22年間の重み

2002-11-27 水曜日

やどかり出版 黒崎夢 :http://www.yadokarinosato.org/book/

 22年という時間は,人の人生にとってどれほど重みがあるのでしょうか.少なくとも,一口では語りきれません.赤子が若者へ,青年が壮年になれるだけの時間です.
よくいっしょに仕事をする方で,その22年間を病院の中で過ごした人がいます.
彼は,つい3年前まで,民間総合病院の精神科の閉鎖病棟で「生活」していました.退院してしばらくの間,
「22年間は夢のように過ぎました.病院には,たいへんお世話になりました」
と話していました.
3年が経った今,彼は22年間をこう表現します.
「あそこでの生活は,地獄のようでした」

辰村さんは,23歳で統合失調症(精神分裂病)を発症し,4回の入退院を繰り返してきました.4回目の入院が,22年間でした.今,65歳ですので,人生の3分の1の長さをそこで過ごしたわけです.そして,今もなお,辰村さんの入院していた病院には,30年以上の長期入院をしている方が何人もいます.住む家がない,働く場がない,安心していられる場がない,生活を手助けできる人も機関もない……といった社会的制約のために退院できない.そんな人たちが,全国には7万人以上いるとも言われています.
辰村さんの22年間の体験は,何度聞いてもさまざまな感情が湧いてきます.病院の中で労働力として使われていたこと,入院患者宛の手紙は必ず1度封が開けられていたこと,他の患者が外に電話をかけるときは内容を聞いて報告しなければいけなかったこと……
発病した彼に降りかかってきたことは,社会の仕組みや考え方によって起こる,さまざまな矛盾でした.無数にある病気の中の1つにかかっただけで,とたんに自分の思うように生きられなくなり,「普通に」生きることさえままならなくなる社会……彼の体験談は,「何となくうまく生活できている」うちは見過ごしがちな社会の矛盾を,鮮やかに浮かび上がらせる力を持っています.今,1人の人間として自分の生き方を貫ける状態にある人は,どれほどいるのでしょうか.

最後に宣伝です.「専門家の書いた本は多数あれど,当事者の視点から書かれた本は少ない」という問題意識からつくり始めた「やどかりブックレット・障害者からのメッセージ」シリーズがあります.そのシリーズの8番目『精神障害者 新たな旅立ち』に,辰村さんが語った22年間がまとめてあります.辰村さん自身も,このブックレットシリーズの編集委員の1人として,企画や取材活動に携わっています.22年間の重みの一端を味わいたい方は,ぜひご覧になってください.


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アメリカとの訣別

2002-11-20 水曜日

めこん 桑原晨 :http://www.mekong-publishing.com/

 9月11日に「イスラーム教徒の言い分」という本を出した。タイトルどおりの本だが、読んだ知り合いに新聞記者が「過激ですね」と評した。「どこが?」と聞いたが、納得のいく返事はもらえなかった。腰帯に「アメリカはおかしい」と書いた。どうもそのあたりが「過激」のもとらしいが、9月11日前後に出た日本の雑誌を見てごらん。「アメリカはおかしい」の大合唱じゃないか。西谷修なんか、イスラーム教徒よりよほど過激だぜ。おっと違った、表現がより濃ーい、あるいはアジ的だと言い直そう。しかし、言っている内容はイスラーム教徒とほとんど変わらない、きわめてまっとうなことだ。日本人やアメリカ人(!)の評論家が言えばナルホドで、イスラーム教徒が言えば「過激」となるのか。絵に描いたような偏見だ。新聞記者がこれだから…なんてこと言ってもしょうがないな。

 それはさておき、多くの日本人が「アメリカがおかしい」と考えているのは当然のことで、健全だと思う。サッダーム・フセインがいい指導者だとはみじんも思わないが、「サッダームの首がほしい」(比喩じゃないよ)とか「国連が討議するのは勝手だが、アメリカはそれに従う必要はない」なんて政府の高官が言う国は明らかに「おかしい」。

 先日、カナダのテレビ局が作ったドキュメンタリー番組を見た。ベトナム戦争中にアメリカ軍がラオスに落としたものすごい量の爆弾が不発弾となって残っており、昨年もベトナム国境沿いに住む農民がそれに触れて、100人死んだということだ。タイの基地から出撃したアメリカのパイロットは、ベトナムやホーチミンルート(ほとんどラオス領)をめちゃくちゃ空爆しただけでなく、基地に戻るとき余った爆弾を全部ラオス領内に「捨てて」いったという。ひどい話じゃないか。90年代以降、アメリカは戦争で行方不明になったアメリカ兵の捜索に必死になった。ラオスにも、いくつものミッションが送り込まれた。しかし、自分たちの爆弾で現に死につつあるラオス人に対しては、補償どころか、謝罪ひとつしていない。

