地域誌版元人の『望郷心』

2001-8-1 水曜日

千秋社 出口順枝 :http://

 批評社の佐藤英之さんより『版元ドットコム日誌原稿』の依頼を受け担当の私が原稿を書くようになりましたが、こういう事はあまり慣れていないので全く自信がなく出来れば、どなたか文才のある方にお願いしたいと切に願いつつ、これを書いています。

 小社は1968年(昭和43年)全国各地域の歴史・民俗・文化・文芸に関する勝れた作品や研究を、広く世に問うことを目的に設立された出版社です。
 当初は、各県や地域を知る為に手軽な判型で、県別、地域別に歴史、自然、民話、動物、植物、住まいなどをシリーズで刊行しておりました。
 1980年(昭和55年)には地域に関する手軽な本から、歴史にしぼりこんだ内容の濃い、県別や郡別の資料集「郡誌」の刊行を開始しました。
 中味を濃くすることで定価も高くなりましたが、強固な絆で結ばれる読者もいます。

 そして1990年には、市町村別の大型写真集で刊行を始めました。
 このシリーズの統一タイトルを『昭和史』としたのは、1980年頃から刊行してきた地域別の資料集が、古代、中世、近世、.近代と時代を追っていましたので、一部の地域では、順番として昭和時代に入っていたからです。
 誰にでもわかる写真という形で後世に残せるよう、一般市民の衣食住について、できるだけ地域を細分化して、くわしく記録されています。

 このように小社で発行している書籍は、少々堅いながらも、それぞれの地方に住んでいて自分の町や村の歴史を知りたい、又、自分の故郷の歴史を知りたい、そして学問的に研究してみたいという方々にお知らせしたい書籍といえると思います。当社にも、これらの書籍について、様々な問い合わせなどを、いただきます。長くその土地に住んでいらっしゃる方からは、「自分のおじいさんの事が載っているから、知り合いの方に差し上げたい」とご注文戴いたり、又、歴史にも諸説があるので「・・・・・ページに載っている・・・・・・の事は、事実と違うのではないか?」などのご指摘を戴くこともあります。

 あらゆる県のいろいろな町や村の方を接していると、それぞれの地方色豊かな方言や言葉を直に聞くこともできますし、普段、何気なく食べたり使ったりしているものが、こんな場所でこんな歴史を経て作られているのかと、気にしたりもするようにもなりました。
 都会にいて慌ただしく過ごしていると、見過ごしたり、忘れてしまっている「望郷心」を呼び覚まされることがしばしばあります。

 又、小社のお客さまは「老人クラブ」に所属されているご年輩の方々が多く、それらの人たちからTELで直接にご注文を受けることがよくあります。
 地方色豊かな”方言”と”なまり”とおまけに”入れ歯”の三点セットでご住所、お名前、TEL番号、書名、冊数などを確実に聞き取る事は 私事ながら、新入社員の頃は実に苦労しました。
 ご住所をお尋ねすると、いきなり村名を言われてこちらが、当惑していると、そばからベテランの先輩が「・・・それは、何県の何郡よ!」と即座に親切に教えてくれたり、色々と助けてくれました。そういう方達とTELでやりとりをしていると、ここ東京にいながら、しばしある時は”新潟モード”、ある時は”愛知モード”と精神的な体温(? こんな言葉があるのかどうか、しりませんが)が変化します。
「望郷心」に近いものだと思います。

 前にも述べましたが、小社の書籍はかなり堅くて一般的ではなく、又、高額な為に購買者もほとんど、年輩の方で若い人は少ないのが現状です。
 版元ドットコムの加盟についても、ドットコムのサイトを通じての販売はあまり期待出来ないのですが、さまざまな販売チャンネルのひとつとして利用したく、チャンネルは多いほうがよいし、販売チャンネルを増やす意味でも、長い目で見て効力を期待しております。

 千秋社(せんしゅうしゃ)の宣伝ばかりになりましたが、今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。

次回は第三書館・北川さんです。


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『書店はなぜくも消えて行くのか』続篇

2001-7-25 水曜日

青灯社 野崎保志 :http://www.seitosha-p.co.jp

 北海道のある地方都市に、(当然札幌ではない)地場老舗で5店舗を展開している書店がある。総体として売上が落ち込んでいて、取次から3店ほど整理しなさいと迫られているという。確かにどの店舗も活気がなく、客入りも悪く、とても経費をペイできているとは思いがたい。この地方都市の経済力そのもののレベルダウンを反映している結果と考えれば、それもいたしかたないかとも思う。
 5店舗のうち黒字のところが1店だけあるという話を聞き、郊外のかなり遠いところではあったが足を運んでみた。平日の午後3時頃である。結構入っている。30人強の客が狭い通路にひしめいている。雑誌・書籍の売り場が40坪ほどだから、りっぱなものである。しかも肝心のレジも休みなく音を立てている。ほかの店との違いはなんだろうと、棚を見て驚いた。

