状況は、誰の目にもくっきりとした印象を残して彼が生き抜いた1960年代とは、ずいぶんと変わっていた。状況の激変を理由に、過去の意味深い「遺産」をすべて投げ捨てるのはよくない、と日頃から考えている私は、この年にゲバラの本を何か出版したかった。

古い本だが、青木書店の『ゲバラ選集』(全4巻)で著作が集大成されている人だから、既訳のもので済ませるのは安易だ。未発表論文もかなりあるはずだが、キューバ政府はまだ全面公開に踏み切ってはいないようだ。そんな思いをめぐらせていた時、冒頭に挙げた本の原書に出会った。ゲバラがアルゼンチンはブエノス・アイレスの大学の医学生だったころ、親友と語らって、モーターサイクルでの放浪の旅に出た。その旅の過程で書かれていた日記に、後年ある程度の手を入れて、成ったものだ。

論文や演説を読めばわかるが、ゲバラはなかなかの文章家だ。その才能は、23歳当時のこの日記にも表われていて、いわば十分に「読ませる」、青春の紀行文学になっていると思えた。それは、当然にも、かつて私たちが読みふけった「革命家ゲバラ」の著作ではなく、それ以前の文章だ。差し当たっては、後に彼がたどることになる人生とも無関係に、単独で読むに堪える本でもあるが、なかに関心をもつ人が生まれて、彼の全体像を知るきっかけにもなりえよう。そこで、特に若い人に読んでもらえればと思って、死後30年の年に合わせて出版したのだった。

基本的に超小部数出版の仕事をしている私たちにしてみれば、この本はそこそこ売れた。東京で言えば、原宿・六本木・渋谷の書店で売れ始めたから、思ったとおりに、若者が求めてくれたようだった。反応は多様だった。とにかく、ある時代を象徴する具体的な人物への関心が生まれることが大事だと思った。

この反応に力を得て、この間にゲバラ関連の本をさらに4冊出版した。青春の無鉄砲さを若々しく、ユーモラスに描いた『モーターサイクル南米旅行日記』と違って、革命家になった後のゲバラの(についての)著作には、苦悩と絶望がある。とりわけ『コンゴ戦記1965』では、彼自身が自ら立てた作戦の失敗にうちのめされた記述にあふれている。さすがに、この種の本は、異様に明るいこの時代の様相の中では、ガタンと読者数は減る。本来の私たちの仕事の水準に戻るだけだから、それほどのショックではない、と負け惜しみ的に付け加えておきたい。

ところで、『モーターサイクル旅行日記』は映画化された。以前からその噂は聞いていたが、製作総指揮はロバート・レッドフォード、監督はブラジル人で『セントラル・ステーション』のウォルター・サレス、ゲバラ役はメキシコ人の俳優で、すでに世界的に人気も出ているガエル・ガルシア・ベルナル。試写会で観たが、ロードムービーとしてなかなかの作品に仕上がっている。東京・恵比寿ガーデンシネマ10月9日(ゲバラがボリビアで殺された命日)封切りを筆頭に、順次全国公開される。

原著の著作権者に変更があったために、私たちは新しい権利者と新契約を結ばなければならなくなった。その経緯には、いささか面倒なこともあったが、新契約に基づく「増補新版」も間もなく出来上がる。映画も機縁になって、新しい読者との出会いを大いに期待している。ゲバラについては、赤字覚悟でも出したいものがまだ数冊あるので、読者の裾野が広がっていくことは、大歓迎なのだ。


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出張、旅、そして遅読のすすめ

2004-9-1 水曜日

雲母書房 松村康貴 :http://www.kirara-s.co.jp/

『出張、旅、そして遅読のすすめ』

 鳥取砂丘が見たい!随分と前から思っていた
 砂漠 砂丘 砂 砂の隠喩
 その願望は安部公房の『砂の女』に始まる
 砂は風に舞い 手からさらとこぼれ

 けれどその 軽やかさ という性質は 砂のポーカフェイスな戦略であり より決定的な性質は水気を含んだ時に露出する
 凝固し締めつけ対象を引きずり込み 蝕む 気づいたときには既に遅く 肉体も精神もそこから脱出できない しない
 軽やかさと粘着 移り気と性的粘着

