ごく私的な最近の出来事

2003-4-30 水曜日

同時代社 高井隆 :http://www.doujidaisya.co.jp/

 米軍がイラクに侵攻しバグダッドが混乱のさなか、私の子どもが生まれた。体重2860グラムの元気な男の子であった。03年4月5日の朝。私の誕生日が12月3日。私はイチ、ニ、サンッで生まれ、息子はサン、シ、ゴッと生まれたわけだ。
 もちろん、いつ果てるか分からぬ零細出版社に勤めている身を思えば、将来にはかなり不安があり、あまりにも小さい手を見て感動しつつ、ようし何が何でもがんばるぞっとか、生来があまりがんばることをしなかったナマケモノの私も決意をしたり。風呂で私の背中を流す時「父ちゃんの背中はでかいな」なんて言ったりするのかな、とかキャッチボールはいつになったらできるだろうかとか、そんなことばかり夢想してしまう。
 しかし、イラクを見てみる。アメリカの精密爆弾によって大勢の市民が犠牲になった。たぶん、かの地でも私の子どもと同じ時に産声を上げた命はいるはずである。そして私と同じように子どもに希望を見いだし、決意を胸にした親もいるのだろう。そんな願いのうえにミサイルは落ちてきたのだろうか。
 私は「どんな戦争も悪である」と信じてきた。だが今、国益のためならば戦争も支持する。やられる前に相手をやっつける、という風潮が公然と語られ、世を覆っている。劣化ウラン弾によって死を待つしかない子どもたち、腕や光を失った子どもたち。これが許されるのか?
 世界中の何千何万という反戦の声があったって、戦争はおこる。改めて自分自身の精神を鍛えて臭い風潮に対抗できる、いやせめて我が子に伝える言葉をもたなくては。


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台湾原住民の文学

2003-4-23 水曜日

草風館 内川千裕 :http://www.sofukan.co.jp/

 台湾島に生きる原住民族の詩と真実! 日本植民地時代には高砂族として一括され、多くの若者が義勇軍として南方戦線に送られ、多数の生命が失われた。原住民のひとり元日本軍兵士中村輝夫ことスニヨンがモロタイ島で発見されたのは1974年のことだ。いまは彼らは、「原住民族」を自称して、公認されている。
 台湾原住民族11族の世界には、未知の「山と海」が広がっている。パイワン族のモーナノン、ブヌン族のトパス、タイヤル族のワリス、タオ族のシャマンラポガン、パイワン族の女性作家アウー……このたび草風館で企画した「台湾原住民文学選」(全5巻)に収録したのはすべて、漢族以外の原住民作家たちである。この十数人の作家たちは人口40万に満たない11族のなかからあらわれた新たな表現者たちである。さらに伝統ある口承文芸の世界が拡がる。この無謀な企画は早すぎたかもしれないが、いずれマイノリティの世界がやってくるだろう。
 宣伝めくが、野田正彰さんが適切な文章を書いてくださったので紹介する。
◎「台湾原住民文学選」の第1巻、『名前を返せ』を標題とした詩人モーナノンと作家トパス・タナピマ集が草風館より出版された。現代台湾の、しかも人口2%の原住民から出た詩人や作家の作品集を日本語で読むことができる。これは奇跡である。
 編訳者の下村作次郎教授(天理大学)と出版社・草風館の熱い想いなしには、私たちはこの本を開くことはできなかつた。日本植民地時代から現代に至る台湾文学への研究者群が形成されていなけれぱ、作家のほぼ全作品を集めた選集は出版されていなかったであろう。また、1980年代からの台湾民主化がなければ、これらの作家は育っておらず、作品の出版は難しく、出版されても読まれることはほとんどなかったでろう。
 50年にわたる日本の支配、次に大陸からやってきた国民党系の中国人。台湾山地は勝手に変わる支配民族の政策によって、虫食まれてきた。戦争時、日本政府によって男は高砂義勇隊として熱帯の戦場に送られ、女性は従軍慰安婦─原住民女性が多い─として連れ去られた。同じように戦後も、貧しい山地の女性は娼婦として都市へ流れていった。
 パイワン族のモーナノンは、中国軍人に除隊の退職金で買われていった少女をうたう。「帰っておいでよ、サウミ」と、山の兄は呼びかげる。
 「帰っておいでよ、サウミ/僕ら一緒に豊作の喜びの歌をうたおう/帰っておいでよ、サウミ/僕が緑に輝く芋の葉を摘んであげる/キラキラ光る露が贈り物/僕が甘い粟洒を作ってあげる/伝統の兄弟杯でお前と飲み明かそう/サウミよ、サウミ/兄は弓と火種を持って/不滅の愛と希望を胸に/山また山と/一度また一度とお前の名前を口ずさむ/帰っておいでよ、帰っておいで/粟と芋がいっぱいある僕らの家に帰っておいで」
 峻険な山々、焼畑の紫煙、蛮刀をさす山男、ビンロウ、月などが次々と浮かんでくる。ここにも近代の衝撃、日本や大陸からの侵略に耐えて生きるアジアの少数民族の文化がある。◎信濃毎日新聞夕刊コラム「今日の視覚」2003年2月7日付