 さほど広くない書籍スペースに、文芸、人文、芸術を問わず現在の売れ筋や根強い人気のロングセラーものがしっかりと並び、積んである。一見して既刊本に詳しく、最新の情報を正確に捉えている棚作りである。地方都市ということもあり、芸術分野の最新売れ筋は薄めだったが、都内や全国の同規模店と比較しても、その密度の濃さで記憶に残る書店となった。趣味・実用・ビジネス系はわたしの守備範囲外なのでそもそも見ていない。
 担当者に会った。30歳前後の書店歴10年ほどの女性である。多くを語らない。ただわたしの矢継ぎ早の質問に臆することなく私見を言う。そのすべての答えが理にかなっている。場当たり的な棚作りでないことがこれでよくわかった。そうなのだ。こうした読者に対する「攻め」の姿勢がいま失われつつあるのだ。
「自分の考え、自分の理想を棚にこめて表現する」とは、もうなんども繰り返されてきた言葉だが、いまだに生きている。本の需要の乏しいこういう地方都市の郊外店でも(失礼)なにかを語っている棚、アピールする棚は強い。蟻が甘味にたどりつくように(これまた失礼な例えだが)、読者もどこをどう探すのか、いい棚をしっかり嗅ぎ分けて集まってくる。換言すれば、こうした読者が担当者をして棚を作らしめているのだ。

 いま全国の書店をまわっていて、もっとも情けないことはこの書店人のように、棚を通して読者と切々と会話をしてきたベテランの書店人が、ことごとく消えていきつつあることだ。店の方針と合わずにやめていく人、高給料が災いしてやめさせられる人と、そのほとんどが意図せざる退社であった。そしてそのなかで書店業界に残ったのはわずかである。多くの力ある書店人が去り、その数だけ棚は荒廃していった。
 前稿で書店廃業の外的要因をみた。今回はその内的要因に焦点をあてている。それは表面に出にくい「書店の自滅現象」である。地方書店のいまの危機的状況は、その多くが内部崩壊によるものではないかと思える。事業が順調なときは問題ないのだが、経営的に八方塞がりの状況で、社長を支え、事態を乗り切るために手足となって動く人材がいなくなっているのだ。「こいつらと一緒になんとかしよう」という、最後のひとふんばりとなるはずの土俵際の「徳俵」がもうないのだ。だからいとも簡単に諦めてしまうのである。

 一説に(いや、すでに常識か)、地方の書店では年収が500万を越えると肩たたきにあうと言われている。そういう人はほとんどが40から50歳代で、その社の中心的な役割を果たしてきた人たちである。確かに替わりに若い社員を抜擢しても、その給料の差ほど利益が下がるわけではない。当面を乗り切れればいいのだし、なにより「店を潰さないため」という自らを慰める方便もある。しかし、そうした近視眼的対応がすこしずつ自社の体力を奪っていることに気づいていないのか。
 いや気づいているんだろう。気づいていてどうしようもないのだろうと思う。まさに、蟻地獄にはまったようなもので、打つ手がすべて悪い方向にしか結果を出さないということもあろう。しかしと思う。見かけの売上を立てるために、よく市場調査もせずに新規出店をするとか、ノウハウもないのに本以外の商品に手を出すとか、また前述したように、出費を抑えるために社員をやめさせるなどの安易な打開策に走ることはなかったかと。

 わたしにはやめていった(やめさせられた)たくさんの人たちの言葉がいまも残っている。「給料は半分ぐらいになるけど、一緒に建て直そうと言ってくれれば、残るつもりだった」「自分の身を切る覚悟のない社長にはついていけなかった」「毎週ゴルフに行く金があるのなら、店や仕入に使ってほしかった」など。彼らの本にかける情熱は、危機的状況であればあるほど発揮されたのではないかと、口惜しい気がしないでもない。
 書店の人件費の問題が出ると必ず正味問題(書店の仕入値率のこと、高すぎると書店側が業界に要求している)が出てくる。この問題はわたしも出版界全体が早急に取り組まなければならない、最重要課題だと思っている。しかし絵に描いた餅のうまさをいくら語っても腹はふくれない。いまできることを考えるなら、とにかく本を売る原点に立つことではないかと思う。そこで冒頭の北海道にある書店の話に戻る。この書店の棚が語るのは「読者に買わせる」商売から「読者に棚を作らせる」商売への転換である。商空間が売り手のものだった時代は過ぎ去った。それは顧客の作り出す空間であるべきだし、それを実践している小売店は、他業種でもほとんどが成功しているのである。


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「青写真」としてのシステム開発

2001-7-18 水曜日

ポット出版 日高崇 :http://www.pot.co.jp/

 去る6月29日、サイトを移転した。
 使う側からすると、大した変化には見えないかも知れない。が、実は今までとは、サーバを置いてある場所も回線もOSもアプリも、すべて入れ替わっている。

 現在のシステムは、構成からして相当変則的だ。まず、回線にはADSLを使っている。これは、圧倒的にコストが安いからだ。回線料+プロバイダ使用料=2 万円弱そこそこで、最大512Kbpsというのは、一昔前では考えられないスピードである。ADSLは、上り回線と下り回線のスピードに差があり、今回契約した回線の場合、上りは1.5Mbps、下りの512Kbpsの3倍のスピードだ。主にサーバとして使うので、アクセスしてくるお客さんから見れば、版元ドットコムからインターネットへの道はほとんどの場合「下り」となる。つまり、純粋に回線としての選択として見れば、ものすごいムダである。しかし、トータルに見た場合、OCNのISDNによる疑似専用線などよりもはるかに低コスト、高パフォーマンスなのだ。

