日台文化交流フォーラムのこと

2003-11-26 水曜日

草風館 内川千裕 :http://www.sofukan.co.jp/

日台文化交流フォーラムが11月9日に東京で開かれた。6月開催予定が例のSARSで延期になっていたものである。
このフォーラムでは台湾の作家たちとの交流がその課題であったが、漢族作家だけでなく、台湾原住民作家のふたりが招待されていることは特筆に価する。「台湾原住民が作家として日本で初めて主賓に坐って発言したという意義は重いと思う」(柳本通彦氏評)。
草風館では『台湾原住民文学選』全5巻をただいま刊行中、3巻まで出した。上のふたりは、第2巻のシャマン・ラポガン、第3巻のワリス・ノカンである。おかしなことだが、おふたりが会うのは今回日本で初めだということ、シャマンは蘭嶼島(タオ族)、ワリスは台中県の山中(タイヤル族)、いわば海の民と山の民のふたりの出会いである。このふたりに共通しているのは文学活動だけでなく、いわば文化工作者として活躍していることだ。ワリスは山の中で教育を通じて反同化、伝統文化の復興に、シャマンは日常的には漁業に従事、ちなみに第2巻に収録されている彼の長編「黒い胸びれ」は魅力的な海洋文学である。また蘭嶼は台湾の六ヶ所村、つまり核廃棄物集積所なのだ。シャマンがその対策に奔走もせざるをえないのもむべなるかな。またこれは世界中の先住民族に共通の運命だが、かれらは生まれ故郷では食べられず、都市に出、そこで挫折して、というより伝統を捨てさせられ、差別の中で生き延びていけないずに、故郷に帰るという、通過儀礼のようなお決まりのコースをたどって目覚めていったのだ。来日中はこのおふたりはまったく兄弟のようにぴったり行動を共にし、またよく飲んだ。そんなに飲んだら肝臓がいかれるぞ、というのも、日本のアイヌ民族にされる忠告と同じではないか。
いま台湾では原住民族(これは自称)の復興運動が盛んである。芸能界、スポーツ界では昔から彼らの活躍はよく知られていたが、自己の内面を見つめていく文学の世界でもこれから華を咲かせていくにちがいない。下記の文章はこの文学選第4巻の編訳を担当している台湾在住の柳本氏のエッセイである。転載を許可されたので、ご紹介する。もとは写真が貼り付けてあった。

ASIAPRESS TOP PAGE<フォト・エッセイ>2003年11月10日
ムササビ学校 (台湾)
文・写真 柳本通彦
台湾のパイワンという小さな民族である。
サキヌ、42歳。小さい頃は、日本語で「リクツ」とよばれていた。あれこれ理屈をきいて反抗したせいだという。高校卒業と同時に山を下りたリクツは、カネがないので無償の警察学校に進み、台北でケーカンになった。そして、ある晩、ひょんなことから、鉛筆を握った。
幼い頃、父に連れられて、山を巡り、ムササビ、サル、イノシシを追った記憶が切なく甦った。それが思いがけず本になった。そして文学賞を受賞し、ベストセラーになった。さらに、かれは、CDも出し、童話も書いた、いつのまにか、作家と呼ばれるようになった。
父は、猟師だ。山を舞台に繰り返される生命の営みを知るうちに、獲物を人間と同じ存在ととらえるようになった。息子に、ムササビには学校がある、イノシシはおれたち猟師のファイルを持っていると教えた。息子の本が出てから、彼は、「台湾最後の猟師」と呼ばれるようになり、二人は台湾でもっとも有名な原住民の父子となった。
人口40万の台湾原住民族のなかから、ものを書き始める人たちが、ここ十年間に、どっと輩出した。その多くが母や父のことを書いた。40代前後、子どもが小・中学校に上がる世代である。時代の狭間で、民族の言葉すらほとんど話せないわが子の成長を見て、原住民の匂いをまだ濃厚に発している両親のことを書き記すことで、失われゆく民族の魂を残そうとした。
どうしても書き留めずにおれなかった、彼らの作品群が来年早々にまとめて邦訳され出版される(『台湾原住民文学選』第4巻・草風館刊)。そこから、日本人、中国人と、百年にわたって異民族に支配され続けた、小さな民族の哀切なる逞しさが迫ってくる。