 などと格好つけた事を書いていますが じっさい僕の砂丘願望は 独身男の恋愛および結婚願望なのではないかと それでもって山之口貘さんのように つかんだあ (『もしも女を掴んだら』より) というような勇ましい歓喜願望というよりは 昨今の軟弱で浪漫チックと勘違いしている乙女チックなソフトマゾ的 裏を返せば攻撃的サディな男たちの あなたの男にしてください という情けなくかつご迷惑な願望なのであります はい

 さて 性格的に出不精で運命的に金欠なる僕の 砂丘を見たいという願望はようやく今の勤め先での出張にてかなうのです 業務命令は鳥取ゴー
 はて 車を走らせるのですがどこまで行っても緑の山
 僕の 心 の鳥取は県全体が砂漠 数時間も歩きつづけること みずー みずー とつぶやけば だめ押しぶでぇーんと 関取(鳥取取)砂丘 が立ちふさがり 絶失望とともにその場で気を失い倒れ砂に埋もれてゆく    そんな甘美な自滅願望を満たしてくれる場所と思いきや 緑に囲まれた【鳥取砂丘はこちら】という標識に従い【鳥取砂丘駐車場】に車を停め 緑の木々をくぐり抜け目の前に百八十度の眺望とともに現れたのは!    海    ちょこんと砂丘
 とりあえず砂場に降りつらつら歩きつら登り右向いて左向いて前向いて海の喫水線を眺めながら煙草に火を付け一服 おもむろ後ろ向いてとぼとぼ黙々時化木もと来た道を引き返す さてホテルに戻って明日の仕事の用意をしよう あぁ 長年ため込んでいたおいらの文学的妄想がひとつ消えたなぁなんだか寂しいなぁこれって出会い系サイトに似ているなぁ だまされたー

 出張は旅
 もちろん仕事をしっかりとこなすことが前提ではありますが 旅心のない出張はつまらない
 一期の出会い つめたいあたたかいさびしい一会
 旅は人が稀人になれる時
 近頃 飛行機や新幹線のチケットが驚くほど安い 車で行くより安くて時間も取れる
 出張も泊まりから日帰り曲線から直線へ そして旅がぬけてゆく
 小説の速読 あるいは手短に読める あらすじだけの小説のような味気なさ
 寂しいものです それが現代
 夕陽
 地平線の直線と太陽のゆったりとした曲線との間のまばゆい空間 それが旅 読むこと

 強引な結論ですがこの秋 遅読をおすすめします
 
 主人公のせつなさに引きずり込まれ一気に読み気づいたら朝でした
 というより 気づいたら年開けていましたぐらいな


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アテネと感動

2004-8-25 水曜日

吉備人出版 金澤健吾 :http://www.kibito.co.jp/

アテネオリンピックで日本人選手が活躍している。メダル獲得数も過去最多となりそうということだ。テレビや新聞で報じられる選手たちの姿に、思わず応援もするし感動もしてしまう。何度も繰り返される報道で、上位入賞して注目される選手の過去や周辺の裏話を知ると、勝利の瞬間の映像とともに目頭が熱くなりさえする。我々がそうした非日常の感動を求めているかのようにでもあるし、マスコミも意図して多くの紙面や時間を費やして報道している。それはそれで良いのだが、一方で原発の点検漏れ事故や、沖縄の大学への米軍ヘリ墜落など、大問題があまりにも小さく扱かわれていることに危惧を感じずにはいられない。

さて、岡山には「後楽園」という約300年前に造られた大名庭園がある。国指定の特別名勝で、金沢の兼六園、水戸の偕楽園と共に日本三名園の一つに数えられる。4年前に、小社から『岡山後楽園の四季』という写真集を発刊した。今でも少しずつではあるがコンスタントに売れている作品だ。
この写真集に掲載している写真を、撮影者の難波由城雄氏が横幅約2メートルに拡大した大きなパネルを約20点作成し、これまで岡山県内をはじめ、京都や名古屋、東京など小さな会場で写真展を開いてきた。そして、今年の初夏、海を越えてオランダのチルズブルクという町の市立図書館の一室で開催された。こうしたどの写真展も、写真集を見て感動した人たちのお世話で開催されてきた。

オランダの写真展も、1年ほど前に、後楽園の側にある土産物店でこの写真集を見たオランダ人が「ぜひ自国で後楽園の写真展」を、ということで開催になった。 20点の大型パネル写真を展示した会場には多くのオランダの人が来場し、日本から持って行った写真集も完売した。「日本の庭園美を初めて見て、感動されていました。涙を浮かべながら見ている人もいて、日本人と感性が違うのかもしれない」と、会場に行った難波氏が話してくれた。

