ブゲン、ブンザイということ

2001-10-31 水曜日

未知谷 飯島徹 :http://

 現在この文章はATOK12で書いておりますので、「分限、分際」と一回で変換されます。気持ちの良いことです。少し以前の辞書ですと、なかなかいきなりは、変換してくれなかったものです。つまり、ワープロソフトの辞書機能が良くなったことを喜ぶものです。となれば、ここでこの文章の目的は終了してしまいます。

 ここに認めておきたかったことは、必要があって読んだ石上玄一郎氏の小説『精神病学教室』の一節から考えたことです。さして長くもありませんので引用します。
「——女の胎に生まれたものの頤には鰓(「さい」という音では出ずコード入力)裂がある。尾てい(漢字が出ません)骨を持っているものの思想には限界がある。人間は自分で自分の頭髪を掴んで宙につるしあげることができぬように人間の産み出した科学も畢竟、人間自身を超えて進むことはできない。」

 絶妙のフレーズではありませんか。
 身分制度を復活させろといった議論を展開しようと言うのではありません。このところ喧しい世の中の状況を見て居ると、分限とか分際といった言葉を思い起こさざるを得ないと言いたいのです。せめてそのくらいは、と。身分が制度になると不都合も生ずるだろうけれど、英国紳士の如く自ら律することの出来ぬ人間にとっては必然かも知れないと思う訣(「けつ」と打たなければ出ません)です。

 人は生まれながらに自由なる人間となる訣ではない。段階を経て絶対精神へと進化して行くのだ。とは『精神現象学』(ヘーゲル)で、新訳を小社未知谷で刊行いたしました(これは宣伝)が、自分がどれだけの能力をどこまで発揮できる状態にあって、それが世の中でどういう意味を持つのかという認識を訣(「かく」と打つと出ない)いて出発する訣(「わけ」では出ない)には行かなかろうと思う次第です。
いらいらしてきました。申し上げたいことの輪郭はあるかと思います。お察し下さい。


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南アジア学会 in 金沢

2001-10-24 水曜日

深澤孝之 :http://

 10月6、7日と金沢で「南アジア学会」があった。私はそれに参加してみて、専門書の出版についていくつか考えさせられた。以下、そのことについて述べてみたい。

 ひとつ目は、国内で比較的読者をえにくいこの分野では、自分の研究の成果を日本語ではなく英語で発表して、世界に向けて出版したいと考えている研究者が少なくないということである。
 私にそのことを教えてくれて、日本でそうした出版形態をおこなった場合、流通問題に関して強力な相談相手となるであろうインドのManohar書店を紹介してくれたのは、拓殖大学教授の坂田貞二先生である。先生は、私の大学時代の恩師の大先輩にあたる方で、学生時代にその著作にはずいぶんお世話になったものの、お目にかかるのは今回が初めてであった。また、先生は若き日、出版社にお勤めになられていたこともあり、教員になってからも出版には並々ならぬ情熱を注いできたようで、出版事情に非常にくわしく、本の製作費や刷部数についてかなり突っ込んだ質問をして、私は冷や汗をかかされた。
 またManohar書店のほうは、ニューデリーに事務所をかまえる書店兼版元である。社会科学系の出版社のなかではインド1位なのだそうだ。今回の日本のみならず、世界各地で開かれる「南アジア」関係の学会に直接足を運び、会場で自社の出版物や他社の関連書籍を販売している。インド自体、英語が公用語のひとつであることもあって、Manohar書店では、当初よりマーケットは世界であったようだ。自社の出版物とインド国内の有力出版社の本を海外に紹介するほか、自社本の著者についてみてみると、国内の研究者のみならず日本、ヨーロッパ、北アメリカ、オーストラリア等じつに様々である。さらに、海外の出版社との共同出版の実績もあって、もちろんその販売代理業もおこなう。じっさい、学会期間中もManohar書店は非常に繁盛していた。

 ふたつ目は、この学会所属の研究者は、デジタルデータの扱いに関する意識が非常に高いことである。インドがIT大国だからであろうか。(じっさい、公用語だけで18を数えるこの国の言語を、どのようにコンピュータ上で表示させるかという多言語処理に関する研究発表があった。)いや、それよりもあまり販売の見込めないこの専門書の分野で、著者なりに製作コストに敏感にならざるを得ない現実があるのでは、と私はひそかに思った。
 具体的には、著者が出版社に原稿を提出する場合、FD等におさめられたデジタルデータと紙に打ちだされたハードコピーの両方を渡す。デジタルデータのほうは、例えばWordで作成したものであっても、テキストにおとして保存したものを送る。そしてハードコピーのほうには、テキストで表示できない文字やレイアウト上の注意を赤字で書き込む、といった基本的な事柄だ。

