アフガニスタンについての本の成り立ち

2001-12-26 水曜日

現代企画室 太田昌国 :http://www.shohyo.co.jp/gendai/index.html

 映画と出版を組み合わせて文化的な大事業を展開してきたK書店やT書店のひそみにならうなどというのはおこがましい。私たちの場合は出版も小規模、映画(上映および製作への部分的な参画)もまた手づくりに近い小規模な形での関わり合いなのだが、機会があればこのふたつの文化表現媒体を絡ませた形での仕事 を続けて、20年近く経った。映画との関わりというのは、南米ボリビアのウカマウ集団の映画の自主上映と共同製作なのだが、それに関わり合いながら発想した本の企画は、歴史・ラテンアメリカ文学など、けっこう多い。昨年は監督のホルヘ・サンヒネスを招請し、全作品上映を手がけたこともあって、映画関係者との付き合いが深まった。http://www.shohyo.co.jp/gendai/ukamau/

 監督を招いて、小映画劇場とはいえ1ヵ月間ものあいだ全作品を上映するとなると、宣伝などの実務はたいへんなものになる。昨年の秋から冬にかけては、多忙をきわめた。そして、その道のベテランとの共同作業で、新しいことをずいぶんと学んだ。宣伝の任務を手際よくやってくれたグループは、2001年から02年にかけては、イランの映画監督モフセン・マフマルバフの新作『カンダハール』の上映に関わると、以前から言っていた。彼の作品は日本では2000年にはじめて公開され(『パンと植木鉢』『ギャベ』など)好評を博していた。カンダハールと聞いても、まだピンとこなかった日々は、ついきのうのことだ。

 「9・11」の事件が起こり、「報復戦争」が呼号されて、これから世界はいったいどこへ向かうのかと不安な気持ちを抱えていた9月下旬、あの映画宣伝担当の人から、小冊子が送られてきた。「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」と題されたそれは、『カンダハール』を撮り終えたばかりのマフマルバフの文章を翻訳したものだった。2001年3月、アフガニスタンのターリバーン政権によって、偶像崇拝はよくないとの理由で行なわれたバーミヤンの仏像破壊は、日本でも大きく報道されたが、マフマルバフの文章がその事件を暗喩していることは明らかだった。
 私は、バーミヤンの仏像破壊について、自分でも小さな文章を当時書いたこともあって、(http://www.shohyo.co.jp/gendai/20-21/2001/daibutu.html)興味津々、彼の文章を読んだ。そのころはすでに、米軍がいつアフガニスタンへの爆撃を開始するかということが、メディアの話題になっていた時期である。カンダハールという地名も、米軍が「敵」と定めたアルカイーダの兵士や、もしかしたらビン・ラーディンも姿を潜めている場所として取り沙汰されるようになっていた。
 世界最強国の大統領が「やるぞ、やるぞ」と言い、多くの国々の政治指導者や軍事指導者がそれに無批判に追随している以上、世界中がよってたかって最貧国を攻撃するという、信じがたい戦争が差し迫っていることは明白だった。あまりのことに呆然としながらも、この愚かな行為を批判するためのどんな小さなことでもやる必要があると思えた。そんな気持ちの時に、そのマフマルバフの文章に出会ったのだった。アフガニスタンの隣国イランの人であるマフマルバフは、『カンダハール』以前にもアフガニスタンをテーマとする映画を製作しており、外国軍の侵略・内戦・飢餓・旱魃ーーと、長いこと隣国の人びとに襲いかかっている苦しみのさまを、内部から見る視点を備えている。もちろん、イランの知識人が外部からなしているアフガニスタン「解釈」ではあるのだろうが、それだけ言って片づけるわけにはいかない、表現の切実さをもつ文章だった。上に引いた表題に彼が込めた意図は、「ついに私は、仏像は誰が破壊したのでもないという結論に達した。仏像は、恥辱のために崩れ落ちたのだ。アフガニスタンの虐げられた人びとに対し世界がここまで無関心であることを恥じ、自らの偉大さなど何の足しにもならないことと知って砕けたのだ」というものだった。この文章は、バーミヤン仏像破壊の直後に書かれており、当然にも「9・11」以前なのだが、俄かにアフガニスタンへの関心を外在的に高め、最悪の形でその国に干渉しようとしている世界のあり方をも射抜いてしまうだけの、批判の力をもつものだった。
 このような本こそが求められていると思い、緊急出版したいと考えた。翻訳者や映画『カンダハール』の配給担当・宣伝担当の人たちと相談した。マフマルバフの意向も尋ねたうえで、緊急出版が決まった。突貫作業を行ない、1カ月半後の11月20日過ぎには書店の店頭に並ぶことになった。
 発売後しばらくして、知り合いの大学生協の書店員から電話があり、すぐ売れたので追加注文したいと言ってきた。「いろいろ出ているけど、やっつけ本や戦争を煽る本ばかりで、そんなに売れてないよ。この本とチョムスキーの本(文春から出た『9・11 アメリカに報復する資格はない!』のこと)くらいじゃなにの、本当に売れていくのは」。
 売れているとはいっても、宣伝力のない私たちのこと、大出版社の本からすれば、ささやかなものでしかない。でも、米国大統領や日本の首相をはじめ政治家の言動に「否!」と言いたい人びと、マスメディアの一方的な報道に不信感をもつ人びとの手に確実に届ける努力をしたいと思う。

