冬の日、畑の中で

2002-12-18 水曜日

実践社 前田浩喜 :http://www.jissensha.co.jp/

 4センチほどの霜柱が畑いっぱいに立っている。長靴をはいてその中に足を踏み入れる。「シャッギュッ」と音をたてて足が柔らかい土の中に沈んでいく。
 先日、久しぶりに畑仕事に精を出した。場所は成田空港のすぐ脇の横堀部落というところ。小社が11月に発行した『熱田てる物語』のお宅である。12月早々の雪の日におこなうはずだった落花生の収穫が延期となり、予定していた人手が集まらないと連絡を受けた。本を出させていただいたお礼もある。会社に事情を話して許可を得、平日の一日、作業着に長靴で畑に出た。

 僕と熱田さんのお宅とのつき合いは、高校3年生の秋に援農に入って以来だからもう18年になる。人生の半分以上だ。といってもこの頃は年末の餅つき等の時に伺うだけだったので、畑に出るのは3年ぶりだと思う。
 その日はポカポカとした作業日和。今年は里芋や大根はよかったが、落花生は今一つだそう。「だいたい野ネズミやタヌキがいっぱい食っちゃうんだ、この辺のタヌキは今年は太ってるはずだぞ、ハハハ」と笑うおっかさんの声を聞きながら作業は進む。といってもここは三里塚。のんびりとした風景の中に、5分おきぐらいにジェット機の爆音が響き会話は途切れ、1時間ぐらいおきに警察車両のパトロールがある。いつも思うが、空港にじゃまな農民に対する態度は地上げ屋そのものだ。
 作業そのものは順調に進む。エイっと落花生の株の束を持ち上げると野ネズミがいた。「おっかさん、ネズミがいるよ」と呑気に口にすると、てるさんはとたんにネズミを踏みつけようと足を出す。「何やってんだ、ネズミは百姓には敵なんだよ。まったく都会の人はわかってないね」と怒られる。「すいません」反省しきりであるが、もう逃げられて後の祭り。その後も百姓の苦労を理解しないと、ずいぶんとしぼられる。
 口も動かすが手も止まることはない。てるさんは作業の過程で土に落ちてしまった落花を一粒一粒素早く拾い集めていく。年齢は倍以上なのに作業のスピードも倍以上。「こういう苦労がわからないんじゃいけないよ」と言う言葉にも経験と重みがある。三里塚にくるとそんな言葉を聞きながらの作業で、結局いつも元気をもらってばかりいる(野菜も!)。
 せめてもの恩返しに本をしっかり売るぞと気合いが入った。

 てるさんに限らず、このところ老人パワーに圧倒されっぱなしである。
 小社刊季刊『理戦』71号の特集「民俗学って何だ」で小熊英二さんとの巻頭対談を引き受けていただいた谷川健一さんもそうだ。82歳になるという谷川さんだが、対談の2日前までは聞き取りの旅にでており、その3日後には今度は奄美に飛んで調査なのだという。奄美では植林もやっているそうで、「こんど君も来ないか」と誘われる。ものすごいバイタリティ。そして経験に裏打ちされた態度はオーラを感じるほど。
 対談では、それこそ谷川さんの著作は全て読んできたのではないかと思われる小熊さんの鋭い質問にも動ずることなく、どっしりと受け止めて話を進められた。びっくりするほど聞き応え充分。
 事前に谷川さんの著作はあまり読めていなかったのだが、対談につき合わせてもらいすっかりファンになってしまった。小熊さん曰く「谷川さんの民俗学のエロティシズム」を、僕も感じさせてもらった。
 ちなみに「民俗学って何だ」の特集を通じて福田アジオさん、神崎宣武さんとも会う機会があった。庶民の中に身をゆだね、伝承を聞き取り、その世界観や死生観を探求する。お二人や谷川さんからは、そこで培われた根気や対象への愛、気持ちのゆとりとでもいうのだろうか。そんなものを存分に感じさせてもらった気がする。