 この出版の第一歩であるデジタルデータの作成に関して、著者側と出版社側でなかなか意思の疎通がうまくできていないのではないか、と私はずっと思ってきた。これは著者の責任というよりも、むしろ出版社の責任だろう。今回、会場で何人かの方とこの問題について話してみて、テキストなんて当然ですよ、とみな口を揃えて言うのにおどろき、さらには、そのまた何人かは、TeX(テフ)を使って英語論文を書いているという方までいて、文科系なのにスゴイ、と私を仰天させた。そして、なぜ出版社のほうではデジタルデータの作成に関してこうしてくれ、ああしてくれと何も言ってこないのか。そんなことは些細なことなのだから、どんどん言ってくれて構わないし、むしろそうした部分に労力を使ってでも、これまで採算ベースに乗らなかったような企画が実現すれば、そのほうがずっといいだろう、という注文を受けた。おっしゃるとおりである。

 学会がおわった翌朝、ホテルから犀川まで歩いてみた。15分くらいの距離である。香林坊の交差点にはなぜか渋谷と同じ109が。そこを曲がって、金沢随一の繁華街片町の商店街をぶらぶら行く。途中、九谷焼をおいた店や金箔をあしらった和紙をかざった土産物屋のまえを通りすぎる。人通りはまばらで、金沢という街自体、とても小さくてきれいな印象をうける。ほどなく犀川にほとりにでたが、これも小さくてきれいな川だった。金沢らしい、と思った。


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「伝説のオカマ」は差別か

2001-10-17 水曜日

ポット出版 沢辺均 :http://www.pot.co.jp/

『週刊金曜日』の6月15日号に「伝説のオカマ 愛欲と反逆に燃えたぎる」という記事が掲載されました。このタイトルに使われた「オカマ」が差別だとすこたん企画が抗議しました。
この問題を深く検討しあう場として、ポット出版のサイト(http://www.pot.co.jp/)に『「伝説のオカマ」は差別か』というコーナーを開いています。
記事そのものや、経過、さまざまの人の意見などは、ぜひサイトを見てみてください。
で、僕の考えの要点を書いてみようと思いました。

第一に、差別ってなんなのかってことです。
ある基準で人間を区分けしてグループにして、丸ごとキラっちゃうことではないかな、って思ってます。
で、ある基準で人間を区分けするってコトは、しょうがないことだと。
グループにしてしまうことも、半分ぐらいはしょうがないことだけど、とっても危ないことなんで充分に注意すべき。
第二に、じゃ、あることが差別かどうかを、実際に判断するのは誰かってことです。
これは、「みんな」って思うしかないんじゃないか。
よく「踏まれたもの痛みは踏まれたものにしかわからない」っていうけど、これが今日の差別をめぐる問題の最大の誤りだと思ってる。
被差別者がうけた不利益の原因を機械的に差別にしてしまうことがあると思うんですが、これも気をつけなければならないポイント。
第三に、じゃ差別をなくすためにどうすることができるのか。
いろんな方策を立てなければ、差別を減らすことはできないと思うのですが、その大元の大元は、差別された人が「なにそれ? ばっかじゃないの。それで私をへこましたつもりなの」って思えちゃう、言えちゃう状況をつくることだと思うのです。

さてさて、メディアにおける差別と差別表現の問題をどう考えるか、です。
僕が『週刊金曜日』の編集長だったらどう対応するかな、っていうことで考えをまとめてみます。

まず第一に、抗議をうけたらどう対応するか、です。
僕は「じゃ、著者に連絡とって場を用意しますから、抗議は直接、著者にどうぞ」っていう意味のコトをいうと思います。
この記事は及川健二さんというライターの署名原稿ですから、著作権はもちろん、責任も著者にあると思ってます。
で、逆に言えば、常日頃から署名原稿に対しては、編集者としての意見などは目一杯いいますが、最後の判断は任せます。直す・直さないの最終決定権は著者にあると思うからです。
もちろん、その本や雑誌の基本的な狙いと大きくかけ離れていたりすれば、掲載しないという対処をすることもありだとは思います(その場合、原稿料を支払う・支払わないは、いま考えをまとめられてませんが)。
しかし、ただ知らんぷりするということではないですよ。その抗議の場には必ず同席します。
第二に抗議に対して、どう答えるかです。
もし、著者が「たしかに指摘のとおり、詫びたい」ということになったら、そのお詫びと抗議の内容を掲載します。
編集部としての、編集長として意見も掲載するかもしれません。
また、著者が「抗議には納得できない」となったら、その抗議をした人に、いかにその記事は差別なのかということを書いてもらって掲載します。
最後は読んでくれている人に判断してもらう、ということしかないと思ってます。
で、これで、抗議した人が納得しない場合にどうするのか? 
どうしようもありません。考え方がすりあわなかったんだから。