日本固有の文化を紹介したもので、日本語の文字のない写真集ということで、海外に出ていったこの写真集。掲載している写真の作品力が国を越えて人を動かし、写真展の開催という形で広がっている。難波氏は、「あの写真を撮ったとのは、何かに動かされて撮らされていたのだと思う。今、撮れと言われても、もう撮れないよ」と言う。スポーツも文化も一途に頑張る人を誰もが応援し、感動が人を動かすのだと思う夏であった。

『岡山後楽園の四季』書籍の紹介

『岡山後楽園の四季』のWebサイト


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方法論への渇望。

2004-8-18 水曜日

語研 高島利行 :http://www.goken-net.co.jp/

6月から7月にかけて数回、業界向けセミナーの講師を務めました。テーマは共通で『中小出版社のためのPOSデータ活用法』というものです。以前から取組んでいるテーマですが、自分でも講演用に考えを整理していく中で色々と見直しや再発見もあり、とても有意義な機会を与えられたと感謝しています。

長引く出版不況の中、「売上に直結する」であったり「返品率が下がる」といった惹句に対しての関心は高く、どのセミナーも大盛況でした。しかも皆さん非常に真剣であり「データなんか見てたってしょうがない」ではなく「データを読むための前提と実際の行動(販促など)をどう実現していくか」について幾つか問題提起を行なえたのではないかと感じております。

実際、書店店頭の実売データ(POSデータ)については過去の取組みからは想像もできないぐらい大量で良質のデータが安価に、そして使いやすい形で入手可能になりました。POSデータは、書店の現状や商品の内容についてきちんとした理解があり、かつ販促や営業の方法論についてより広範な理解を持った人間が読んだ方がより効果的に活用できるようです。つまり、POSデータ云々、以前の課題がしっかりと存在しているという意味です。それを理解してPOSデータと向き合わないと、それこそ「宝の持ち腐れ」になるかもしれません。

さて、その場では偉そうに話していた私ですが、実際には私自身も「魔法の杖」を持っているわけでもなんでもなく、データの解析にしても活用にしても、我流で手探りで行なっているのが実態です。
臆面もなくセミナーの講師などを努めているのも「本当に自分のやり方で良いのか」「もっと良いやり方を知っている人がいたら是非教えて欲しい」という気持ちがあるからです。

個人的な感想ですが、「置けば売れる」ような時代の大量配本の方法論ではなく、それ以前の、より地域に密着した形で地道に売っていく方法論に可能性を感じています。新刊よりも既刊、ベストセラーよりロングセラー。言葉にすると簡単ですが、そのための方法論は失われて久しいように感じています。

例えば、毎年同じように売れていたはずの辞書や学参、親子の世代で読み継がれる絵本・児童書、近所の子供の成長と共に変化していった学年誌、そうした町の本屋の基本となる売上を支えていたはずの商品群の販売のための方法論が気になっています。

残念ながら上記のような方法論について、特に中小の出版社では、先達に教えてもらう、という機会が少ないのも事実です。書店営業についても「とにかく回れ」「自分で考えろ」という話に(自分も含めて)なりがちですが、陳腐であっても「せっかく回るのであればお店のこういう点に着目しろ」であったり「こういう話題で引っ張れ」であったり、といった具体的な提言があったほうが良いのかもしれませんが……。

出版業界の悲哀というよりは中小企業の悲哀になってしまいますが、人をきちんと育てる、人にきちんと教える、というのは大きな課題だと考えています。自分もそういうことを要求される年齢になったのか、という気持は、実は「教えるほどの内容をきちんと受け継いでいるのか、きちんと自分のものにできているのか」という不安だったりもします。

私自身、知識や経験不足で恥ずかしい思いをすることは日常です。皆さんと一緒に勉強できるような機会は、自分が一番必要としているようです。今後もそういった機会があれば積極的に出ていき、大いに恥を掻きながら勉強していこうと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

追記■ポット出版のサイトでこんな記事も書いております。しばらく中断していましたが、近日中に再開の予定ですので、こちらもよろしければご覧下さい。
『出版営業の方法』