 それにしても、本というものは、人と人の繋がりのなかで発想され、出来ていくものだということを、あらためて実感する貴重な経験だった。


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「沖縄訪問記」うちなーすばとリュウキュウコノハズク

2001-12-19 水曜日

雲母書房 渡辺弘一郎 :http://www.kirara-s.co.jp/

 うちなーすばとリュウキュウコノハズク 幸運というべきか、今年に入って3回目の沖縄である。沖縄も随分安く行けるようにはなったが安月給の身、そうしょっちゅう飛べるわけでもない。必ずしも沖縄にハマったということでもないが、兎に角沖縄に行くとウンコの出がいい。行けば必ず泡盛を浴びるように呑んでしまうため、健全な生活をしているということは絶対にない。にも関わらずこの体調の良さ、気候があうのか食い物があうのか胃腸をはじめとして身体も精神も高揚してくる。 

 会社としての仕事は今回は1日だけ、営業をしてくるとか企画を立ち上げてくるとかいう言葉にいつまでも騙されてくれる会社でもなく、3泊4日の訪沖の間、会社負担は1泊のみである。折角の沖縄だ、構うものかと土日と代休を利用して沖縄を歩き回ってみることにした。貧乏を幸いに、少々汚い宿や粗食にも十分耐えられるよう身体は鍛えてある。それに沖縄の食い物は安くて旨い、宿も探せば安いところはいくらでもある。余計なお土産でも買わなければ、東京のつまらない居酒屋で同じ顔と呑んでいるよりよっぽど安く暮らせるのである。

 某NR出版会の販売促進会議をたった30分で辞して羽田へ向かう。このときのオレの完爾とした笑顔を見せてやりたい位だ。煩悩の全てを忘れ飛行機に乗り込んだ。テロ事件の影響か10月に行ったときは半分以上が空席だったが、今回は満員。不景気と相まって落ち込みの激しい沖縄観光業界の資金繰りはいかばかりかと思いを馳せることもない。入社以来未来永劫不景気ではないかと思われる出版界に身を置くものとして、よそ様の景気がどうなろうと知ったことではない。

 寝不足の身、うとうとしながら気がつけば那覇空港。午後7時到着の便だというのにTシャツ一枚で十分という暖かさ。空港のカウンターでレンタカーを予約する。沖縄のレンタカーはタクシーよりもその台数が多く、しかも1泊借りても安いところは3500円からあるので、下手にバスやタクシーで移動するよりよほどいい。因みに、那覇空港から北部の国頭村辺土名までバスを乗り継いでいくと、片道で3500円近くかかる。黙って往復しても7000円を超える。レンタカーで行ったほうが時間も金もかからない。無理矢理つくった沖縄自動車道にしても那覇インターから名護市の許田まで、距離にして75キロといったところ。 1時間もかからない距離である。高速代金は1000円、東京から宇都宮に行くよりも近いのである。運転の下手なオレはせいぜい時速にして100キロしか出さないが、それでも他の車をどんどん追い抜いて行く。バーブ佐竹を歌いながらあっという間に終点の許田、名護を越えて大宜味、国頭へと入っていった。

