版元デキマシタ。

2001-9-26 水曜日

トランスビュー 工藤秀之 :http://www.transview.co.jp/

トランスビュー、2001年7月に出版活動開始。
島田裕巳著『オウム−なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』/山中和子著・養老孟司解説『昭和二十一年八月の絵日記』/老松克博著『サトル・ボディのユング心理学』の3点を刊行しました。いわゆる人文書の出版社です。
旅行関係やオンデマンド本は出していません、念のため。
事務所は間借り(約四畳半)、家具は中古&貰い物でスタートした我社の運命は?

出版社を創業したら、まずは本の問屋である「取次店」へご挨拶。業界の方へは言わずもがな、出版社と書店に対して非常(非情?)に影響力があります。全国の書店で本を売るには、この「取次店」が欠かせません。ブツとカネの流れを一手に担っています。
 ということで、我社も取引口座開設のお願いに。この交渉、なかなか厳しいという噂だけれど結果は・・・。

最初の交渉から五ヶ月、取次店とは今のところ利害が一致せず交渉継続中。取引開始にいたっていません。取次店に依存する書誌データベースでは検索が出来ないなど色々と不利な条件はあります。しかし現在、トランスビューの出版物は、全国の“トランスビューは、オモシロイ”と言って頂ける書店さんの店頭で、読者の皆様をお待ちしています。

トランスビューへ参加する以前に在籍した老舗出版社で営業をしていた時、ある書店の方に言われたことがある「おたくの本は良い本だけど、あまり売れないよ。」実際、部数は捌けなかった。それでも、毎回注文を出してくれた。そして、お客さんの顔を思い浮かべながら棚を作り、注文分は大抵売り切ってくれたように思う。
 小社から書店が直接仕入れた場合、取次店経由よりも入荷が早く、正味が低い(と推測される)。その分、手間のかかることも多いけれども粗利は大きい。少なくとも、客注を受けたら出版社への電話代で赤字なんて事はないだろう。手間暇を掛けて棚を作ってくださる書店の方の役にも立てるかもしれない。

「本」は個人が書いて、個人が売って、個人が読む。その個人個人にたいして、
出版社トランスビューは価値ある本を届けたい。

*読者・書店の方が、装丁・目次・本文の一部を確認してからご注文できるようホームページをOPENしています。http://www.transview.co.jp/


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おもしろイベントフェア展開中

2001-9-19 水曜日

トラベルジャーナル 石井章夫 :http://

 小社のイベント企画である『2001カルチャーガイドフェア』も折り返し地点に差しかかった。フェア企画を一言で言うと、小社発行書籍を買ってくれた人の中から消費者モニターの参加者を募集し、旅行業界誌“週刊トラベルジャーナル”誌面にてリポートしてもらうというものです。今年で3年目の企画でけっこう好評なので、宣伝も兼ねて今年の展開を紹介します。

 ところで『カルチャーガイド』って知ってますか? 旅の面白さを観光や食べることだけに留まらず、その国の歴史や文化、それに地方都市を紹介し、また、今流行っていること、今人気のあるアーチストなどを紹介し旅の楽しさを追及するために発刊した書籍のシリーズです。地味に発刊を続け、ハワイ,香港,タイ,ドイツ,イタリア,スペインなど今年7月で30国を超えるラインナップになりました。

 このシリーズでなにか面白い企画が出来ないだろうか?ということで始めたのがこのイベント企画です。小社と取引関係にある株式会社ジャルパックさんに旅行商品を提供していただき、‘カルチャーガイドを買って< アイル>で行く海外モニター参加者募集’をキャッチに書店向け企画書の作製から始まりました。花見の季節の3月でした。

 あ、そうそう、肝心の旅行商品というのは、
 < アイル>で行く[地球紀行]:
〈1〉“龍が舞い降りた場所”ハロン湾を訪ねるベトナム旅情6日間
〈2〉レイク・パレスに泊まるインド・マハラジャ紀行6日間
〈3〉“世界最大の仏教遺跡”ボロブドゥールを訪ねるインドネシア二島巡り
をペアで各コース1組です。

 話をもどして、ここからが営業の始まりです。いざ、出陣。と言ってもウチの営業は2人。旅行パンフレットとフェアの企画書を持って4月・5月で全国の主要書店を訪問しました。書店店内でのフェアは、6月から8月の3ヶ月間。本の陳列方法で、表紙が見えるように積むことを‘平積み’といいますが、6月上旬に一斉に本屋さんにフェア対象書籍が所狭しと言わんばかりに陳列された光景はひとつの達成感を感じました。フェアが始まってからは、店内にポスターを貼ったり、フェア開始前に店頭にある書籍にフェアを告知するオビを巻いたり、ふだんやらないことをやったことも面白かったことのひとつです。