 サーバの選択にいたっては、おそらく専門家に言わせれば「狂っている」としかいいようがないだろう。メインのデータベースにはMacintoshのG4上で動く、ファイルメーカーProを使っている。これを核に、ファイルメーカーのプラグイン機能でファイル書き出し機能を強化し、そこから出てきたファイルをアップルスクリプトで処理し、メールやftpに振り分けたりしている。転送先にはFAXもあるので、FAXゲートウェイも使っている。また、処理を途中で perlのcgiに渡したり、もうなんでもあり、といった感じだ。
 なぜファイルメーカーか、というと、最大の理由は開発スピードの問題だ。ファイルメーカーの強みは、スクリプトにしろなんにしろ、マウスでコマンドや部品を選んでいけばだいたいのことは済んでしまう部分が結構あるところだ。私はプロのプログラマではない(というか、アマチュアプログラマですらない。なんとか操れるのはHTMLとかAppleScriptとかTeXとか、その程度のものだ。最近忘れられがちだが、一応本業ではデザインをやっている)ので、 CはおろかPerlもほとんど使えない。だが、ファイルメーカーを使ってのWeb公開ならば今までにいくつかサイトを作ってきた経験がたまたまあった。
 いまどきのWebデータベースに関する本や雑誌をひもとけば、やれLinuxでPostgreSQLでPHPでWebアプリだこれぞオープンソースだ、と謳ってあるのが定番だ。それらがファイルメーカーよりもコスト的にも、また潜在的な性能的にも優れていることは言うまでもない。実は、以前のシステムはこれらのOS、アプリを使って作られていた。だがしかし、最後に決め手となったのは、開発スピードと開発に携わる人間のスキルだった。どんなに優秀な材料があっても、それを使いこなす人間がいなければ何にもならない。

 そこで、システム開発の専門家でもなんでもない私に白羽の矢が立ったわけだが、最初に指令が下ったのは、単に「本のデータを登録する部分だけを使いやすいカタチにする」ということだった。それがたまたまうまくいってしまった、ということと、最初に開発してもらったシステムについて、これ以上メンテしてもらえそうもない、という事実が徐々に明らかになり、「ならば自前で」という機運が高まってきた。その機運にうまく乗じて、なんとかここまでやってこれた。現在のシステムのもとになっているのは、サイトからもダウンロードできる、
「書籍登録フォーム」(http://www.hanmoto.com/hanmoto-renraku/tourokuform.html
というやつだ。インターフェース自体がシステムになってしまった、まるでLinuxにおけるGnome(http://www.gnome.org/)のような存在、といったら言い過ぎだろうか。多分言い過ぎだろう。

 また、後になってわかったことだが、ファイルメーカーの処理スピードは決して遅くない。むしろ、以前よりも検索の速度などは明らかに向上している(これは、PostgreSQLが悪い、というよりは、純粋にシステムの組み方であるとか、プログラムの仕方によるものと思われる)。以前の業者が使っていたマシンと、現在のマシンはスペック的にはほぼ大差がなく、むしろ現在の方がCPUのクロック数としてはかなり低い。こういった情報は、絶対に本や雑誌には載っていない。そもそも開発している人間が期待していなかったくらいなのだから。(笑)

 ファイルメーカーの柔軟さにも改めて驚かされた。ファイルメーカーをWebで公開するためには、CDMLという特別な言語をWebページのファイルに埋め込んでいく。この言語の仕様はいたって貧弱で、しかも1999年にver.4(日本語版)が登場してから、その語彙(機能)はほとんど向上していない。こんなもので、本当にモノが作れるのだろうか、すぐ壁にぶつかってしまうのではないだろうか、という危惧を当初抱いていた。メーリングリストなどで情報を集めても「セキュリティがガタガタ」「仕事で使うなんて無謀」といった論調が多く、着手した当初は本人でさえもファイルメーカーにはあまり期待を抱いていなかった。そのうち「コレとコレがダメなのでもう限界です」というレポートを出して終わりになるんじゃないか、という予想図を密かに描いていたりもした。
 しかし、シンプルなのは同時に強みでもある。置き換えタグ、アクションタグという概念がわかってくるにつれ、最終的にHTMLの置き換えに持ち込んでしまえば、ここから先は「業界標準」のインターネットの世界だ、ということがわかってきた。CDMLがどんなに独特な仕様でも、見る側に渡されるのは単なる HTMLとなる。特殊なものが一般化される、この部分に焦点をあてて開発していけばいい、と気づいてからは、かなり開発のスピードが上がったように思う。

 この他にも、DNSだメールだWeb(データベースと連動しない、通常のWebページを表示させる)だ、といった普通のサーバも置かなければならない。こちらは素直にLinuxを使っている。こちらに求めるのは「再起動不要」「フリーズ知らず」といった鉄壁の安定性だ。ディストリビューションは完成度に定評のある(あくまでも、ホビーユースレベルの話であるが)Vine Linuxを使っている。おかげで、こちらはシステムに手を加えたりしない限り、まったくノートラブルで運用できている。やることが決まり切っているので、そういう場合は運営側のスキル面に不安があっても、安定している方がいい。事実、こちらのサーバの構築には1週間もかけていない。その後もほとんど手が掛からない、なかなかいい子である。

 とはいえ、現在のLinux+ファイルメーカーを動かしているMac一台ずつ、というサーバ構成が完成形とは思っていない。むしろ、いきあたりばったりに開発してきたシステムを、いつかはもう少し「キレイな」システムに作り替えたいというのが偽らざる本音だ。それに、将来的には、やはりもっともっとミッションクリティカルなシステム構成にしていかなければいけないと思っている。そのためには、結局Linux(UNIX)ベースのシステムを選択する日がいつか来るだろう。ADSL回線も、いつかは光ファイバにとって代わる日が来るだろう。だが、システム開発は本来、常に「仮の姿」として存在している、という風に思うことにしている。現在のシステムは将来のシステムのための青写真なのだ。


