隔世の感

2002-1-30 水曜日

草風館 内川千裕 :http://www.sofukan.co.jp/

 古い話から始めよう。

 時は1972年7月4日、ソウルは鍾路3街の交差点にさしかかると黒山の人だかり。人混みをかき分けて前に出ると、折しも黒い高級車の列が通り過ぎていった。ちょうど南北会談のために北から高官達がやってきたところに出くわしたのだ。南北統一に関する幻の7・4共同声明が出された。まだ南北が緊張していて、渡北した在日の若者たちが政治犯として捕まっていた。S兄弟のあとの政治犯であるL君の釈放運動をひょんなことからひきうけさせられて、何回目かのソウル入りのときだった。L君は結局「死刑」の判決、呆然としたのもつかの間、すぐそのあとで釈放されて日本に帰ってきた。まったく「見せしめ」でしかなかった茶番劇につきあわされたことになる。有名な金大中拉致事件はその翌年のことである。ソウルはまだ貧乏時代、旅館のトイレの水がよく出なかったり、一週間に一日「粉食」の日があって米を食ってはならなかったりで、その日の駅弁には米のかわりにソバが入っていた。

 先日当社に本を買いにきた人と話しているうちに偶然というか、不思議な因縁に感動したことがある。それはその本「マイノリティを旅する」の著者・蔵田雅彦氏と知り合いだったというその読者が「アムネスティ第2グループ」にいまも属していて、最近そのグループに属していた人が亡くなってアムネスティ日本支部にいた蔵田氏の本を知ったのだそうだ。実は上記L君の救援運動のことで小生もそのおり第2グループに属していたことがあって、蔵田氏が死を覚悟したベッドのうえから出版を依頼されたという経緯がある。蔵田氏がもっとも尊敬していた澤正彦氏の本「ソウルからの手紙」も小社から刊行されていて、なぜかおふたりとも同じ49歳でガンで亡くなっている。(年齢差がちょうど10年)

 話は変わる。
 あの7・4共同声明の頃に生まれた若き日本女性がのびのびソウルで活躍している新刊の話。
彼女は日本の大手電機メーカーに勤めていたが、自分も出資してソウルに会社をつくり、そこそこ利益もあげているビジネスウーマン。その会社には日本人は彼女ひとり。「タフな韓国人ビジネスマンに負けじと、今日も長い長いネゴに耐え」て頑張っているという内容。彼女のホームページを知って半年ばかり毎日読んでいるうちに面白くなって大幅に書き直してもらい、2月に「ケイコ・韓国奮闘記」というタイトルで刊行予定。ところで、彼女とは徹底的にメールのうえでのやりとり、入稿から校正、図版のファイル送付もすべてインターネットで最後まで貫徹した。ということはいまのところは彼女の住所も電話も知らないのだ。それで済ませられた。そういう時代なのだ。

 隔世の感がある、というより私が長く生き延びてしまったということか。


▲ページの上端へ

まっとうな哲学

2002-1-23 水曜日

径書房 大庭雄策 :http://www.komichi.co.jp/

わたしは電車のつり革をまともに触ることができない。
電車が揺れて、つかまる必要のあるときは、2本の指をつり革にちょこんと引っかける。

わたしは電車のシートに腰掛けるのをためらうときがある。
温められたシートは雑菌の温床だと聞いたことがある。
とくに、車両の端にある短いシートには腰掛けない。
なぜならあそこは、おおむね浮浪者の特等席だから。

わたしはパンツを一日に2枚以上、はく。
夏場の暑いときは、3度も4度もはき替える。

わたしは公衆トイレの手洗いの蛇口を触ることができない……。

わたしは潔癖なのだろうか。
ああ、わたしは潔癖なのか?
(いつからこうなってしまったんだろう?)

半年ほど前、電車の床に座る高校生を目にして、友だちとこういうやりとりをした。

「よく平気で床に座ることができるな」
「ああ、信じられないよ。汚い汚い」
「俺なんかシートにさえ座れないよ」
「え? ほんとう? 実はぼくも座ることができないんだよ」
「なんだ、おまえもか。ちなみに俺はプラットホームのベンチや、公園のベンチも駄目だ」
「ぼくもだよ!」

調べてみると、わたしのまわりには潔癖な人が何人もいた。
公衆浴場に入れない者。「だって刑務所みたいじゃん」。
吉野屋の牛丼を食べることができない人。
「お皿、きちんと洗ってないでしょ?」

