借り過ぎ、低正味に気をつけねば

2002-7-31 水曜日

筑波書房 鶴見淑男 :http://www.tsukuba-shobo.co.jp/

最近のテレビでは、武○士、ア○ムといった消費者金融のコマーシャルが盛んに登場している。いわく”借り過ぎには気をつけましょう”である。誰が好きこのんで高金利のお金をかりるだろう。いわゆる銀行といわれたところが、自ら招いた不良債権処理のため、利用者への貸し出しをしぶり、止むを得ず、高金利のお金を利用せざるを得ない人が多いからではないか。多重債務に泣く中小業者、庶民が増えているのは、想像以上のようだ。

7月17日の「新文化」に”岩波、一部正味下げ 75.8%→73.5%”とある。”6月3日出荷分から単行本、全集、辞典、講座、「同時代ライブラリー」シリーズの出版社出し正味を75.8%から73.5%に引き下げた”とある。そして”取次会社や書店に利益を還元して、販売を一層促進していただきたい” と語る。73.5%の正味でそういう気持ちになれるのなら、我が社のような正味出し60%台の出版社にすれば、大いに利益をあげ、大いに販促をはかってもらいたいといいたいところだ。

年中無休の生活をし、食べるのもやっとというところだが、同じ正味出しで取次出荷ができるなら、定価で1億円売るところで、年間550万円の差がでる。今まで75.8%であったとすれば、780万円の差額が生じてきたはずだ。この差額がないとすれば、2人の社員を雇うことができ、年中無休の労働からも解放されるのだが。それだけでなく、会社が大きくなる速度も違うだろう。そうは思うのだが、現状は、正常な交渉さえままならぬ。

知的産業だ、文化産業だと自己満足して、許されないこの不公平、不正常な状況を許している。クロネコヤマトの宅急便が、業界に参入し、正味や支払い条件を変える業界の再編を促すことになれば、困難を強いられる出版社も少しは息ができるようになるかもしれないと、最近、心密かにに思っている。


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車中の恋

2002-7-24 水曜日

明石書店 深澤孝之 :http://www.akashi.co.jp/

《前回の猫の恋につづき、今回はヒトの恋を……。まぁ連日暑いですし、きょうは夏休みに入って最初の日誌ということもあります。しばし仕事の手を休め、気楽にお読みください。》

中央線は美人車両として有名である。……かどうかはよくは知らぬが、毎日乗っていると、これはっ!という美人にときどき出くわすことがある。学生の頃は、そんな偶然にもいちいち胸をときめかし、その場でお付き合いを申し込まないと一生後悔するぞ、とたえず煩悶の僕であったが、近頃はそんなこともめっきりなくなってしまった。残念である。というのも、社会人となって4年目。覚えるべきことは雪だるま式に多くなり、寸暇を惜しんでの勉強。行きの電車の中では、現在の仕事と関係する本に目をとおし、帰りの電車では中国語の勉強を自らに課しているのだ。というわけで、最近は車内にキレイな人がいるなあ、と思ってもそれ以上は心を動かさず、すぐ自分の世界にもどる習慣がついていた。しかし、この日は違ったのだ。

僕の使っている駅は JR中野駅。そして会社の最寄り駅である御茶ノ水まで中央線で一本である。ところで、この日の暑さは度を超えていて、ホームで電車を待っているだけで汗がふき出してくる始末。なので、ようやく車内にすべり込んだあとは、しばしエアコンの風に身をまかせたい気持だった。窮屈な車内でようやく自分の立つ位置を確保すると、もはや到底読書する気は起こらず、今朝はこのままボッーとしながら、外の風景でも眺めながら行くことにしよう、と心に決めた。荷物を網だなに移し、汗をふきながら何の気なしに周囲を見まわすと、隣りに彼女は居た。

