新ファッション雑誌に挑戦!

2003-8-6 水曜日

ロゼッタストーン 弘中百合子 :http://www.rosetta.jp/

2000年「季刊ロゼッタストーン」、2001年「女性国会議員メルマガ・ヴィーナスはぁと」、2002年「若手国会議員メルマガ・未来総理」と、ロゼッタストーンでは、毎年、少しずつ媒体を増やしてきました。今年は、7月1日に、ロマンティックなファッションを好む女性のためのファッションサイト「スィートピー」をオープン。新しい分野にチャレンジします。

季刊「ロゼッタストーン」も4年目に入ったので、そろそろ「別冊」を出したいのですが、零細出版社のロゼッタストーンでは、新しい雑誌をつくるにも大きなリスクは背負えません。というわけで、まずWEBを立ち上げ、購読予約者が最低3000人集まったら、正式に創刊を決定しようと思っているのです。

WEBでは、カウントダウン式のカウンターを設けています。7月28日現在で、あと2743人。ほとんど宣伝をしていないのに、オープン1カ月で購読申し込み者が200人を超えたのは、まあまあ順調なのですが、3000人の目標を考えると先が遠いです。

最近、出版界の先輩がこんなことを言っていました。
「これからの雑誌は、雑誌そのものを売るというよりも、その雑誌を発行している編集部がつくっている雰囲気を売る方向に変わっていくような気がする。つまり、購読料というよりは、コミュニティに参加する会費のような感覚。読者に仲間意識を持たせることができれば、雑誌も成功するんじゃないだろうか」

スィートピーがめざすのも、まさに、ロマンティックが大好きな女性たちのコミュニティをつくることです。WEBでは、アンケートで「スィートピー」への要望を集めるほか、読者のファッションを紹介するページや掲示板など読者参加型のページを充実させます。たまには読者が参加できるイベントを企画したりもしてみようかと思います。

WEB先行型の雑誌は時々ありますが、カウントダウン式の雑誌創刊はあまり聞いたことがありません。こうした新しい試みが、果たして成功するのかどうか、今後の展開を見守ってください。


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はじめまして

2003-7-30 水曜日

浅野太鼓文化研究所 小野美枝子 :http://www.asano.jp/top.html

 はじめまして。今年から版元ドットコムの仲間に入れていただいた石川県の財団法人浅野太鼓文化研究所たいころじい編集室と申します。会員の皆さまはそれぞれにそうそうたる出版社が名を連ね、地方の弱小編集室である当方は非常に頼りない存在ではありますが、和太鼓関連書籍の出版という少々毛色の変わった業務を行っておりますので、ここでは自己紹介を兼ねながら日常の編集室の様子をお伝えしようと思います。
 編集室が所属する財団法人浅野太鼓文化研究所は、慶長14年(1609)に石川県松任市に創業した和太鼓の製造・販売の老舗、株式会社浅野太鼓楽器店の研究機関として平成11年に設立されました。主な事業として、出版、和太鼓教室およびワークショップの主宰、全国の太鼓状況の調査など、和太鼓文化の振興・発展を目的にさまざまな活動を行っています。中でも出版は事業の柱であり、全国で唯一の太鼓専門誌「たいころじい」の年二回の発行を基幹に、和太鼓教則本、教師のための和太鼓指導書、練習曲のCD製作などを手がけてきました。
 皆さまもご存知のように、日本では昭和60年代の地域活性化・ふるさと創生ブームを契機に、全国に続々と和太鼓グループが誕生し、その数は今や1万 5000とも2万グループともいわれています。また昨年から施行された文部科学省の新学習指導要領により学校での邦楽の履修が義務づけられたことから、全国の多くの小・中・高校の授業やクラブ活動に和太鼓が取り入れられるようになりました。
 このように和太鼓関連書籍を専門に出版している当編集室としては環境は大変良好なのですが、編集スタッフの少数精鋭?主義に加え、母体である浅野太鼓楽器店が創業400年を誇る老舗として和太鼓の製造・販売にとどまらず、和太鼓コンサートや太鼓関連イベントの企画・プロデュースも行っているため、編集スタッフはことあるごとに動員され、編集室は一年を通じて戦場のような慌ただしさの渦中にあります。たとえ発行直前の切羽詰まった状況下にあろうとも、いざイベント開催となれば編集長は潔く赤ペンを放り投げ、ある時はイベントディレクター、またある時はブライダルコーディネーター、さらには展覧会のキュレーター、コンサートの司会進行、果ては運転手、食事調達係と、何が本業かわからない怪人百面相ばりの世界に身を置く次第となるわけです。
 とはいえ、編集作業とは何の関連もないと思われるこれらの変則的な仕事を通じ、デスクワークや通り一遍の取材では得られないリアルな情報や貴重な教訓と遭遇することも多々あります。出版にせよ、イベントにせよ、太鼓製造にせよ、大きなくくりでの「ものづくり」に流れている精神は共通しているようです。そうした生きた素材を上手に誌面に活用しながら、さらに品質向上を目ざして今日も奮闘している我が編集室です。諸先輩の皆さま、不束な新参者ですが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

