本づくりは建築現場のように

2003-12-24 水曜日

径書房 大庭雄策 :http://www.komichi.co.jp/

 年末です。師走もどんどん過ぎていきます。
 今年は初めて、絵本の編集をしました。『ひとり暮らしののぞみさん』という大人の絵本。いろいろなところでご紹介いただいています。で、編集にあたって、新しい経験がどっさり。文字だけの一色モノにはない数々の工程を知ることになりました。「制作現場に立ちあう」といったことも、そのうちのひとつです。
 印刷所では、カバーと本文の印刷をチェック。オフセット4色機(デカっ)から刷り上がってくる試し刷りが校正刷り(本機印刷の見本にするもの)にどんどん近づいていくときの安心感を味わいました。ベテランのオペレーターの方に面と向かって「この部分、濃度が足りないです」なんて言うときには、えもいわれぬ罪悪感が……。(色のプロを前にして、そんなことを言う資格がオレにあるのか? というような。いやいや、この本の責任者はオレだぞっ。)
 図像を裁ち落とす絵本なので、正確に裁ち落とされるかをみるために製本所にも行きました。ラインに並んで、徐々に本が組み立てられていく様をみましたが、これは意外とアナログかも(職人を必要とする感じがする)。機械からポンッと出てきた「第1号」を手にとると、お、熱い。折丁の背を綴じるための接着剤が熱いのでした(糊を熱で溶かしてから付けるので。ちなみにこれを「アジロ綴じ」と言う)。社長さんいわく「昔は編集者もよくここに来て作業を手伝ったもんだ。今は立ちあいにもなかなか来ないね。コストダウンしろとかそんな話しばかりで現場に来ない」。そうか……昔の編集者はエラいなあ。

 今日も、近刊『近代哲学再考』(竹田青嗣=著)のカバー色校のチェックで印刷屋に行ってきたところです。すでに製版からやり直して再校をとったのですが、納得のいく色にはまだ遠い。そこで、装訂家も一緒にスキャニングから立ちあうことに。オペレーターの方と相談しつつ、プルーフ(校正刷りの一歩手前の簡易校正)をいっぱい出していく。あれ?表面になんか傷みたいなものが! いつの間にかポジ写真にスクラッチができていたのです。ガーン……。でもオペレーターの小倉さんが透かさず「データ上で修正できますよ」。ああ、良かった。色具合も、うーん、もうちょい、かな。

 本をつくる工程には「建築現場のような面白さがあった」と『ひとり暮らしの のぞみさん』の作者である蜂飼さんは言っていました。たしかに、本づくりの作業工程は「立体的」だと感じるこのごろです。


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ゲリラか夜盗か

2003-12-17 水曜日

凱風社 新田準 :http://www.gaifu.co.jp/

 2001年5月の本欄にこんなことを書いた。
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——略—— 新聞やテレビでは小泉純一郎・新総理の誕生や、教科書問題など、話題に事欠かない。小泉純一郎の言動たるや「フライ級右翼」といった感じでなんとも危なっかしい。
 それでも80パーセント以上もの日本人が小泉政権を支持しているという。
 「自衛隊容認」「靖国神社参拝」「憲法改定」を主張する首相。しかもそれをバックアップする政権党の幹事長は元・防衛庁長官の名うての改憲論者だ。いったいいつの間にこんなことになっちゃたんだろう。
 唯一はっきりしてきたのは、自衛隊が軍隊だという共通認識だ。軍隊は憲法上認められていないから、漸次廃止とするのか、それとも改憲して「普通の国」になるのか——おそらくこの1〜2年で決着がつくのではなかろうか。クラウゼヴィッツの言うように、戦争は政治の一手段にすぎないのだから、「普通の国」は普通に戦争をする。
 20世紀の実例を見ても、戦争は常に「防衛」の名目で始まっている。「侵略」を掲げて戦争する国などない。
 パソコンの前に座っている若者諸君、これでほんとにいいの? 戦争に行くのは君たちだよ。
—————————-

 改憲論者の幹事長は女性スキャンダルにまみれて落選したが、小泉の戦争参加の意志は揺るがない。

 ちょっと考えてみた。かつて伊藤博文がハルビンで安重根に殺されたとき、安はテロリストとして逮捕され死刑に処された。しかし安重根は現在の歴史書では、テロリストではなく愛国的民族主義者だ。また、日本軍が中国を侵略したときにゲリラ戦で抵抗した民衆を、日本は「赤匪」と呼び盗賊・強盗扱いした。そのときに戦闘を指導したのは毛沢東であり、その戦術的根拠を「持久戦論」に書いた。
 米英占領当局に出向していた2人の外交官がイラクで殺されたと、き小泉がまず言ったことは、「夜盗・盗賊のたぐいかもしれない」であり、その後「テロだ」と強調し、「テロに屈するわけにはいかない」と力んでいる。
 そうなんだろうか。どうみても、アメリカはイラクを侵略し、ゲリラ戦に巻き込まれて四苦八苦している。かつての日本の姿がここに重なる。
 今度の派兵決定に際して、小泉は日本国憲法前文を根拠とした。憲法学者の古関さんの表現を借りれば、まさに「奇想天外」なこじつけだ。

 ね、小泉さん、X-JAPANやオペラなんか聞いて司馬遼太郎に感心してる場合じゃないでしょ。もちっと歴史を勉強したほうがいいんじゃないの? 兵士たちは死んじゃうんだよ! 拉致家族が一家四散の憂き目にあっていることだって、あんたの責任なんだよ。どー責任とるのさ。

