ピンクや淡色のかわいい装丁

2004-10-27 水曜日

しょういん 山田浩司 :http://www.shoin.co.jp/

家族・夫婦・男女論の一般書を読みあさっている。
女性向けに書かれたものも、男性向けのものも
「で、なんなのよ?」といいたくなる具体のない精神論のものが多く、
頭に叩き込もうにも、わかったような雰囲気のみ残る。
そんななか、面白かった本は『核家族から単家族へ』(丸善)。
一般書というより、社会学の本なのか。
田舎の大家族に嫁ぐ、友人の結婚式への車中5時間に読むのに
核家族の本はシャレているか、という程度で選んだのだ。
相談する相手がいないので孤立する都会の核家族が増え、
ほがらかジジババ同居の仲良し大家族は減っている、というのは
勝手なイメージなわけで、戦後から核家族と大家族の比率は
実はさほど変化していないよう。
田舎の核家族のほうが、親族や知人としかコミュニケーションをしないし、
保育園やベビーシッターの選択肢が少ないので、
ただ問題が表面化されないだけかもしれない。
[不倫は女の〜][離婚する前に〜][幸せなカップルになる〜]。
帯にそんなキャッチが踊る、ピンクや淡色のかわいい装丁の本を
青ペン片手に読んでいる男がいたら、声をかけてください。僕です。


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緊急中毒

2004-10-20 水曜日

実践社 小山幸恵 :http://www.jissensha.co.jp/

 2年ほど前から1時間半の通勤を続けている。首都圏縦断60キロはちょっとした「旅」だ。意気込んで「オフピークのゆとり」なんぞ味わったのは最初だけ、駅まで走る毎日だ。先日の朝、本も開けない満員電車の中でゆらゆら揺れる「慢性的多忙感からの解放!!」の文字を、ボーっと(気がつくとかなり真剣に)追っていた。
 「成功する人の○○」とか「必ず○○する××の方法」とかの本や雑誌があふれているが、お金を出して読んだことはほとんどない。「成功…」「差をつける…」「必ず…」のあたりでちょっと気後れするというか、(開いてもいないくせに申し訳ないが)徒労感が先にたってしまう。この某誌特集では、「結果が出る人の」ではなく「〈グズの大忙し〉から脱出」の吸引力が強力だったのだ。新刊のご案内で書店さんを回りながら、その日は終日、帰ったら片付けねばならない事どもを思い浮かべて浮かべて重苦しくなる頭のどこかに、つり革広告の文字が張り付いて離れない。そして夕刻、そんなに気になるなら買ってまえ、となった。
 〈カリスマ経営者〉や〈勝ち組社員〉の云々……はさておき、つまるところ誰でもそうすべきと思っているような、生活習慣の改善や営業マナーの基本みたいなことが書いてあった。とはいえ1点、これだよこれ、と思わされたのは「時間管理のマトリックス」。〈緊急さ〉・〈重要さ〉で座標軸をたて、やるべき仕事の領域を4分割して管理せよ、のところ。
 「これだよ、これ」はこの分類法ではない。誰だって多かれ少なかれ、こんなようなことを勘案しながら仕事の順番を決めている。問題は優先順位の付け方、すなわち「なぜ緊急でも重要でもないものに費やす時間が減らないのか」のくだりだ。名づけて「緊急中毒」。曰く「緊急性の高い仕事や手のつけやすい仕事から片付けていると、常に仕事に追われている感じが抜けずにストレスがたまり、緊急でも重要でもない領域に逃げ込む」。重要な仕事は進まないから、ますますストレスがたまる→逃げ込む、の悪循環が続く。解決策は「少しでも時間が空いたなら、緊急ではないが重要な仕事にまず手をつけること。これでストレスがずっと軽減されるので、生産性があがってくる」……。エッセンスとしては、私が長年上司に言われ続けていることであった。
 そこで私はハタと気づいた。やるべき仕事リストを思い浮かべて憂鬱になり、普段ほとんど手に取ることもないビジネス情報誌を買い込み、読もうと思っていた資料を鞄に入れたまま、営業帰りの時間と長い通勤をそれに費やしたのだった。これ、多忙感というストレスからくる緊急中毒→逃避の循環そのもの。自分の行動パターンの解釈は1歩進んだ。そして4コマのマトリックスを右往左往する我が身のイメージと、すべき事どもの山が残った。