 もちろんベトナム戦争だけじゃないよ、アメリカがひどいのは。ソ連の南下を防ぐため、アフガンのムジャヒディンに援助し軍事訓練をしてアルカイーダを作り出したのは誰だ?そのアルカイーダが9月11日に貿易センタービルに突っ込んだというなら、その犠牲者にまず謝罪すべきはアメリカ政府じゃないのか。アメリカのアフガン攻撃以後、世界はどうなった? 喜んだのは中国、ロシア、イスラエルだ。「テロ集団」と言ってしまえば、公然と邪魔者の殺せるようになったのだから。チベットで、新彊で、チェチェンで、パレスチナで何十万の人が悔しさに歯噛みしながら殺されたことか。世の中、暗い。

 しかし、これだけアメリカがむちゃくちゃやっても世界がそれを止められないというのは、世界のほう、つまり私たちの中にそれを受け入れるものがあるということでしょうね。確かに、戦後、世界中でアメリカはひとつの「理想」だった。アメリカと闘ったベトナム人の大半がアメリカ大好きと言う。アラブの人たちもアメリカの生活はあこがれる。日本人だって、みんなアメリカにあこがれていた。それは「無限の自由」「無限の富」ということかな。しかし、そんなもの、人間は求めてはいけないのだろうね。だいたいメジャーリーガーの年俸40億とかいうのは間違っていると思うよ。人間は元来がおろかな存在だ、そんな人間には人間の分というものがあって…なんて言うと、イスラーム的になってしまうが、イスラームがけっしてベストだとは思わない。そうやって他に「価値」を求めていくとろくなことにならない、というのはつい最近までみんなが経験してきたことだ。まずは自分のうちなるアメリカと訣別しよう。それからだ。とりあえず、100円ショップでがまんしよーっと。


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国際シンポジウム

2002-11-13 水曜日

10月26日に鳥取県米子市で、また翌週29日には東京の市ヶ谷で、「本とコンピュータ」編集室では二度にわたり、東アジアの出版人を迎え、国際シンポジウムを開催した。以下、このシンポジウムを通して考えたことをメモ風に書いてみたい。

 海外からこのシンポジウムに参加してくれたのは、以下の4人。
 中国を代表する総合出版社(日本でいえば岩波書店にあたる存在)、読書・生活・新知 三聯書店の社長、菫秀玉(トン・シュイユウ)さん、台湾で大塊文化出版という書籍出版社を経営しつつ、Net & Booksという雑誌も発行しているレックス・ハウさん、かれは元商務印書館の経営にあたっていたこともある。この二方が編集者(出版人)としての参加。
 韓国からは「本とコンピュータ」でたびたびお世話になっている韓国出版研究所の白源根(ベク・ウォングン)さん。以上の三人が米子では津野海太郎の司会のもとでディスカッションを行った。米子のシンポジウムは、鳥取県の国民文化祭の一環である「大山緑陰シンポジウム」の演目の一つで、「新しい「本の時代をつくる」 〜東アジアの出版と読書のいま〜」という題で行われた。
 東京ではこの三方に、北京大学で図書館情報学の研究をしている李常慶(リー・チャンチン)さんにも加わっていただいた。日本側からは岩波書店社長の大塚信一さん、小学館の鈴木俊彦さん、講談社の吉井順一さん(このお二方はそれぞれの社における電子出版の責任者)、「本とコンピュータ」の編集委員でもある筑摩書房の松田哲夫さんとボイジャーの萩野正昭さんが参加した。シンポジウム「二十一世紀の出版文化を考える」と題して二部構成で行い、第一部「東アジアの伝統と電子化」では室謙二(国際版「本とコンピュータ」編集長)が、第二部「出版ビジネスの未来」では津野海太郎が司会をつとめた。……とまあ、ここまではたんなる事実関係なので駆け足で説明させていただく。
 とはいえ、これだけでもシンポジウムの顔ぶれがずいぶん多彩だったことがわかると思う。三聯書店と商務印書館といえば、中国の近代出版史を語る上で欠かせない老舗出版社だ。この2社の経営経験者が、日本で揃って話した機会ははじめてではないか。また中国、台湾、韓国、日本の東アジア4国の出版関係者があつまり、短い時間とはいえ、それぞれの国の出版状況をつぶさに語りあうことができた点でも得難い機会だった。
 