小野美枝子


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1人1人が大切にされるところから

2003-7-23 水曜日

やどかり出版 黒崎夢 :http://www.yadokarinosato.org/book/

近頃は,建前の裏側にある本音を,隠すことなく堂々と行える世の中になったのでしょうか.
政策や施策の理念と内容のギャップをそのままに,どんどんいろいろなことが押し進められていってしまっていると感じます.

同僚や一緒に仕事をする人たちには,精神病院での「社会的入院」を経験している人がたくさんいます.ほんとうは退院できる状態であるにも関わらず,社会的な諸事情により,ずっと精神病院に入院している状態です.いまだ40年近くを病院で過ごしている人も,全国各地にいます.
この「社会的入院」の問題には,さまざまな原因が絡んでいます.根底には,国の精神「障害」者に対するこれまでの施策や,それに沿って形作られた精神医療システムの問題があります.基本的に,「社会防衛」の視点から,精神「障害」者という存在が政策上扱われてきたことが,今の状態を生み出しています.

新障害者プランで精神障害者保健福祉施策の推進が重点課題として挙げられ,「今後の精神保健福祉施策について,入院医療主体から,地域保健・医療・福祉を中心としたあり方への転換を図る」とあります.
おおよそ34万人の精神科への入院者のうち,社会的入院者は少なくとも3分の1を占めると言われています.施策の中では,10年かけて7万2千人の「社会的入院」者を退院させ,地域生活へ移行させると謳っています.しかし,「社会的入院」者は,数十年も,自分の思い通りにならない生活を送らざるをえなかった人たちです.さらに10年待てというのでしょうか.
何十年も「社会的入院」をしてきている人は,とうぜん高齢になっています.60代後半,それ以上の年齢の人も多いはずです.身体が動くうちに退院したいと思うのは,とうぜんのことでしょうが,10年という期間はそれを考慮しているのでしょうか.もっと言えば,7万2千人の人たちが,生きているうちに退院できる期間なのでしょうか.
また,「社会的入院」が今なお解消できない理由の1つには,地域での支えがひじょうに乏しいことがあります.地域生活を支えるような拠点は,他障害と比べても,特に少ないのです.今年度,そのための施設整備費は大幅にカットされて,わずか14.8%しか新規の地域施設が認可されませんでした.その理由は「予算がない」ということでした.「入院医療主体から,地域保健・医療・福祉を中心としたあり方への転換を図る」という施策の基本と逆のことではないのでしょうか.

その一方で,池田小学校事件を契機として,いわゆる触法精神障害者の処遇法案「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律案」が先日7月10日に衆議院本会議で可決,成立しました.何度も「保安処分」絡みの問題が指摘されて,話が出ては立ち消えてきた法律です.関係団体で賛成しているのは,日本精神病院協会のみでした.
犯罪の再犯防止のために,「再犯の恐れ」があれば,実質無期限に特別施設への強制入院や通院が課せられるのです.例えば,該当者も,再犯の判定方法も,判定基準もあいまい,そもそも精神障害者の犯罪だけを特別に扱う意味はあるのか,などというような,実にさまざまな問題を含んだまま押し通されてしまいました.
「刑務所には刑期があるけれど,精神病院にはないんだよ」という同僚の言葉が,改めて思い出されます.