 という感じで今年の後半、人との出会いの中で出版した2冊。『熱田てる物語』、季刊『理戦』71号。いい本に仕上がったと思っています。ぜひ読んでみて下さい。


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かつては子どもだったあなたへ

2002-12-11 水曜日

てらいんく 松永智子 :http://www.terrainc.co.jp/

 十二月には、てらいんく社員一同で心待ちにしている日があります。二十四日…では勿論ありません。二十一日です。三連休の始まりだから…では勿論ありません。十二月二十一日より、神保町の岩波ホールにて、てらいんく刊「サンサン」が「草ぶきの学校」として映画化されるのです。
 「サンサン」はサンサン君をとりまく中国の農村の様子が美しく描かれた物語。好奇心を抑えきれなくてやってしまった悪戯、女の子への淡い気持ち、コンプレックス、ライバル視していた子との友情、学校の近くに住むおばあちゃんの話、垣間見える大人の恋愛、病気、親の事業の失敗…。人生はいいことばかりではないけれど、悲観することはないよ、すべては自分の糧になるのだから、と作者が語りかけているかのように、物語の中の人々はすべてを受け入れていきます。
一九六〇年前後の中国の話ですが、自分たちの身近にもあふれている事柄ばかりです。
そして、この本を読むと、自分たちの日常も、また美しく見えてくるような気がします。
中国では児童文学として出版されたものですが、日本では中高年に人気が高いようです。
「僕の小さい頃に経験したことが、この本には沢山詰まっている」「自分が失いかけている何かがこの本には書いてある」等など、ノスタルジーを感じてくださる方も多くいらっしゃいます。
 自分自身の読後感想は、こんなに分かりやすい文章で、こんなにありふれたエピソードで、どうしてこんなに泣かされるのだろう、ということでした。やはりほろ苦い記憶を呼び起こされるシーンが泣き所です。正直に申し上げれば、私は「サンサン」一冊で三回も泣いてしまいました。
そうして、ふと思い出した言葉があります。サン=テグジュぺリの「星の王子さま」の前書き。「そのおとなの人は、むかし、いちどは子どもだったのだから、わたしは、その子どもに、この本をささげたいと思う。おとなは、だれも、はじめは子どもだった」
児童文学というのは、子供向けに書かれた本という以上に、子どもと、そしてかつては子どもだった大人のために書かれたものなのでしょう。「サンサン」を読んで泣くのも、はっとするのも、しみじみするのも、かつては子どもだった頃の自分なのかもしれません。
ビジネス書も大事。啓蒙書も大切。専門書も必要。だけれども時に、子どもの頃に語りかけてくれる、そんな本もいかがでしょうか。


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未来の総理大臣を育てましょう

2002-12-4 水曜日

ロゼッタストーン 弘中百合子 :http://www.rosetta.jp/

女性国会議員メルマガ「ヴィーナスはぁと」が少し注目されたので、9月から若手国会議員メルマガ「未来総理」の配信を始めた。昭和30年以降に生まれた全国会議員に参加を募ったところ、6政党19人が協力してくれることに。現防衛庁長官の石破茂議員(自民党)、民主党代表選で若手代表になった野田佳彦議員、社民党幹事長の福島瑞穂議員など、なかなかゴージャスな顔ぶれである。

まずは、「政治家をめざした理由」「一番、力を入れている政策」を聞き、三巡目のいまは「自分の属している政党の好きなところ、変えたいところ」を語ってもらっているところ。

自民党から共産党まで、価値観の違う政治家がしっかり政策を述べ合う環境をつくる。メルマガを読んだ読者の感想は参加議員にフィードバックする。そうして「5年後、10年後の総理大臣を育てよう」という壮大な企画なのだ。

ふたつのメルマガは、私ひとりで編集している。議員とのやりとりは基本的にメール。もらったメールを貼り付ければいいので、あまり手間はかからない。議員にはノーギャラで参加してもらっているので、発行にかかる費用はゼロ。配信料は無料なので儲かることもないが、紙媒体とくらべて、インターネットはお金がかからないメディアだなあとつくづく思う。それでいて、現役国会議員の貴重な本音がほとんどタイムラグなしに読める「速報性」もある。

いまの「読者」は、インターネットでこうした無料で質の高い情報をいくらでも探すことができる。お金を払って本を買ってもらわなければいけない出版社にとっては、厳しい時代だと思う。

ロゼッタストーンでは、インターネットを最大に活用して、本業の紙媒体に生かす方法を模索中だ。例えばメルマガやホームページで得た情報を雑誌に生かす、メルマガに雑誌の告知を入れ、ホームページで雑誌の内容を紹介する、将来的にはメルマガやホームページで連載した内容を書籍化する…など。

