運動と販売の距離

2001-8-29 水曜日

太郎次郎社エディタス 須田正晴 :http://www.tarojiro.co.jp/

 商売ごとは2月と8月は売上が悪い。俗に「ニッパチ」と言われるやつだ。今年は8月にはいって書店からの注文の落ち込みがとくに激しい。あの暑さでは無理もなかったんだろうけど。
 ウチのような教育書の版元にとっての救いは、夏は教員向けの研究集会や講演会が多数あるということだ。これで落ち込んだ収入を若干カバーできる。とはいえ、出張費が出るほど売れるわけでなし、人手もなしで、たいがいは主催者か地元書店に販売を委託することになる。
 その、集会販売を熱心におこなっている書店から、悲しい話が聞こえてくる。

 最近、販売に制限がつくことが多すぎる、というのだ。制限というのは、
○講演者・パネラーの著書以外は販売できない。
○会場から離れた人通りのないところに販売場所が設定される。
○主催者の紀要や雑誌に広告を掲載した版元の本しか販売できない。
といったもので、こうなってくると、出かけていって出店料を払った甲斐のあるほどの売上はなかなか上がらないという。

「この会場で現金の授受はできないので、注文だけとって、あとで精算してください」などと言われたこともあるという。
 多くの場合、表面的には会場側(とくに公民館・学校などの公的設備)の都合で、販売が制限される。しかし、役人が商売人を見下して居丈高な命令をするのは昔からあったことで、むしろ制限は緩くなりつつあるのが現状だろう。
 むしろ問題なのは、主催者が販売者の立場に立って、会場側との交渉にあたってくれなくなっていることらしい。

 主催者側の教員は多くが公務員だが、以前は「関連する書籍を販売するのも、運動の一部」と考えてくれていたのが、最近は「書店や版元は、ウチの集会の動員人数をあてこんで商売にくる業者」と見る人が多くなったという 。
 私も直接間接に経験のあることだが、公務員の「業者」蔑視には目にあまるものがあり、そのくせ供応に慣れていて便益を要求するから、教科書などもちろんつくっておらず、大規模採用をねらいようもない版元にとっては、ギブ&テイクの関係がつくれない。
 逆に商才ゆたかに主催者自ら販売を請け負い、版元に条件交渉し、利益で主催費用の一端をまかなおうという会もある。これは尊敬できる姿勢だ。この商才がべつの方向に行くと、前述の広告費や出店料での「業者食いもの路線」に行ってしまう。

 ともあれ、私は、話を聞いた書店さんが懐かしんでいた「同志的連帯」の時代が、必ずしもいい時代だったともおもえない。そこに巣くっていた「運動ゴロ」たちがつくった馴れあいの関係が、下り坂の時代には不良債権となっていくのをすこしは見聞してきたからだ。
 しかし、「イベントプロモーターと提携業者」の関係となって、売れる本を仕掛け、一時の熱気で著者サイン本を売りまくる、という「参加者食いもの路線」もなかなか寒い構図だ。
 なんとか、販売ブースが集会の一部として成立しながら、日々の衣食に足るだけの利益も出る、という関係をつくりたい。本を売ることはその内容を広める運動であり、この両者は矛盾しないはずだ。
 本も売れない「研究集会」なんてロクなものではないのだから。

 次回は、同時代社の川上さんです。


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森田事務局員の夏休み

2001-8-22 水曜日

版元ドットコム事務局 森田華子 :http://www.hanmoto.com/

 毎回、版元日誌は業界にまつわる話がほとんどなので、ここは夏休み気分を盛り上げるためにも、全然関係のない話を書くことにした。
 もともと学生の頃は、夏休みは旅に出ると決めていて、そのためにアルバイトをし、バックパックを磨き(?)、本を沢山読んだりと準備をしていた。就職しても無理やり10日くらいの休みをもらったりして旅をしていた。
 そういうわけで、時間はあるけどお金はない状況を4年間、お金はあるけど時間はないというのを一夏経験して、最後はお金もないけど時間もなくなり、そして今年はお金はとてもないが時間は少しあるという中途半端なことになった。
 25歳ということもあり、そのわりに海の外に出るお金もなくどうしようかと考えていたら降ってわいたように富士登山の話が出てきて、友人6人でツアーに申し込んでしまった。

 このツアーは、8月6日の朝9時に新宿をバスで出発して、お昼に5合目に着き、そこから夕方まで登って、途中の山小屋で夕食・仮眠。再び夜中に登り始めご来光を頂上から見ようというもので、帰りに温泉まで連れていってくれるというおまけがついていて、ツアーなんて大嫌いという私もいいんじゃないかと思ってしまった。(まぁ、一度盛岡の小さな山に父親と叔父と登ったときに、遭難しかけたので、ガイド付きということに魅力を感じたということもありますが。)