追記■上記の連載でも書いている「語学教材の音声配信」の件ですが、有料のダウンロード販売というのも始めています。興味がある方は弊社のホームページをご覧下さい。
『語研』


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残暑お見舞い申し上げます。

2004-8-11 水曜日

凱風社 新田準 :http://www.gaifu.co.jp/

 「酷暑」「豪雨」「販売不振」の夏ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。日頃は心の奥底にオモリをつけて沈めていたことどもが、暑さに灼かれて煮立ち、沸騰してしまったようです。沸騰すればこぼれるのが自然の理。暑いときには熱いものが良いとも言います。暑気払いにはならないかもしれませんが、ご一読いただければ幸いです。

(1) 日本語
 日本語では、組織に「様」「さん」はつけない。出版社様(版元様)、書店様、取次様が飛び交う奇っ怪な業界だが、読者様とはなぜか言わない。この世界に入ってしばらくして、初めて「取次様」という言葉を聞いたときの衝撃は、今でも忘れない。とにかくたまげた。やめよーぜ、こういういいかげんな日本語を使うのは——って言いたいけど、ま、みんなおかしいってことに気付いてないようだから、今さら何を言っても屁の突っ張りにもならないだろう(もっとも、最近テレビで「UFJさん」て言ってるどこぞの大銀行の社長もいたナ)。

(2) 本の定価
 どうやら3年以内に消費税が上がることはまちがいない。その一方、スーパーなど小売店での価格表示は、すでに消費税込みの総額表示になっている(大蔵省の役人の高笑いが聞こえてきそうだ)。しかし書籍の価格表示は外税表記が、論理的かつ実用的だ。ここのところを読者のみなさんにはぜひ、理解していただきたい。
 本の価格は私たち出版社が決めて書店での販売価格を拘束している。この価格を「定価」で表記する。定価は本のカバーに刷りこんであるので、簡単には変えられない。しかし「定価2000円+税」という表記なら、消費税の変更には影響されない。また、消費税は言うまでもなく出版社が拘束できるものではないから、定価に含めるべきでない。財務省がなんと言おうと、これ以外に合理的かつ合法的な表記はない。
 むろん、こうした例外規定に守られている私たち出版社は、小売価格をできるだけ安く設定し、安易な値引きはしないという、倫理的・道徳的な義務を負っている。肝に銘じたい。
 とはいえ、一定の条件内で値引きをすることは、法的にはなんら問題ない。食えなけりゃどうしようもないじゃないか、食うためには道徳なんてくそ食らえだ ——って言うのも、ま、それなりの考え方ではある。でも、安いから買うってもんじゃないと思うけどなぁ、本の場合は。

(3) 常備と返品
 岩波書店が考え出した方法が、現在の出版界の規則になっていることがずいぶんある。そのうちの一つが「常備」だ。出版社が書店と契約を結んで書籍を書店に預ける。書店は原則として、1年後にその全数を出版社に戻す。書店は本を預かっているだけだから預かり分の代金を支払う必要はない(書店に並んでいる本は出版社の出先在庫であり出版社に所有権がある)。ただし、売れた本は必ず注文で補充する。釈迦に説法かもしれないが、このシステムは信義を守らなければ成立しない。書店は売れた本だけ金を払えばよく、出版社はとりあえず自社の本を書店店頭に並べることができる。互いにメリットがあるはずだ、ルールどおりなら。
 ところが書店によっては、意図的か不注意かは分からないが、常備書籍を注文返品で返すところがある。あろうことか、「常備って返品できないんですか?」という電話を受けたこともある。ルールどおりに返品をするなら文句はない。注文返品とは、出版社が書店から自分の書籍を定価で「買い戻す」ことだ。常備品を注文返品で返す(出版社に買い取らせる)って——万引きとどこが違うの?
 去年、常備を出荷するときちょっと細工をしておいた。1年常備で出荷した本がその年の常備返品にどのくらい混入するものか調べてみた。取次上位三社のうち二社の返品を全数チェックした。結果は、16%と19%。つまり、その年の常備出荷のうちの五分の一近くは「即返品」になっていた。

 信義だとか道徳だとか倫理だとかは、「イット」や「神の国」発言で有名な早大ラグビー部出身の元首相が口にしそうな言葉だが、他人に強いるのは問題外だが自分の問題としては真剣に考えてみる必要がありそうだ。


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