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出会い

2001-7-11 水曜日

径書房 岡部友春 :http://www.komichi.co.jp/

 いまの会社にアルバイトで入ってからもうすぐ丸7年を迎えようとしている。3年目から正社員となったはいいが、営業とは名ばかりの仕事をしてきた私が、最初で最後(?)の出張に行くことになった。
東京から異動になった書店員さんや大学時代の友人などから「遊びに来なよ」と以前からずっと言われつづけいたこともあり、新刊がまあまあ好調だし、書店の方には挨拶してポップを渡してくればいいっか、という安易な気持ちでいざ名古屋へ。

 事前に他社の営業担当者数人から、行ったほうがいい書店さんとそこの担当者さん、書店のある場所、営業しやすいルートなどを聞いていたため、お店を探すことやお店に入って担当者さんを捜すことに大した問題はなかったが、「今日は休みです」と軽くあしらわれること数軒。

 このとき、今更ながらに学んだことは《営業するならば事前にアポイントメントを取ってから》である。本来は都内の書店さんでも、担当者さんがいる日時を確認し、アポを取ってから営業に行くべきなのだろうが、都内すらろくに回れていないのにそんなことが身につくはずもなく…。
 しかし、今どきアポもなしに営業するのは出版業界と押し売り(いまは訪問販売っていうのかな)ぐらいじゃないですかねえ。

「私、○善のIさんとは仲がいいんだ」と交流のあるB社のMさんから聞いており、Mさんの話で盛り上がればいいや、という軽い気持ちで、Iさんが仕事をしていると思われる売り場に乗り込んでいった。
 早速、恒例の自社本チェックをすると、その店の棚には小社の売行良好書が! 平積みだ!! しかも3点も!!! もうウキウキ気分で挨拶に向かう。
「Iさんはこちらの担当だとお聞きしたのですが、Iさんは…」
「Iは担当場所が変わりました」
「エッ?!」
「だから、ここはいま私が担当しているんですッ!!」
「じゃあIさんは…」
「別の担当をしています」
「そ、そうなんですか…。あ、あの本、ひ、平積みしてくださってありがとうございます」
「いえいえ…」
 ウキウキ気分はどこへやら、重い気分で軽く挨拶をした後、Iさんの元へ(棚の担当者さんを大事にせず、知り合いの人のほうを大事にする悪しき習慣)。

 緊張しながらもIさんに挨拶すると、「あの本は売れてますよ。刊行してからだから、かれこれ7〜8年は平積みしてるんじゃないですかねぇ。あれだけ長い間平積みしている本ってもうないんじゃないですか。ずっと平積みして売っていきますよ。新しい担当者にも念を押しておきますから」と涙がこぼれ落ちそうなくらいありがたい言葉を頂戴した。これで気分も元に戻り、B社のMさんネタで盛り上がり、ついでに近刊の話でも盛り上がった。
 Iさんとお会いできただけで、出張した甲斐があったなあ。

 後日談。Iさんが、とある会に来賓として呼ばれ、上京された。小社はその会の会員社ではないので、参加する方に「Iさんによろしく伝えておいて」とお願いしておいたら、「7年以上も(径書房の本を)売り続けていて、初めて営業の方が出張に来てくれて本当に嬉しかった」と仰っていたとのこと。またもや涙が…。

 さらに後日談。そんなIさんも○善を辞めることになった。辞める前に、出版社の方に挨拶をするために上京してきた。というより、いろいろな出版社の方が労いの会を開くために呼ばれたそうだ。人徳というか人望というか…。
 そんな忙しい折にも「一日空けましたから飲みましょう」と。まだ一度しかお会いしていない人間に対して、この心遣い。三度涙が…。いまではちょっとしたメル友。近況を報告しあうような仲になった。Iさんは現在、アルバイトをしながら就職活動中。個人的にも書店員を続けてほしいが…。
 いつかまた、何処かでこんな出会いがあることを願いつつ、日々精進していこうと意を決したのである。

 上に出てくる売行良好書3点とは『自分を好きになる本』『おとなになる本』『夢をかなえる本』です。

 最後に、径書房は「こみちしょぼう」と読みます。決して「怪」しくもなく「みち」でも「けい」でもありません。「こみち」です。これを機にみなさん覚えてください。
 よろしくお願いします。


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つまらない本屋

2001-7-4 水曜日

 先日発売になったインターネット白書(インプレス)によると日本のインターネット利用者は3000万人を突破したそうだ。
 私がインターネットを始めた頃(94年ごろ)は非常に遅い回線でInternet ExplorerはもちろんNetscape Navigaterもない時代だったことを考えると、ここ7年での進化のスピードは驚きだ。当時は接続したらお風呂に入ってお茶を一服飲んだら、丁度ページが表示されるぐらい遅かった。それから回線やパソコンの発達もあり、利便性が増したので、ここまでの利用者になったのだろう。
 しかし否応無しにンターネットを利用せざるを得ない状況を作り出しているのも事実である。

 最近の世の中の傾向として皆同じ流れに乗る傾向がある。
 前回文化ファシズムの話があったが、最近の世の中はいつのまにかファシズムが浸透しているように思える。
 例えば小泉純一郎首相は私の好きな政治家ではあるが、彼や田中真紀子氏を攻撃すると抗議が殺到するというのでは真の民主主義国家とはいえない。
 民主主義には「あなたの言うことに100%反対だが、あなたがその発言をする権利は命をかけて守る」と言う本質があるのだから、議論を封じ込める風潮や異端を排する傾向は心配である。首相の支持率もそうだが、ドラマなどの視聴率にも偏りが見られる。皆同じことを同じようにやるのが当然という風潮があり、良い傾向だとは思わない。一時期流行ったルーズソックスや厚底ブーツも同様である。
 もっと自主性をもって行動する必要があるのではないか?

