母は自由人
2004-12-8 水曜日
一陣の風が吹き込む、この風はどうやらしばらく滞在するらしい。–
ユリ子さん・母、とわたしの間をくるくるっとまわり、遊んでいく風。平穏のひととき。
母は、なつかしい人をみるようにわたしをみている。
「あのね、お母さんはわたしのお母さん。わたしはお母さんの娘。よろしくおねがいします 」
「まあ、そうかい。おどろいた。あんたはわたしの娘なの」
特養(特別養護老人ホーム)に母に会いに行くとき、たいていの場合会話はそこからはじまる。
母とこれほど向き合う時間、いままであっただろうか。
いままで自分中心に生きてきた娘に、母はもうひとつの時間のプレゼントを用意していた。
ユリ子さん、83歳。介護度5。24時間介護が必要、車いす生活。
わたしは、週に一度長野新幹線をつかって上田で下車、母のところにゆく。ときに数時間、休みが2日とれるときは自宅にもどって、ときには1晩、2晩をいっしょにすごす。
朝は母にとって、苦痛のとき。自分が誰なのか、どこにいるのか、どんな過去があったのか。家族は? こどもは何人? 頭の中に濃い霧のような過去が広がっているだけなのだろうか、なんにもわからない。
「こまちゃった。なにもわからなくて。ばかになっちゃって。さっぱりわからない」
「もう死にたい」
気分が悪いときはそういう。
少し前向きになると、
「たすけてね。さっぱりわからない」
「もちろんよ。たすけるからからね」
そして説明する。「わたしはお母さんの娘なの。そしてここはお母さんの家。ずーっとここに住んでいたの。」
「まあほんとかい。そりゃーたまげた。」
母とのあいだで何回もくりかえされる会話。
でもほんとうは、わたしが母にたすけられている。
母と人と人として向き合える時間。母が用意してくれた時間。
母、トイレ。無事にすこやかなおつうじ。いままでのうちでいちばん快調。
おいしく食べることができて、すこやかなおつうじ。これがわたしと母のなによりの課題。
「やった!」 「ちょっとまっててね、いまお湯くんでくるから」
「おしりきれいにするよ。あったたかくて、気持ちがいいんだよ」
「ちょっと失礼します」
便座にこしかけている母のおしりをすこし熱めのタオルで湿布する。
「気持ちいい。ありがとう。あんたはよくだね。人のいやがることをやってくれて」
——いやじゃないけど。
ひょっとして、母はわかっている? 母はときどきいまある世界にもどってくる。
夜明け、寝息をたてて眠っている。昨夕5時頃トイレにいってそれっきり。トイレは?、ときいても「いま、いってきた」とこたえる。咳もでていないし。一騒動するよりはこのまま平穏に朝まですごそう。お布団をなおすと「いろいろありがとう」と私の手を握る。暖かい。大丈夫。
5時。「おなかがすいた」といって母がお布団を自分ではいで、おきあがろうとしている。おしっこはすこしだけシーツに重ねたパットにもれているだけ。紙パンツが全部吸収してくれたみたい。背中がぬれている。総取り替えして、トイレをしてもらって、あたためたパンと牛乳を母にはこぶ。
「はい、牛乳」
「牛乳あるの。うれしい!」
「これ食べていいの」
レーズンパンをつまんで母がいう。
茶の間と台所を行ったりきたりしているあいだに、お茶を飲みおえた母は、ベッドに横になっている。自分で起きあがり自分で横になる。そんなことができるようになるなんて去年のいまごろ考えもしなかった。これはひとえにアザレアン真田の職員の方々の献身的な対応の結果、いつかなにかのかたちで彼ら、彼女らにむくいたい。
母の生活に少し負荷をかける。実はいま介護ベッドをつかっていない。元気だったとき母が使っていた木のベッドにもどった。在宅で借りていたベッドは返さなければならなかったからだが、結果的にそれはよかった。便利だがあの金属製のベッドは冷たい。いまは手すりさえない、ただシンプルなベッドで、自力でおきあがり、ちゃんとベッドのはしにこしかけることができるのだ。
「もうすこし寝ましょう」まだ朝にはまがある。
母はいま自由人。会話は自由にとびまわる。心は過去と現在を軽々と行き来する。
ときには頭突きもくらわす。
母と話をするとき、わたしは母のなにかと向かいあう。母の核心のようなものと。母にわたしの核心を読み取られているかな。
笑みうかべためらいがちに母のいうあんたはわたしのおかあさんなの?