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おれおれ詐欺

2003-11-19 水曜日

彩流社 春日俊一 :http://www.sairyuusha.co.jp/

最近巷で「おれおれ詐欺」なる新手の詐欺が横行している。
テレビや新聞で取り上げられたりすることも多い。
まさか自分の身内にその悪の手が及ぶとは思ってもいなかった私は、その日、日販に見本出しを終え、コンビニで買った昼飯のスパゲティ・ナポリタンを一人寂しく食し、その後にやってきた眠気と戦いながら、ボーっと昼休みのひと時を過ごしていた。
そんな時に突然悲劇は訪れたのである。
私の携帯電話の「Xファイル・着メロ」が鳴り響き、昼下がりの気だるいひと時から目覚めた私は液晶画面に写る「姉」という発信者の文字を見た。
「うーん・・こんな時間に姉貴から電話とは、いったいなんの話かな・・」
電話に出ると、聴こえてくる第一声は姉ではなく姉の旦那の義兄からだった。
「大丈夫?俊ちゃんが事故にあったって、今お父さんから電話があったけど・・」
“俊ちゃん”とは私のことであるが、始めは義兄の言ってることがよく理解できずにいた。
「なんかお金がいるから、すぐに58万振り込んでくれっておばあちゃんに電話があったって・・」
と義兄。
私は無傷で、こうして眠気と戦っている・・
「事故!?・・・僕がですか?」
「そう」
「いや・・・事故なんてあってないですよ。今は仕事で神保町にいますけど・・・」
「え・・」
「事故にあってないの? 今お金を振り込みに、おばあちゃんが銀行に向かったらしいけど・・」
「それって・・ 詐欺!」
義兄は「分かった!なんかおかしいと思ったんだけど、すぐにお父さんに電話する!」
と義兄は電話を切った。
どうしようかと、思案し始めた私の携帯電話がまた鳴った。
義兄は父に、さっきの電話はどうやら詐欺らしいと伝えたとのこと。
それを聞いた父は、銀行に向かった祖母を止めに家を飛び出したらしい。
果たして間に合うだろうか・・
父も祖母も携帯電話を持っていないので連絡の取りようがない。
先に銀行に電話して銀行員に祖母を止めてもらおうかと思い、祖母が預金を預けていると思われる銀行の電話番号を104で聞いた直後、また携帯電話が鳴った。義兄からである。
「お父さん間に合ったらしいよ!なんとか振り込む寸前で追いついたらしい」
なんとか間に合ったらしい、58万という大金は無事だった。
ホッとした私は義兄に何度も礼を言って電話を切った。

祖母はもう86歳という高齢である。電話をかけてきた詐欺野郎は「俺だけど今事故に遭って、すぐにお金がいるんだよ、今から言う口座に58万振り込んでくれよ・・」と、今にも死にそうな声を出して祖母を見事に騙したらしい。声が私に似ていたのと、かわいい孫が事故に遭ったという報せに気が動転してしまった祖母は疑うこともなく、その詐欺野郎を私だと信じてしまったらしい・・
祖母が驚いて、私のことだけを思って一目散に銀行に向かった姿を思い浮かべるとそんな卑劣ことをする詐欺野郎に、ますます怒りがこみあげてきた。

私の声を真似ていたということは、私の知り合いだろうか・・・
私は想像したくないが、何人か思い当たる怪しい人達の顔を思う浮かべた。

すぐに警察に通報したが、相手の口座から犯人を割り出すのは難しいかもしれない。
向こうも当然そんなことは想定して犯行に及んでいるはずだから。
まあとにかく実害を被らずに済んでよかったが、なんかやり場のない怒りを私は何処に向けたらいいものか・・

詐欺師君!どうせ騙すならもっと違う世界の人間にしてくれよ!
働かなくても金が入ってくる資産家とか、もっと金持ちをターゲットにしてくれ!
庶民にとっては、こんな時代、金を盗られるのも、年老いた祖母に心配かけるのも、辛すぎるぜ!