「社会的入院解消のための退院促進支援事業の実施」のための予算は4,400万円.「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者に関する医療体制の整備及び必要な人材の養成」には,36億7,700万円という現実に,何のために国の政策というものは作られていくのか,考えざるを得ません.しかも,36億 7,700万円という予算は,法案の審議中にすでに立てられていたものです.

自分の現場に近いところからみる政策の不可思議さについて長々と書きましたが,全体の政策の中で起こっている矛盾の一部分に過ぎないでしょう.
こんな時,立ち戻るところは,やはり同僚たちの経験であり,それぞれ違う人間1人1人が,人間として大切にされることを起点にして物事を考えたり,行動したりしなければいけないという点です.それがなければ,どんな政策も施策も意味がないどころか,人の人生や命を奪ってしまうものになると感じています.

蛇足ですが,私の同僚たちの経験は『やどかりブックレット・障害者からのメッセージ』シリーズに収められています.どうぞ参考になさってください.


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いさましい話

2003-7-16 水曜日

めこん 桑原晨 :http://www.mekong-publishing.com/

 アメリカが勝利宣言したあと、イラクでアメリカ兵がどんどん殺されている。「戦争は終わったはずなのに、どうして? ひょっとしてベトナムやソマリアの二の舞?」と、アメリカではだんだん暗ーくなっているという話だが、アラブに詳しい人に言わせれば、どうしてもへちまもない、あたりまえじゃないか、ということになる。イラクでもまわりのアラブ諸国でも、戦争が終わったなんて考えている人はひとりもいない。(アメリカが一安心した)これからだ、と思っているというのである。そうだろうな、と思う。敵が圧倒的戦力でやってくれば、逃げて死んだふりをするというのは、別にアラブの専売特許ではない。

 そいでもってブッシュは「イラクの残存勢力」に対して「かかってこい」と言ったとか。英語だと「カモン!」て言うのかな。最新鋭のクソ頑丈な戦車の中で防弾ガラスごしに、外のアラブの女こどもに向かって、人差し指をヒコヒコさせて「ヘイ、カモン」とやっているGパンのおっさんの「図」がすぐ目に浮かぶね。
なにしろブッシュはいさましいからな。いさましくて、言っていることがわかりやすい。「アメリカは世界で一番いい国だ。だから、アメリカのやりかたをまねれば、どこの国も幸せになれる。アメリカのやりかたをまねしない国も人も悪だ。悪は滅ぼさねばならない。だから殺す。」
これに尻尾をふってワンワン言っているのが小泉だ。
「日本は軍備を持たない。だから自分の国を守れない。アメリカに守ってもらう約束だ。だからアメリカの言うことはなんでも聞かなくてはいけない」
 わかりやすいねー。だけど民主党の若手の言うことも分かりやすいよ。
「なんで日本がアメリカの言いなりになる必要があるんだ。自分で守ればいいじゃないか。憲法? 変えればいいじゃないか。自分のことは自分でやるんだ」
 マッチョだねえ。すっきりするねえ。
「どこの国も汗を流しているんだ。日本も汗を流さなくちゃ」これは小沢か。汗を流すというのは死ぬということなんだよ。
 どれもわかりやすい。でもね、わかりやすいとか、いさましいとか、マッチョとかいうのは警戒したほうがいいと思うよ(なんか吉田司みたいになってきた)。