 東京から那覇を経て、ストップオーバーすることなく一直線にやんばるの森へ向かったので、さすがに腹は減るし喉も渇く。国頭村の奥間にある道の駅オクマにある行きつけの(そう言わせてくれ!)屋台で1杯呑んでいくことにした。屋台のオヤジは「おいおいどうした、また来たのか?」と暖かく迎えてくれた。とりあえずシマー(泡盛のこと)とモツを注文し、乾いた身体を潤す。排他的といわれるやんばるの人たちだが、全くそんなことはない。初対面の相手でも遠慮なく話しかけてくれる。呑んでバカ話をしているぶんにはともかく、それ以上踏み込むとなると壁はあるというが、一度仲間と認められれば生涯の友として接してくれるともいう。まるでパシュトゥーン人である。 

 若い頃東大阪でヤクザをしていたという地元のオッサンが話し掛けてきた。何をしに来た?と聞くので「人に会いに、そしてやんばるを歩いてみようと思っている」と答えたら、ただでさえ険しい目つきをますます鋭くさせて「おまえ、まさかヤンバルテナガコガネ採るに来たんじゃあるまいな?だとしたら直ちに猟銃で撃ち殺す!」とウチナーグチなまりで脅された。こういうオッサンまでが自然保護を口走る、やんばる住民の意思に驚く。しかし、人間よりも動植物を大事に思っているオレに対してなんと失礼な。ましてや今回やんばるに来た目的の一つは、やんばるの森を守り、自然と共に生きていこうと戦う写真家、久高将和氏に会うためである。昆虫の密猟に来たなどと言えば本気で殺されかねない相手である。

 シマーを3杯飲み干し、そろそろ行こうと東京から流れ着いたという屋台のオヤジに酒代を聞いた。「1000 円!」嘘をつけ嘘を、という値段である。しかも次に来るときには泊めてやるともいう。ホモでさえなければそれは有り難いことなので、是非お願いしますと席を立った。 

 レンタカーを操り、ホテルに向かった。お気づきかも知れないが酔っぱらい運転である。それも酒気帯びどころではなく紛う方なき酒酔い運転、泡盛3杯が疲れた身体に心地よく染み渡っていくのはいいが、これを東京でやったとしたらえらいことになるだろう。しかしこの地域にはパトカーは1台しかいない。その1台と途中ですれ違ったが、勿論止められることもない。どうやって車を車庫に入れ、チェックインをしてベッドに潜り込んだか全く覚えていないほどべろべろだったが、このとおり生きているし、誰も轢いてはいない。

 やんばるの森は美しい。カリフラワーのような樹冠をもつイタジイが群生していて、茫々と連なる山並みはさながら緑の絨毯である。こんな小さな島国になんと豊かなことか。林道からほんの少し足を踏み入れたら、いきなり特別天然記念物に指定されているアカヒゲという鳥に出会った。お腹のぷっくりした可愛い鳥で、驚くことにわたしが1メートルほどまで近づいても逃げようとしない。アカヒゲ自らが国の天然記念物に指定されていることをなんと思っているか知らないが、この呑気さには呆れた。これではマングースや野良犬、野良猫の餌食となるのは如何ともしがたい。
 しかしこのアカヒゲやヤンバルクイナ、ノグチゲラ、イシカワガエル、といった固有種を含む貴重な生物を危機に追い込んでいるのはマングースや犬猫のせいではない。彼らを殺戮しているのは紛れもなく人間なのだ。山奥に必要もない林道を造り、ダムを造り、それが何のためかといえばカネのため。勿論人間とて食っていかなければならない。
 人間がはびこる限り自然は食いつぶされていく。それは仕方がないことだとしても、そろそろ必要最小限にとどめようという発想を人間側が持つ必要がある。 自然を大事に思う心を持つのは難しい。触れるべき自然そのものがどんどんなくなっているからだ。

 自然を大事に思うには、まず自然の中に入っていかなければならない。そして一度は自然を破壊しなければならない。植物や昆虫を採取し、魚や獣を食らい、そうやって自然と関わってこそ、本能が呼び覚まされるのだ。自然保護は教育でも社会でもない。本能でこれは大事だと思うことが運動の原動力となる。
 久高氏はまさにそういう人であった。見るからに気合い十分のオッサンで、ツムラの毛生え薬のCMにまで出演して活動を続けている。やんばるを愛し、人間による破壊から森を守ろうと戦っている。このあたりでもコノハズクを口笛で呼び寄せられるのはこの人だけだそうだ。彼にとってはやんばるの森はこどものころからの遊び場だったという。その森を切り開かれて金に変えられてしまう痛みはわたしにはよくわかる。