というか、さっきからつり革につかまる僕の腕に彼女の髪がふれ、僕はそれが故意でないことを示すために、わざわざ無理な姿勢をとらねばならなかった。ところが彼女のほうはといえば、そんなことに全然お構いなしにゆうゆうと新聞なんぞを広げている(それもオヤジ読みのようなセコイ真似はしない)。僕はすこしだけ腹を立てた。そこで、ウンと猥褻になってやろうと思った。……彼女はいましがた風呂から上がってきたように無造作に髪をとめ、白いうなじを出していた。耳には開いた花をかたどったやや大きめのピアスがのぞく。童顔だが化粧はしっかりしている。ゆるいスカートにスニーカーを履いているが、たぶん学生ではないだろう。また、どういうわけかこのクソ暑いのに、むらさき色の長袖カーデガンをはおっていた。しかし、これだけ無遠慮な視線を注いでいるにもかかわらず、彼女はまったく動じることなく、それどころかいよいよ熱心に新聞の国際面に目を走らせている。

ここにきて僕は彼女に対する見方を修正した。あんがい無邪気でかわいい人なのかも知れないと善意に解釈した。要するに彼女の風貌、身に着けているものすべてが僕の好みだったわけだ。そうこうしてる内に、電車は新宿に着く。乗客の多くが降りたが、彼女と僕はそのままだった。ところで考えてみると、電車の中で新聞を読んでいる人は意外と少ないように思う。たまにどんなに車内が混雑していようとも、新聞を読むことが我が流儀だといった困ったオヤジがいるが、リストラされてしまったのか最近見ない。代わりに男の人だったら漫画雑誌、女の人だったら単行本を読んでいる、というのが最近の僕の観察である(通勤時間帯だということもあって、さすがに朝から携帯端末に向かう者はあまり見られない)。もうひとつ気付くことは、女の人たちが持っている単行本に「○○市立図書館蔵」というラベルが結構貼ってあることだ。僕も図書館で本は借りるが、新刊書を持っている人間がほとんど見あたらないというのは、一体どう考えたらよいのか?

話が横道にそれた。そんなわけで僕の隣人は、近頃まれにみる“電車で新聞読む系”の女の子のようであった。そして相変わらず僕の目前には、彼女の新聞が大きく広げられている。読むつもりはなかったが、それでも自然に目に入ってきてしまう。バサッと音を立てて彼女が頁をめくると、そこには眼鏡の広告が載っていた。俳優の佐藤慶がインタヴューに答えている。僕は期するものがあって、すこし身を入れて読み始めた。というのも、佐藤慶はたいへんな活字マニアだということを何かの本で読んで知っていたからだ。新聞によると、佐藤慶は東京に出てきて俳優座の養成所で舞台の勉強をしながら、ガリ版屋で働いていたという。そこで活字の世界に魅了されたというのだが、なにしろ細かい作業の連続なので視力を悪くしてしまったのだそうだ。へぇー、あまりにもよくできた話だなと感心しながら読んでいると、突然彼女がこちらを振り向いた。

一瞬シマッタと思ったが、もう遅い。極度の羞恥心から恐る恐る顔を上げると、予想していたのと反対に、彼女はすこしも怒っていない。いやむしろ、声には出さなかったが、次の頁に行くけど構わない? という風にも思えた。しかし、それにしても彼女の表情は淡淡としていや過ぎないか?……そのことが逆に僕の不安を駆り立てる。彼女は憤りもせず、かといって微笑みもせず、じっと僕の目を見つめたままだ。その目は深い穴のようで光りはなく、何のサインも読みとれない。のみならず、彼女の顔は非常に美しかった。まるで月の上にでもいるみたいだ。僕はすっかりどぎまぎし、混乱した。

このあと四谷を過ぎ、われわれの前の座席が同時に空いた。ふたりは並んで座ったが、僕はずっと顔を上げられなかった。そして彼女もまた、もう新聞は読まなかった。僕は耐えられなくなって、カバンから本を取り出して読むフリをする。こんどは彼女のほうが僕をのぞき込む番だ。そのイタズラっぽい視線を肩に感じて、僕は恐くてたまらなかった。なぜなら、いまや彼女に嫌われることは、僕にとって耐えがたい不幸のように思われた……。こんなセッパ詰まった状態だったにもかかわらず僕の心の中はあんがい冷静で、遺棄された子どものような感情がやがて、明らかな恋情へと変わっていく過程を愉しんでいた。あぁ、こんな気持になるのもヒサシブリだなあー、などと。