追)新刊のご案内はhttp://www.jissensha.co.jp/にてご覧ください。宮台真司さんの『亜細亜主義の顛末に学べ』、仲正昌樹さんの『正義と不自由』(『「不自由」論』『「みんな」のバカ!』『お金に「正しさ」はあるのか』で最近話題の著者)です。


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美術館にて——本をめぐる事ども

2004-10-13 水曜日

彩流社 塚田敬幸 :http://www.sairyuusha.co.jp/

 9月末、東信濃、塩田平にある「無言館」と「信濃デッサン館」という小さな美術館を訪れた。村山槐太の絵を観たかったのだ。私の郷里から車で30分ほどのかの地には、たびたび足を運ぶ機会があったものの、美術館に立ち寄ったのはこれがはじめてであった。
  実は3年前にも行ってみたのだが、正月休みで閉館中だったのだ。仕方なく隣接する未完成の三重塔で有名な前山寺に参詣し、ついでに美術館のグッズを販売している喫茶店で、窪島誠一郎氏の『鼎と槐太』という評伝、森口豁の『最後の学徒兵』を購入。せめてもの慰めとしたのだった。もっともそのときは「槐太」という限定発売の地酒(辛口安価美味)もその店で手にいれ、帰り際の路傍では地元で試みに栽培しているという「ヤーコン」なる南米原産の不思議な野菜(その後ミニブーム)を100円で分けてもらったりし、思わぬおまけがあり、冬の塩田平をじゅうぶん堪能したのだけれど。
 
  『鼎と槐太』と『最後の学徒兵』はすこぶるおもしろく、とくに『鼎と槐太』は槐太の奔放な天才ぶりが鮮烈で、どうしても絵を観たくなり、今回の訪問となった。
  その心残りの美術館、まずは「無言館」。(1997年開館、画業の志半ばで戦没した画学生の絵を展示し話題をよび、来館者がひきもきらず観光コースにもなっている)は厳粛な雰囲気で胸に迫る絵が多い。また、館長でもある前述窪島氏設計の館内のそこかしこに氏の個性が感じられ、「反戦」「夭折」美術館という喧伝されるイメージとは違った、なにかあたたかみがあり少々意外だった。ここの鑑賞料は300円以上の評価制。500円を払って、ついでに窪島氏の『「無言館」の坂道』というエッセイ集(このひとは多作である)も購入。
  さて、もう一つの「信濃デッサン館」。1979年窪島氏が私財を投じてつくりあげた「夭折画家」の素描コレクションが中心だが期待に違わず素晴しく、とりわけ槐太の迸るような才気の奔流には圧倒される。ただ鋭い才気というより、どこか愛嬌、野趣のある画風は槐太ならではのものだろう。ここの入館料は 700円。帰りにまたしても裏手の「槐太庵」というミュージアムショップで信濃デッサン館の画集、安売りしていた別の画集も購入。帰り際、今回は妻のリクエストで前山寺の名物「くるみおはぎ」を縁側で塩田平を遠望しながらいただきコース終了、念願成就と相成った。
 
  この「美術鑑賞物語」の間、私は実に5冊、8000円分も本を購入してしまった。窪島氏の本は確かにおもしろく、買う価値もあり、両館の館長ということもあるがそればかりでなく、美術館という雰囲気、旅、そしてそこに本があったから買ってしまったのだ。
  昨年訪れた馬籠の「藤村記念館」でも『夜明け前』を自宅本棚の奥底に眠っているのを知りながら、『藤村の童話』(だったと思う)と藤村カルタともどもつい買ってしまった。
  美術館ばかりでなくテーマパーク効果というか、映画館、博物館、コンサート会場、ライブ会場、講演会場、学会会場、寄席などは書店よりずっと効率よく本が売れる。好きな人=目的買いに近い人たちが集まるのだから当然である。書店売りに比べ絶対数は少ないのであくまで本道ではないけれど、確実に売れるという実感がある。私は営業も担当しているが、管理的な仕事が多く、特定の担当書店をもたないのでいきおいこうした異種流通、直販を多く扱うことになる。
 