 9月7日モニター募集を締め切りました。募集にあたっては、専用ハガキにアンケートとこのツアーでどんな事をしたいかを書いてもらうのだけど、これが結構難関。
締め切り間際に速達で応募ハガキが届いたりして、最終的には結構多くの応募をもらいました。
 今、1枚1枚のハガキを読んでいるところだけど、旅に対する考え方や人生観などさまざまな意見があり、とても楽しく読んでいます。来月には、当選者が決まって、年内には、ツアーに参加してもらう予定です。帰国後、記憶の薄れないうちに、原稿をかいてもらい、翌年2月頃“週刊トラベルジャーナル”に掲載してこの企画が終了です。

 スタートからちょうど1年の企画ですが3回目も成功しそうです。こんなかたちで読者(お客様)と接するのもいいな。手間暇はかかるけれど、こんな企画をどんどんやって続けていけたらと思う。つまり、お客さんや書店さんなどこの企画に関係したところにメリットが生じ、他の出版社がやってない、それでいて、ただ本を並べるだけのブックフェアに留まらない企画です。

 次回はトランスビューの工藤さんです。


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はじめまして。てらいんくです。

2001-9-12 水曜日

てらいんく 佐相美佐枝 :http://www.terrainc.co.jp/

 出版社を起して。5年目。「独立しました」と他人に言うと、「そうですか」と哀れみに満ちた表情で、返事がくる。そして、「で、なにを?」「はい。出版社です」「まあ、それは、大変。今、もうだれも、本を読みませんからね…。」と、物好き、はずれものを見る目で、「まあ、がんばってください」と肩をポンとたたかれる。

「“売れる”でなく、“読んでほしい”が。編集方針です。」と演説すると、「勝手な思い込み」と一笑される。

 でも、心に響く本、読んで欲しい本!が、『てらいんく』の編集方針! 
 まだ、点数は、少ないのですが、奮闘しているのです。
 韓国、中国、台湾、カンボジア、ミャンマー、ベトナムのアジア文芸の飜訳シリーズ。
児童文学評論、ヤングアダルト読み物シリーズ。教育シリーズ。
 今、お薦めが、「児童文学への3つの質問」 藤田のぼる著

  • 今、子ども達の「読書離れ」が盛んに言われていますが、その要因はどこにあるのでしょうか。
  • 子どもにとって文学作品を読むということは、どのような行為なのでしょうか。子どもは作品から、何を受け取るのでしょうか。
  • こども読者にとって、今どんな作品が求められているのでしょうか。

    3つの質問に仮託して、読書へのいざないともとれる児童文学評論集。

 児童文学にたずさわるすべての人に、すべての大人に読んでほしい1冊。
 アジア文芸シリーズからは、「モンシル姉さん」 権正生  卞記子訳
 南北分断が決定的になった朝鮮戦争下、母と生き別れ、父を亡くしながらも懸命に生きていく少女を描いた韓国児童文学のロングセラー。韓国では、テレビドラマ化され、お茶の間を釘付けにした。(日本図書館協会選定図書)

 ヤングアダルト読み物シリーズから、「海辺のモザイク」 高田桂子著
 肥大化する欲望のままに、人生の充足に渇える大人たち、小さな自己を内向せざるをえない子どもたち。どこにもある、ふつうの家族が、エア・ポケットに落ちたときに見る明日は、どのような形をとるのだろうか
 
 他に、中国の一人っ子たちの思いを綴る 「一人っ子たちのつぶやき」、シハヌーク国王文学賞受賞作品を在日カンボジア人である著者自ら邦訳の「アンコール・ワットの青い空の下で」…。
 心に響く本、読んで欲しい本ばかり。
 「近頃、子供達に読ませる本がなくて、困っていたの。てらいんくの本を子供達に読ませたい。」と、優しく、温かく、感動してくださる方もかなり増えてきたのです。
 「今、子供達が。本に、戻りつつある…」と、何かの記事で読みました。
 読書の感動を子供達に伝え続けたい『てらいんく』です。よろしく。


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「島津義弘の賭け−秀吉と薩摩武士の格闘−」
(山本博文著、読売新聞社、一九九七年八月初版、一二月第二刷、一八〇〇円)を読む

2001-9-5 水曜日

批評社 佐藤英之 :http://hihyosya.co.jp/

 慶長五年(一六〇〇)九月一五日、天下分け目の関ヶ原合戦の火蓋が切って落とされた。太閤秀吉亡き後のやり手の年寄(奉行)、石田三成は大谷吉継の援助を得て西国諸大名と結束し、毛利輝元を総大将にして、豊臣家五大老の筆頭徳川家康と対峙した。この天下分け目の関ヶ原合戦の最中に殆ど動かず、西軍の配色が濃くなってから家康軍の中央突破を計った奇妙な一団があった。後に「島津の退(の)き口」と言われ、敵陣中央突破の破天荒をやってのけたこの一団を指揮した武将が島津義弘である。
   *
 この本は、ぺりかん社の救仁郷建社長から是非にと言われて真夏の熱射が容赦なく照りつけるこの七月の寝苦しい夜、毎晩寝る間際になってから読み始めて途中何度も同じページを繰り返し読み直して消化不良のまま何とか読了したという体たらくなので、紹介することしかできない。