インターネットは脅威でもあるけれど、お金も人手もない出版社にとっては武器にもなる。「未来総理」に関していえば、「このなかの誰かが、将来、総理大臣や党首になるかも…」なんて思いながら編集するロマンもあるのだ。


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22年間の重み

2002-11-27 水曜日

やどかり出版 黒崎夢 :http://www.yadokarinosato.org/book/

 22年という時間は,人の人生にとってどれほど重みがあるのでしょうか.少なくとも,一口では語りきれません.赤子が若者へ,青年が壮年になれるだけの時間です.
よくいっしょに仕事をする方で,その22年間を病院の中で過ごした人がいます.
彼は,つい3年前まで,民間総合病院の精神科の閉鎖病棟で「生活」していました.退院してしばらくの間,
「22年間は夢のように過ぎました.病院には,たいへんお世話になりました」
と話していました.
3年が経った今,彼は22年間をこう表現します.
「あそこでの生活は,地獄のようでした」

辰村さんは,23歳で統合失調症(精神分裂病)を発症し,4回の入退院を繰り返してきました.4回目の入院が,22年間でした.今,65歳ですので,人生の3分の1の長さをそこで過ごしたわけです.そして,今もなお,辰村さんの入院していた病院には,30年以上の長期入院をしている方が何人もいます.住む家がない,働く場がない,安心していられる場がない,生活を手助けできる人も機関もない……といった社会的制約のために退院できない.そんな人たちが,全国には7万人以上いるとも言われています.
辰村さんの22年間の体験は,何度聞いてもさまざまな感情が湧いてきます.病院の中で労働力として使われていたこと,入院患者宛の手紙は必ず1度封が開けられていたこと,他の患者が外に電話をかけるときは内容を聞いて報告しなければいけなかったこと……
発病した彼に降りかかってきたことは,社会の仕組みや考え方によって起こる,さまざまな矛盾でした.無数にある病気の中の1つにかかっただけで,とたんに自分の思うように生きられなくなり,「普通に」生きることさえままならなくなる社会……彼の体験談は,「何となくうまく生活できている」うちは見過ごしがちな社会の矛盾を,鮮やかに浮かび上がらせる力を持っています.今,1人の人間として自分の生き方を貫ける状態にある人は,どれほどいるのでしょうか.

最後に宣伝です.「専門家の書いた本は多数あれど,当事者の視点から書かれた本は少ない」という問題意識からつくり始めた「やどかりブックレット・障害者からのメッセージ」シリーズがあります.そのシリーズの8番目『精神障害者 新たな旅立ち』に,辰村さんが語った22年間がまとめてあります.辰村さん自身も,このブックレットシリーズの編集委員の1人として,企画や取材活動に携わっています.22年間の重みの一端を味わいたい方は,ぜひご覧になってください.


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アメリカとの訣別

2002-11-20 水曜日

めこん 桑原晨 :http://www.mekong-publishing.com/

 9月11日に「イスラーム教徒の言い分」という本を出した。タイトルどおりの本だが、読んだ知り合いに新聞記者が「過激ですね」と評した。「どこが?」と聞いたが、納得のいく返事はもらえなかった。腰帯に「アメリカはおかしい」と書いた。どうもそのあたりが「過激」のもとらしいが、9月11日前後に出た日本の雑誌を見てごらん。「アメリカはおかしい」の大合唱じゃないか。西谷修なんか、イスラーム教徒よりよほど過激だぜ。おっと違った、表現がより濃ーい、あるいはアジ的だと言い直そう。しかし、言っている内容はイスラーム教徒とほとんど変わらない、きわめてまっとうなことだ。日本人やアメリカ人(!)の評論家が言えばナルホドで、イスラーム教徒が言えば「過激」となるのか。絵に描いたような偏見だ。新聞記者がこれだから…なんてこと言ってもしょうがないな。

 それはさておき、多くの日本人が「アメリカがおかしい」と考えているのは当然のことで、健全だと思う。サッダーム・フセインがいい指導者だとはみじんも思わないが、「サッダームの首がほしい」(比喩じゃないよ)とか「国連が討議するのは勝手だが、アメリカはそれに従う必要はない」なんて政府の高官が言う国は明らかに「おかしい」。