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死亡届

2003-11-12 水曜日

語研 高島利行 :http://www.goken-net.co.jp/

出版業界で言うところの「品切」にはかなり色々種類があるようですが、弊社では通常「品切重版未定」つまり在庫がなくなってしまった上に増刷(再生産)の予定は全くない、という状態のことを「品切」と呼んでいます。つい最近、こういう状態になったものがあったのでその処理を行いました。と言ってもいっぺんに作業を行うのではなく、随分時間をかけてじわじわと作業を進めています(その理由は後ほど触れます)。下記のような手順です。

  1. 新刊や増刷の際に挟み込む「出版案内」から書名を除きます(出版案内はすぐ古くなってしまいますが、あまりに古い情報になってしまうのを避けるためにそうします)。
  2. 次に、営業の使う一覧注文書に在庫僅少の印をつけます(営業が自分の判断で受注を調整するためです)。

    と、上記の手順までが完全に品切になる前、つまり「在庫僅少」状態での作業です。次からの作業は完全に品切になった状態で一気に行います。

  3. Webページの注文ボタンを外して注文できなくしてしまい、表紙画像に「品切」という文字を乗せます。
  4. Webページの品切一覧に加えます。また、全点一覧では「品切」と明記します。
  5. 版元ドットコムに登録してある書誌情報のデータ区分を「2=絶版(実際は絶版ではないんですがそれ以外に対応する区分がないためそうしています)」に、在庫ステータスを「33=品切れ・重版未定」に変更し、書協・トーハン・日販・大阪屋・bk1に送信します。

以上のような手順で一通り作業は終了です。ちなみに5の手順を経ることによってamazon.co.jpを始めほとんどのオンライン書店にも品切情報は行き渡ります。また、取次の書誌情報やPOS端末を使っている書店にも情報が行き届いたことになります。これがやりたいんで版元ドットコムに参加したんですが、思っていた以上に便利で重宝しています。

さて、1・2の手順と3・4・5の手順の間に時間を置く理由ですが、5の手順はいわば本の「死亡届」を提出しているのと等しい行為です。5の手順を経てしまうと、途端に全く注文が来なくなってしまいますが、悲しいことに返品だけはダラダラと返り続けてきます。つまり、5の手順を行う前に市中(店頭)在庫をなるべく枯らしておかないといけないのです。そのため、徐々に受注を絞り、最終的に「品切」とした以降にはなるべく返品が返ってこないように仕向けているわけです。

というような地味な作業を行なっているわけですが、本来こういった在庫(品切)情報は出版VANといった業界のネットワークを経由して行なわれています。ですが、出版VAN導入にはある程度の初期投資が必要なため、弊社では参加していません。が、ここへ来て初期投資の不要な形態、つまりインターネット経由でのWebEDI(いわゆる新出版ネットワーク)が現実のものとなったため、弊社でも導入の予定です(今、申し込みの書類を書いているところです)。

とはいうものの、取次や書店と在庫情報が共有できたところで、読者に対しての告知を行わなくて良い、ということにはなりません。弊社ではWebで品切一覧を掲載するようになってお問い合わせが激減しました。

電話に関して言うと、版元ドットコム経由で取次にも品切情報を流しているため、品切のものに対する書店さんからのお問い合わせも激減しました。小さい会社なので電話が減るととても助かります。弊社で電話が減っているということは書店さんから見ると品切を確認するためだけに版元に電話するお金と時間が減っているわけです。小さいことかもしれませんが品切情報を公開することによって書店さんの手間軽減に少しは貢献できているのかもしれません。