 この傾向は出版業界にも存在する。
 私はこの版元ドットコムに会友として参加しているが、出版業界とはゆかりのない人間である。
 私は小学校から高校までを名古屋で過ごしたのだが、その当時はかなり本を読んだ。最近はあまり読まないのだが、自分ではそれを本屋のせいにしてしまっている。
 本屋がないのである。もちろんコンビニのような本屋はいっぱいある。入ったところにはどこにでも売っているような売れ筋と称する本が並び、なんら代わり映えがしない。欲しい本を買いに行ってもない場合も多い。5冊シリーズで2冊欠けている場合、店員さんにいえば本棚の下から出てくるのだろうと思っていると、棚にない本はないという。
 本屋さんも不況で大変のようだが、それなりに著名な本でもこのようなことはよく最近ある。
 しかしこの大変な時代に前述のような「右にならえ」の戦法では苦しむのは当然である。あの本屋にいけばこういう本があるだろうという個性をださねば消滅するのは時間の問題だ。味のある本屋はもう復活しないのだろうか?
 インターネットの普及で情報はほとんど手に入る。ネットの中で本の購入も可能だ。しかし本屋にいってたまたまいい本を見つけた感動を久々に味わってみたい。コンビニのような本屋だけでは探す楽しみも失せてしまう。

 さて、ここまでインターネットが普及したということでホームページを開設する個人・会社も多い。3年ほど前から就職活動にインターネットは必須である。携帯電話のメールも当たり前のように利用されている。
 しかし有効に活用していない人も多い。流行に流されて始めてしまったからだろう。これも本屋と同じで自主性に欠けているのである。
 その原因に自分(自社)のウェブサイトがどのように利用されているのか、どんな人が利用しているかなどを想定して運営していないことや分析をしていないことがあげられる。
 当社は2月にアクセス刑事を採用した。
 彼はお客の依頼に応え、ウェブサイトへのアクセス状況やリンク元などを解決することを任務としているが、今や数百の顧客を抱えるほどである。
 アクセス状況などを計測したい方は是非アクセス刑事をご指名していただきたい。
http://www.kan-net.com/

 つい自社の宣伝をしてしまいましたが、私は版元ドットコムに会友として参加しweb編集のお手伝いなどをしています。

 今後web制作やシステム構築だけでなく、インターネット広告市場やASP事業への参入を検討・準備中です。
 是非御用命ください。


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「個人情報保護法案」に関して

2001-6-20 水曜日

皓星社 前田博章 :http://www.libro-koseisha.co.jp/

「ダカーポ」6月6日号(マガジンハウス刊)掲載の<個人情報保護法案なんていらない!>を読んで、またぞろエライ法案が進行中であることを知った。出版社に席を置きながら何を寝惚けたことをと、会員・会友諸兄からお叱り受けることと思います。風営法・暴対法このかた、ことの重大さが身に染みるよりも早いペースで斯くも容易に次々と楔が撃ち込まれているらしいことに対して「何をなすべきか」。今回、営業日誌のテーマより大きく外れます、ご勘弁下さい。

 まずは、多少長くなりますが引用から。

「<言論><暴力>を対立する概念と規定するところから、文弱の思想が生まれ、戦後擬制の民主主義の迷妄は発する。言論は暴力であり、武闘と文闘とは権力を撃つ双つの矛であるという認識を私たちは持たなくてはならない。さもないと、天下大乱に先立つ言論統制は、再びなべての反体制的言辞を容易に圧殺してしまうであろう。
 ニッポン低国の官憲は、すでに大がかりな思想・表現・言論の弾圧を始動しつつある。『週刊ポスト』“衝撃の告白”事件(2名の社外記者逮捕)は、そのまぎれもない予告であるにもかかわらず、新聞ジャーナリズムは、“低劣週刊誌”キャンペーンに汲々たるありさまであり、総合雑誌もそうした次元の低い問題にはわれ関せセズである。
 私が無名性の回復を志すゆえんは、国家権力との私闘を貫徹していく以上、いずれは当然のなりゆきであるという判断にもとづくものであり、ことさら奇矯を衒うのではない。もうそこまで、冬の時代が迫ってきていることを、私は予感する。ゆえに暗黒に待ち伏せて、言論の暴力の回路を確保して、敵を迎え撃たねばならないのだ。このような発想を被害妄想とわらえるのは、筆を折られたことも、ものを書くことに暴力的な干渉をくわえられたこともない、幸福な人々である。」

 以上、ご存知の方も多いと思います。出典は竹中労著 『ルポライター事始』(ちくま文庫版)所収「言論暴力とは何か?」<初出は1971年『展望』掲載>と題された文章。これを読んだ当初、<言論>と<暴力>を結びつけるとはなんと極端な論理であることかと思った。
 しかしながら冒頭の「ダカーポ」記事を読むとまさしくそのような<冬の時代>が執行段階にあること明白。その上、ここ一週間で予防拘束を含む刑法改正までプログラムに載ってくる可能性が出てきた。