 先日、カナダのテレビ局が作ったドキュメンタリー番組を見た。ベトナム戦争中にアメリカ軍がラオスに落としたものすごい量の爆弾が不発弾となって残っており、昨年もベトナム国境沿いに住む農民がそれに触れて、100人死んだということだ。タイの基地から出撃したアメリカのパイロットは、ベトナムやホーチミンルート(ほとんどラオス領)をめちゃくちゃ空爆しただけでなく、基地に戻るとき余った爆弾を全部ラオス領内に「捨てて」いったという。ひどい話じゃないか。90年代以降、アメリカは戦争で行方不明になったアメリカ兵の捜索に必死になった。ラオスにも、いくつものミッションが送り込まれた。しかし、自分たちの爆弾で現に死につつあるラオス人に対しては、補償どころか、謝罪ひとつしていない。

 もちろんベトナム戦争だけじゃないよ、アメリカがひどいのは。ソ連の南下を防ぐため、アフガンのムジャヒディンに援助し軍事訓練をしてアルカイーダを作り出したのは誰だ?そのアルカイーダが9月11日に貿易センタービルに突っ込んだというなら、その犠牲者にまず謝罪すべきはアメリカ政府じゃないのか。アメリカのアフガン攻撃以後、世界はどうなった? 喜んだのは中国、ロシア、イスラエルだ。「テロ集団」と言ってしまえば、公然と邪魔者の殺せるようになったのだから。チベットで、新彊で、チェチェンで、パレスチナで何十万の人が悔しさに歯噛みしながら殺されたことか。世の中、暗い。

 しかし、これだけアメリカがむちゃくちゃやっても世界がそれを止められないというのは、世界のほう、つまり私たちの中にそれを受け入れるものがあるということでしょうね。確かに、戦後、世界中でアメリカはひとつの「理想」だった。アメリカと闘ったベトナム人の大半がアメリカ大好きと言う。アラブの人たちもアメリカの生活はあこがれる。日本人だって、みんなアメリカにあこがれていた。それは「無限の自由」「無限の富」ということかな。しかし、そんなもの、人間は求めてはいけないのだろうね。だいたいメジャーリーガーの年俸40億とかいうのは間違っていると思うよ。人間は元来がおろかな存在だ、そんな人間には人間の分というものがあって…なんて言うと、イスラーム的になってしまうが、イスラームがけっしてベストだとは思わない。そうやって他に「価値」を求めていくとろくなことにならない、というのはつい最近までみんなが経験してきたことだ。まずは自分のうちなるアメリカと訣別しよう。それからだ。とりあえず、100円ショップでがまんしよーっと。


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国際シンポジウム

2002-11-13 水曜日

10月26日に鳥取県米子市で、また翌週29日には東京の市ヶ谷で、「本とコンピュータ」編集室では二度にわたり、東アジアの出版人を迎え、国際シンポジウムを開催した。以下、このシンポジウムを通して考えたことをメモ風に書いてみたい。

 海外からこのシンポジウムに参加してくれたのは、以下の4人。
 中国を代表する総合出版社(日本でいえば岩波書店にあたる存在)、読書・生活・新知 三聯書店の社長、菫秀玉(トン・シュイユウ)さん、台湾で大塊文化出版という書籍出版社を経営しつつ、Net & Booksという雑誌も発行しているレックス・ハウさん、かれは元商務印書館の経営にあたっていたこともある。この二方が編集者(出版人)としての参加。
 韓国からは「本とコンピュータ」でたびたびお世話になっている韓国出版研究所の白源根(ベク・ウォングン)さん。以上の三人が米子では津野海太郎の司会のもとでディスカッションを行った。米子のシンポジウムは、鳥取県の国民文化祭の一環である「大山緑陰シンポジウム」の演目の一つで、「新しい「本の時代をつくる」 〜東アジアの出版と読書のいま〜」という題で行われた。
 東京ではこの三方に、北京大学で図書館情報学の研究をしている李常慶(リー・チャンチン)さんにも加わっていただいた。日本側からは岩波書店社長の大塚信一さん、小学館の鈴木俊彦さん、講談社の吉井順一さん(このお二方はそれぞれの社における電子出版の責任者)、「本とコンピュータ」の編集委員でもある筑摩書房の松田哲夫さんとボイジャーの萩野正昭さんが参加した。シンポジウム「二十一世紀の出版文化を考える」と題して二部構成で行い、第一部「東アジアの伝統と電子化」では室謙二(国際版「本とコンピュータ」編集長)が、第二部「出版ビジネスの未来」では津野海太郎が司会をつとめた。……とまあ、ここまではたんなる事実関係なので駆け足で説明させていただく。
 とはいえ、これだけでもシンポジウムの顔ぶれがずいぶん多彩だったことがわかると思う。三聯書店と商務印書館といえば、中国の近代出版史を語る上で欠かせない老舗出版社だ。この2社の経営経験者が、日本で揃って話した機会ははじめてではないか。また中国、台湾、韓国、日本の東アジア4国の出版関係者があつまり、短い時間とはいえ、それぞれの国の出版状況をつぶさに語りあうことができた点でも得難い機会だった。
 