 ●美術館では同じ信州安曇野の「碌山美術館」(文覚上人のブロンズ像がある)で小社の『文覚上人の軌跡』が15年くらい売られ続け500冊を超えている。書店では惨敗だけど…。
 ●3年くらい前上野にプラド美術館展が来たときは『スペイン宮廷画物語』が2ヶ月弱で200冊売れた。これは店頭でもよく売れ2刷目である。レンブラント展は京都と東京で『レンブラント』が計150冊。
 ●映画館では一昨年アイリス・マードックの生涯を描いた「アイリス」が渋い映画館ばかり15館ほどでロードショーをし各館でアイリス・マードックの最後の小説『ジャクソンのジレンマ』が140冊ほどの売上。おもしろいのは銀座で2ヶ月弱で80冊。関内が2週間で12冊売れたのに地方が惨敗でとくに仙台では2週間で1冊も売れなかった。
 ●同じく映画館、渋谷のシネ・アミューズと池袋文芸座ほかで連合赤軍をテーマにした高橋監督の「光の雨」。1ヶ月弱で『あさま山荘1972』のほか関連書含め300冊を超えた。これは小社の特色かつヒットシリーズなので当然なのだが、映画を観にきたのは20代の若い層が多く、新しい読者を開拓できたことがうれしかった。
 ●今年上映されたスペイン映画「女王フアナ」では『狂女王フアナ』を10館ほどで2ヶ月で200冊。
 ●博物館では「発掘された日本列島2004」の巡回展で『関東古墳散歩』が100冊ほど売れて関連書も少し置かせてもらって売れている。
 ●神社で売れた本もある。『卑弥呼と宇佐王国』(品切れ)は宇佐神社で400冊くらい。
 ●著者が路上で売ることもある。昨年末私が編集した新宿の路上書家、大西高広君の『一笑を大切に』は2200冊作って在庫が500冊くらいだが彼が路上で600冊売ってしまった。
 ●そして最近2刷になった
『天下御免の極落語』。寄席の爆笑王の異名を取る芸暦50年、73歳、誰にも文句は言わせない川柳川柳師匠が、爆笑ネタとともに高座で大宣伝するのだから客は買わざるをえない。6月初刷り3000部、寄席の販売500弱、市場でも好調で増刷決定となった。 
 
  と、このほか学会売りなど実例を挙げるとキリがないし、失敗例もこれに輪をかけてキリがないのでこの辺でやめておくが、これらの営業活動は書店にきちんと本があれば本来不要なものも多い。そしてやはり、本は「書店で売ってナンボ」である。ただ小社の本はジャンルにもよるが、「平積みよりも棚差し」が売れると書店員さんに言われることが多い。すると小社の読者のかなりの数が平台には目もくれぬ「棚差し族」ということになる。それはまあいいのだが、店頭における商品生命がますます短くなり、単品管理が可能な店とそうでない店の格差が広がる一方の現在、貴重な「棚差し族」と本の出会いは相対的にどんどん減っているのだ。
  そうした流通事情を鑑みれば異種流通営業は、逆説的にきちんと商売になると思う。また、書店で売れずとも、ほかの場所なら売れるケースはかなり増えているのではないか。生協はもちろん美術館専門の代行屋さんもあったりして、地味だがそれなりの売上を確保する手立てとして有効であろう。
  そして面倒は多いけれど読者の顔が見えるというメリットも大きい。多くの版元さんに通じることだと思うが、小社の商品は多分野にわたるとはいえ専門書に近い。一般書的なものの店頭売上をみるにつけ、今後ますます大量部数販売が厳しくなることが予想される。これらの営業活動とそのノウハウが小出版社として生き延びるヒントのひとつなるのではないかと思う。
 
 さて、窪島氏『「無言館」の坂道』を読了した。氏は1941年生まれで前述の二つの美術館を苦労されながら「個人」で経営しているので、その話が多く出ている。小社社長と同世代でもあり小出版の状況と大変よく似ていて、示唆に富んでいる。以下引用する。(窪島誠一郎著『「無言館」の坂道』平凡社  2003年 より)

「—— どんなに美術文化の向上、芸術至上の理想をうたっていてもやっていることといったら——中略——観光地の門前で店びらきしている土産物屋センターなんかとたいした違いはないのである。——中略——「個性派美術館」を自認し「個性派コレクション」を標榜する美術館であっても、けっきょくは美術館というものが一定の集客を目的とした不特定多数相手のサービス機関であるいじょう、その「個性」の腹八分目化もしくは不完全燃焼化(ああ何と不健康なことよ!)を強いられてしまうという現実だろう。やりたいことをやり、見てもらいたいものだけ見てもらって世の中を渡れるほど美術館業界は甘くない。個性派美術館がその矜持と理念とを投げ棄てることなく、また明日への展望と夢を見うしなことなく、最小限の「個性派」たる自己の理想をつらぬくためにはそれ相応の努力と知恵が必要なのである。——」