 かつて京都は美山町にある原生林の中に数年暮らしていたことがある。山へ行けばカモシカやツキノワグマの気配を感じ、森に行けばキノコや木の実を採取し、川へ行けばアマゴやカジカと戯れる。今も年に一度は訪れて遊んでいるのだが、行くたびに川のかたちが変わっていく。或る年は用もない道が造られ、翌年は大きな岩がなくなっている、といった具合である。地元の殆どの人間が反対しているにもかかわらずである。好きな女の子が犯されているような気になる。

 久高氏は、国頭村で自然を潰すのではなく、共存することによって利益を得て、地元に還元していこうという活動を数十年にわたって続けてきた。しかし住民の意識が変わってきたのはここ10年ほどの間だという。職種や立場に関わらず様々な人たちを巻き込み、ようやく形になりつつあるそうだ。直に全く新しいエコツーリズムが立ち上がる。子ども騙しの環境保護にも何にもなっていない日本のエコツーリズムに、波紋が広がるよう、切に祈っている。

 久高氏の事務所で、その日の朝保護されたというリュウキュウコノハズクに会った。怪我をして道路に落ちていたという。そっと箱のふたを開けると、まんまるの鋭い目でじっとこちらの目をのぞき込んできた。そのまま微動だにせずわたしの目を見つめている。何かを言われているような気がしてならなかった。ただし、この鳥は余りにも可愛い。小型のふくろうで、当然猛禽類に分類されるにもかかわらず、抱きしめたいほどの可愛さである。これだけでもやんばるに来た価値はあると、紅イモムーチーと泡盛を買い求め、帰路についた。 

 さて、大急ぎで書きとばしたため、無駄なことばかり書いていて何が言いたいのか自分でも判らない。情けないがご勘弁いただきたい。タイトルにあるうちなーすばとは、沖縄ソバのことだが、全く触れられずじまい。最近は内地でも沖縄ソバを出す店が増えては来たが、矢張り本場の多様性には敵わない。生物も多様だが、沖縄の場合同じソバでも店によってかなり味が違うことがある。この何でもありのチャンプルー文化から生まれてくる多様性に、もう少し関わってみたいと思っている。


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「本紙含め10枚」はあんまりだ

2001-12-12 水曜日

オフィスエム 丸山慎二 :http://www.avis.ne.jp/~emu/

 ある書店でのことです。昔ながらの、夫婦で細々とやっている小さな店。ご主人はほとんど配達で外出していることが多く、奥さんが店番をしている。小社の近くでもあり、だいたい月に一、二度は顔を出していて、行くとたいてい奥さんの口から「売れないわよねえ……」なんていう話がはじまる。
 先日、「ちょっと見てよ」と引っぱり出してきたのが、ファクスの長い長い束なのです。
 取次から送られてきた新刊案内やらフェアやらの大量のチラシでした。「今朝、店に出てみたらこれじゃない、もう何とかして! 全部うちの用紙なんだから」と。僕に怒らないで下さいよ。

 最初のページには、いとも簡単に「本紙含め10枚」と書いてある。ちょうどお客もいなかったので、二人で端と端を持ってズルズル伸ばしてみました。A4サイズの用紙なので約30センチ×10枚=3メートルにもなるんです。20坪もないほどの書店だから店の隅と隅で顔を見合わせて、しばらく二人で笑ってしまいました。「こ〜んなに長いのに、うちで必要だったのは1枚よ、イ・チ・マ・イ」だって。

 たった1回のファクスなのです。もちろん、送っているのは取次だけではない、版元からも直接、いろいろピ〜ヒャララと送信されてくる。この規模の書店でこうなのだから、大型店となればさぞかしファクスのぐるぐるとぐろ状態が察せられるのです。
 書店に1冊でも多く売ってほしい立場としては、ファクスは販促情報を伝える有効な手段です。とはいえ、使える情報が10枚中に1枚では、あまりにも無駄が多いと言えませんか。書店員のなかには全部目を通さないと気が済まないという人も知っていますが、開店前から閉店後までひたすら業務に追われ、しかもつねに人手不足のなか、という状況で、本一点ごとのファクス情報になどとても対応しきれないというのが現実だと思うのです。