 山本博文氏の本は、「江戸お留守居役の日記」(読売新聞社、一九九一年)を読んだことがあるが、江戸時代のお留守居役の日常が微にいり細にわたって描かれていてとても面白く読ませていただいた。「島津義弘の賭け」も第一級の史料である島津家文書(国重要文化財)を丹念に活字化して訓註が付してあり、素人のために読み下し文も平易且つ丁寧である。

 島津義弘は、「天文四年(一五三五)に薩摩・大隅・日向の三国の守護島津貴久の次男として、薩摩国阿多郡伊作の丸亀城に生まれた。母は入来院重総の女で、雪窓夫人と称される。」「勇武英略をもって傑出した」武人でありながら、秀吉の命に服して上洛した京都から、或いは艱難辛苦の朝鮮から妻に宛てた手紙の数々は、感動もの。長男義久・三男歳久・四男家久の島津四兄弟は、よく結束して三州を支配していたが、九州統一を目前に秀吉軍に完膚無きまでに打ちのめされる。が、成り上がり者の悲しさ、羽柴秀吉は伝統ある島津本宗家と家臣団に武力では勝っても徹底的に滅ぼすことはできなかった。島津義久は剃髪して龍伯と号したが、豊臣政権の命には服さず徹底してサボタージュする。秀吉は石田三成、安宅秀安と通して豊臣政権への服属支配を強め、太閤検地、刀狩り、と天下統一への政略を具体的に推し進めて行くが、この辺りから豊臣政権にたて突く島津本宗家とその家臣団と豊臣政権に服属することが島津家の安泰に繋がるとする義弘たちとの齟齬が大きくなり、結束は乱れ、島津の有力武士団である渋谷諸氏、北郷氏、伊集院氏らと袂を分かつような事態に追い込まれて行く。
 義久・義弘の兄弟関係も複雑である。朝鮮出兵で苦労する島津義弘・久保親子が何度も食糧や兵の増援を依頼しても義久は頑として拒否に近い対応をする。秀吉の命に服して朝鮮へ出兵しなければ島津家そのものが改易されかねない、そんな状況下であるにも関わらずである。「朝鮮への出陣は、どこまでも義久や御家のためを思ってのことである。それなのに鹿児島方(義久のひきいる本宗家)からの支援がまったくない。これは御家を傾ける所行である。『無念千万』という義弘の言葉は痛切である。」義弘親子は、異郷の地で食糧も乏しく果てしない闘いに明け暮れていたが、文禄二年(一五九三)九月八日、二一歳の若さで跡取の次男久保が朝鮮巨済島で病死する。義弘は慟哭するが悲しむ間もなく、三男忠恒が京都伏見城で秀吉に謁見し正式に島津家の跡継ぎとして認められ朝鮮に出陣してくるのを迎え出る。
 結局、義弘・忠恒親子は、秀吉の死後無事薩摩へ帰ることになるが、島津本宗家義久の後継者は、義弘の次男忠恒を養子に迎えることになる。この忠恒が義久にそそのかされて伊集院幸侃を殺害したことから幸侃の息子忠真が庄内(都城)に立て籠もり、父幸侃の成敗(殺害)について、自分は義弘・忠恒に身の処遇を聞きそれに従うつもりであったのに、義久が納得せず庄内への通行を禁止し境目に放火している始末です、と義弘に訴え出て仲介を願い出でるが、事の是非よりも島津家の安泰をひたすら願い、島津本宗家義久を敬う義弘の反応は冷たく、忠真を不憫に思いつつも説得は功を奏さなかった。忠真は徹底抗戦し(庄内の乱)天下人徳川家康の援軍をもってやっとのことで調停が成立し、慶長五年(一六〇〇)三月一五日、忠真は都城を退去した。都城は北郷家に戻され、伊集院忠真は薩摩半島開聞岳の麓に移されることになった(その後、忠恒によって忠真、母親、弟たちまで殺害される)。この庄内の乱をもって「豊臣政権下の一三年間に行われた島津家の体制変革は、秀吉死後わずか一年半にして旧に復したのである。」「その本質は、島津家内部に押しつけられた豊臣体制の否定であった。」
この慶長五年九月一五日には、関ヶ原の合戦が起こり、島津義弘は僅か二〇〇の手勢で参戦することになるが、西軍に味方した島津家がその後どのような命運を辿るかはこの書を読んでいただきたい。
   *
この手の一次史料をつかった作品は、読むだけでも骨が折れるが、疑問点がない訳ではない。種子島に辿り着いたポルトガル人の鉄砲が何故島津氏によって実戦に実用化されなかったのか、細かい点もあるが、一国の経営はことほどさように難しいことがよく分かる。資本主義的合理性が徐々に形成されつつあった時代の、流れが大きく変わりつつあるなかで、その方向を見定め、経営の舵取りを誤らず一国を統御することは至難の業であることをこの書はよく伝えている。


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