 こころしたいのは風営法・暴対法の延長線上に破防法を持ってきたこと。はじめにエロと暴力という環の中で最も弱い部分から手をつけてくるということ。記事中、「青少年社会環境対策基本法」にも言及している、<有害図書とは何か?>。「我々は出版活動を通して青少年育成をはじめとする文化活動に貢献しているのだから<有害図書>の版元とは自ずと別だ。」といった
態度が同じ結果を招くことになる。
 戦中、「中央公論」や「改造」までもが出版できなくなくなった状況が現行憲法の元で鵺のように進行してゆく。「何をなすべきか」。

 今回はテーマを俎上に乗せるに留まります。

 「ダカーポ」記事については、講談社とマガジンハウス内に「共同アピールの会・事務局」が設けられているようです。宮崎学さんのホームページにレポートがアップしてありますので、まずはそちらからご覧になった方がよろしいかと思います。

  http://www.zorro-me.com/2001-4/010419.htm

 個人情報保護法案全文は以下より

  http://www.mainichi.co.jp/digital/houan/01.html

 以上。


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ベスト・セラーと教科書問題

2001-6-6 水曜日

現代企画室 杉山弘 :http://www.shohyo.co.jp/gendai/index.html

 出版社の営業担当という仕事柄、ほぼ毎日どこかしら本屋さんには足を運ぶ。自社の新刊本の売れ行きや在庫確認はもちろんのこと、その本のねらいにふさわしい書棚をあれこれ探すことなど、やるべきことはけっこうある。キョロキョロとした眼つき、ウロウロした態度、こんな風体のものに本屋さんで出くわしたら、出版社の営業にちがいない。

 足しげく本屋さんを訪ねては、書棚や新刊台、フェア台を眺めているのだから、今どんな本がどのくらい読まれているかくらいは、自ずとわかるようになる。考えるべきは、どうしてそれが売れているのか、読まれているのかだが、これはなかなか難しい。
「新しい歴史教科書をつくる会」や「自由主義史観」を標榜する人たちの動きがとり沙汰されて久しいが、書店の棚や平台は依然として、それをめぐる攻防の舞台だ。日本固有の文化や歴史なるものをことさらに言い募るかれらの書物にならべて、そのもくろみを批判し、記述の誤りを指摘する一群の本をとりそろえ、「教科書問題を考えるフェア」を催している本屋さんは少なくない。また、ある書店員によれば、ここ数年「どうして<自虐的>な本ばかり置いているのか」といったクレームをいうお客さんが増えているらしい。

 ところで、西尾幹二著『国民の歴史』(産経新聞社)は、どれくらいの人びとに読まれたのだろうか。先日、新宿の書店でたしかめたら、2000年の2月で7刷になっていた。通勤電車のなかで件の本に読みふける人を二度見かけたことがある。若い女性ともう一人は中年のサラリーマンだったが、「歴史」や「日本史」というコーナーにあって、この『国民の歴史』の売れゆきはたしかに抜群だった。では、なぜこの本は売れたのだろうか。

 それを問うためには、忘れてはならないもう一冊のベスト・セラーがある。1991年刊行の網野善彦著『日本の歴史をよみなおす』(筑摩書房)だ。こちらは99年4月までに27刷を重ねている。あるいは、同じ著者による『「日本」とは何か』(講談社)でもよい。これも昨年10月の刊行以来、わずか3ヵ月で 5刷である。網野善彦さんといえば、さまざまな「職人」や「海民」ともいうべき人びとに注目することで、これまで「農民」や「稲作」中心に想定されてきた日本史叙述の見直しを提唱したり、「東と西」という視点によって、均質とも、単一とも言えない、この列島の文化を描いてみせるなど、ユニークで、しかも読ませる歴史学者としてよく知られている。『国民の歴史』とならべて論じることは、見当ちがいなことだろうか。

 このところ網野さんの本には必ずといっていいほど、戦後歴史学(講座派の流れをくむマルクス主義史学)への批判的なコメントがある。「国民的歴史学運動」に自ら率先して参加したいきさつがあるから、その筆致は厳しく、また自己批判的だ。

 やや専門的な言葉でいえば「戦後歴史学批判」となるわけだが、読者の気分としては、むしろ、こういうことだろうか。「学校では学べない いちばんホットな日本史」、これは『日本の歴史をよみなおす』にまかれた帯の言葉だ。一方『国民の歴史』のそれには、「歴史は、こんなに面白くてわかりやすいのか」とある。そこに込められた思想も方法論もあきらかに異なる二冊だが、これを手にとりベスト・セラーにした人びと、つまり読者が、学校で学んだ歴史はわからない、つまらない、とか歴史は学校では学べない、と考えていることだけはまちがいなさそうだ。

 戦後の歴史学は、よく眺めてみれば、折にふれてさまざまな問題提起があり、叙述や論述の方法をめぐって論議がおこなわれてきた。「昭和史論争」があり、「民衆史」や「地域史」の台頭があり、またフランスのアナール派などに刺激をうけた「社会史」からの提起もあった。そこでの議論は学会や専門研究者たちのなかにとどまりがちだったが、網野さんの著作のベスト・セラー化は、その議論が読者一般に、言いかえれば世間にはなたれたことを意味している。そしてまた『国民の歴史』がよく売れたことも、著者のナショナリティを煽るもくろみとは別に、この流れのなかで考えてみる必要があるのではなかろうか。

 人びとをして「わからない」「つまらない」という気分にさせてしまった戦後の歴史学のありかたも、この際きちんと省みていこうではないか。「新しい歴史教科書をつくる会」や「自由主義史観」をいう著者が描く歴史書にしたって、やっぱりわからないし、つまらない、との声が聞こえてくるのもそう遠いことではない、と思うので。