 さて、この後はシンポジウムでどんな話がされたのかを書くべきなのだろうが、司会も含めると、米子と東京でパネラーが総勢10名以上と、かなり大勢のパネラーが参加したので、それぞれがどのような話をしたのかまではご紹介できない。いずれこれは「季刊・本とコンピュータ」の紙面ないしウェブサイトで紹介すると思うのでそちらに譲るとして、ここでは二つのシンポジウムを主宰者側から体験しての感想を述べたいと思う。
 まず、全体を通じて感じたのは、東アジアの出版人の「健全さ」である。出版市場が抱える問題が国ごとに違うのは当然だが、構造的ににっちさっちもいかなくなっている日本の出版界とは違い、具体的な課題に前向きに取り組もうとしている姿勢が、東アジアの参加者からは共通して感じられた。もっとも、今回のシンポジウムの目的は、元気がなくなっている日本の出版界に、外からの空気によって活を入れようという目論見もあったので、そうでなくては困る。
 米子のシンポジウムでは「読書」がテーマだったが、若い世代が本を読まなくなっている、というあきらめにも似た話題しか出ない日本とは異なり、読書という行為に対する基本的な信頼を出版ビジネスにつなげていこうという意志を、海外からのパネラーからは共通して感じた。また電子メディアへの取り組みも、東アジアの出版人のほうがアグレッシブだと感じた。つまり、ビジネスとしての出版にも、文化としての出版にも、かれらは絶望などしていない。
 電子メディアとコンピュータとは対立するものであるだとか、人がこのさき読書をしなくなってしまうのではないか、といったような、日本の出版人を相手にこれまで「本とコンピュータ」で論じてきたような(やや文化的にすぎる)問題意識は、かれらはさほど持っていない。それよりもっとストレートに、「出版ビジネスに電子メディアはどう生かせるか」という前向きで具体的な考えをもっているように感じた。紙かデジタルか、などという教義問答をしている場合ではないのだな、と思ったのが個人的な最大の感想だ。日本の出版界は規模も大きいし、システムもできあがっているのだから、将来を悲観視するのはおかしいといった発言が東アジアのパネラーから相次いだ。まったくそのとおりだと思う。ここまで恵まれた条件で本をつくっている国など、世界中どこにもない。
 
 一言申し添えておくと、今回のシンポジウムは、米子では同時通訳の手を煩わせたが、東京では一部のパネラーが逐語通訳だったほかはすべて日本語で行った。今回の参加者が例外的なのかもしれないが、日本語を話せる出版関係者は、ずいぶん東アジアには増えているのでははないか。東アジアの面々が全員英語で話すという珍妙な風景ではなく、通訳もふくめていろんなクセのある日本語がとびかったおかげで、緊張の中にもどこか和気藹々とした雰囲気になったのは意外だった。
 もっとも、東京でのシンポが和やかな雰囲気となったのは、東アジアのゲスト同士がそれぞれ、一部では面識がすでにあったことと、さらには米子で初対面同士の方同士も寝起きをともにできたことが大きかったと思う。こういうシンポジウムが成功するかどうかは、客席の埋まり具合よりも(米子・東京とも予想より参加者が多く、まずまずの盛況だったが)、参加したパネラー同士、あるいは主催者とパネラーとのコミュニケーションのほうがじつはずっと重要である。米子から東京まで、およそ1週間にわたって東アジアの出版人と寝食をともにしながら話ができたことは、われわれ「本とコンピュータ」編集室のスタッフにとっても、なにより得難い体験だった。
  個人的な思い出としては、レックス・ハウさんが持ってきてくれた、彼が発行している雑誌「Net&Books」の美しさに感嘆した。オールカラーで横組み、図版を多用したビジュアルな本だが、書物と電子文化についての考察がつまっていて、なんというか「本とコンピュータ」と「インターコミュニケーション」とかつての「ワイアード」が一つになったような雑誌だ。「本とコンピュータ」も負けてはいられない。なんだかんだで、東アジアの出版人たちから結局いちばん刺激を受けたのは、シンポジウムを企画したわれわれだったようだ。