電車シートに座れないくらいはまだ大丈夫なのだろう。

さて、「物」に対する潔癖は、きっと「人」に対する潔癖としても現れる。
人に対する潔癖というのは、ひとが他人の「内面」に関わることを避けることを言う。
若者のコミュニケーション能力の欠如はひろく言われているが、その欠如は、お互いの「表面」をなぞるだけの会話に始まる。

哲学者の東浩紀氏(30)は、「解離」という概念によって若者における「内面」の希薄さを説明している。映画を例にあげ、「千と千尋の神隠し」(宮崎駿監督)の主人公にも、「A.I.」(スピルバーグ監督)の主人公にも、「内面」を見出すことはできないと説く。彼ら主人公は、ある状況のなかで、「意思」において何かを選ぶということをしない。
そこでは、主体の「意(意思、内面)」というのはどこかに隠れてしまっている。

同じく哲学者の竹田青嗣氏(54)によると、私たちはコミュニケーションにおいて必ず“話している人の「意」に思いをめぐらす”。それは会話にとどまらず、ひとの文章を読む際にも言える。

竹田氏は、ひとの「内面」に立ち入ることのできない「潔癖の思想」に寄りそうこと、つまり主体不在の“差異の戯れ”に遊ぶだけが、文学や思想、あるいはもっとひろく生活の場における味わいをもたらすものではないと言っている(のかもしれない)。「立ち止まって深く考えること」をタブー化する(だって考える「内面」がないんだもん)ポストモダニズムから決別しようと言っている(のかもしれない)。

はー、ここまで書いてやっと新刊の宣伝ができる……。

『言語的思考へ』(竹田青嗣著・径書房刊)、大著です。
その含意するところは山のごとし。

春には、竹田青嗣氏と東浩紀氏の対談も行われます。


▲ページの上端へ

友人の死

2002-1-16 水曜日

皓星社 前田博章 :http://www.libro-koseisha.co.jp/

 1月も半ばにさしかかり今年もいよいよ本格的に始まってしまいます。私はテレビを倉庫にしまい込んでしまい新聞や雑誌も特に読むでもないので身のまわりのみが世界となってしまっています。世の中えらいことになっているようで正面から向き合うには相当の覚悟と自信を備えた世界観が必要なように思うのですが・・・。

 かつて成人式は1月15日でした。成人の日といえば「ラグビー日本選手権」の日。釜石・松尾の時代から同志社−神綱・平尾の時代への世代交代のころは熱心に観戦をしてました。というのも私が高校時代、都立の弱小でしたがラグビー部に所属していたことがきっと大きいのでしょう。そのラグビー部で同期の友人が昨年の大晦日に胃ガンで他界しました、享年36歳。

 その報せは年が明けた1月の5日にやはり同期の友人からの電話で受け、その晩行われたお通夜に参列をしました。彼とは卒業後、はがきのやりとりもないものの2年置きぐらいに友達を介して一緒に酒を飲むといった間柄でしたが、ここ5年ほどはその機会ももうけず仕舞いでした。遺影からは5年の月日を感じ取ることはできませんでした。

 参列者の多くは会社関係の方々であるのは間違いなく、その他の関係者(受付でいえば一般)がどれほどいたのかは検討のつけようがありませんでした。会社関係の方々はお互いに新年の挨拶を控えめに取り交わし、お焼香を済ませて会場を後にされたようです。印象的だったのは彼と顔立ちのよく似た初老の男性が親戚縁者の席から順番にお焼香をすすめる参列者を笑みをたたえながらお辞儀もそこそこに眺めてらしたことです。おそらく叔父さんにあたる方なのでしょう。甥っ子がどんな人々に見送られるのかを感謝を込めてしっかり確認しておこうといった笑顔でした。

 お通夜の後、同期の同級生・部員が十数名集まって席をもうけることになりました。それぞれ15年ぶりという面々です。高校時代の面子を集めるにはやはりクラス名簿が基本のようです。
名簿を基本に実家から本人への連絡が可能となり本人から何だかの付き合いが切れていない、その他の友人へと連絡は回ります。逆にいうと付き合いが切れ、実家が転居している面子には短時間では連絡のとりようがないということでしょう。そして、連絡の労を惜しまない人間が1人以上は必要です。そうして我々は集まることができました。勿論、来たくても来られない人もいるはずですが・・・。
 その席上、彼の死そのものは話題になりにくいので同窓会になってしまうのはやむをえないと思います。彼の病は昨年の秋に発見され急激に進行したとのことでした。年齢が若いと進行も早いといわれているそうです。

 その日、私は部屋に戻ってJ・ヘンドリックスを聞きながら酒を飲んで朝方寝てしまいました。 


▲ページの上端へ