 さて、この後はシンポジウムでどんな話がされたのかを書くべきなのだろうが、司会も含めると、米子と東京でパネラーが総勢10名以上と、かなり大勢のパネラーが参加したので、それぞれがどのような話をしたのかまではご紹介できない。いずれこれは「季刊・本とコンピュータ」の紙面ないしウェブサイトで紹介すると思うのでそちらに譲るとして、ここでは二つのシンポジウムを主宰者側から体験しての感想を述べたいと思う。
 まず、全体を通じて感じたのは、東アジアの出版人の「健全さ」である。出版市場が抱える問題が国ごとに違うのは当然だが、構造的ににっちさっちもいかなくなっている日本の出版界とは違い、具体的な課題に前向きに取り組もうとしている姿勢が、東アジアの参加者からは共通して感じられた。もっとも、今回のシンポジウムの目的は、元気がなくなっている日本の出版界に、外からの空気によって活を入れようという目論見もあったので、そうでなくては困る。
 米子のシンポジウムでは「読書」がテーマだったが、若い世代が本を読まなくなっている、というあきらめにも似た話題しか出ない日本とは異なり、読書という行為に対する基本的な信頼を出版ビジネスにつなげていこうという意志を、海外からのパネラーからは共通して感じた。また電子メディアへの取り組みも、東アジアの出版人のほうがアグレッシブだと感じた。つまり、ビジネスとしての出版にも、文化としての出版にも、かれらは絶望などしていない。
 電子メディアとコンピュータとは対立するものであるだとか、人がこのさき読書をしなくなってしまうのではないか、といったような、日本の出版人を相手にこれまで「本とコンピュータ」で論じてきたような(やや文化的にすぎる)問題意識は、かれらはさほど持っていない。それよりもっとストレートに、「出版ビジネスに電子メディアはどう生かせるか」という前向きで具体的な考えをもっているように感じた。紙かデジタルか、などという教義問答をしている場合ではないのだな、と思ったのが個人的な最大の感想だ。日本の出版界は規模も大きいし、システムもできあがっているのだから、将来を悲観視するのはおかしいといった発言が東アジアのパネラーから相次いだ。まったくそのとおりだと思う。ここまで恵まれた条件で本をつくっている国など、世界中どこにもない。
 
 一言申し添えておくと、今回のシンポジウムは、米子では同時通訳の手を煩わせたが、東京では一部のパネラーが逐語通訳だったほかはすべて日本語で行った。今回の参加者が例外的なのかもしれないが、日本語を話せる出版関係者は、ずいぶん東アジアには増えているのでははないか。東アジアの面々が全員英語で話すという珍妙な風景ではなく、通訳もふくめていろんなクセのある日本語がとびかったおかげで、緊張の中にもどこか和気藹々とした雰囲気になったのは意外だった。
 もっとも、東京でのシンポが和やかな雰囲気となったのは、東アジアのゲスト同士がそれぞれ、一部では面識がすでにあったことと、さらには米子で初対面同士の方同士も寝起きをともにできたことが大きかったと思う。こういうシンポジウムが成功するかどうかは、客席の埋まり具合よりも(米子・東京とも予想より参加者が多く、まずまずの盛況だったが)、参加したパネラー同士、あるいは主催者とパネラーとのコミュニケーションのほうがじつはずっと重要である。米子から東京まで、およそ1週間にわたって東アジアの出版人と寝食をともにしながら話ができたことは、われわれ「本とコンピュータ」編集室のスタッフにとっても、なにより得難い体験だった。
  個人的な思い出としては、レックス・ハウさんが持ってきてくれた、彼が発行している雑誌「Net&Books」の美しさに感嘆した。オールカラーで横組み、図版を多用したビジュアルな本だが、書物と電子文化についての考察がつまっていて、なんというか「本とコンピュータ」と「インターコミュニケーション」とかつての「ワイアード」が一つになったような雑誌だ。「本とコンピュータ」も負けてはいられない。なんだかんだで、東アジアの出版人たちから結局いちばん刺激を受けたのは、シンポジウムを企画したわれわれだったようだ。


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こんな日常……

2002-11-6 水曜日

日本林業調査会 辻 潔 :http://www.j-fic.com/

 今週(10月28日〜11月1日)はこんな感じ。
 月曜日。午前中にデスクワークをすませ、午後から林政審議会という国のお堅い話し合いを2時間半聞く。初めて一般公開されたが、傍聴者は3人しかいなかった。その後、霞が関を中心に取材兼営業。ほとんど成果なし。
 火曜日。午前9時に八王子市高尾にある林野庁の研修所入り。同所を訪れていた大槻幸一郎・千葉県副知事にインタビューする。この方は、農林官僚で初めて副知事になった貴重な人材。職員と一緒に大槻氏の講義を聞いたり、昼食をとったりで、結局午後3時までかかる。研修所周辺の山を散策したかったが断念。そのまま池袋に戻り、夕食兼編集打ち合わせ。

 水曜日。千代田区で開催中の林道研究会に出る。テープおこしを頼まれているので、作家・佐野眞一氏の特別講演(宮本常一がテーマ)を中心に録音。合間を縫って雑用を処理。夕方から隔週で出している「林政ニュース」の仕上げ。その後、この原稿を書く(だから、以下は予定です)。
 木曜日。OMソーラー協会主催の「木材乾燥庫等バス見学会」に同行。飯能から高崎まで、材木店やモデルハウスを訪ねるツアー。そのまま高崎のホテルで、「近くの木で家をつくる運動」の関係者と懇親会。終電で帰京。
 金曜日。午前中は、門前仲町の木材会館で文献調べ。木場の木材問屋組合が再来年、発足100周年記念誌をつくる。その作成作業の一環。調べはじめるときりがなく、いくらやっても先が見えない。夕刻から小社のこじんまりした会合、そのまま飲み会へ。

 ということで、東京周辺でも、何となく「林業」にまつわる動きはあるのです。11月の土・日は、檜原村でLD(学習障害)児の林業体験お手伝い、5月から続けてきた木馬・修羅づくりの仕上げなどでつぶれそう。何だかんだやってるうちに、齢を重ねていく……。以上、近況報告でした。


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