 彼らに共通しているのは、人の命に対する気持ちの薄さだ。使命も誇りも、そりゃ大事だろうよ。だけど、そのために人を殺していいのかよ。今、イラクで殺されているアメリカ兵はいったい何のために死んでいるのかと思う。かわいそうとしか言いようがない。もちろん、そのアメリカ兵に殺された、人数もはっきりしないイラク人の存在がある。こうした「死んでいった人たち」「これから死ぬであろう人たち」のことを彼らはどこまで考えているのだろうか。
 そんなことを思うと、守旧派の悪の権化みたいに言われている野中や後藤田が理屈ぬきに自衛隊の海外派遣に反対するのを見て、ほっとする。彼らのような戦争経験者がいなくなったら、日本はどうなるんだろう。
 確かに、自衛隊という「軍隊」を持ちながら戦わないというのは理屈に合わないし、ぐちゃぐちゃ言って、結局「身体をはらない」のはみっともない。かっこわるく映るかもしれない。でも、そういうみっともない、いさましくない道を選んだから、今の日本があるわけだろ。なら、それでいいじゃないか。いさましくて人を殺すのと、みっともなくて人を殺さないのと、どっちがいい?
石原慎太郎の初期の作品に「処刑の部屋」ってのがある。不良大学生のケンカの話だが、その中で登場人物の1人がこう言う。
「俺はM大の奴等はきらいだ。奴等は何であんなに矢鱈切ったり突いたりするんだ。相手が死ねばそれ切りじゃないか。奴等は他人の体で遊んでるんだ。電気のスパークみたいでパッパッと、それ切り何も考えちゃいねえ。奴等は手前が何をやっているのか、何をしたいのかそれを知らないでやっているんだ、子供だな、いや気違いだ、俺は奴等を見ていると怖いんじゃなく、唯ぞっとする。」
あの慎太郎でさえ、これだ(あんまり関係ないか)。

とにかく、いさましくわかりやすい話には乗らないようにしようと思う。ヒットラーだって毛沢東だってポルポトだって、言ってることはいさましく、わかりやすかったんだぜ。


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元気な純国産製品

2003-7-2 水曜日

ネクサスインターコム 村松健吉 :http://www.nexus-i.com/

相変わらず元気のない日本であるが、日本製で世界的に大きな支持を得ているものがIT産業にもある。DVDとユビキタス(情報家電)である。この2つはコンピュータと家電という異なる分野を結びつけ、新しい市場を創出している。

DVD の規格は日本で作られ、英訳されてアメリカに渡り、ハリウッドで高い評価を得て、国際的な規格となった。ほとんどのDVDハードウェアは日本メーカーがイニシアティブをとり、出荷台数はテレビやファックスを上回る速度で急増している。ユビキタスという言葉自体は、ゼロックス・パロアルト研究所のマーク・ワイザー博士が1991年に提唱した概念であるが、ユビキタスのルーツは、それよりも前に開発されたトロン(坂村教授が開発したOS)にある。

今年初め、ワーナー・ホーム・ビデオのアジア総代表の長谷さんにお会いする機会を得た。長谷さんは東芝のDVD事業部長としてDVDを育て上げた功労者である。DVDという新しい技術がユーザーに受け入れられるかどうかという不安に苛まれながらも、新しい技術にチャレンジしていくことに興奮した過去10年を私に熱く語ってくれた。NHKの『プロジェクトX』のような話しである。

『プロジェクトX』といえば、坂村教授を取り上げた番組が4月15日に放映された(私の友人も映っていた)。トロンはMS-DOSが産声を上げた頃に開発された純国産OSであるが、政治的な理由でバッシングを受けた。パーソナル・コンピュータでは、Microsoft、Unix、Appleが主要なOSとして使用されトロンのユーザーは少ないが、多くのロボットや家電製品にはトロンが採用されている。キヨスクや情報端末の撤去が進む中、トロンとJavaを融合したOSで動く携帯電話の躍進は凄まじい。

利便性と引き換えに我々は個人情報保護という困難な問題に直面している。デジカメ携帯や監視カメラで顔写真を撮影し、犯罪者リストと照合(バイオメトリクス認証)したり、その人の過去を検索することが可能な時代が到来している。ジョージ・オーウェルが警鐘を鳴らした近未来に我々は既に足を踏み入れてしまったようだ。プライバシーは守られなければならないが、個人情報保護を間違った方向で法制化しようとする国があるのも困ったものである。