その記事が差別かどうかを判断するのは「みんな」でしかないと思うからです。
この場合の「みんな」は読んでくれている人、です。もちろん、抗議した人、された人(著者・編集部)も含んでいるとおもいますが。

僕が考えていることの要点を書いてみました。
『「伝説のオカマ」は差別か』というサイトをやってるわけだから、今度、もっとわかりやすく書いてみようと思ってます。
だから、http://www.pot.co.jp/ を時々見に来てください。


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小さく細く長く

2001-10-10 水曜日

日本林業調査会 辻 潔 :http://www.j-fic.com/

 居酒屋や喫茶店で領収書をもらうとき、「日本林業調査会です」と言っても、1回でスパッと書ける店員さんは少数派ですね。たいていは「日本」まで書いて、「リンギョウ?」と聞き返してきます。「林業」という言葉に馴染みがないというか、日常用語ではないのでしょう。むしろ、中国から来ている留学生風アルバイトの人の方が、スラスラっと書いてくれたりして、なるほどアジアの大国はまだまだ1次産業のステイタスが高いのだなと感じてしまいます。

 で、この「林業」を冠につけているのが小社。「調査会」とうたっていますが、別に探偵まがいのことをやっているのではなく、ごくありふれた零細出版社の1つです。堅い社名なので、よく「林野庁の外郭団体ですか」と聞かれますが、株式会社です。
 創業は昭和29年。現在の社員は4名。小社の雇用能力は、このへんが限界で、創業以来2〜4名の間を行ったり来たりしています。
 16年前、私が某百貨店から小社に転職しようとしたとき、当時の上司から「林業なんてもうやる人いないんだからやめときなさい」という忠告をいただきました。いま考えても非常に的確なアドバイスだったと思います。ところが、いつ消えてもおかしくないような「日本林業調査会」が、案外長持ちしている。なぜしぶといのか、と時々考えます。

 小社のような小規模家族的組織の場合、やれることに限りがある分、融通がききやすいというメリットがあるんですね。仕事の分担にしても、給料にしても、勤務時間にしても、調整しやすい。これは、裏返すとルーズでだらしないという欠点にもなるので、一定の線は引かなければなりませんが、自由度が高いのは貴重です。
 読者の顔も見えやすい。取材に行って名刺交換したときに、ああこの間あの本を買ってくれた人だ! と思い当たると、初対面という感じがしなくなります。
 一方、読者からも我々社員の顔が見えやすいので、いい加減な仕事ができないという効用もあります。大きな会社ですと、苦情専門に対応するセクションがあったりしますが、小社の場合はすべてダイレクト。自分のミスから逃れることはできません。本の内容についても、著者に聞くよりは、まず出版社に問い合わせる読者が多く、勢いこっちも勉強せざるを得ない。自分のやった仕事の責任は、すべて自分でとる。人任せにする余地はありません。

 もちろん、零細出版社ゆえの限界を感じることも多く、特に経営の厳しさから逃れることはできないでしょう。今までも大変だったし、これからも大変だと思います。
 でも、なぜか愚痴にはならないんですね。それは「林業」とはなんだ?という、小社が抱えているテーマが依然として解けていないからだと思います。創業以来、多くの本を出してきましたが、一口に「林業」といってもその幅広さと奥行きは途方もなく、いまでも「林業ってなんなのだろう?」という話題が酒の肴になる始末。そのたびに、私は16年間なにをやってきたのだろう、と考えさせられます。

 冒頭の話。「リンギョウ?」と聞き返すレジ係の人も、2、3回復唱すると「林業」と書いてくれます。そのとき、この2文字にどんなイメージを抱くでしょうか。
 時代とともに「林業」の位置づけは変わり、意味する内容も、受け止め方も違ってきていると思います。ただ、もう「林業」は死語なのだ! とバッサリ切って捨てられるものでもない。そこが、難しいところであり、面白いところでもある。
 こんな堂々巡りの愚考を続けながら、「日本林業調査会」の本づくりは今日も進められています。


