★拒否、それは人としての尊厳
2004-1-7 水曜日
★拒否、それは人としての尊厳
☆ 姉の死・母の骨折
昨年(2003年)6月姉がなくなりました。睡眠薬を大量に服用しての自死でした。姉がいつも心をくだいていた82歳の母がメディトピア小諸という老健施設にのこされました。
このとき以来、胸により深く刻まれたことばがあります。死者たちを「いつまでも、彼らのいるべきままの姿で、類うべくもない傷として、苦痛として」記憶せよ(エリ・ヴィーゼル。彦坂諦から再引用)。2004年元日、小泉首相は靖国神社に参拝しました。イラクでの戦死者を想定して、国家戦略への死者の動員の予行演習を臆面もなくやってのけた首相に、このことばを献上します。
☆母の骨折
母は老人性アルツハイマーで要介護5でした。6月上旬と7月上旬、施設の中で手首、つづいて右足(大腿骨骨頭部)を骨折しました。転んだのかどうか、2度とも誰もみていないためはっきりしませんでした。広くて気持ちがいい場所は目が届かないという落とし穴がありました。痛いという訴えにレントゲン写真をとり、初めて骨折が判明したのです。
手首は自然治癒にまかせて不都合はありませんでした。大腿骨骨頭部、つまり足の間接部分の骨折は人工骨頭をいれ、大腿骨にセメントで接着するという切ったはったの手術でした。手術を選ぶかどうか家族にゆだねられました。主治医の小諸厚生病院の医師は、母のからだの状況を「すでに病気の状態」であるということ、手術をしたとしてもその後のリハビリが難しいということをあげました。つまりリハビリの成果をあげる動機に乏しいと。そんなマイナス要因をあげられて手術に踏み切れるでしょうか。結論を誘導したうえで、家族に判断をゆだねたのです。
☆母の意思
結論が出ずに悩み、婦長にたずねました。
「もし婦長さんだったらどうしますか」
「わたしの母だったら、余分な負担をかけたくないので手術はしないでしょう」率直で、簡潔に仕事をこなし看護士たちの信頼のあつい婦長の返事でした。
最後は母に聞きました。
「お母さん、この間骨折したところね、手術するかしないか決めなきゃいけないんだけどどうする? 手術すれば歩けるようになるかもしれないけど、大変だって。手術しないと歩けないけれど、みんなで助けるよ」
こんな問いかけに母は「様子みるか」と答えました。母だって決心できる筈がありません。手術はしませんでした。でも最近は
80歳をすぎても手術を受ける方が多いとあとで聞きました。しなかった場合の痛みや負担を考えるとそれが適切かもしれません。
☆表面は萎縮しても
約40日の入院ののち、車椅子生活になりました。入院中からカテーテルで導尿しており、尿のビニ—ル袋をつけ、おむつをしたままの退院でした。同じ施設に受入れられましたが、その後の1カ月は母とわたしにとっては格闘の日々でした。
母が望んだのはトイレで用を足すことです。
アルツハイマーと診断されたのは5年ほど前、国立小諸療養所の医師からでした。メディトピア小諸に併設する柳橋脳外科病院の医院長からは「この病気は、はたらきかけは意味がありません」といわれました。脳の萎縮によるものだから。でも母が病院のベッドで言いつづけたことは「おしっこ、おしっこ」、トイレで自分で用を足したいという意思でした。
老健施設への再入所の際、施設の婦長と主任に、母のおむつをとって、トイレに行かせてあげたいと手紙をだしました。相談員のKさんとは、東京から電話で1時間話したすえに、「おむつのほうが介助者はらくです」がわたしがえたことばでした。当然きけると期待した「やってみましょう」はありませんでした。
最後の手段は直接医院長と話すことでした。「おむつをとりたいのですが」というと、「できることと、できないことがある」というのが答えでした。「(やむをえない)わたしが1週間通います」。 1週間家から通って介助するという事で、受入れられました。結局5日間でしたが、母とわたしはトイレで用を足すという難事業にたちむかいました。気分はプロジェクトXでしたが、でもいまから振りかえるとそんなに大変な覚悟で臨むことでもなかったのです。その気になれば、時間をかければできることでした。母は長いこと椅子に座っていることが出来、なにかにつかまれば立っていることも出来ました。ちゃんと尿意もあり訴えることもできたのです。
☆ハンガーストライキ
母の食事量は出されたものの10分の1ぐらいでした。歯がほとんど残っていないという理由で、普通食にしてほしいという要望は、受入れてもらえませんでした。出されたのは刻み食という物で、お豆腐もジャガイモもトマトもほうれんそうも全部刻まれて出てくるのです。食べてみましたが本当にまずいのです。母は諸々の拒否の意思を食べないということで表しているのだと、思い至りました。つまりハンガーストライキです。
☆拒否、それは人としての尊厳
10月30日、母はアザレアン真田という特別養護老人ホームに3カ月のショートステイで受入れられました。「ユリ子さん、しばらくでした」(ここは2年ほど前お世話になったところでした)という職員の方のおむかえのことばに、浮かんだ母の笑顔は、いまでも目の前に浮かびます。ここ数カ月みたことがない心からのもので、笑窪がへこみました。食事も刻み食から普通食になりました。
前のところでは、夜のおむつは、最大限拒否しました。介護の職員はたいてい二人でみえるのですが、まず動く方の足で蹴る、両手でたたく、引っかく、つねる、両手を押さえられると最後の手段は噛みつく、でした。母の担当の介護の方はまだ若い方で大変だったと思います。でも、母の拒否のエネルギーに実はわたしは感動しました。いやなことはいやだという、自分の尊厳を守るための最大限の意思表示だったのです。成人してから60年間の忍耐の生活をきれいにふり捨て、素直な気持ちを表現したのでした。おむつの拒否は、骨折をしてから4ヵ月間続きました。
いやなことは拒否する、それが人間としての尊厳だと、母といっしょに格闘しながら、母に教えられたことでした。いま、いやなことはいやだと拒否する力をわたしたちはもっているでしょうか。