 パソコンの前に座っている若者諸君、これでほんとにいいの? 戦争に行くのは君たちだよ。


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ある世論調査が教えているもの

2003-12-10 水曜日

同時代社 高井隆 :http://www.doujidaisya.co.jp/

 イラクに自衛隊を派遣しようという。そして、もっともっと「国際貢献」するために憲法改正するべしという声は、今やそれが当然のように政治では議論されています。憲法9条も風前の灯火という感があります。私は今、30代ですが、よもやこんな時代がくるとは思ってもみませんでした。
 では、護憲・改憲のバランスが「いつ」から崩れたのかでしょうか。「9.11」以降ではないかと言う人もいます。そうかな、と漠然と思っていました。
 しかし、ここに偶然目にしたひとつの世論調査があります。1992年と2002年、10年間を対比しています。調査では「あなたは、今の憲法を改正する必要があると思いますか、それとも改正する必要はないと思いますか」と尋ねています。「改正する必要があると思う」が10年前の92年は35%、02年は 58%。一方、「改正する必要はないと思う」は92年は42%、02年は23%に減少しました。この10年間に大逆転があったことを示しています。しかも、その中で注目すべき特徴は、30代が逆転をリードしているという事実です。憲法改正派の折れ線グラフを右肩上がりに押し上げているのは私と同世代の人たちだというのです。高齢層はむしろ逆転にブレーキをかける役割を果たしているという点があります。戦争を知らない世代と知っている世代の差でしょうか。う〜ん。
 いずれにしても、ハサミ状の2本の折れ線グラフは、93年から94年頃に交差し、以降はそれぞれ上方、下方に向けて離れていく一方のように見えます。この10年間に何があったのか。とりわけ私と同世代の人たち、30代から40代に至る人たちが、これまでの「常識」、少なくても私の中にある「常識」が覆るような、どんな出来事があったのでしょうか。
 バブルとその崩壊、冷戦の終結、湾岸戦争、阪神大震災、新しい歴史教科書、等々さまざまな劇的な変化はあって、どれも衝撃を受けたのですが、ただ、街にはモノがあふれていましたし、私自身は、酒、タバコ、ギャンブル(弱いけど)もいっぱしに覚えて、お気楽に過ごした10年でもありました。「なんか先行きがあぶなくなってきたなぁ、大丈夫かなぁ、でも、まだまだお気楽に過ごしたいなぁ」そんなお気楽な脳みそに、戦争がしたくてたまらない改憲派が、そっとすりこんできたのでしょうか。ある世論調査の結果についてそんなことを考えていたら、どこかの都知事がイラクで自衛隊が攻撃されたらという問いに対して「反撃して、殲滅してしまえ!」「日本軍は強いんだ!」と叫ぶのをテレビで見て、その後ろに300万の有権者の支持があるのかと思うとブルッときて背筋が寒くなったと思ったら本当に風邪をひいてしまった31才の誕生日の夜でした。


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某中学校、PTA広報誌事情

2003-12-3 水曜日

千秋社 五十嵐三枝 :http://

 中学校での新学期のPTA役員決め、ご多分にもれず、なかなか決まらない。
 学校からは「お子さんが在籍している3年間のうち、1度は何かの役員を引き受けるよう、ご協力ください。」との言葉・・・・。
 一番負担の少なそうなのをと、引き受けたのが、年に2回、PTA向けの「会報」をつくる「広報委員」・・・・これが曲者だった。
 まず、役員になったばかりの、「新米広報委員」のお母さん数人で、どんな内容の会報にするか話し合い、どのような記事を載せるかを決める。
 記事を集めるために取材したり、先生たちに原稿を依頼したり、写真撮影もする。
 その他、印刷屋さんとの予算の交渉、校正作業もあるのだ。

 今回、自分が担当したのは「図書館スタッフへのインタビュー」と「スクールカウンセラーによる研修会」を取材して、記事にまとめることである。
 自分たちが中学生の頃はそんな横文字の「教職員」はいなかったので、まず「学校の中でどういう立場でどんな仕事をしているか?」を理解する必要がある。
 何となく気が重く、緊張した気分でインタビューに行くと「図書館の優しいお姉さん」である(こういう人がたくさんいると、学校の雰囲気も和らぐだろうなあ)。
 インタビューを何とか終えたのは良かったが、限られた文字数にまとめるのは、結構大変だった。普段は使わない脳と辞書を回転させて、ようやく、まとめ上げる。

 「スクールカウンセラーによる研修会」は、ひたすらメモに徹しようと思っていたのに、「出席者参加型ロールプレイング方式」(その上、少人数)だったので、大忙しである。
 おまけに意見まで求められる。メモする暇もなかったので、渡されたプリントを頼りにまとめるしかない。学校の教頭は大変な入れ込みようで、「この研修会は、是非、広報誌に記事にして下さい。」との要望である。
 今、何かと問題の多い中学生・・イジメ、非行、携帯電話。被害者にも加害者にもなり得る年代である。家では何も話さない子供、不在がちな親たち、そんなモデルケースを取り上げながらカウンセラーの先生がアドバイスする。
 そのような難しいやり取りを文字で表すのは、非力な自分にとって、至難の業である。
 何とか切り抜けて、空白は写真で埋めて・・・・完成。