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衝突の向こうに見えるものは……。

2003-6-25 水曜日

日本経済評論社 木野村照美 :http://www.nikkeihyo.co.jp/

衝突の向こうに見えるものは……。

一冊の写真集を偶然手にした。1960年代の大阪生野区『猪飼野』の風景。人。
パラパラめくると懐かしさと暖かさが胸にこみ上げてくる。
この地は、在日韓国・朝鮮人が多く住む場所。モノクロの写真のなかで、子供たちの顔。ハルモニ(おばあさん)たちの顔があり、凛とした逞しさが映し出されている。決して楽ではない生活。民族差別の厳しいなかで生きる逞しさが笑顔にきざまれている。この笑顔に心うたれる。

9.11以後の世界は、これまで培ってきた世界秩序が一気に変わりつつある。大量破壊兵器の保有、テロ国家と言った「認定」戦争が開始され、『正義』の名の下に多くの罪なき人々が家を奪われ、生命を奪われる。
テレビニュースや新聞は、奪われる側ではなく、奪う側の「正義」を強調する。正しい情報は、新聞やテレビだけでは決して得られない。図書館にブッシュやイラク戦争がらみの書籍をリクエストするとすでに貸し出されている。何人もの人が後に続く。アフガニスタンの戦争の時にも、中村哲医師の講演会に多くの人が、アフガニスタンの本当の状況を知りたいとつめかけた。イラク戦争開始の時も世界中の人が攻撃反対のデモに参加した。
いまだに続くアフガニスタン、イラクの戦争状況の渦中に私たち自身がいることを考えざるを得ない。
世界の人々はこの状況をどのように見ているのか? 日本はどこに行くのか?
さまざまな意見を聞き、自ら考えて行かなければただ流されてしまいそうだ。

衝突を超えて』 −9.11後の世界秩序− 本体3000円
ケン・ブース/ティム・ダン編 寺島隆吉監訳 塚田幸三・寺島美紀子訳 四六判上製
9.11の衝撃を経て「テロとの戦争」が 、ここ数年の世界的課題になりつつある。本書はさまざまな国の学者・有識者32名が執筆。テロ問題、軍事、法律、倫理、国際秩序などの専門家たちである。
内容的は、たとえば、イスラム原理主義による政治支配を「イスラム−ファシズム」と名づけ、アフガニスタンへの報復攻撃を正しいものとし明確に米国政府の肩をもつフランシス・フクヤマの論考。「歴史と9.11」、米国こそが世界最大のテロリストだと主張するノーム・チョムスキーの論考「誰がグローバル・テロリストか」といった論考が多数収録されている。


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木馬…「もくば」と読まないでね

2003-6-18 水曜日

日本林業調査会 辻 潔 :http://www.j-fic.com/

 「きうま」「きんま」といいます。昔、山から木を運び出すときに使った、ソリのような道具。これを昨年、東京の山奥でつくったんですね。土日を利用して、奇特な人達が。ベテラン林業者の指導のもと、木を伐り、トビで引き出し、木馬が通る木馬道を組み上げていく。なんだかんだで4か月くらいかかったでしょうか。私は横で見ていただけですが、素人がやるにしては些かキツく、危険な試みではありました。何はともあれ、ケガや事故がなくてよかった。年末11月、実際に木馬を引くことができました。

さらに、修羅という、木でできた大きな滑り台のようなものも製作。この滑り台で丸太を一気に流すのですが、これまたなかなかハードでデンジャラス。重要感あふれる丸太が勢いよく目の前を通過していくのを眺めながら、もし横に飛び出したらえらいことになるなと、少々ビビッてました。そんな楽屋話は置いといて、東京に息づいていた林業の「技」を現代に伝えるブックレットが6月20日にできます。山で働いてきた親父さん達からの聞き書き。関係者の皆さんお待たせしました。ようやく世に出ます。ご興味のある方はどうぞ。

聞き書き 山の親父のひとりごと


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自分がいま、なにをすべきか

2003-6-11 水曜日

青弓社 岡部友春 :http://www.seikyusha.co.jp/

先日、版元ドットコムの総会がおこなわれた。会員社が22社39人、会友が8人、会員外が38人で総勢85人と予想以上の参加人数だった。もちろん、総会だけの参加、懇親会だけの参加という人もいたが、成功裡に終えることができたのはまちがいない。
参加されたみなさん、総会準備に携わったみなさんに感謝を申し上げたい。