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まだ見ぬ人に促されて

2001-10-3 水曜日

梨の木舎 羽田ゆみ子 :http://www.jca.apc.org/nashinoki-sha/

#まだ見ぬ人に促されて
 韓国の全州で、10月上旬伝統音楽散調のフェスティバルがあります。全州は朝鮮朝発祥の地であり、芸郷といわれる全羅道の州都です。訪ねるのは初めてです。小社で12月刊行の『韓国・歌の旅人——ノレナグネ』(仮)で紹介します。
 著者は韓国に3年半留学していた、元二期会の歌手戸田志香(ゆきこ)さんです。
 できるだけ現場を踏んで仕事をしたい、可能なかぎり追求したい。そこがもっている空気、どんな風が吹いているのか、どんな音が流れているのか。「見たい,聞きたい,会いたい」。人が、ものが、過ぎ去った事件が、その地にいざなうのです。
 
#報復で守るものは
 9月11日のあの事件のあと、数十万の人が海外旅行をキャンセルしたそうです。成田発ソウル行きのUA881便もキャンセル待ちでとれました。
 超高層ビルが砂の楼閣のように崩壊する映像は、世界を凍りつかせました。現代文明がいとも簡単に崩壊する瞬間、何千人もの命と彼らにつながる人たちの関係が断ち切られる瞬間でした。
 そして、その後着々とうたれるブッシュの報復作戦と、なすすべもなく国内に留まる、幾百万のアフガニスタンの人々。

#中村哲医師
 アフガニスタンの状況は、17年前からパキスタンそしてアフガンで医療援助を続ける中村哲医師によってメールに入ってきました。
 20年以上の内戦、経済封鎖、旱魃で水田が砂漠化し、400万人が飢餓状態、100万人が餓死寸前に追い込まれているということです。
 何日も何日も歩いてやっと診療所にたどり着いた母親の腕の中で赤ん坊が冷たくなっていたという話には、胸をふさがれます。その母の上にもアメリカの爆弾は降り注ぐのでしょうか。
 中村医師には、パキスタンのぺシャワール郊外の病院を訪ね話を聞いたことがあります。1998年正月でした。そのあと郊外の別なところにあるアフガンの人々の難民キャンプを訪ねました。そこには日々の人々の暮らしがあり、遠来の客を目を輝かせて迎えてくれた子どもたちがいました。

#死について
 5年前、既に別れていた夫を桜町病院のホスピスでみとりましたが、いつも忙しくしているわたしに彼はつぶやくように言いました。
「なんでみんな仕事、仕事って言うのかな」
そのことばは、私の胸に沈殿しつづけました。
 彼から私に送られたことばだと、いま思います。そばにいてあげること、気持ちはいつもいっしょといってあげること、必要なときにはいつも近くにいると伝えること、夫でも、妻でも、家族でも、友人でも。そのことによって、死に直面した人がどれだけ救われるかと。何の心の準備もないまま、身近な人の死に接して、死について考えました。自分の死も、身近な人の死もいつかは必ずやってくるものなのですから。
『ひそやかに死の準備をしてみる—女がよく生きるための』(仮)をグループ梨の花編ですすめています。来年の春の刊行です。

#報復の鎖を断ち切るには
 世界が蟻地獄に落ちていくように、戦争にむかっています。でも、11日以降俄然増えたメールは、戦争を避けたいとする人たちの声を届けています。アメリカでもたくさんの人たちがデモや集会をしています。その一つを紹介します。アメリカに在住の風砂子デ・アンジェルスさんからのメールで、転送されたものです。
 9月20日は、全米学生運動の日で、36州150の大学で、武力行使に反対の集会がもたれ、ベトナム反戦運動の拠点となったカリフォルニア大学バークレイ校では2500人の学生が集まりました。衝突機のスチュワーデスだったというおばさんを亡くしたという22歳の学生が、「もしおばが生きていたら、彼女はきっと僕の隣に立って、戦争でこれ以上犠牲者を出さないようにと訴えているだろう」と語り、感動を呼んだというものでした。
 これはわたしたちにおおきな励ましです。
11日のあの事件の犠牲者につながる人たちと、アフガンで報復戦争の下にいる人たちの、果てしない復讐の連鎖回避へのかすかな希望の灯りです。

#あなた自身を抱きしめて
 長くなってしまいました。最後に来週書店に出る本。著者の山口のり子さんは、時々私に言います。「生活楽しんでる?」『DV−ドメスティックバイオレンスーあなた自身を抱きしめて』は、DV防止のためのプログラムを紹介するものですが、人間関係を活き活きと紡いでいくために私への、あなたへのプログラムです。あなたとパートナーとの関係が、もっとよく変わると思います。

梨の木舎  羽田ゆみ子
Eメール  nashinokisha@jca.apc.org
http://www.jca.apc.org/nashinoki-sha/


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