 各々の委員が、そんな苦行を繰り返しながら、集められた数十ページの原稿、つい数日前に初稿が上がってきて、皆で手分けし回覧しながら校正している。

 仕事や家事、介護(そんな年代の親を抱える人もいる)をしながら、逞しく(図々しく?)校内を駆け回って記事や写真を集めた。
 
 学校のOBでもある印刷屋さんは、僅かの予算と知りつつ、無理をきいてくれた。

 「PTA活動」は殆どが母親たちのボランテイアで成り立っている。そこから得られるものは「少し、先生たちと親しくなれる」「学校のことが、少しは詳しくなる」「知り合いがふえる」くらいだと、自分は思っていた。
 初めは仕方なく、消極的な気持ちで始めた役員だったが、今では「来年度からの『学校自由選択制』を控え、より良い選ばられる公立中学校にする為には何が必要か」など委員同士で熱く、話し合ったりもする。まるで、「模範的な保護者」のようだ。

 そして、目下自分に任されているのは、年度末に発行する「号外」の予算を大幅に値下げしてもらうように交渉することである。


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日台文化交流フォーラムのこと

2003-11-26 水曜日

草風館 内川千裕 :http://www.sofukan.co.jp/

日台文化交流フォーラムが11月9日に東京で開かれた。6月開催予定が例のSARSで延期になっていたものである。
このフォーラムでは台湾の作家たちとの交流がその課題であったが、漢族作家だけでなく、台湾原住民作家のふたりが招待されていることは特筆に価する。「台湾原住民が作家として日本で初めて主賓に坐って発言したという意義は重いと思う」(柳本通彦氏評)。
草風館では『台湾原住民文学選』全5巻をただいま刊行中、3巻まで出した。上のふたりは、第2巻のシャマン・ラポガン、第3巻のワリス・ノカンである。おかしなことだが、おふたりが会うのは今回日本で初めだということ、シャマンは蘭嶼島(タオ族)、ワリスは台中県の山中(タイヤル族)、いわば海の民と山の民のふたりの出会いである。このふたりに共通しているのは文学活動だけでなく、いわば文化工作者として活躍していることだ。ワリスは山の中で教育を通じて反同化、伝統文化の復興に、シャマンは日常的には漁業に従事、ちなみに第2巻に収録されている彼の長編「黒い胸びれ」は魅力的な海洋文学である。また蘭嶼は台湾の六ヶ所村、つまり核廃棄物集積所なのだ。シャマンがその対策に奔走もせざるをえないのもむべなるかな。またこれは世界中の先住民族に共通の運命だが、かれらは生まれ故郷では食べられず、都市に出、そこで挫折して、というより伝統を捨てさせられ、差別の中で生き延びていけないずに、故郷に帰るという、通過儀礼のようなお決まりのコースをたどって目覚めていったのだ。来日中はこのおふたりはまったく兄弟のようにぴったり行動を共にし、またよく飲んだ。そんなに飲んだら肝臓がいかれるぞ、というのも、日本のアイヌ民族にされる忠告と同じではないか。
いま台湾では原住民族(これは自称)の復興運動が盛んである。芸能界、スポーツ界では昔から彼らの活躍はよく知られていたが、自己の内面を見つめていく文学の世界でもこれから華を咲かせていくにちがいない。下記の文章はこの文学選第4巻の編訳を担当している台湾在住の柳本氏のエッセイである。転載を許可されたので、ご紹介する。もとは写真が貼り付けてあった。

ASIAPRESS TOP PAGE<フォト・エッセイ>2003年11月10日
ムササビ学校 (台湾)
文・写真 柳本通彦
台湾のパイワンという小さな民族である。
サキヌ、42歳。小さい頃は、日本語で「リクツ」とよばれていた。あれこれ理屈をきいて反抗したせいだという。高校卒業と同時に山を下りたリクツは、カネがないので無償の警察学校に進み、台北でケーカンになった。そして、ある晩、ひょんなことから、鉛筆を握った。
幼い頃、父に連れられて、山を巡り、ムササビ、サル、イノシシを追った記憶が切なく甦った。それが思いがけず本になった。そして文学賞を受賞し、ベストセラーになった。さらに、かれは、CDも出し、童話も書いた、いつのまにか、作家と呼ばれるようになった。
父は、猟師だ。山を舞台に繰り返される生命の営みを知るうちに、獲物を人間と同じ存在ととらえるようになった。息子に、ムササビには学校がある、イノシシはおれたち猟師のファイルを持っていると教えた。息子の本が出てから、彼は、「台湾最後の猟師」と呼ばれるようになり、二人は台湾でもっとも有名な原住民の父子となった。
人口40万の台湾原住民族のなかから、ものを書き始める人たちが、ここ十年間に、どっと輩出した。その多くが母や父のことを書いた。40代前後、子どもが小・中学校に上がる世代である。時代の狭間で、民族の言葉すらほとんど話せないわが子の成長を見て、原住民の匂いをまだ濃厚に発している両親のことを書き記すことで、失われゆく民族の魂を残そうとした。
どうしても書き留めずにおれなかった、彼らの作品群が来年早々にまとめて邦訳され出版される(『台湾原住民文学選』第4巻・草風館刊)。そこから、日本人、中国人と、百年にわたって異民族に支配され続けた、小さな民族の哀切なる逞しさが迫ってくる。