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最近の仕事で思ったことなど

2003-4-16 水曜日

彩流社 玉崎英一 :http://www.sairyuusha.co.jp/

 出版業界に入って2年半、彩流社に入って1年弱となっても未だ出版業務としてはガキの使い程度ぐらいで、特に前職の営業経験も役に立たず(というか「その役立った結果」なのか)これといった仕事も出来ていないという感じなのだが、最近この仕事で思ったことなどから・・・・・。

 このあいだ某神奈川近辺の書店にお伺いしたら、人文担当がレジ内でなかなか忙しそうで話が出来ないでいて長く待ったあげく、人文の新刊全て却下となってしまい返ってきたセリフが「バカな本しか売れないんで」だったのでつい「じゃ「オバカなポルトガル史」って・・・こうマジックで「オバカな」ってぼく書くから!!(・・・これで20冊平積みでしょう・・・)」と叫んだら、飽きれて本当に疲れたという感じで「疲れている人が多いんで」・・・・と来たのですかさず「じゃ「癒しのポルトガル史」!!」と切り替えしたら「それ、いいねぇー」といって頂き、「注文くれるね、これは」と期待したのだが結局「全敗」で、疲れて帰途についたのだった。

 「実質(実売)」がないと「配本であったらで、いいです」と言われてしまうため、人文書を売る(あるいは置くだけ?)ためにはと考えると、自社の本をほとんど読んでない私に、「考えるも何もないだろう!読め!」と叱られそうだが、ついつい「過程」をすっとばして「結果」(判断⇒実践)ばかり追ってしまうという品のない本の読み方ばかりしてきたので、あっちかじり、こっちかじりでどっちつかずという「判断不能」という「結果」になってしまい、「その本の内部」に入り込んで「その本そのもの」となって「その本の可能性」をさらに拡張する(そんなことできたらライターにもなれるだろうが)ということができないと、「その本」についてのいい提案も出来ないなぁと反省することしきりではあったが。

 しかし、これだけ「本(人文書)」が売れないのも、「本では世界(自身の生活?)は変わらない」というのが常態化しているから?でもあるが、「世界(自身)が揺るがされる」のは一見、危険だが、うまくサバイバルすれば「自-身」の「自」は残滅しても「身」の方は残って、さらに別の「自(世界)」の可能性が在り得るので、なんとか「本(人文書)爆弾」で「世界を揺るがせる」ような「実売(倫理)」があげれれば・・・・・と妄想するものの(テロ万歳・ブッシュ万歳の原理主義者そのものかもしれないが)、「実売」があがるのは「世界が揺るがないもの(それも別に悪くないが)」が多数なので、提案も難しい。

 また、そもそも、吹けば飛ぶような「営業」などに「提案」されて「フェア」やら、「口コミ」あるいは、「他業界」まで巻き込むブームなどと話題が拡がっていくということも有り得なく、もっと覚悟を決めて基礎力をつけることが重要課題とダメ営業マンは思うのだった。


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バルバロイ

2003-4-9 水曜日

語研 高島利行 :http://www.goken-net.co.jp/

フランス人の33パーセントが「米英の敗戦を期待」しているという調査があるそうだ。連日放送されている戦争の映像はイラクの一方的な負け戦でしかない。まさに連戦連敗。ある種の「判官びいき」的な気持ちが芽生えてきてもおかしくない。

その負け戦の映像はCNNやアルジャジーラが「LIVE」で放映している。世界貿易センターの崩壊が生放送されたように、自爆テロが生放送される日もそう遠くは無い気さえする。

米英もイラクも世界中を巻き込むために映像を流し続ける。一方の当事者の言葉である英語で、そしてアラビア語で。

語学専門の版元で働いていてこんな事を言うのは非常に恥ずかしいが、はっきり言って英語は苦手だ。それでも、ブッシュがプロパガンダとして発言しているこんなセリフは(ゆっくり喋っているせいで)、はっきりと聴き取れた。

Day by day, we are moving closer to Bagdad. Day by day, we are moving closer to victory.

