読書とは何か
2003-10-1 水曜日
ときどき新聞等で「読書調査」なるものをやっている。読書は好きか、月に平均何冊読むか、どんなジャンルの本を読むか、読書で感動したこと等を、年齢別、男女別に分析し、前回までの調査結果と比較しながら、総括的に結論付けられるケースが多い。大抵は最後に書籍読者の減少を問題視するコメントが載っている。
私はいつもこの調査と読書に纏わる記事に多くの疑問を感じる。確かに書籍読者の減少は、出版業界全体の責任も一部にあって、われわれも十分反省しなければならない。しかしながら、記事内容はどちらかというと「数の減少」そのものを問題視していることが多く、暗々裏に「読書数のグラフは右肩上がりになるべき」「読書は良い」という前提で語られている感がある。ひどい時には、カリキュラムに読書が組み込まれている学校を紹介し、それを肯定していることもある。
版元の人間がいうのもなんだが、書籍読者の減少が即、問題なのではない。この与件で最も問題にすべきなのは、むしろ読書という行為そのものにほかならない。
例えば私は本を最終ページから1ページの間でランダムにページを開き、上下左右にとばし読みし、ページ上で意味をモンタージュしたり、まるで絵画を観るかのように文章を眺めたり、逆に1字をずっと凝視したり、一時的に全く本を開かなかったり、逆に著しく本を読む時があるが、仮に私が読書調査をされた場合、どう答えてよいのだろうか(もっともこんな変な私に読書調査をすることは、まずないと思うが・・・)。私は稀なケースなので黙殺しても問題がないのであろうか。
本来、本との関わり方はもっと自由であるべきである。必ずしも、最初から読む必要もない。本を読まなくても良い。感動しなくてもよい。本が嫌いでもよい。最も大切なのは、本との誠実な関係を築くことにある。
読書とは何か。その行為自体を問うことなしに、統計的に行われている読書調査は全く意味をなさない。
——9月新刊——
『命を生きる! 藤沢周平の世界』上・下巻
北影雄幸 著
本体1600円・四六判・並製
普通の人がふつうに、しかし優しさと思いやりをもって今日という日を生きる——その哀歓を描くことこそ、自ら「人生の底を見た」という過酷な人生を歩んだ藤沢の究極の文学世界であった。名作『たそがれ清兵衛』や『蝉しぐれ』を始め、ひたむきに生きる人々の哀歓が描かれた数々の作品を詳解。純愛、人情、家族、師弟等、テーマごとに検証し、読みどころも収録。その魅力を余すところなく伝える。