いま思うと、彼女は僕をからかっていたフシがある。はからずもテリトリーをおかしてきた侵入者に対し、彼女なりのクールなやり方で応戦した。それは成功したとも失敗したとも言える。しかし、そんなことはどうでもいい。東京のような大都会のよさは、いまの彼・彼女にしか出会わないことだ。“いま”というこの瞬間に、輝やく美しさをふりまいていってくれた彼女に僕は感謝せずにはいられない。

路傍の愛人よ。
一瞬のまのビアトリチェ。
生涯の間にもう一度、あふ機会はおそらくあるまい。
俺が、彼女に捧げたものは、
決して、にせものの純情ではない。
かうして、俺は、生涯かゝつてつくつた大切なものを、
むなしく、つかひへらしてしまふ。

——金子光晴『路傍の愛人』から(岩波文庫、1991年)


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隙間の猫

2002-7-17 水曜日

彩流社 塚田敬幸 :http://www.sairyuusha.co.jp/

 本とはまったく関係ない、しかも長いお話を一席。
彩流社、俺のデスク、窓の前、40センチほど先は隣のビルの壁である。
そのビルとビルの隙間に猫がやってきたのは去年の11月ごろ。最初、子連れだったせいもあり猫好きの社長が餌をやってしまったのが運の尽き。いつのまにか子猫はいなくなってしまったものの、俺のデスク、猫的には一番来やすいようで以後毎日のように現れ、何かと世話を焼かざるを得なくなった。餌をやらないといつまでも居座り、追っ払ってもしつこくやってくるのだ。もっとも、猫が来てから売上が上がったりしたので半分はゲンかつぎ、半分は趣味として自発的にはじめたのだけれど…。

 餌を買い込み、餌をやりやすいように台を用意したり、雨の日には屋根をしつらえたり、とまあぶつくさ言いつつも面倒を見ていたのだが、入れ替わりでいろんな猫が現れ、——どうやら写真1・2 http://www.sairyuusha.co.jp/sairyuu_cat.htmlの白黒猫をめぐりオス猫どもが争奪戦を繰り広げているらしく—— その様を観察していると妙に人間くさく、とても面白かった。
逆の見方をすれば、メス猫がしょっちゅう違うオス猫をくわえ込んでいるわけで、ほかのメス猫から言わせれば「泥棒猫!」ということになるのかもしれない。
見ていると猫の世界も主導権は圧倒的に女性(メス)側にあるらしく餌も白黒嬢が食べ終わってからその残りをオスが食べ、機嫌の悪いときや、気に入らないオスは引っかいたりとまさに「お嬢」状態なんである。

 お嬢の好みは俺から見ると相当変わっている。結局彼氏というか旦那の座を射止めたのは写真3の白猫。写真がボケてしまうほど汚い、みすぼらしい感じがお分かりであろう。ほかにもお嬢が好意的に接していたのは総じて汚らしいオスばかり。たまに毛並みのきれいな凛々しいやつがきても肘鉄は出来ないが、爪をお見舞いしていたものである。