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おれおれ詐欺

2003-11-19 水曜日

彩流社 春日俊一 :http://www.sairyuusha.co.jp/

最近巷で「おれおれ詐欺」なる新手の詐欺が横行している。
テレビや新聞で取り上げられたりすることも多い。
まさか自分の身内にその悪の手が及ぶとは思ってもいなかった私は、その日、日販に見本出しを終え、コンビニで買った昼飯のスパゲティ・ナポリタンを一人寂しく食し、その後にやってきた眠気と戦いながら、ボーっと昼休みのひと時を過ごしていた。
そんな時に突然悲劇は訪れたのである。
私の携帯電話の「Xファイル・着メロ」が鳴り響き、昼下がりの気だるいひと時から目覚めた私は液晶画面に写る「姉」という発信者の文字を見た。
「うーん・・こんな時間に姉貴から電話とは、いったいなんの話かな・・」
電話に出ると、聴こえてくる第一声は姉ではなく姉の旦那の義兄からだった。
「大丈夫?俊ちゃんが事故にあったって、今お父さんから電話があったけど・・」
“俊ちゃん”とは私のことであるが、始めは義兄の言ってることがよく理解できずにいた。
「なんかお金がいるから、すぐに58万振り込んでくれっておばあちゃんに電話があったって・・」
と義兄。
私は無傷で、こうして眠気と戦っている・・
「事故!?・・・僕がですか?」
「そう」
「いや・・・事故なんてあってないですよ。今は仕事で神保町にいますけど・・・」
「え・・」
「事故にあってないの? 今お金を振り込みに、おばあちゃんが銀行に向かったらしいけど・・」
「それって・・ 詐欺!」
義兄は「分かった!なんかおかしいと思ったんだけど、すぐにお父さんに電話する!」
と義兄は電話を切った。
どうしようかと、思案し始めた私の携帯電話がまた鳴った。
義兄は父に、さっきの電話はどうやら詐欺らしいと伝えたとのこと。
それを聞いた父は、銀行に向かった祖母を止めに家を飛び出したらしい。
果たして間に合うだろうか・・
父も祖母も携帯電話を持っていないので連絡の取りようがない。
先に銀行に電話して銀行員に祖母を止めてもらおうかと思い、祖母が預金を預けていると思われる銀行の電話番号を104で聞いた直後、また携帯電話が鳴った。義兄からである。
「お父さん間に合ったらしいよ!なんとか振り込む寸前で追いついたらしい」
なんとか間に合ったらしい、58万という大金は無事だった。
ホッとした私は義兄に何度も礼を言って電話を切った。

祖母はもう86歳という高齢である。電話をかけてきた詐欺野郎は「俺だけど今事故に遭って、すぐにお金がいるんだよ、今から言う口座に58万振り込んでくれよ・・」と、今にも死にそうな声を出して祖母を見事に騙したらしい。声が私に似ていたのと、かわいい孫が事故に遭ったという報せに気が動転してしまった祖母は疑うこともなく、その詐欺野郎を私だと信じてしまったらしい・・
祖母が驚いて、私のことだけを思って一目散に銀行に向かった姿を思い浮かべるとそんな卑劣ことをする詐欺野郎に、ますます怒りがこみあげてきた。

私の声を真似ていたということは、私の知り合いだろうか・・・
私は想像したくないが、何人か思い当たる怪しい人達の顔を思う浮かべた。

すぐに警察に通報したが、相手の口座から犯人を割り出すのは難しいかもしれない。
向こうも当然そんなことは想定して犯行に及んでいるはずだから。
まあとにかく実害を被らずに済んでよかったが、なんかやり場のない怒りを私は何処に向けたらいいものか・・

詐欺師君!どうせ騙すならもっと違う世界の人間にしてくれよ!
働かなくても金が入ってくる資産家とか、もっと金持ちをターゲットにしてくれ!
庶民にとっては、こんな時代、金を盗られるのも、年老いた祖母に心配かけるのも、辛すぎるぜ!


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死亡届

2003-11-12 水曜日

語研 高島利行 :http://www.goken-net.co.jp/

出版業界で言うところの「品切」にはかなり色々種類があるようですが、弊社では通常「品切重版未定」つまり在庫がなくなってしまった上に増刷(再生産)の予定は全くない、という状態のことを「品切」と呼んでいます。つい最近、こういう状態になったものがあったのでその処理を行いました。と言ってもいっぺんに作業を行うのではなく、随分時間をかけてじわじわと作業を進めています(その理由は後ほど触れます)。下記のような手順です。

  1. 新刊や増刷の際に挟み込む「出版案内」から書名を除きます(出版案内はすぐ古くなってしまいますが、あまりに古い情報になってしまうのを避けるためにそうします)。
  2. 次に、営業の使う一覧注文書に在庫僅少の印をつけます(営業が自分の判断で受注を調整するためです)。

    と、上記の手順までが完全に品切になる前、つまり「在庫僅少」状態での作業です。次からの作業は完全に品切になった状態で一気に行います。

  3. Webページの注文ボタンを外して注文できなくしてしまい、表紙画像に「品切」という文字を乗せます。
  4. Webページの品切一覧に加えます。また、全点一覧では「品切」と明記します。
  5. 版元ドットコムに登録してある書誌情報のデータ区分を「2=絶版(実際は絶版ではないんですがそれ以外に対応する区分がないためそうしています)」に、在庫ステータスを「33=品切れ・重版未定」に変更し、書協・トーハン・日販・大阪屋・bk1に送信します。

以上のような手順で一通り作業は終了です。ちなみに5の手順を経ることによってamazon.co.jpを始めほとんどのオンライン書店にも品切情報は行き渡ります。また、取次の書誌情報やPOS端末を使っている書店にも情報が行き届いたことになります。これがやりたいんで版元ドットコムに参加したんですが、思っていた以上に便利で重宝しています。