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極端な行動力を持つ人間たち

2001-5-30 水曜日

雲母書房 渡辺弘一郎 :http://www.kirara-s.co.jp/

 このところ、といってもここ2年位だが、夜な夜な誰彼と呑んだくれる日々が続いている。元来下戸であったからこの調子で行くといつ肝臓が壊れるのだろうかと時折不安がよぎるが、酒好きになってしまったんだからまあ仕方ないと相も変わらず呑み続けている。
 本郷村の零細出版社に潜り込んだのが5年前、それはそれで極めて楽しいことでもあったが、夕方も6時を過ぎるとどこからともなく客が現れて何となく「さつま白波」を汚いコップに注ぎ始めるのがそこいらの流儀であった。それでもなお仕事をしていると「おい、仕事やめろ!呑め!」と怒鳴られたこともある。アルコールに全く免疫がなかったわたしが隠れた酒好きになるのにそうは時間はかからなかった。
 その後不義理を重ねて随分転職を繰り返してきたが、酒を呑む習慣だけは身体に染みついてしまっている。酒のみになってしまったことで「本郷村のオッサンたちが悪い」などど毒づいてみても呑むのは自分のことだし、これ以上言うとお世話になっている皆様から苛められそうだからやめておく。

 生きることにこれだけ選択の幅がひろがっているにもかかわらず、こぢんまりと自らを限定して楽に生きようとする人が多くなってきた。情報があってもそれを身体には取り込まない。ただ茫洋と見ているだけの流れゆく情報。選択するのは自分自身であるにもかかわらず。自らの足で行動し、自らの意志で生きることをやめた現代人たち。

 関西大学探検部とここ2年ほどつき合っている。現代において、探検部という活動或いは探検という言葉そのものの意味が崩れかけている。人類はその飽くなき探求心と行動力でこの地球上を制覇してしまった。未知なる土地、地図上の空白はもう存在しないのである。
 関大探検部は未知なる土地がないのなら、誰もやったことがない未知なる行動をすれば良いだろうと、樹上を歩くというテーマを考えた。それもなるべくなら人があまり入っていないところを。
 調べていくうちに彼らは熱帯雨林の樹上で生活するというアイデアにたどり着く。これが実は人類に残された数少ない未踏の部分なのである。熱帯雨林の葉で覆われた樹上部分を「林冠」あるいは「天蓋」と呼ぶ。そこには数多くの動植物が存在し、生態学者たちにとってもまだ多くの謎が残されている。何故研究が遅れているかというと、熱帯雨林の林冠部は地上から20〜30メートルの部分に当たり、アプローチすることが極めて難しいからである。「だったらオレたちがやってやろうじゃないか」と彼らは行動をおこした。

 2 度の調査を経て、遠征地をマダガスカルに決定した彼らは、木の上にテントを張り、地上に降りることなく木から木へ1000メートル移動するという目標を設定する。しかも、どうせやるならただ移動するだけでなく、そこに生息する動植物のサンプリングや、林冠研究の方法論までつくってしまおうじゃないかと準備に入った。結果的に彼らは目標を達成したのだが、実際の遠征よりも遙かに苦労が多かったのが準備段階である。
 それぞれ文系学部に籍を置く学生である彼らが、いきなり生態学分野の研究ができるわけがない。まずは図書館に潜り込み、参考となる文献を読みまくったというが、あくまでそれは本の中での話である。マダガスカルで彼らが研究対象としたのは探検の技術そのものは別として、蘭、着生植物、昆虫、海産物といった生態学の部分で、それぞれどのようなやり方をすれば良いか、日本にいる専門家に指導を仰いだ。中にはその学会の人間でもそうおいそれとは近づけないような世界的権威にも彼らは遠慮なく近づいていった。概ねは暖かく応援してくれたという。結果、ある程度の目標と学者たちの支援を取り付けることに成功した。

 次はカネの問題である。方々で値切ってかなり安く済んだとはいうが、それでも一人頭の遠征費は100万円かかる。しかも資材は別である。身近なところでは親を騙すことからはじめ、準備の合間を縫ってアルバイトをし、様々な企業から資金、機材、薬品、食料、通信等の援助を取り付けた。さらに、自分たちの行動を身内だけで分かち合っていてもつまらないと、新聞、雑誌、テレビ局にも働きかけ、遠征記を発表するメディアにまで自分たちで渡りをつけた。
 現地からの遠征許可も受け、カウンターパートと通訳の人選も終わり、さあいよいよ出発というときに突然「矢張り許可できない」という知らせが届いたときも、彼らはマダガスカル政府や欧米の研究者、NGO団体を敵にしたり味方にしたりしながらねばり強く交渉を重ね、結局自分たちの意志を通してしまった。この行動力!

 わたし自身の行動範囲は今のところ狭いかも知れない。しかし、極端な行動力を持つ人間はいつの世にも必ずいるものである。そうした人たちの行動を読者に伝えていきたいと思う。刺激を与えたいと思う。書籍というものは極めて少ないロットでありながら、表面をなぞるだけの新聞や、情報を凝縮しすぎてしまうテレビなどと違って、コアな部分に訴えかける力を持つ数少ないメディアである。
 今ある読者はいずれ死にゆくものである。刺激を与えきっかけを作り、新たな読者を掘り起こすことをしなければ、書籍というメディアは衰退する一方ではないか。著者を喜ばせるのではなく読者を喜ばせ、自らの狭い生活環境を脱却して、ささやかながらも「伝える」という行動をしなければならない。版元にある役割はきっとそこにあるのだと信じている。


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『オイラーの無限解析』邦訳出版!