総会前に、会員日誌担当者から「簡単でいいから、総会のことを日誌に書いてくださいよ」と言われて快諾したものの、当日、受付を担当してしまい、総会が始まってもずっと受付にいて、話をなにも聞いていない。途中から会場に入ったものの、途中からなので話の内容がつかめない。懇親会会場でもなぜかお金の管理をしてしまい、懇親会から参加してくる人への応対とお金の見張り番などであまり人と話ができなかった。となると、書くことがない……。
そんな状況でもなにか書かないとまずいので、記憶に残っている話などを少々。

質疑応答でも懇親会の挨拶でも書店の店頭在庫へのリンクについての話が出たが、やはり気になるところなのだろう。どうやってリンクを貼っているのか、許可や連絡をしてあるのかなどである。書店の店頭在庫へのリンクに関しては連絡をしていない。リンクフリーの場合でも、事前に連絡をせず、相手側がどこでなにをされているのかわからない状況というのはよくないと思う。相手に利益をもたらす可能性が高くてもだ。「いままでとはなにか動きが違う」と書店側が思ったときに、「あっ、版元ドットコムのリンクのせいかもしれない」と思ってくれたほうが、お互いにとっていいことなのではないだろうか。版元ドットコムの運営をするにあたって、なにをするにしてもつねに相手がいるのだから、今後はなおいっそうのこと、相手のこと、接し方などを考慮して活動していかなければいけないと思う。今回の総会でいちばん身にしみた話だった。

当日配られた資料を見ても、版元ドットコムが着実に発展していることがよくわかる。登録点数も売り上げ冊数、売り上げ金額も着実に上昇している。近刊・新刊案内メールを送るようになったこと、購入画面のすべてのページに「送料無料」などの購入方法の記載をおこなったことなどが理由として挙げられるだろう。
登録点数は6000点を超えて、データベースとしての役割の一端を担えるようになったなと思う。これからも登録点数が増えていき、さらなるデータベースの充実化をはかりたい。

懇親会で、「ここまで進歩したのはポット出版の沢辺さんと日高さんのおかげだね。2人がいなかったら、版元ドットコムのここまでの進歩はなかったと思う」とある人から言われた。たしかにそのとおりで、この2人がいなかったら、ここまで発展することもなかったし、存在自体も危うかったかもしれない。しかし、幹事社や会員社、会友の陰の力も見逃せないことも事実だ。いうなれば、みんなが支え合ってきたからこそ、ここまで発展できたのではないだろうか。

と、まるく収めて終わりにしたい。
最後に、総会の報告をすべき人間が総会の話を聞いていなかったという締まりのない話で恐縮だが、自分がいま、なにをすべきかをあらためて考えさせられた有意義な一日だった。


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「めぐりあう時間たち」を観ながら

2003-6-4 水曜日

梨の木舎 羽田ゆみ子 :http://www.jca.apc.org/nashinoki-sha/

「民族に棲む魔」がパンドラの箱から踊り出て、さまよっているのですね、きっと。
それは19世紀の末から20世紀半ばの日本を、西洋列強にたちむかせ、アジアへの覇権へむかわせたもの。アルジェリア独立戦争を戦い、泥沼のベトナム戦争を勝利させたもの。そして2003年のいま、アメリカのイラク戦争をささえています。

最近話題の『めぐりあう時間たち』を有楽町まで観に行きました。
土曜の午後の1時間55分は、1923年から2001年の時間の流れとかさなり、登場する3人の女たちは「生きるとはなにか」という永遠の問いを彼女たち自身と観客にくりかえしくりかえしなげかけます。
3人の女性は1923年『ダロウエイ夫人』を執筆中のバージニア・ウルフ、1951年のその『ダロウエイ夫人』をよむ、主婦ローラ・ブラウン、2001年、編集者のクラリッサ・ボーン。
場所はそれぞれ、ロンドン郊外のリッチモンド、ロサンジェルス、ニューヨーク。(この映画の影の主役『ダロウエイ夫人』新潮社、図書館の本は貸し出し中で何人も予約が入っていました。ふだんだったらほとんどかりられない地味な本ということ)