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こんな日常……

2002-11-6 水曜日

日本林業調査会 辻 潔 :http://www.j-fic.com/

 今週(10月28日〜11月1日)はこんな感じ。
 月曜日。午前中にデスクワークをすませ、午後から林政審議会という国のお堅い話し合いを2時間半聞く。初めて一般公開されたが、傍聴者は3人しかいなかった。その後、霞が関を中心に取材兼営業。ほとんど成果なし。
 火曜日。午前9時に八王子市高尾にある林野庁の研修所入り。同所を訪れていた大槻幸一郎・千葉県副知事にインタビューする。この方は、農林官僚で初めて副知事になった貴重な人材。職員と一緒に大槻氏の講義を聞いたり、昼食をとったりで、結局午後3時までかかる。研修所周辺の山を散策したかったが断念。そのまま池袋に戻り、夕食兼編集打ち合わせ。

 水曜日。千代田区で開催中の林道研究会に出る。テープおこしを頼まれているので、作家・佐野眞一氏の特別講演(宮本常一がテーマ)を中心に録音。合間を縫って雑用を処理。夕方から隔週で出している「林政ニュース」の仕上げ。その後、この原稿を書く(だから、以下は予定です)。
 木曜日。OMソーラー協会主催の「木材乾燥庫等バス見学会」に同行。飯能から高崎まで、材木店やモデルハウスを訪ねるツアー。そのまま高崎のホテルで、「近くの木で家をつくる運動」の関係者と懇親会。終電で帰京。
 金曜日。午前中は、門前仲町の木材会館で文献調べ。木場の木材問屋組合が再来年、発足100周年記念誌をつくる。その作成作業の一環。調べはじめるときりがなく、いくらやっても先が見えない。夕刻から小社のこじんまりした会合、そのまま飲み会へ。

 ということで、東京周辺でも、何となく「林業」にまつわる動きはあるのです。11月の土・日は、檜原村でLD(学習障害)児の林業体験お手伝い、5月から続けてきた木馬・修羅づくりの仕上げなどでつぶれそう。何だかんだやってるうちに、齢を重ねていく……。以上、近況報告でした。


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ソウルから三ヶ根山そして馬籠

2002-10-30 水曜日

梨の木舎 羽田ゆみ子 :http://www.jca.apc.org/nashinoki-sha/

もう何年も前になくなった作家、堀田善衛の晩年の著作に『未来からの挨拶』があって、この一週間、電車の中や喫茶店で読んでいます。これは都市をテーマにしたエッセーですが、どこを読んでも目の前に生きて呼吸している都市が現れます。
2000年前の古ローマのごみの話だったり、同じ時代からいまに至るパリだったり、モスクワだったり、ラベンナだったり、グラナダだったり、わたしがいったことのない、多分これからも行くことがないであろう街でのできごとが繰り広げられます。
 その中に次のような文章があります。

 かつてヴェトナム戦争が戦われていたとき、私は民族というものには『魔』が棲んでいる、と書いたことがあった。ヴェトナムではその『魔』はヴェトコンというゲリラ戦士に化して、ついにこの『魔』はアメリカの現代武器に勝ったものであった。しかしバルカンの諸民族に棲んでいる『魔』は解き放たれて相互に殺戮しあい、この地の文化文明を悉く破壊するように働いていると見える。(堀田善衛『未来からの挨拶』)

 バルカンのことは、どうなっているか、おさまっていると思えないのですがあまりわたしたちに情報として入ってきません。
 ナショナリズムについて考えてました。でも「面倒なもの」という以外なにかまとまりのあることはうかんでこないのですが、いろいろな局面を見ることで極端にはしることは避けられるのではないかと思います。