さて、1・2の手順と3・4・5の手順の間に時間を置く理由ですが、5の手順はいわば本の「死亡届」を提出しているのと等しい行為です。5の手順を経てしまうと、途端に全く注文が来なくなってしまいますが、悲しいことに返品だけはダラダラと返り続けてきます。つまり、5の手順を行う前に市中(店頭)在庫をなるべく枯らしておかないといけないのです。そのため、徐々に受注を絞り、最終的に「品切」とした以降にはなるべく返品が返ってこないように仕向けているわけです。

というような地味な作業を行なっているわけですが、本来こういった在庫(品切)情報は出版VANといった業界のネットワークを経由して行なわれています。ですが、出版VAN導入にはある程度の初期投資が必要なため、弊社では参加していません。が、ここへ来て初期投資の不要な形態、つまりインターネット経由でのWebEDI(いわゆる新出版ネットワーク)が現実のものとなったため、弊社でも導入の予定です(今、申し込みの書類を書いているところです)。

とはいうものの、取次や書店と在庫情報が共有できたところで、読者に対しての告知を行わなくて良い、ということにはなりません。弊社ではWebで品切一覧を掲載するようになってお問い合わせが激減しました。

電話に関して言うと、版元ドットコム経由で取次にも品切情報を流しているため、品切のものに対する書店さんからのお問い合わせも激減しました。小さい会社なので電話が減るととても助かります。弊社で電話が減っているということは書店さんから見ると品切を確認するためだけに版元に電話するお金と時間が減っているわけです。小さいことかもしれませんが品切情報を公開することによって書店さんの手間軽減に少しは貢献できているのかもしれません。

というように、品切、と一言で言ってもそれに付随する作業は色々ありますが、新刊の時、つまり本が生まれる時には随分手間をかけるわけで、それを考えると本が死ぬ時にかける手間はまだまだ足りないのかもしれません。

◆◆◆

上記のような品切に関する問題をはじめとした書誌及び在庫情報の問題に業界として取り組むべく、出版インフラセンターでは「在庫情報整備研究委員会」というのを立ち上げ、関係者が集まって解決策と今後に向けた具体的な提案を考えています。版元ドットコム幹事社のポット出版・沢辺さんと私(語研の高島)も委員として参加しています。ご意見などある方は是非是非お寄せ下さい。業界外の方からのご意見も大歓迎です。

◆◆◆

弊社の宣伝も少し。
10月15日から開始した「音声教材無料配信」(顛末についてはポット出版のWebサイトに書いたこちらをご覧下さい)ですが、ようやく注文も上がり始め、ホッとしております。次は11月15日から「英会話50の公式」「初めての英語プレゼンテーション」「初めての英語ネゴシエーション」「基本から学ぶフランス語」の4点の音声無料配信を開始します。ご期待下さい。詳細は弊社ホームページをご覧下さい。http://www.goken-net.co.jp/

◆◆◆

宣伝をもう一つ。
11月20日(木)、大阪にて恒例の「大阪しゃぶ会」が開催されます。書店と取次と版元の三者が一同に会してお互いの意見を交換しようという会です。今年は新文化の連載などでもおなじみの遊友出版の斎藤さんを講師に迎えての講演会もあります。業界関係者の皆様の参加をお待ちしております。詳細はこちらの Webページをご覧下さい。
http://www.goken-net.co.jp/sbk/top.htm


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得難い、外国の著者との出会い

2003-11-5 水曜日

現代企画室 太田昌国 :http://www.shohyo.co.jp/gendai/index.html

 通信機器が発達し、郵便局まで行かなくても集荷してくれる宅急便が当たり前の運送手段になって以来、これではいけないと思いつつも、著者・翻訳者とのやりとりが間接的なものになった。書く立場からいっても、担当の編集者とは顔を合わせているほうが、ずっと仕事がやりやすいことはわかっている。でも人手不足も手伝って外出もままならない事情もあり、誰と限らず現代に生きる私たちは全般的に忙しなく生きているせいか、人に会わずに用事を済ましてしまう傾向に歯止めはかかりそうにない。

 そんななか、翻訳を出版している外国の著者や関係者の来日が続き、思いかけず、国内の著者とも十分には出来ないでいる付き合いができて、やはり、或る満足感をおぼえている。8月に刊行した『アフター・ザ・ダンスーーハイチ、カーニヴァルへの旅』の著者エドウィージ・ダンティカが刊行直後に来日した。1969年、カリブ海のハイチに生まれた。12歳のときに両親が先に行っていた米国に移住した。以来そこに住み続けて、いまに至る。若くして書いた小説が注目され、日本でもすでに『息吹、まなざし、記憶』(DHC刊)と『クリック? クラック!』(五月書房刊)が刊行されており、『アフター・ザ・ダンス』は3冊目の日本語訳となる。幼い日々より祖母や母たちから聞いたハイチの物語世界をベースに、現代を生きるハイチの人びとを描く。関心のある方は、実際の作品に接してほしいので、作品についての説明・解釈は省く。彼女を迎えて、一夕、「ハイチ文化を楽しむ夕べ」を開いた。50人の会場にちょうど50人が集まった。来年は「1804年ハイチ独立革命」から200周年。私たちはハイチという国をほとんど知らないが、この独立革命がもつ世界史的な意義を、私が簡潔に説明した。
 その後、ラテン・ミュージックのDJとして名高いPAPA-Q氏を水先案内人に、「ハイチ多面体音楽逍遥」と題して、11曲ほどのハイチ音楽を聴く時間をもった。
出席したハイチ人に、これほどハイチ音楽の全貌を聴く機会は、ハイチでもないと言わせるほど、充実した時間だった。東京近郊に住むハイチ人はみんな来たのではないか、と大使館の人が言っていたが、会場には7人ほどのハイチ人が来ており、彼女(彼)たちは途中から音楽に合わせて踊り始め、会場の雰囲気は一気に盛り上がった。
 最後にダンティカさんが話した。カーニヴァルに付き物の仮面の話、ダンスの後に残る気持ち、書くことの意味ーーどれもこれも興味深い話だった。いずれまとめて、現代企画室のHPにアップするつもりだ。二次会への参加者も多く、彼女を囲んで、さまざまな会話が弾んだ。私たちもそうだったが、帰国した彼女から「とても楽しい集まりだった」とのメールが届いたことにほっとした。