というように、品切、と一言で言ってもそれに付随する作業は色々ありますが、新刊の時、つまり本が生まれる時には随分手間をかけるわけで、それを考えると本が死ぬ時にかける手間はまだまだ足りないのかもしれません。

◆◆◆

上記のような品切に関する問題をはじめとした書誌及び在庫情報の問題に業界として取り組むべく、出版インフラセンターでは「在庫情報整備研究委員会」というのを立ち上げ、関係者が集まって解決策と今後に向けた具体的な提案を考えています。版元ドットコム幹事社のポット出版・沢辺さんと私(語研の高島)も委員として参加しています。ご意見などある方は是非是非お寄せ下さい。業界外の方からのご意見も大歓迎です。

◆◆◆

弊社の宣伝も少し。
10月15日から開始した「音声教材無料配信」(顛末についてはポット出版のWebサイトに書いたこちらをご覧下さい)ですが、ようやく注文も上がり始め、ホッとしております。次は11月15日から「英会話50の公式」「初めての英語プレゼンテーション」「初めての英語ネゴシエーション」「基本から学ぶフランス語」の4点の音声無料配信を開始します。ご期待下さい。詳細は弊社ホームページをご覧下さい。http://www.goken-net.co.jp/

◆◆◆

宣伝をもう一つ。
11月20日(木)、大阪にて恒例の「大阪しゃぶ会」が開催されます。書店と取次と版元の三者が一同に会してお互いの意見を交換しようという会です。今年は新文化の連載などでもおなじみの遊友出版の斎藤さんを講師に迎えての講演会もあります。業界関係者の皆様の参加をお待ちしております。詳細はこちらの Webページをご覧下さい。
http://www.goken-net.co.jp/sbk/top.htm


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得難い、外国の著者との出会い

2003-11-5 水曜日

現代企画室 太田昌国 :http://www.shohyo.co.jp/gendai/index.html

 通信機器が発達し、郵便局まで行かなくても集荷してくれる宅急便が当たり前の運送手段になって以来、これではいけないと思いつつも、著者・翻訳者とのやりとりが間接的なものになった。書く立場からいっても、担当の編集者とは顔を合わせているほうが、ずっと仕事がやりやすいことはわかっている。でも人手不足も手伝って外出もままならない事情もあり、誰と限らず現代に生きる私たちは全般的に忙しなく生きているせいか、人に会わずに用事を済ましてしまう傾向に歯止めはかかりそうにない。

 そんななか、翻訳を出版している外国の著者や関係者の来日が続き、思いかけず、国内の著者とも十分には出来ないでいる付き合いができて、やはり、或る満足感をおぼえている。8月に刊行した『アフター・ザ・ダンスーーハイチ、カーニヴァルへの旅』の著者エドウィージ・ダンティカが刊行直後に来日した。1969年、カリブ海のハイチに生まれた。12歳のときに両親が先に行っていた米国に移住した。以来そこに住み続けて、いまに至る。若くして書いた小説が注目され、日本でもすでに『息吹、まなざし、記憶』(DHC刊)と『クリック? クラック!』(五月書房刊)が刊行されており、『アフター・ザ・ダンス』は3冊目の日本語訳となる。幼い日々より祖母や母たちから聞いたハイチの物語世界をベースに、現代を生きるハイチの人びとを描く。関心のある方は、実際の作品に接してほしいので、作品についての説明・解釈は省く。彼女を迎えて、一夕、「ハイチ文化を楽しむ夕べ」を開いた。50人の会場にちょうど50人が集まった。来年は「1804年ハイチ独立革命」から200周年。私たちはハイチという国をほとんど知らないが、この独立革命がもつ世界史的な意義を、私が簡潔に説明した。
 その後、ラテン・ミュージックのDJとして名高いPAPA-Q氏を水先案内人に、「ハイチ多面体音楽逍遥」と題して、11曲ほどのハイチ音楽を聴く時間をもった。
出席したハイチ人に、これほどハイチ音楽の全貌を聴く機会は、ハイチでもないと言わせるほど、充実した時間だった。東京近郊に住むハイチ人はみんな来たのではないか、と大使館の人が言っていたが、会場には7人ほどのハイチ人が来ており、彼女(彼)たちは途中から音楽に合わせて踊り始め、会場の雰囲気は一気に盛り上がった。
 最後にダンティカさんが話した。カーニヴァルに付き物の仮面の話、ダンスの後に残る気持ち、書くことの意味ーーどれもこれも興味深い話だった。いずれまとめて、現代企画室のHPにアップするつもりだ。二次会への参加者も多く、彼女を囲んで、さまざまな会話が弾んだ。私たちもそうだったが、帰国した彼女から「とても楽しい集まりだった」とのメールが届いたことにほっとした。