 小社では読者向けに「ホンのおまけ」という通信を出していて、営業は営業で書店向けに「配ホンのおまけ」という書評情報や売れ筋情報などを送っている。なるべく補充などの荷物に同封するようにしているが、速報性からファクスを使うことも少なくない。気をつけなくては、とあらためて思うのです。
 この業界、何かにつけ、過剰印刷→過剰配本→大量返本→大量在庫もしくは断裁、という無駄の連鎖を反省しつつも、日々こんなところにも小さな(小さくない、いや長い!)無駄が転がっている世界なのだなあ、と3メートルの端をつまみながら考えてしまいました。

 大量の無駄を出せるのも、ある意味では資本力がいることで、小社みたいに「超」がつくような零細出版社では、できるだけロスを出さずに一点一点の本を売りきっていくことが生命線でもあります。ただ、少ない初版部数でスタートしても、油断してると(というわけでは決してないのですが思うように売れなかったりすると)、あっという間に在庫の山が、経営者にとっては印刷製本所からの請求の山が出来てしまいます。
 本を作ること自体が限りある資源を消費しているわけですから、肝に銘じて「本を作って読者に届ける」出版という行為をしなければなりませんっ。と格好のいいことを思いつつも、営業としては一冊でも多く売れることを目指し、沢山売れることを何よりも代え難いヨロコビとしているのですが……。

 不特定多数に向けて売るのではなく、特定の、つまり必要としている読者に必要とされている本を確実に届けること。初版から増刷につなげて、さらに増刷と長く売っていく。そのために、本の情報を書店や読者に無駄なくタイムリーにピンポイントで伝える営業を!……あ、これができるのなら、はじめから堅実な出版社になってるんだけどなあ。


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北国の出版社

2001-12-5 水曜日

亜璃西社 和田由美 :http://www.alicesha.co.jp/

 初めまして、(株)亜璃西社の代表をつとめる和田由美です。
ホームページ(http://www.alicesha.co.jp/)を見て頂くとわかりますが、1980年代末(88年)に、北の地・札幌で産声を上げた出版社です。小さな出版社の例に漏れず、青息吐息の自転車操業で、 14年目を迎えています。もともと、3度の飯より本が好きで、編集プロダクションを基盤に書籍の出版社を旗揚げした訳ですが、実際には資金が潤沢に無ければ、自在に本が作れないという“悲哀”を身にしみて感じています。同業の方には当たり前のことでしょうが、たまには愚痴ってみたいのです。

 ところで、最近のアフガン問題について、各テレビ局は、膨大な時間を費やして報道しています。本来なら「映像の力は凄い」と言いたいところですが、知りたい情報はなかなか届かず、何がなんだかさっぱりわかりません。そんな時、手に入れた一冊の本、中村哲著『医者井戸を掘る−アフガン旱魃との闘い』(石風社・定価1800円)は、私の素朴な疑問に対し、誠実に答えてくれました。何よりも、国際社会から見捨てられたアフガンの現状を、これほど温かい眼差しで伝えてくれる中村さんという人物に、大きな感銘を受けました。わたしとしては、自信喪失しつつあった「活字の力」ですが、まだまだ底力があることを、この本が実証してくれたような気がします。この本の著者はもとより、出版社並びに編集者の方に敬意を表したいと思います。

 話は変わりますが、亜璃西社の最新作は、友人の前川公美夫さん(名著『北海道音楽史』の著者でもある)が書き上げた、異色のノンフィクション「響け『時計台の鐘』(定価2000円+税)です。“♪とけいーだいのーかねがなる”で始まる「時計台の鐘」は、古くから住む札幌市民なら誰でも知っている名曲です。けれども、この名曲が“いかにして生まれたか”を知る人は、ほとんど居ません。前川さんは偶然にも、時計台の建物の中にテスト盤のSPレコードが保存されているのを発見。それを機に、名曲が生まれるまでを徹底的に取材し、知られざる逸話まで探り出しています。また、レコード会社の協力を得て、SP盤の復刻をディスク化、巻末にCDを付けました。CD付きの本は、亜璃西社としては初めての試みです。まだまだ、思い通りの本造りはできていませんが、石風社さんに勇気をもらったことでもあり、先達の皆さんを見習いながら、北国の出版社ならではの本を出し続けていきたいと思っています。


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