 10月末には、メキシコ・チアパス州から6人ものカトリック関係者が来日した。
私たちはすでにサパティスタ民族解放軍著『もう、たくさんだ!』や『マルコス ここは世界の片隅なのか』などを出版しており、さらに進行中の仕事があるが、チアパスで続くサパティスタのたたかいは、反グローバリズムの運動のなかで世界的な注目を浴びてきた。カトリック関係者のなかには、サパティスタと政府の和平・対話の仲介役として重要な役割を果たしてきた人びとがいる。来日の目的は、ある仏教教団が主催した宗教者平和シンポジウムに出席するためだったが、その仕事を終えた夜の時間を私たちのために空けてくれた。そこで「メキシコ・チアパスの声を聴く」という催し物を開いた。会場は、都心のカトリック教会内部のホール。外からは何度も見かけていても、内部には入ったことのなかった私のような人間には、建物のたたずまいそれ自体が興味深い。
 6人(女性2人、男性4人)から聞くチアパスの現況は、それぞれに個性的な説明で面白かった。この内容もHPにアップするなり、小冊子にまとめる作業を早速始めている。いろいろと話し合った成果は、いま進行中の出版物企画にも生かすことができるだろう。それにしても、来日する度ごとに「憲法9条はどうなった?」と質問する彼らに対して、ますます悲観的な答え方しか出来ない日本の現実が胸にこたえる。

 インドはベンガルの作家、モハッシェタ・デビの新刊『ドラウパディー』は、3年間続けられてきた「日印作家キャラバン」の結果として生まれた企画だ。日本からは、津島佑子、松浦理英子、星野智幸、小熊英二、川村湊、中沢けい、島田雅彦の諸氏が参加してきた。この交流のなかで、日本の作家たちが最も注目した作家のひとりが、モハッシェタ・デビさんだ。「めこん」からはすでに1992年に『ジャグモーハンの死』が出版されている。ある時「めこん」の桑原さんに、モハッシェタ・デビの本を今度出すよ、と言ったら、「売れないよ」と即座に答えたのが印象的だった。それでも、とにかく、出した。昨年からノーベル文学賞候補にノミネートされているという情報もあったので、一応刊行は今年の受賞者発表までギリギリ待った。結果はご存知のとおり。でも、彼女の作品には、力が漲っている。その力で読者を広げてほしいものだ。
 日印作家キャラバンは、来る11月中旬、山形と東京で開かれるシンポジウムで一応の区切りとなる。インドから5人の作家が来日する。デビさんは高齢なので(1926年生まれ)来日しないが、5人はそれぞれベンガル語、ヒンディー語、英語の作家として、現代インド文学の担い手として活躍している人だという。その人たちとの出会いも楽しみだ。

 こうして、外国の著者・関係者との出会いが次々とあって、今年の夏は過ぎ、秋は深まってゆく。国内の著者・関係者との「出会い」も大事にしなければ、との思いも、あらためて深まる。


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憧れの第四惑星

2003-10-29 水曜日

アールズ出版 澁谷日出喜 :http://www.rs-shuppan.co.jp/

 そういえば、今年こそが2003年だった。
2003年といえば「火星大接近」の年である事を、僕は思い出した。
もっと正確に表現すると、メディアで話題になった事に触れて、僕は、2003年が「火星大接近」の年であることを知っていた事、を思い出したと言ったほうがいい。
小学生の頃、図書室の図鑑を見て、僕はそのことを知っていた、そして、無性に憧れた…はずだったが、すっかり忘れてしまっていた。
ついでに、火星の衛星がフォボスとダイモスという事も思い出した。
当然のように、今となってはあんまり役に立たないことだ。それから、
あの頃、天体望遠鏡が欲しくても買ってもらえなかったことも思い出した。
……
でも、2003年には、僕はもう大人になっているから、きっと天体望遠鏡で、大接近した火星を見ていることだろう…待てよ、2003年といえば、もう21 世紀じゃないか。科学が発達した新世紀には、戦争なんてもう無くて、人類は宇宙へ進出しているはずだから、ひょっとしたら大接近した火星に、僕は向かっているかもしれない…
そんなことを妄想しながら、ポコポコ歩いた帰り道の、秋の夕暮れの原っぱの匂いまで、思い出してしまった。