 当日は、なかなかに晴れていて、登り始めは快調。途中何度も休憩を入れてくれるので40数名の集団でもけっこうまとまり、チョコレートを食しつつ4時間ちょっとで8合目の山小屋に辿り着く。
 噂通り、頭、足という交互形式で二段ベットに並べられ、少し落ち着く。外は涼しいと言うよりは寒いくらいで、下ズボンを履き、ズボンを履き替え、靴下を厚くしてフリースを着込んだ。眠る。夕食はもちろん全て平らげ(ちなみにこれはカレーという予想に反してハンバーグにご飯、煮豆、みそ汁)、落ち着いてお茶とかを飲んでいた。

 ここで、向こう側の遠いところで食事をしていた友人の所に遊びに行ったら、どうも食欲が全くないようでぐったりしてしまっている。「気持ちが悪い」しか言わなくなってしまい、食べなくなってしまった。
 これがいわゆる高山病で、別の広いところに布団を敷いてもらい、私ともう一人の友人が横で眠り、トイレに通う彼女を見守るということを5時間くらい続けて、結局彼女はそこで朝まで過ごし、下山することになってしまった。これには少し驚いた。

 ここから先、暗くて寒い状況で小雨もちらつき、休憩はすくなくなるしでばたばたとリタイヤ者が出てきた。私は、山小屋休憩の度に甘酒やお汁粉を胃に入れ、途中レーズンクッキーなどを口に入れながら登り続けた。
 リタイヤする人を観察していると、年齢的なものはあまり関係がなくて、どちらかというと自分のペースがつかめなかったり、装備が不足していたり、逆にいろいろとものを持ちすぎたりしている人が多かった。

 最後の山小屋で、「酸素が頭まで回らなくなった」という友人3人が断念。結局酸素も持参していない私ともう一人が頂上まで辿り着いた。もう寒くて最後の 10分は休憩もなくて必死で登って、気が付いたら周りは男の人しかいなかった。11人が先に着いてその中に混じっていましたよ。これはけっこう嬉しかった。
 その後は、山小屋に駆け込み、うどんをすすり、上も下も雲に隠れているご来光を僅かに見てから両親と好きな人にハガキを書き下山したのだが、毎朝走っているおかげで体力がついていて、あまりつらくなかったせいか今ひとつ感動が薄かった。人が沢山いたからか、どうも原因はよくわからないが涙が出るほどではなかった。それでも、何年も前に山登りをしたときよりずっと体力がついていることがわかったし、来年は穂高に行きたいなどと思う位なので楽しかったのだと結論付けることにした。

 山はおもしろい。歩くリズムと達成感、ゆったりとしたところと緊張が交互にくるところも心地よい。あまり話をしなくてよいところが素晴らしい。来年までに植村直己の本を全て読み、トレーニングをしておこうと決意する事務局員でした。
 みなさま、海に山に川に遊ぶ、楽しい夏休みをお過ごし下さい。

 次回は太郎次郎社の須田さんです。


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誰かがまだ本を読んでいるに違いない

2001-8-8 水曜日

第三書館 北川明 :http://www.hanmoto.com/bd/d3skan/1/

 出版不況なんて、いまさら口に出すのもおこがましい。とはいえ、それをつくりだしたもの、その背景にあるものをいろんな角度から掘り下げてみることは無意味ではないと思う。
 出版不況すなわち本が売れないということイコール本を買う人読む人がへったということ。本は毎日どんどん出版されている。不況以前より点数はふえている。それでも本が売れないのは、言い尽くされていることだが、人々の本離れが進んでいる証拠。
 そうなんだけど、そのなかにあって、依然としてあるのが、本というメディアに対する抜きがたい固定観念というか読書文化への“信仰心”のようなもの。これにいろんなところで出くわして、驚かされる。

 一番強いのが、著者の自著への思い入れ。それがなければ誰も膨大な時間を費やして本を書いたりしないわけだが、どんな出版不況のなかでも自分の本だけは別だと思い込み過ぎられるきらいが強い。
「この本は全国の図書館に一冊づつは是非必要だから図書館用に3000部余計に作って欲しい」なんて言う著者がまだ結構いる。ほんとにそうなら、嬉しいんだけど・・・。

 ある警察官の自伝入りエッセーを出版した。大新聞の一面三八ツにも、地元の地方紙にも数回広告を出したが、6ヶ月たって3000部中2000部近くが返本で残った。その事実を伝えると、著者は怒った。
「地元の県警だけで4800人いるから、1000人は買って読んでいるはずだ.。全国で1,000部のはずがない。」あとはご想像の通りの応酬である。データを示しても信仰は揺るがない。
 話をしていて感じたのは、世の中の人びとは本が出たら読むに違いないという抜きがたい思いこみ。いくらこちらが「TVなら視聴率1%でも1000000 人、本の1000000部とは次元が違う」と説明しても納得していただけない。広告代も入れたら大きな赤字だという現実が信じてもらえない。そういうご本人も聞いてみれば他人の書いた本をとりわけ読んでいらっしゃる風でもない。