しかし、アルジャジーラが生放送しているイラクの街中の人々の怒りや嘆きの言葉、アラビア語は、まったく一言も分からない。

グローバリズム、という言葉と重なる部分もあると思うが、国境を越えた言葉のやり取りは確実に増えている。望むと望まないとに関わらず、私達は英語で情報が受信・発信される世界に暮らしている。大国のやり方に異議を唱えるにも英語が前提となる世界。

「バルバロイ」という言葉がある。古代ギリシャで異民族に対する蔑称として用いられた言葉だ。語源は「わけの分からない言葉を喋る人々」という意味らしい。

嫌な言葉だ。


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アメリカという国

2003-4-2 水曜日

現代企画室 太田昌国 :http://www.shohyo.co.jp/gendai/index.html

 私は、戦後史の年月がほぼ自分の年齢に重なる世代だが、北海道の片田舎に生まれ育ったし、あまりに幼かったから、占領軍の米兵たちに出会ったり、チョコレートやチューイングガムをもらった記憶は残っていない。小学校に入ったころから、ターザン映画や西部劇の洗礼をたっぷりと受けて、面白がって、観た。アメリカという国と出会ったというより、面白い映画を観ていた、というだけのことだったろう。

 やがて、各地の米軍基地反対闘争を遠くから眺めていたが、高校時代に第一次安保闘争に出会い、「反米」感情をもった。大学に入って、「反米」意識の民族主義的偏向に気づき、帝国主義批判として、この問題を考えるようになった。ちょうど、黒人の公民権運動や先住インディアンの権利回復闘争が、暴動・占拠という極限的な形態でも展開されていた1960年代で、それまで知らず知らずのうちにも身につけていた白人中心史観を抜け出すに当たっては、この客観情勢の援助があった。

 黒人やインディアンや少数者の歴史・文学・音楽・映画などを通して、この超大国の欺瞞的な歩みを見つめておこうーーかなり長いこと、そう思い定めてきた。
でも、いつの頃からか、アメリカに住み、この国の大勢とは違う考えをもって生きている白人少数派のことが気になり始めた。アジア太平洋戦争への反省から、(憲法の定めとは裏腹に、自衛隊が強力な軍隊となって以降も)海外派兵だけはしないとしてきた社会的な世論が決壊し、国連の平和維持活動への参加が具体化したカンボジア派兵の時点であった。ここまできたら、戦争への加担は際限がなくなるだろうーー私はそう考え、20世紀は言うにおよばず、19世紀半ばから戦争に次ぐ戦争を重ねて富を蓄積してきたアメリカで、そういう国のあり方とは違う方向を求めている人びとの考えと生き方が、にわかに切実に迫ってきたのだ。

 その頃ちょうど、ベトナム反戦運動の時期に日本でも政治・社会評論が紹介された言語学者、ノーム・チョムスキーの、最近の政治評論を翻訳したいという人が現われた。ソ連の崩壊を見届けた戦後史の大転換期に、第二次世界大戦後のアメリカの対第三世界政策に厳しい批判的検討を加えた本である。喜んで出版した。
『アメリカが本当に望んでいること』。1994年のことである。初版3000部だった。

 定価は1300円と安い本だが、売れなかった。2001年9月までの7年間に1700部くらいしか売れなかった。一年に一度原著出版社に行なう売上げ報告に対して、先方は「残念ですね(What a pity!)」と書いてよこしていた。

 「9・11」の直後から急に売れ始めた。一年半のうちに4刷りまできた。以前から計画していて、2002年春に出版したチョムスキー本『アメリカの「人道的」軍事主義』もすぐ2刷りになった。「テロ」に見舞われたからといって、世界の最貧地域に報復戦争と称して爆弾の雨を降らせる「論理」がどこから生まれるものか、人びとは知りたかったのだろう。内部からの強烈な「大国主義」批判者、チョムスキーの言論は、いろいろな示唆を与えてくれる、ひとは、そう感じたのだ。他の出版社も大急ぎでチョムスキーの本を出版するようになった。いまや書店店頭には、何冊ものチョムスキー本が並んでいる。

 イラクに対する攻撃を米英軍が中心になって始めた。アメリカの政権中枢には、1960年代とちがって、大統領補佐官ライスや、国務長官パウエルなどのように、黒人やジャマイカ移民出身の人間も入っている。黒人やインディアンや民族的少数者への、ヘンな「思い入れ」が可能な時代ではない。日本の首相も、真っ先に攻撃を支持すると言明した。はるかに小型だが、この国はますますアメリカに似
てきた。

 自分の社会が、戦争や大国主義的ふるまいで世界中を掻き乱すことに堪えられない人間は、マイケル・ムーア言うところの「アホで、マヌケな、アメリカ白人」ではないアメリカ人と出会うことががますます重要な時代になった。チョムスキーは、まだしばらくのあいだ、読まれるだろう。

 それにしても、戦争や他人の不幸があってはじめて売れ始める本というのは、つくり手にとって、居心地のよいものではない。


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