 そこで、現在の僕は、ちょっと愕然とする。
いつの間にか僕は、天体望遠鏡をもっていない、大人になってしまっていた。
……
でも、そんな事を言えば、いくら21世紀になったと言ったって、あいかわらず戦争は続いているし、人類の宇宙進出は遅々として進んでいないじゃないか。それどころか、原っぱの匂いまで無くなってしまった。
天体望遠鏡が何だ、どうせ東京からじゃ火星なんて…
そんなことを考えながら、ポコポコ歩いた帰り道の、
ふと見上げた、高層マンションとコンビニのネオンの隙間の夜空に、憧れの第四惑星が、赤く赤く輝いていた。ちょっと泣けた。


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日常雑感

2003-10-22 水曜日

批評社 臼井新太郎 :http://hihyosya.co.jp/

私の住む東京都文京区とその周辺地域には、大手から零細までの出版社、本の流通を担う取次、そして印刷所から製本所まで、関係業者の多くが集中していることで知られている。出版は「文京区の地場産業」などとも言われ、私の勤務する批評社も文京区の本郷にある。

1 年365日を、ほぼこのエリア内で生活しているのだが、まあ、職住接近という時期があってもいいかな、程度の気持ちで新卒時に某版元(批評社ではありません)に就職した際、文京区で下宿を始めたのだ。まず驚いたのは、朝、紙を運ぶトラックをとてもたくさん目にする、ということだ。印刷用紙は通常、版元から紙問屋に発注をして、そこからトラックで印刷所へ運ばれる。本文用紙やカバーなどに使う「特殊紙」は、100枚〜500枚程の単位で梱包されており、それをいくつかの山にしてトラックの荷台にロープで固定する。(屋根なしのトラックに積まれている場合)こうした光景が目の当たりにでき、朝はタクシーと同じくらい(といったらオーバー?)、大型から小型までの紙運びトラックが目白通りや外堀通りを走っている。商業印刷用の輪転用紙を積んだトラックも多い。これは荷台に巨大なトイレットペーパーのロールが並んでいる印象だ。積まれた紙のすきまには用紙の銘柄や入れ先(=印刷所名)を書いた紙が貼られており、「秋田書店漫画用紙」などという文字を目にすると「あぁ、これがかつて私を熱狂させた少年チャンピオンコミックスになるのか…」などと勝手に想像し、感慨深くなったりもする。

現在の住まいは勤務先にも歩いて30分ぐらいなのだが、その途中には様々な出版関係業者があり、それらを今和次郎の「考現学」さながら眺めつつ歩くことは、個人的にとても楽しい(変ですかね?)。特に多いのは「零細」印刷所や「○○紙工」といった折り屋(印刷された紙を折る専門業者。8頁や16頁といった単位で面付けされた印刷物を折ったものは「折り本」「折丁」などと言われる)や紙器屋(例えば辞書を入れるケースを製函したりする)、断裁屋、箔押屋、製版屋等々だ。たいていの業者は工場の前の公道を「作業場」として活用しているため、ただでさえ狭い道、歩行者はそれぞれの業者間を行き来するトラックやフォークリフトにひかれないように歩かねばならない。印刷所前に置かれたパレット(=輸送時に用いる木製の荷台)の上には紙が積まれており、銘柄のシールを見ると、自分が発注した紙がこうやって業者に届いているのか…、と実感として感じられる。枚数は同じ10連(1連=1,000枚)でも、用紙によって厚さがこんなに違うのか、とか、四六判4裁や菊判半裁(“四六判”“菊判”といった紙の定型サイズを半分や4つに切ったもの)といったサイズが目で確認でき、あらためて無駄の出ない用紙の取り都合を考えねば、などと思いが至る。

古紙回収の業者もいくつかあり、郊外の大規模な業者とは趣を異にするが、それでもベルトコンベアに大量に流れる屑紙となった本や雑誌の山は壮観だ。あれの下敷きになったら死ぬな…といつも見ながら思う。断裁を待つ雑誌や本の山を見ても職業柄、何も感じなくなってしまったのは少々問題だろうか…(いや、少しは感じるものもあります)。
 
また、本の間に投げ込み(読者カードなどのハガキやチラシ、その他諸々)を挟み込む専門の業者や、梱包結束を専業とする業者もある。作業場が通りに面していて、1冊1冊手作業でチラシを挟み込む中の光景がのぞけるところも多い。くだらない本ばっかり作りやがって、などと思われているかなぁ…、いるだろうなぁ…と自戒したりもする。朝、なんの変哲もない路地裏に俗に言う「エロ本」が大量に積まれている光景も、なかなか壮観である。もちろん私はエロ本だからなんだ、ということを言うつもりはない。私の前勤務先でもエロ本を作っており、肌の色を忠実に印刷再現することに心血を注いでいた(時期もあった)。朝日新聞2003年9月11日付「声」欄のトップに〈出版界に苦言〜放尿や脱糞の写真集が出版といえるのか〉という58歳男性の「投書」が掲載されたが、これとて大きなお世話、だと思ったりもする。

話がそれました。さて、私の勤務先への通勤路には、大手の取次「T」もある。新刊配本日の朝、書店配本用の部数が足りなくて、ここへ自転車に本を積んで届けに来たこともあったな…。前の会社では、文庫のオビの印刷がこすれて、配本用の本を汚してしまっている、との連絡があり、社員総出で帯のつけ替えとカバー磨きに来たこともあったっけ…(その時は特色のシルバーのインクが生乾き、だったんですね)。とにかく、流通センターが郊外にあるとはいえ、まだまだ朝は配本/集品用のトラックが大挙して押し寄せており、都心ではありながらちょっとしたラッシュである。また例によって、本がここから全国へ発送されるんだ、とおセンチになったりもする(バカだねぇ…)。

