上毛かるたをご存じですか?

2001-5-9 水曜日

大村書店 田端広英 :http://www.comk3.co.jp/ohmura/

 先日、あるテレビ番組の取材を受けた。残念ながら、弊社の出版物が大ベストセラーになっている、などという景気のいい話ではない。極めて私的なことで恐縮だが、「上毛かるた」についての思い出を語ってくれ、という内容だった。

 上毛かるたとは、私の郷里・群馬県の「郷土かるた」のこと。「あ 浅間のいたずら 鬼の押出し」、「に 日本で最初の 富岡製紙」、「ほ 誇る文豪 田山花袋」……といった調子で、名所・旧跡・偉人を詠みこんでいる。

 今回、取材を受けたからといって、私が特別な愛好家というわけではない。県民の誰もが小学生時代に遊んだことがあるポピュラーな遊具で、私でなくとも思い出のひとつやふたつは軽く語れる代物だ。町内対抗から県大会まで開催される競技でもある。群馬県の小学生にとって、かるたの「い」は「犬も歩けば 棒に当たる」ではなく、「伊香保温泉 日本の名湯」なのである。

 この上毛かるたの初版発行は昭和22年のこと。以後、版を重ねて、現在までに約160万部が普及している「超ロングセラー」商品である。1000や2000の部数決定で頭を悩ませている私などからすれば、想像を絶する世界だ。ちなみに群馬県の人口は、上毛かるたの中にも「ち 力あわせる 200万」と詠まれているように、約200万人。まさに「県民のかるた」といえる普及率である。いくつかの県でも同じような郷土かるたがつくられているが、いずれも累計20万から30万部程度の規模だという。

 普及率の高さだけでなく、その成り立ちも「県民のかるた」らしい。お題は一般の県民から公募し、県内の識者が選定(候補には国定忠治や小栗上野介なども上がったが、GHQから不適当との指導を受けて除外された)。県人の歌人が歌を詠み、同じく県人の画家が絵札を描いた。発行当初は、自転車の荷台につけて村々を売り歩く姿も見られたという。

 上毛かるたが考案されたのは、「日本の将来をになう小さい方が、郷土群馬県をよく知り、そして郷土を愛するようになっていただきたい」という願いからだった。昭和22年という時代を考えれば、そこに郷土の復興と「新生日本」の建設という思いがこめられていたことは想像にかたくない。

 時代が下って、今、しきりに「地方の時代」ということが言われている。このところのいくつかの県知事選を見ると、そんな風が吹きはじめていることを感じる。その一方で「財源移譲なき地方分権」という、大きな問題もある。弊社でも昨年末に『地方行政を変える。』を発行し、5月に『自治体財政を再建する』を予定しているが、いずれにしろ「新しい地方の創生」という課題と向き合わざるをえない時代になっているのは確かだろう。そうした中、郷土の復興を願ってつくられた上毛かるたの可能性は再び膨らんできているように思う。今からでもいいから、他県でも県民の知恵を集めて郷土かるたをつくってみたらどうだろうか。

 ちょうど上毛かるたで遊ぶ世代、小学校の教育現場でも「総合的な学習の時間」が導入された。その柱のひとつに「地域の歴史・文化を学ぶ」ということがあげられているが、郷土かるたはその絶好の教材になる。札の一枚一枚について子どもたちに調べさせれば、教科にとらわれず「自ら考え、自ら学ぶ」という「総合的な学習」の狙いにかなった授業が行えると思うのだが。 近代の学校教育は「国民」をつくることを目的にしている。しかし出版業に携わるものとしては、同時に「よき読者」を育てて欲しいと思う。「歴史観」を教えこむことが大事と考える人もいるようだが、そんなことよりも「自ら考え、自ら学ぶ」力を育む「総合的な学習の時間」に期待したい。自ら学ぶ気持ちがなければ、本なんて手に取るわけがないからだ。

 ちなみに上毛かるたは神保町の奥野かるた店で入手できます。興味のある方は、ぜひ手にとってみて下さい。


▲ページの上端へ

0 コメント »

この記事にはまだコメントがついていません。

TrackBack URI : http://www.hanmoto.com/diary/2001/05/09/19/trackback/

コメントをどうぞ