2001-5-23 水曜日

海鳴社 辻 信行 :http://www.kaimeisha.com/

「オイラーを読め、オイラーを読め、オイラーこそ我らすべての師だ」、とラプラスが推奨して以来、数学ファンにはオイラーの著作はある種のあこがれの的でした。しかし、ラテン語の壁は厚く、訳出しようという勇気のある人はいなかったようです。ところが小社からまもなく『オイラーの無限解析』が出版されるのです!

 邦訳は原書の「無限解析序説」(全2巻)の第1巻目にあたりますが、B5判で370ページにのぼる大作であり、訳出に5年の歳月を要しました。訳者は九州大学の高瀬正仁先生で、緻密で忍耐を必要とするこの仕事を見事完遂され、6月に刊行いたします。みなさん、拍手喝采をお願いいたします。

 定価(本体)は5000円ですが、「これが売れたら」高瀬先生の力作『紀見峠を越えて』を出版することを約束しました。これはわが国が誇る数学者・岡潔の伝記ですが、『オイラーの無限解析』が皮算用以下であっても、高瀬先生の努力に報いるべく、多分出版することになるでしょう。

 わが国が誇る数学者といえば、和算家・関孝和を忘れることはできません。彼は1708年に没していますが(ちなみにオイラーが生まれたのは1707年)、いまでいう「線形代数」を発見しています。これは現代の量子力学でさかんに活用されているものです。

 じつは海鳴社はこのところ村上雅人著の『なるほど虚数』(1800円)、『なるほど微積分』(2800円)が好評のため、「なるほど」シリーズを村上先生に頼んでいて、6月には『なるほど線形代数』(2200円)も出します。村上先生はアメリカで教育を受けた経験があるためか、解説が丁寧で日本のものとは一味違ったわかりやすいものとなっています。そこが好感を受けているのでしょう。

 というわけで、海鳴社は地味ながら、しばらくは数学書を中心にぼつぼつやってまいりますので、よろしくお引き立てのほどを……。


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いつも元気をありがとう!の書店さん達

2001-5-16 水曜日

オフィスエム 丸山慎二 :http://www.avis.ne.jp/~emu/

全国で書店がどんどん潰れている状況はここ信州も同じです。長野県の場合は、地元の大型チェーンと中小規模店が何とかうまく同居していた。そこへ数年前から、隣県の大型書店(というか貸しビデオ+CDの複合店)チェーンが入りこみ、そのバランスが一気に崩れてしまった感じがあります。
 県内都市部の郊外に行けば「え、ここもなの?」というほど、様々な量販店に混じって、1kmと離れていないところに同規模の大型複合店がどおんどおんと建っている。並んでいる、と言ってもいいところもある。いくらなんでも、神田や池袋じゃないんです。これだけ近いと、お客は何を根拠に店を選ぶのでしょう。店の差別化だって限界があるし(田中康夫知事コーナーはどこも定番になっている)……。激しい出店競争の裏には、「ここままじゃやられる」という意地みたいなものが見えるようで、ちょっと心配になってきます。その一方で、昔からある街の書店が一軒また一軒と閉じていくという現実に、やりきれない気持ちがします。
 版元も書店も、みんな困って焦っています。でもそんな中、毎日がんばっている書店員さんがいます。

[A 書店]営業で行く時、「今度はどの版元をゲットしましたか?」が挨拶になってます。店長がこれは、と目をつけた商品(群)を版元と直に交渉して仕入れ、自作ポップでオリジナルフェアを次から次へ展開しています。青果市場で旬の野菜に目を光らせている八百屋のオヤジに会っているようです。彼にとって一冊の新刊はきっかけにすぎず、そこから埋もれていた既刊本を縦横無尽に組み合わせていくのです。「こんな本があったの」と客をビシビシ刺激している店です。がんじがらめに見える本の流通なのに、こんなに奔放に(見える)やれるなんて、本屋は面白い!って思うのです。ノーテンキな私などいつもこの八百屋オヤジに怒られているんですが、必ず元気をもらってきます。

[B書店]近くにどおんと大形複合店が建ち、本のみで勝負するこの店にも影響が……最近の店長さんの顔色からもうかがえます。ただ、若い店員ががんばっています。まだ若輩者の不肖営業マンが見ても丁寧な棚づくりだと感じます。忙しい中、彼女は私ら版元の話をじっくりと、根掘り葉掘り聞いてくるのです。なぜこの本が作られたか、誰に読ませたいのか。そこから「この店でどう売るか」を探っていく。話している内にこちらサイドの販売方法を発見することもある、小社にとって強い味方です。

[C書店]商店街にある老舗書店。商店街でモノが売れないご時勢だが、昔からの外商をこつこつとやっている。私なんぞが生意気に言ってはいけないのですが、社長さんは試行錯誤の末、本を一冊一冊手渡ししているお客さん=この店の原点、に戻っているように見えます。同じ市内の外商専門店が高齢化で店を閉じることになり、顧客をすべてあなたに引き継いでほしい、と依頼されたそうです。お客は世代が変わっても「この本屋に」と引き継がれている。「本は無駄にしない」と、古書の資格も取るという社長さん。この人の話を聞いていると、昔ながらの「本のぬくもり」が伝わってくるのです。


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