 ただ「意外と見る目があるのかも」と感心したのは、白猫をはじめ彼女の好いていたオスたちは、餌をやるときも騒ぐようなことはせず大変行儀がよろしい。たまに自分が先に食べるようなタイミングになっても、必ず半分は彼女のために残す。2匹いっしょにいるときに餌をやっても、自発的に譲る等々、なかなか紳士的で、猫らしからぬ美徳を備えているのである。
さて2匹が結ばれ、仲良く餌を分け合う安定期のあとに何が起こるか…。当然の成り行きとして妊娠、出産である。(父親は推定だけど)産みも産んだり全部で 6匹。(写真4.5.6)それまで毎日2回ほぼ決まった時間ににゃあにゃあと餌を強奪に来ていたのに急に白黒だけ来なくなっていたし、明らかに孕み腹だったのでもしやとは思っていた。しかし6匹とは恐れ入った。枕草子にあるごとく「ちいさきものはみなうつくし」で社長以下、社内の猫好き数人は大喜びだったが餌をやる俺はたまらん! この半年あまりで、ペットフードにすっかり精通し、白黒・白に毎日餌をやるとて、安く量の多い、タイ産の缶詰をもっとも安上がりなドライフードに混ぜ、猫のみか己にも飽きが来ぬような工夫を凝らし、月額2000円に押さえていた餌代は、生まれたてのくせに乳だけでは飽き足らずバクバクいく6匹により一気に倍増した……。

 社長が2000円のカンパを申し出て、何をいまさらと思いつつもありがたく頂戴し、しばらくは皆の癒し猫と化していた6匹は10日ほどで姿を消し、5日ほど経って再び現れ、またいなくなった。ちょうど梅雨の最中で、俺のヘナチョコ屋根では雨もろくにしのげず、近所にいい避難所を探し当てたのかもしれぬ。確かによく昼寝はしていたが、ちゃんとしたねぐらは他にあるようだったので、そちらに行ったのか。何かほっとしたような、寂しいような。妙な気分である。

 一度白黒のほうの跡をつけてみたが民家の路地裏に入ってしまい、ねぐらを突き止めることは出来なかった。近所の噂話をそれとなく聞いていたら、自転車屋が写真を貼り出して子猫の里親を探しているというので、見に行ったら違う子猫だった。とんかつ屋のおやじが動物愛護団体に引き取ってもらったらしいとの話もあるが、どうも違うらしい。
このごろは落ち着いたものの、一時餌をやっているのにやたらとにゃあにゃあうるさく鳴いていた。子猫を探していたのかもしれず、ちょっと気の毒な気もするが、またいつ大家族での来襲があるかもしれず、楽しみなような恐ろしいようなやっぱり妙な気分である。

ちなみに売上は対前年比10%強UP。これは猫の恩返しか! 俺はなんと、これでも名目上営業代表なのだ。猫のおかげで面目を保ったことになる。ヌハハハハ。こんな営業成果のあげ方もあるのだぞ!! というためになるお話。  
お粗末でした。


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前を向いて歩いて行こうね。きっと、いいことがある。

2002-7-10 水曜日

アールズ出版 阿内秀介 :http://www.rs-shuppan.co.jp/

 先日、「私らしく生きたい 盲導犬とともに歩んで」の著者・郡司ななえさんとともに池袋を歩く機会があった。目の不自由な人と人ごみを歩くことも、盲導犬の仕事振りに直接触れることも初めての経験であったから些細なことに驚かされたり、気付かされたりすることが多かった。実際に我々の普段当たり前の生活が大変な苦労だったりする。

 まず待ち合わせの段階から軽く「駅前の書店の前で待っています。」と言ってはみたものの、盲導犬は道案内ができるわけではないのだからその場所へ行き着くためには自分の力で待ち合わせ場所を探せねばならない。また、喫茶店でお茶を飲むのでも店に入る前に盲導犬に服を着せる。それは犬の毛が抜けることで他のお客さんに不愉快な思いをさせないためだそうだ。階段の上り下り、路をさえぎる柱や路上駐車の自転車をたくみに避けて歩く姿、そんな日常的な些細な出来事一つ一つが驚きの連続であった。

 バリヤフリーだ、補助犬法案だ、と話題になる中で真に障害者や補助犬たちと健常者とが共存していくには、実はそんな普通の日常的な生活を理解する必要があるのだと強く感じさせられた。