 この方のように「誰かがまだ本を読んでるに違いない」という信仰があまりにひろく浸透していること驚くばかりだが、一方でそれが本というメディアの威信をかろうじて維持しているのではあるまいか。ほんとうに「本なんて視聴率にしたら0.005%もあれば御の字の世界だ」ということがバレてしまい常識化した日こそが恐ろしい。

 次回は版元ドットコム事務局の森田さんです。


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地域誌版元人の『望郷心』

2001-8-1 水曜日

千秋社 出口順枝 :http://

 批評社の佐藤英之さんより『版元ドットコム日誌原稿』の依頼を受け担当の私が原稿を書くようになりましたが、こういう事はあまり慣れていないので全く自信がなく出来れば、どなたか文才のある方にお願いしたいと切に願いつつ、これを書いています。

 小社は1968年(昭和43年)全国各地域の歴史・民俗・文化・文芸に関する勝れた作品や研究を、広く世に問うことを目的に設立された出版社です。
 当初は、各県や地域を知る為に手軽な判型で、県別、地域別に歴史、自然、民話、動物、植物、住まいなどをシリーズで刊行しておりました。
 1980年(昭和55年)には地域に関する手軽な本から、歴史にしぼりこんだ内容の濃い、県別や郡別の資料集「郡誌」の刊行を開始しました。
 中味を濃くすることで定価も高くなりましたが、強固な絆で結ばれる読者もいます。

 そして1990年には、市町村別の大型写真集で刊行を始めました。
 このシリーズの統一タイトルを『昭和史』としたのは、1980年頃から刊行してきた地域別の資料集が、古代、中世、近世、.近代と時代を追っていましたので、一部の地域では、順番として昭和時代に入っていたからです。
 誰にでもわかる写真という形で後世に残せるよう、一般市民の衣食住について、できるだけ地域を細分化して、くわしく記録されています。

 このように小社で発行している書籍は、少々堅いながらも、それぞれの地方に住んでいて自分の町や村の歴史を知りたい、又、自分の故郷の歴史を知りたい、そして学問的に研究してみたいという方々にお知らせしたい書籍といえると思います。当社にも、これらの書籍について、様々な問い合わせなどを、いただきます。長くその土地に住んでいらっしゃる方からは、「自分のおじいさんの事が載っているから、知り合いの方に差し上げたい」とご注文戴いたり、又、歴史にも諸説があるので「・・・・・ページに載っている・・・・・・の事は、事実と違うのではないか?」などのご指摘を戴くこともあります。

 あらゆる県のいろいろな町や村の方を接していると、それぞれの地方色豊かな方言や言葉を直に聞くこともできますし、普段、何気なく食べたり使ったりしているものが、こんな場所でこんな歴史を経て作られているのかと、気にしたりもするようにもなりました。
 都会にいて慌ただしく過ごしていると、見過ごしたり、忘れてしまっている「望郷心」を呼び覚まされることがしばしばあります。

 又、小社のお客さまは「老人クラブ」に所属されているご年輩の方々が多く、それらの人たちからTELで直接にご注文を受けることがよくあります。
 地方色豊かな”方言”と”なまり”とおまけに”入れ歯”の三点セットでご住所、お名前、TEL番号、書名、冊数などを確実に聞き取る事は 私事ながら、新入社員の頃は実に苦労しました。
 ご住所をお尋ねすると、いきなり村名を言われてこちらが、当惑していると、そばからベテランの先輩が「・・・それは、何県の何郡よ!」と即座に親切に教えてくれたり、色々と助けてくれました。そういう方達とTELでやりとりをしていると、ここ東京にいながら、しばしある時は”新潟モード”、ある時は”愛知モード”と精神的な体温(? こんな言葉があるのかどうか、しりませんが)が変化します。
「望郷心」に近いものだと思います。

 前にも述べましたが、小社の書籍はかなり堅くて一般的ではなく、又、高額な為に購買者もほとんど、年輩の方で若い人は少ないのが現状です。
 版元ドットコムの加盟についても、ドットコムのサイトを通じての販売はあまり期待出来ないのですが、さまざまな販売チャンネルのひとつとして利用したく、チャンネルは多いほうがよいし、販売チャンネルを増やす意味でも、長い目で見て効力を期待しております。

 千秋社(せんしゅうしゃ)の宣伝ばかりになりましたが、今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。

次回は第三書館・北川さんです。


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