監督は1960年イングランド生まれのスティーブン・ダルドリー、ロイヤルコートの芸術監督をつとめ100本以上の舞台を演出しているといいます。映画のつくりかたは舞台的でもあります。舞台のうえに、3つの時代がつくられスポットライトがあたり、それぞれのいまが映し出され、3人の女たちが観客の中でめぐりあいます。
もうひとつのテーマは生と死。クラリッサの恋人でエイズ患者の詩人リチャードは高層マンションの窓枠からほんのすこし身をずらすようにして死に落下していきます。彼はローラ・ブラウンの息子で、ちいさなころ母親の死へ傾斜していく心を追い続けていました。そしてラストシーンは、バージニアの死。3人の女たちが抱えている、存在の危機、生きることはいったいなんなのか。しかし、この問いは社会的な背景なくかたられます。戦争も、社会参加も、フェミニズムも、人種差別も、教育問題も、表には出てこないのです。

堀田善衛が1956年に出版した『インドで考えたこと』はヨーロッパ的価値と日本の近代化、日本人の在りようをとりあげいまでも意味をうしなわないとおもいますが、
ヨーロッパは死にたくない、死にたくないといい、アジアは生きたい、生きたいと(いうようなこと)言っていて(正確ではないが)、印象的におもいだします。(『堀田善衛——その文学と思想』同時代社は刺激的でした)

「ぼくは何ものももとめず
ぼくは何ものももとめず、森のへりの木陰に立っていた。
あけぼのの瞳にはまだあこがれがただよい、
大気は露をふくんでいた。
地の上のあわい霧には、濡れた野草のものうい匂いがした。
……」
先日、下北沢のライブハウス「ぐ」で、林洋子さんによっておこなわれたタゴールの詩の朗読会でよまれた一節です。(林洋子さんは、宮沢賢治の詩の朗読を20年以上、千数百回にわったって続けている人です)タブラと笛がインド世界を演出しそのなかでかたられる11篇の詩。
命の耀き生きる喜びに充ちています。
日本はアジアとヨーロッパこの両方の世界を生きています。頭はヨーロッパ世界に傾き、体はこの地で生まれ、水と空気で育てられた。アジアの東のヘリにあるこの日本という国はナショナリズムをかたり、ポストコロニアリズムを語り、アイデンティティーを求めてゆれうごいています。ゆれうごく心とナショリズムに向かうエネルギーは、うらはらなのだと、おもいます。何を出版していくかわたしは私自身にくり返しといかけています。
さて出版界のヘリのヘリでうごめいている梨の木舎が今年だした本を紹介します。

★『中国撫順戦犯管理所職員の証言』新井利男資料保存会 定価3500円+税
  ソ連から中国に移管された日本人戦犯にたいしてとった中国の政策。親兄弟を  殺した日本兵に、乱暴せず飢えさせず、歴史をくりかえし学ばせ改心させていきます。復讐が国際関係となったいまでは考えられない中国の政策でした。これを成し遂げたものはなんだったのでしょう。本書をおよみください。この記憶を世界史は忘れてはならないでしょう。

★『バターン 遠い道のりのはてに』レスター・テニー 定価2700円+税
  数年前来日の折、著者が日本の若者に話したのは、君たちに責任はない、君たちは自分の人生に責任があるのだよ、ということばでした。バターン死の行進で生き残り、さらに収容所で生き残り、さらに大牟田につれてこられて炭坑労働でも生き残った、アメリカ兵の物語。著者はいまアメリカで存命、ことし2月には出版の記念のため訪日しました。若干20歳の若者がどの様にしていきのびたのか。これは人間のドラマです。また彼をそこに追いやった日本軍とはなんなのか、をやはり考えざるをえません。

★『ヨーロッパがみた日本・アジア・アフリカ—改訂版』海原峻 定価3200円+税
  ヨーロッパ植民地主義の思想史です。ヨーロッパを世界的規模での侵略にむかわせたものはヨーロッパ人が培ってきた思想の中にあったのでした。本書には発見があります。新しい世界のみかたをひらいてくれる本です。