小版元そっくりそのままではないか。窪島氏は全国の画学生の遺族から作品を委託されている性質上「無言館」は公益化する意向ということだが、二つの美術館を核にした4年制大学「信濃浪漫大学」を構想しているということだ。そこでは芸術家を育てるのではなく感性豊かな「鑑賞者」を育てるのだという。そして氏の経験を生かした「放浪科」も予定しているとか。なんとも楽しい構想でこれまた知恵である。

版元ドットコムもまた小出版の知恵と努力のひとつのカタチだと思うが、私も「個性派」出版社の端くれとしていずれ、何か知恵とひねりださずばなるまい。

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私は本が嫌いだった

2004-10-6 水曜日

径書房 山田裕子 :http://www.komichi.co.jp/

私は、高校の頃からずっと、本が嫌いだった。
正確に言うと10年、本が読めなかったのだ。もちろん教科書も。言葉が、文章が、頭に入らないのである。だから、身の回りの活字は、生活から排除していたほどだ。たまに読むのも雑誌だけ。そうなったのは、高校3年の時の転校から。今思えば、ウツの傾向があったのだろう。本人は、どうして読めないのか、内容が理解できないのか、悶々と悩んでは、自己嫌悪の日々を送っていた。

ほんとうに運良く径書房に拾ってもらった。もちろん、本嫌いは内緒で。でも、そんなことも言っておれず、本を手にすることに。私が入社して初めて読んだ本が弊社の『ゴーマニズム思想講座 正義・戦争・国家論』だった。何しろ思想とか正義とか、あまりにも私の暮らしとかけ離れているようで、正直おもしろいのかな? 理解できるかな? と半信半疑だったのだが……これが、すこぶる面白かった。学生の頃教わったはずの「民主主義」という概念をこの本で社会学者・橋爪大三郎氏と哲学者・竹田青嗣氏に学んだ。そして、「私でもきちんと社会と関わることができる!」と思えるようになった。これは、私の人生の中で、大事件だった。こんなに堕落した日常を過ごしてきた人間でも、「本当のことを知ることができる」こと、「社会と自分のことがわかる」ことを実感できて、身震いするほど嬉しかった。広く明るい世界が目の前に開ける感じ。「あ、わかった!」の気持ちよさを知って、自己嫌悪から少し解放された気がした。

最近、自分の大切な小説に出会って、さらに本の面白さが広がった。まさに、本との出会い。人文書とは違う、物語にのめり込む楽しさに引き付けられている。これぞ、快・感……。読者をぐいぐい引っ張る文章、日本語の美しさや強さ。テレビドラマや漫画より、ぜんぜん面白い! 本から、目が離せない。止められなくて、あっという間に夜中に。読後の余韻がまた、たまらない。今、私のお気に入りは昔の大衆文学。三浦綾子『氷点』に始まり、有吉佐和子『悪女について』、谷崎潤一郎『痴人の愛』、田山花袋『布団』などなど、めくるめく世界にくらくらしながら夢中になっている。この後は内田百間、夏目漱石が書棚に鎮座ましましているのだ。つくづく楽しい。

今さらながら気付いたことは、「読書は楽しい」ということ。
最近、小・中学校では、「朝の読書」の時間を設けていると聞く。ああ、私の学生時代に「朝の読書」があったら、もっとずっとたくさんのワクワクやゾクゾクする本に出会えていたかも……と思うと、何とも口惜しい気持ちと、羨ましい思いで一杯だ。教育によって本好きの子どもが増えるとおもうと、日本の将来も捨てたもんじゃあない、と思えて嬉しい。がんばれ「朝の読書」。

私はたまたま出版社に入って、遅ればせながら本と著者と幸せな出会いをしている。これは、編集作業をしていると、なおさらで、一冊の本の魅力の全てを知り尽くせるという、この上なく素敵な現場に立ち会える。ここから、少しでも、一人でも多くの読者に、魅力満載の本を届けられたら、こんな嬉しいことはない。

皆さん、本とたくさん出会ってください。幸せが少し広がります。必ず。

径書房 秋のオススメ本

・爆笑必至    『不美人論
・社会をより深く 『近代哲学再考
・自分らしく   『自分を好きになる本』『おとなになる本
・センチメンタルに『泣こう
・スタイリッシュに『ひとり暮らしののぞみさん』『女は何を欲望するか

径書房の本の一覧


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