 10月末には、メキシコ・チアパス州から6人ものカトリック関係者が来日した。
私たちはすでにサパティスタ民族解放軍著『もう、たくさんだ!』や『マルコス ここは世界の片隅なのか』などを出版しており、さらに進行中の仕事があるが、チアパスで続くサパティスタのたたかいは、反グローバリズムの運動のなかで世界的な注目を浴びてきた。カトリック関係者のなかには、サパティスタと政府の和平・対話の仲介役として重要な役割を果たしてきた人びとがいる。来日の目的は、ある仏教教団が主催した宗教者平和シンポジウムに出席するためだったが、その仕事を終えた夜の時間を私たちのために空けてくれた。そこで「メキシコ・チアパスの声を聴く」という催し物を開いた。会場は、都心のカトリック教会内部のホール。外からは何度も見かけていても、内部には入ったことのなかった私のような人間には、建物のたたずまいそれ自体が興味深い。
 6人(女性2人、男性4人)から聞くチアパスの現況は、それぞれに個性的な説明で面白かった。この内容もHPにアップするなり、小冊子にまとめる作業を早速始めている。いろいろと話し合った成果は、いま進行中の出版物企画にも生かすことができるだろう。それにしても、来日する度ごとに「憲法9条はどうなった?」と質問する彼らに対して、ますます悲観的な答え方しか出来ない日本の現実が胸にこたえる。

 インドはベンガルの作家、モハッシェタ・デビの新刊『ドラウパディー』は、3年間続けられてきた「日印作家キャラバン」の結果として生まれた企画だ。日本からは、津島佑子、松浦理英子、星野智幸、小熊英二、川村湊、中沢けい、島田雅彦の諸氏が参加してきた。この交流のなかで、日本の作家たちが最も注目した作家のひとりが、モハッシェタ・デビさんだ。「めこん」からはすでに1992年に『ジャグモーハンの死』が出版されている。ある時「めこん」の桑原さんに、モハッシェタ・デビの本を今度出すよ、と言ったら、「売れないよ」と即座に答えたのが印象的だった。それでも、とにかく、出した。昨年からノーベル文学賞候補にノミネートされているという情報もあったので、一応刊行は今年の受賞者発表までギリギリ待った。結果はご存知のとおり。でも、彼女の作品には、力が漲っている。その力で読者を広げてほしいものだ。
 日印作家キャラバンは、来る11月中旬、山形と東京で開かれるシンポジウムで一応の区切りとなる。インドから5人の作家が来日する。デビさんは高齢なので(1926年生まれ)来日しないが、5人はそれぞれベンガル語、ヒンディー語、英語の作家として、現代インド文学の担い手として活躍している人だという。その人たちとの出会いも楽しみだ。

 こうして、外国の著者・関係者との出会いが次々とあって、今年の夏は過ぎ、秋は深まってゆく。国内の著者・関係者との「出会い」も大事にしなければ、との思いも、あらためて深まる。


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