★『イスラーム 魅惑の国・ヨルダン』井上夕香著 定価1600円+税
   イスラーム世界を知らなければ国際関係を性格にみることはできません。河口慧海と同時代の考古学者を祖父にもつ著者。生まれながらの好奇心、冒険心で異文化ヨルダンの人々の生活のなかに入り、都市の暮らしや、ベドウインの生活や、はたまた、古代遺跡をたずね、言い伝えの地をつきとめたり——。
   夕香さんは魔法で過酷な砂漠の地の生活を体験し探索したのでした。売れっ子デザイナーの鈴木成一さんも魔法にかかってカバーデザインをひきうけてくださいました。まだ魔法の力がのこっていたら、この本が売れますように。


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身にしみる情報の大切さ

2003-5-28 水曜日

径書房 大庭雄策 :http://www.komichi.co.jp/

先週(5月23日)、毎年開かれている版元ドットコムの会員集会があった。
その席上、オンライン書店であるamazon.co.jpの佐藤さんと、bk1の尾園さんとお話しすることができた。アマゾンさんとbk1さんには、昨年、小社刊『ベビーサイン』をたくさんお売りいただくなど、たいへんお世話になった。一年以上たってしまったが、その時のお礼を申しあげることができた。おふたりに、『ベビーサイン』の姉妹書である育児絵本を今秋頃に刊行することをお伝えすると、「タイトルや内容がある程度決まったらすぐに連絡してください」というお言葉をいただくことができた。(どうぞ宜しくお願いします!)

bk1の尾園さんからは、ひとつ反省すべきお話しを頂戴した。
尾園さんは顧客と直結する部署(カスタマーセンター)のご担当なのだが、『ベビーサイン』がテレビで紹介されて「爆発的」に売れていたとき、正しい在庫情報が把握できず、サイト上で注文をくださったお客さんに本を予定どおりに発送できずに困った、というお話しであった。原因は、版元である小社が取次(問屋)や書店にお伝えしている「在庫有」「品切れ」「在庫僅少」などの在庫情報が逐一変動していて、「それを正しく知ることができなかった」ということであった。

在庫情報は最新かつ正確なものでなければ意味がない。本が大量に動いていることでパニックになり、正しい在庫情報をお伝えすることができなかった小社の不備をお詫びしなければならない。

本の売上げが弊社のような小出版社に対応できないような伸びをしめしたとき(径書房の場合、20年に一回くらい?)、「豊富」にあったはずの在庫が一瞬で品切れになるという事態は起こりうる。中小出版社には、書店さんからの返品を恐れて、なかなか思いきった重刷をすることができないという事情もある。『ベビーサイン』の時は、かなりがんばって1万部から1万5000部ずつの重刷もした(一か月間に6回も重刷した)のだが、それでも書店さんからの注文には追いつかず、減数出荷や本を指定日に出荷できないなどの事態を招いてしまった。
せめて、最低限やるべきこととして、最新の在庫情報を正しく伝えるように努めなければならないことを改めて思う。

「ウェブサイトに在庫情報を明示しているオンライン書店にとっては最新の在庫情報を把握することは必須、だから版元が集まって情報を管理している版元ドットコムには期待しています」と尾園さんは最後におっしゃってくださった。感謝。
(来週、会員集会のリポートを青弓社の岡部さんが書いてくださいます。お楽しみに!)

—— 話は変わるが、新雑誌「バッカス」(論創社・季刊)が先ごろ刊行された。“パフォーミング・アーツ・マガジン”と銘打ちつつ、「コンテンポラリーダンス」を多角的に取りあげる数少ない媒体のひとつになっている。ダンスといってもいろいろあるが、バレエ、モダンダンス、ヒップホップ、ジャズ等々のどれにも属さないコンテンポラリーダンス、かなり面白いですよ。(径書房でも近々、コンテンポラリーダンスの本を刊行しますので、どうぞよろしくお願いします。)


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