 先月末、ソウルの安重根義士記念館を訪ねました。旅行ガイドにないアジアを歩く『韓国』(小社刊)の改訂版のためです。
 ソウルは朝鮮王朝時代の王都、風水思想によって築かれた城壁に囲まれた都市です。王宮である景福宮の南側の要地南山公園に救国の義士安重根の記念館があります。1909年伊藤博文を暗殺し、1910年日本によって処刑された人です。
 韓国では超有名人です。記念館の前には、刑務所で彼が看守に遺したという遺墨十数点が碑に刻まれて残されていて、館内の壁には、その遺墨がかけられています。たとえば「才月を虚しく送るなかれ青春は再び来らず」、「疎水を喫し水を飲めば楽しみその中にあり」。単なるテロリストではない、深く思索をし苦悩した人間像に共感します。彼の生涯をたどったビデオが韓国語版とともに日本語版でも上映されています。たまたまチュソク(日本のお盆にあたる)で休館で、翌日再度出向いて入館できたのですが。チュソクの影響か訪れる人はあまりいませんでした。この記念館がつくられたのは1970年パクチョンヒ大統領によってであり、庭にある数々の記念碑の建立者に財閥が名を連ねるのも事実でした。
 それから10日ほどたって日本の三ヶ根山にある殉国七士の碑を訪ねました。豊橋で新幹線を降りて、ここからはレンタカーを借り約1時間、三ヶ根山ドライブウェイの途中にあります。山頂付近に参道と彫りこまれた石の案内を左に入ると広い駐車場、その奥に木立に囲まれた碑がありました。清瀬一郎ら、東京裁判の弁護人が発起人になって建立されたものでした。
 さらにそこからすこし離れたところに、全国比島方面戦没者慰霊場があります。ここ一帯には大東亜戦争がそのまま生きていました。
 殉国七士の碑は一般には知られていませんし、ここまでお参りにくる人は普段はあまりないようです。4月末に毎年慰霊祭があり、この参道は黒塗りの車で埋め尽くされるということです。
 安重根記念館のほうですが、新羅ホテルの近くから、タクシーに乗ったのですが、場所を運転手さんは知らず、無線で問い合わせた先の人も知らず、調べてもらってやっとあり場所が判明し、運転手さんも苦笑いでした。
 だからといって、安重根を韓国人が忘れてしまったわけではないのです。韓国人の意識の深いところに普段は眠っているのです。強制連行も慰安婦問題も。
 A級戦犯で処刑された人たちは、ある人たちにとっては殉国者です。
極東軍事裁判で国のために死刑となった人たちです。インドのパル判事が全員に無罪を下したように、勝者による一方的な裁判であったという一面があるのも真実でした。よく言われるように。広島長崎への原爆投下は裁かれていないのですから。確かに日本は侵略をした、だが日本を裁くほどに連合国はきれいか。というおもいが、アンビバランスなおもいが、日本人 の感覚のなかにあることもみておかなければいけないと思っています。
 
 この日本人の意識の底にあるのが、西洋に対するナーヴァスな感情。
日本に西洋が登場して以来、江戸末期から明治維新にかけて、そしてそれ以降も、日本にとって西洋は立ち向かうべき、克服すべき対象として常に眼前に立ちふさがっている厚い壁のようなものではなかったでしょうか。
 体育の日の連休に、中仙道の馬籠宿、妻籠宿を訪ねました。島崎藤村の生まれたところで、父親を主人公・青山半蔵にした『夜明け前』の舞台になったところです。国学の教養を身につけた地方の知識人にとって、新しい時代の流入、西洋の登場は、発狂に至らせる葛藤だったのだろうかと山間に静まる家々を見ながら思いました。藤村親子だけでなく、この時代に生きた多くの人びとにとって。それはいまだに続いているのかもしれません。
 
 馬籠の藤村記念館で家系図を見ていて発見がありました。ほとんど私的な関心で、それがどうしたっていわれそうですが、藤村のはじめの妻冬子の旧姓は「秦」で、わたしの羽田も以前は「秦」だったんです。『新生』の作家の妻としての冬子にしばし思いをはせました。