 ここ最近、盲導犬、介助犬など活躍する犬が増えてきている。また、関連の本も多くでている。そんな中で「可愛いワンちゃんを人間の道具にするなんて」とか「盲導犬は長生きできなくて可愛そう」などという声を耳にすることがある。しかし、そんなことは無い。日々使用者とともに生活し、「使用者の目になっているのだ」と胸を張って生きている盲導犬たちはすごく生き生きと幸せそうに見える。

 「私らしく行きたい 盲導犬とともに歩んで」は、ベーチェット病を発病し中途失明した著者の絶望や、結婚・出産・子育てという「普通の女性と同じように生きていきたい」というひた向きで前向きな生き方、ベルナ・ガーランド・ペリラと三頭の盲導犬たちと深い絆で結ばれた中で生まれたささやかな幸せが描かれている。そんなひたむきさが我々に感動と生きる勇気を与えてくれる。


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営業どたばた記

2002-7-3 水曜日

現代人文社 石川えり :http://www.genjin.jp/

 営業にとって書店で棚を確保することはその存在意義に関わると言い切っても過言ではないかもしれない。それもより目立つところに、目立つ方法で置いていただくということはその本の売り上げと密接に関わっている(・・・と思う)そして書店の店員さんと仲良くなることも大切だ。少しでも覚えてもらおうと、「急いで本が欲しい!」と言って下さる書店さんに得意満面で直接持っていったり・・・本を持って、「重いのです、これを持ってもう帰れません」という泣き顔で書店に行ってみたり・・・と色々と考えて営業をしている。まだ書籍の営業に携わってから日が浅いが、試行錯誤している様子をお届けしたいと思う。

 営業のよいところは地方出張があるところだと思う。(少なくとも私の会社では・・・)「全国主要都市にある書店さんを1年に1回はまわってほしい・・・」と言われたときはとてもうれしかった。生まれてこの方関東からほとんど出たことがなく、九州へも行ったことがなかった私は調子にのって、「じゃあ、雪のあるうちに北海道に行っていいですか??あと、沖縄への営業も必要ですよね・・・」と、社長へ確認した。「北海道は書店がたくさんあるから営業が必要だね」との太鼓判を得てうきうきと準備を始めた。ますます調子にのって「ニューヨークに紀伊国屋書店があるそうですよ・・・」という提案はあえなく蹴られた。(当然である)。そして、2月!本当にその時期に営業が必要なのか??という時期に営業が決まった。もちろん、スキーには最適の時期。国体選手だった両親から札幌近辺のスキー場のアドバイスもばっちりもらっていざ出発。もちろん、営業もきちんと計画をたてて書店さんを回る予定だった。

 私は東京生まれの東京育ちなので、とても非常識で、全国どこへ行っても東京都内と同じような頻度でタクシーがつかまり、長くても10分に1回は電車が来るものと思い込んでいた。その偏った知識は当然ながら地方営業の命取りとなる。

 その日の札幌の気温はその冬一番の冷え込みで−15度を下回っていたらしい。着膨れした私は郊外型書店へと向かった。昼間に札幌市内の書店を回っていたためにすでに着いたら夕方。書店を出た時は日が暮れていた。そこで始めてバスの時刻表を見ると・・・ない・・・10分に1本はあるはずのバスがあと40分後にしかこない・・・仕方がないので地下鉄の駅まで歩くことにした。歩くうちに流しのタクシーが拾えるだろう・・・私は甘かった。一生懸命後ろを向きながら歩いているのだが一向に来ない。歩道には誰もいない。そして、郊外型の店が集まる賑やかなエリアはとうにすぎている。・・・どうしよう・・・これはもうヒッチハイクをして誰の車でもいいから乗せてもらうしかないな・・・そうあきらめた少し後にようやく流しのタクシーがつかまった。思わず駆け寄る。運転手さんはこんなところで何を・・・とびっくりした様子。でも、本当によかった。

 それ以来、私の営業えんま帳には「帰りのバスの時刻確認を忘れずに!」という一文が加わった。

 スキーについては・・・?もちろん、北海道のパウダースノーを堪能して帰りました。


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