装飾アルファベット
2002-5-29 水曜日
十数年、キーボードをたたき続けてきたけれど、ブラインドタッチができない……。
左手はタバコのためにあるとうそぶいて、右手だけで文字を打ってきたからだが(当然この文章も)、さして不自由も覚えず、DTPで著者の赤字を転キー(変な造語)する際などは、左手でゲラを押さえつつ、まるで活版時代の赤字照合のように、右手で訂正を入力していく。しかも、これがけっこう早い、と自負していたのだ。が最近、強硬な申し出によって、室内禁煙になってしまった。タバコが吸えなくて、左手のイライラは高まるばかり、キーボードを離れて外に喫煙に行くなど、仕事の効率もすこぶる悪くなってしまった。愚痴は措いて、こうして日々、仕事のうえでも、またメールでも、モニター上の文字につきあっているわけだが、何か味気ないとはよくいわれる。
ところで近頃、「装飾アルファベット」なるものが気になっている。ご存じの方もいらっしゃると思うが、簡単にいうと、15世紀の中頃、ヨーロッパのあの画期的な印刷術の発明前夜に登場した、銅版で作られたアルファベット23文字(この頃J、U、Wはまだない)なのだが、個々のアルファベットを構成する「線(というか文字軸)」に、自然界のモチーフや想像上のモチーフが用いられている。日本でいうと、平安朝の「葦手」をもっと複雑にしたものといえるかもしれない。(写真を添付すれば、一目瞭然なのだが、残念ながらウィンドウズ対応ではないもので……すみません)。
文字という抽象物が、具象的なイメージでできあがっているというしろものなのだが、これがおもしろいというか興味がつきない。個々のモチーフ(聖人、道化、騎士、動物、植物)が、なぜこんな形で組み合わされて、このある一文字を作っているのだろうか? そもそも、この人物はいったい何者なんだ? この動物は? 小さな文字に隠された小さな謎が、やがてヨーロッパ中世の基層文化への興味の扉を開いてゆきもする。
でも、なによりも、文字自体が視覚的に楽しいし、見ていて飽きないのだ。それにくらべると、このモニター上の文字はなんとも……と、また愚痴っぽくなってしまった。
いずれこんなテーマで、『装釘考』(西野嘉章著、玄風舎)のようなマニアックな本を作ってみたいと思っている。そういえば、この本は、旧字使いの活版本だったな……。