 羽田の本家は、馬籠宿から北に120,30キロ、15宿場さきの和田宿で、わたしの生まれはさらに3宿場ほど江戸に近い望月の宿の手前を東に1里のところ。今は昔ですが、天狗党が通り、和宮が通った道筋でした。


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もうすぐ神保町ブックフェスティバル

2002-10-23 水曜日

風声舎 石井章夫 :http://www.fuuseisha.co.jp/

 今年も、『神保町ブックフェスティバル』の日がもうすぐやってくる。そう、本好きな人間が神保町に集まってくる。「今年は、どんな掘り出しものがあるだろうか」「天気も良いし、神保町古本まつりでも行ってみるか」など、はたまた、買い物ついでにぶらぶら来て「たまには、本でも読んでみるか」などいろんな思いで集まり、毎年、大盛況のフェスティバルです。

 昨年は、2日間の開催予定でした。初日は、晴天に恵まれ、初めて参加しましたわが社にとって、というよりも自分にとって人の多さにビックリでした。この調子で明日も大勢の人でにぎわうだろうとはりきっていたら、なんと雨で中止になってしまい、日曜日だっただけに出展者もお客さんもガッカリだったと思います。自分にとっては、ビックリにガッカリの2日間でした。

 ということもあって、今年は、11月2日(土)・3日(日)・4日(月)の3日間も開催するとのことです。期間中は、いろんな催しが行なわれるようです。『本の得々市』『僅少本フェア』『著者サイン会』等など、このほかにも『子供ランドの開設』や『オプニングパレード』などのイベントもおこなわれるとのことで、実に楽しい3日間になりそうです。

 さて、ここいらで当社の宣伝でもしましょう。当然、当社もこのイベントに参加をします。社名のトラベルジャーナルからいって旅行関係の読み物を多く出品します。しかし、旅行関係以外の書籍も出品する予定ですので旅行関係も含めその一部を紹介します。昨年、一番よく売れたのが、『東京路線バスの旅』『東京路線バスの旅パート2』です。オムニバスエッセイで実際に都内の路線バスに乗っての面白エッセイです。執筆陣は、宮川俊三氏、枝川公一氏、川本三郎氏などです。次に売れたのが『中国旅遊入門』これは、中国の地誌や文化を旅行者のスタンスに立って分かりやすくまとめた読み物ガイドです。今年の初出品は、『そこが知りたいホテル裏の裏の裏』これは、とにかく面白い。また、『この辞書・事典が面白い!』こちらも初出品。関根健一氏、ケリー伊藤氏らが執筆。このほか、まだまだ出品します。当日は、ワンコインセールを行ないますので、ぜひ見に来てください。そうそう、6社合同ワゴンで販売しますので、面白い本がさらに多く見れます。青弓社、情報センター出版局、梨の木社、第三書館、工作舎の本がいっしょに並びますので賑やかになりそうです。


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韓国映画回顧上映会開催

2002-10-23 水曜日

凱風社 新田準 :http://www.gaifu.co.jp/

「韓国映画——栄光の1960年代」と題する回顧上映会が来る11月6から12月25日まで、東京・京橋の東京国立近代美術館フィルムセンター(中央区京橋3-7-6)で開催されます。ほとんどすべての映画が本邦初公開という、韓国映画フリーク必見の画期的なイベントです。
 凱風社は昨年末に、韓国映画百年の歴史とそれにまつわる現代史やエピソードを織り込んだ『わがシネマの旅——韓国映画を振りかえる』(扈賢贊・著、根本理恵・訳、四六判504ページ、定価3300円+税、ISBN4-7736-2603-8)を刊行しました。
 本書を読むと、韓国映画のルーツは何か——が分かってきますが、韓国映画の参考書というより、韓国映画界に半生を捧げて活躍してきた著者だからこそ書けた極上の「読み物」になっています。
 今回の上映会では、韓国映像資料院元院長の著者・扈賢贊(ホ・ヒョンチャン)氏がフィルムセンターの招きで来日し、11月6日に記念講演を行います。
 この機会に韓国映画の歴史を読んでみたいという方は→【版元ドットコムの頁】からお買い求めください。
 なお、本書は上映会場でも販売いたします。この機会に、ぜひご高覧ください。

【2】新刊『グローバル経済と現代奴隷制』の書評がbk1の書評サイトに掲載されています。ご覧ください。


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