その近所には、活版印刷の技術力でその名を知られるK工房がある。私もいつの日かここに名刺を頼みたい…。並びには大手製本所のK製本がある。朝は、できたての新刊がパレットに積まれ、出荷を待っている。道からのぞくだけでも、やたらと数が多い新刊は目立つ。書名は確認できなかったがカバーの色が印象的な本が、やたらたくさん積まれてたな、と思ったら数日後の書店でその新刊を発見(宮本輝の本だった)することもある。かの、『ハ○ー・ポッター』の時は、荷台部分の屋根がガルウイング(上方に開く)の巨大なトラックに、これまた巨大なパレットに何百冊ずつだか忘れたが積まれており、ベストセラーと言われるものの物質的な「量」に圧倒された(このときはトラックに「ハ○ー・ポッター第○便」と書かれた貼り紙がしてあったのである)。そういえば、この『ハ○ー・ポッター』の版元も、少し前にこの界隈に引っ越してきた。メディアなどにもしばしば登場するここの社長さんが歩いているのも見かけたことがある。彼女は「肩で風を切って」歩いていた(ように見えた)。

 昔から読んでいた本の版元を、ふと、この界隈で発見することも多い。これまた私にとっては新鮮な発見である。大きい出版社を想像していたのにボロボロの戸建てだったり、小さい会社なんだろうな…と思っていたところが、立派な自社ビルだったりして面白い(まあ、たいていは前者なんですが…)。次々と社屋を移転する版元も多いし、昨今は廃業していく版元も多い。高校時代お世話になった教科書会社Kもこの界隈だ。ここの出している数学の問題集、自慢ではないが高校時代、1冊のうち、1問も解けなかった…。この版元の前を通るたび、かつての赤点を思い出しイヤな気分になる。けれども、それも今ではいい思い出だけど。

批評社の本を印刷している印刷所のいくつかもこの周辺にある。M印刷もそんなひとつだ。この前を通ると、厳しい納期を無事クリアしてもらったときは、職人さんと抱擁して喜びたい思いになるし、印刷の刷りムラがひどかったときは「なにやっとんじゃ〜」と怒鳴り込みたくなる(どちらも迷惑でしょうからやってませんが…)。主に色物の印刷(=カラー印刷)をお願いしているN印刷の営業所は神田川沿いだ。私は色物印刷の場合、なるべくフィルム検版まで自分で行うのを常としているため、印刷用のフィルムをかかえて、この神田川沿いの営業所まで自転車で届けるのも仕事の一つだ。そういえば、この界隈、自転車のカゴにPS版(オフセット印刷の版材)や印刷用の大きなフィルムを丸めて入れて移動するオジサン(職人さん)の姿も日常的な光景で、時に、それに同化している自分がいることに気付く。

界隈でひときわ目立つのが、新しくできた凸版印刷の小石川ビル。これは最高裁や警視庁などの作品で知られる岡田新一設計事務所による建物だ。他にもやたらとマンションが増えつつあり、スクラップ・アンド・ビルドによる建物の高層化が進んでいる。昔ながらの町工場も減ってきていると感じる。そういえば、写植をお願いしているI企画さんも、以前は事務所にオペレーターが大勢いたが、現在ではその事務所は引き上げ、自宅に写植機を置いて1人で仕事をしている。

……この調子でだらだらと際限なく続けても仕方ないので、このあたりでそろそろ切り上げる。この「版元日誌」では比較的マジメな出版に関するテーマが語られることが多いので、こういった日常雑感はどうかな? と思ったのだが、まあいいや! どうでも。それにしても「出版界や本の未来への提言」的な発言や著作が最近多く見受けられ、それらの主張は至極もっとも、である。私自身、出版業界に身を寄せる人間であり、「本を買わない/本が売れない」現在の状況は死活問題だし、書店への営業努力なども考えるべき重要な課題である。私も、自分の言葉で出版の未来を語ってみようかな、と今回思ったのだが、挫折した。

でも、ひとつ思うのは、本を生み出す著者と受け取る読者の間には、我々版元の人間をはじめ、ここまで書いてきたような様々な人々が関わっている事実を重く受け止め、そんな出版に関わる人々が皆、楽しく仕事できるようになれば良いな…、とは思う。いかにその人その人にとって、気分良く出版に関わることができる生活スタイルを作れるか、ということが重要であり、また考える必要があると思う。そのためには具体的にどうすれば良いのか? 例えばこの「版元ドットコム」も、実際問題、手に入れにくい中小版元の本やその情報が、読者や書店にとって入手しやすくなる具体的な活動のひとつであり、それは「本と人」の関係を充実したものにする手がかりとなろう。また、福岡や秋田、その他の地方にも「地方出版の雄」と呼ばれる版元があるし、版元ドットコム会員社の中にも地方で精力的に活動を続けている版元がある。それはまた、それぞれの地域でベストな出版活動を模索、実践しているということで、出版と人と地域の幸せな関係性とは? を考える切っかけとなる。もっと些細なこと、例えば社員募集の条件を問わない(「子育て中の人、高齢者、他国籍の人、レズビアン、ゲイ、部落民、障害者でもかまいません(ポット出版ウェブサイトより)」)といった基本姿勢なども、文化産業であることをうたいつつ、様々な点において閉鎖的かつひとりよがりなこの業界には、欠けていることだと思う。

あ〜、なんだかんだ言って最後につまらんことを語ってしまった…。「難しい話はやめてよ〜」という加藤さん(注・近所の印刷所のオジサン)の声が聞こえてきそうです。


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