紫煙と縁深い業界で、卒煙を叫ぶ

2004-4-14 水曜日

実践社 小山幸恵 :http://www.jissensha.co.jp/

エレベータの中でのこと。
「不自由だねぇ」
「僕らが不自由なんじゃない。社会の構造が不自由を創り出してるんだ」──。
 バリアフリー? 私が声の主に視線をやろうとしたその瞬間、話題の焦点が分かった。彼らの衣服の臭いが、まさに喫煙者のそれだったからだ。彼らは全館禁煙のその建物に、大変な立腹ぶりだった。
 私がエレベータに乗っていたのは、イラク戦争・自衛隊派兵に反対する人々の集まりに出掛けた会場でのこと。「反戦」と名の付くところに出掛けると、タバコを愛好する人が何故か大変に多い。
 その日の朝、4月末発刊予定の『タバコ病辞典』を印刷屋に入稿したばかりだった。タバコ(や他人の喫煙のケムリ)を吸うと発症リスクが上がる病気、悪化する病気、疾病治療への悪影響など、タバコの健康影響を網羅したものだ。学校の保健室や図書館、病院の待合室、できればお茶の間で、一人でも多くの「未来のタバコ病患者さん」と出会って欲しい本だ。
 が、本屋さんに行くと「たばこ、ダメですかぁ」と苦笑いされることもしばしばだ。気のせいか、本に関わる仕事をする人にも、喫煙者が多いように感じる。そういえば、ウェブの「ジュンク堂店員のおすすめ本」にも、「喫煙者のユ〜ウツ」(シガー・ライターズ・クラブ)が入ってたな。
 駅のホームや公共施設がことごとく全面禁煙化されていく昨今の状況は、愛煙家にとっては「他者に危害を(そんなには)加えない範囲での自由」が包囲されていくが如く感じられるのだろう。確かに世の中にはキケンなもの、フジュンだったりフケツだったりするものが溢れている。それに欲求に対する人の弱さ、意志や決意の脆さ。そこにこそ、この世の魅惑もある。迷惑を最小限に抑えることを条件に、侵されてはならない「私的領域」の自由。言論文化たるもの、その侵害には敏感でなくてはならない。反戦運動家や本屋に頑固な愛煙家が多いのは、そんな信条のせいなのか。
 季刊『談』(財団法人たばこ総合研究センター)は小社刊『理戦』がよく隣に並んでいる雑誌だが、最新号のエディタ・ノートで、大澤真幸氏が「自由の困難」と呼ぶ事態をひいている。「個人の幸福や厚生の水準の向上の名のもとに——つまり他者危害要件によって——、従来ではありえなかったような規範が急速に増大しつつあるのだ。喫煙を限定する規制、望ましい食事を規定する規範、家庭内での暴力を禁止する規範、あるいはセクシュアル・ハラスメントやストーカー行為を禁止する規範などが、そうした規範に含まれる」(「〈自由〉の条件」・『群像』)。〈私の自由〉と〈他者の自由〉の間に生じる出来事について、モラルがルールにどんどん置き換わっていく風潮には、確かに疑問を感じることもある。ただ、タバコに関してはちょっと待って欲しい。
 厚生省資料によれば、タバコが原因の病気での死者は9万5000人、直接・受動喫煙から発生する医療費は1兆3086億円にのぼる。これだけの社会的リスクを、タバコ販売からの税収2兆3000億円を頼む政府は黙認してきた。多くの国が「たばこを吸うと肺ガンになる」と断言する警告表示を、パッケージに大書きすることを法律で定めている。にもかかわらず、Meet your delight──あなたのかけがいのない歓びを、のJTは「あなたの健康を損なうおそれがありますので吸いすぎに注意しましょう」とあいまい表記、「タバコは文化だ」キャンペーンを続けてきた。タバコがどれほど、どのように体に悪いのか、同僚や家族の体に影響を与えるのか。医療費などの社会的リスクはどれほどなのか。その情報開示があまりにも少なかった。ただ漠然と「体に悪い」ことなど、子供でも知っているが、漠然と「体に悪い」ものならたくさんある。コーヒーもビールも唐辛子も、過ぎれば病気のモト。タバコはそれらとは抜本的に違う、「純然たる嗜好品」たりえないことが、明らかにされてこなかった。それでは喫煙にストップはかからない。
 健康ブームの中で成人男性の喫煙率は急降下中なのに、高校3年生男子の16%が1日20本のタバコを吸っている。近年、妊婦さんの喫煙率はうなぎ登りだ。未成年や胎児の体にタバコが与える影響は深刻であることを考えると、私たちの社会は〈自由〉についてのメッセージを誤って若者たちに伝えてはいないか。
 情報を入手可能にした上で初めて、そのことに関する〈自由〉は議論できるものだ。どんなにキケンだメイワクだとわかったところで、止めない人は止めないだろう。ただこの『タバコ病辞典』が、少なくとも公共空間においてのタバコに関しては〈自由〉の分がかなり悪いことをご理解いただくきっかけとなればと願っています。喫煙者と嫌煙者の議論、お父さんとお母さんの喧嘩のタネになれたら、さらに幸いです。


▲ページの上端へ

0 コメント »

この記事にはまだコメントがついていません。

TrackBack URI : http://www.hanmoto.com/diary/2004/04/14/168/trackback/

コメントをどうぞ