アフガニスタンについての本の成り立ち

2001-12-26 水曜日

現代企画室 太田昌国 :http://www.shohyo.co.jp/gendai/index.html

 映画と出版を組み合わせて文化的な大事業を展開してきたK書店やT書店のひそみにならうなどというのはおこがましい。私たちの場合は出版も小規模、映画(上映および製作への部分的な参画)もまた手づくりに近い小規模な形での関わり合いなのだが、機会があればこのふたつの文化表現媒体を絡ませた形での仕事 を続けて、20年近く経った。映画との関わりというのは、南米ボリビアのウカマウ集団の映画の自主上映と共同製作なのだが、それに関わり合いながら発想した本の企画は、歴史・ラテンアメリカ文学など、けっこう多い。昨年は監督のホルヘ・サンヒネスを招請し、全作品上映を手がけたこともあって、映画関係者との付き合いが深まった。http://www.shohyo.co.jp/gendai/ukamau/

 監督を招いて、小映画劇場とはいえ1ヵ月間ものあいだ全作品を上映するとなると、宣伝などの実務はたいへんなものになる。昨年の秋から冬にかけては、多忙をきわめた。そして、その道のベテランとの共同作業で、新しいことをずいぶんと学んだ。宣伝の任務を手際よくやってくれたグループは、2001年から02年にかけては、イランの映画監督モフセン・マフマルバフの新作『カンダハール』の上映に関わると、以前から言っていた。彼の作品は日本では2000年にはじめて公開され(『パンと植木鉢』『ギャベ』など)好評を博していた。カンダハールと聞いても、まだピンとこなかった日々は、ついきのうのことだ。

 「9・11」の事件が起こり、「報復戦争」が呼号されて、これから世界はいったいどこへ向かうのかと不安な気持ちを抱えていた9月下旬、あの映画宣伝担当の人から、小冊子が送られてきた。「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」と題されたそれは、『カンダハール』を撮り終えたばかりのマフマルバフの文章を翻訳したものだった。2001年3月、アフガニスタンのターリバーン政権によって、偶像崇拝はよくないとの理由で行なわれたバーミヤンの仏像破壊は、日本でも大きく報道されたが、マフマルバフの文章がその事件を暗喩していることは明らかだった。
 私は、バーミヤンの仏像破壊について、自分でも小さな文章を当時書いたこともあって、(http://www.shohyo.co.jp/gendai/20-21/2001/daibutu.html)興味津々、彼の文章を読んだ。そのころはすでに、米軍がいつアフガニスタンへの爆撃を開始するかということが、メディアの話題になっていた時期である。カンダハールという地名も、米軍が「敵」と定めたアルカイーダの兵士や、もしかしたらビン・ラーディンも姿を潜めている場所として取り沙汰されるようになっていた。
 世界最強国の大統領が「やるぞ、やるぞ」と言い、多くの国々の政治指導者や軍事指導者がそれに無批判に追随している以上、世界中がよってたかって最貧国を攻撃するという、信じがたい戦争が差し迫っていることは明白だった。あまりのことに呆然としながらも、この愚かな行為を批判するためのどんな小さなことでもやる必要があると思えた。そんな気持ちの時に、そのマフマルバフの文章に出会ったのだった。アフガニスタンの隣国イランの人であるマフマルバフは、『カンダハール』以前にもアフガニスタンをテーマとする映画を製作しており、外国軍の侵略・内戦・飢餓・旱魃ーーと、長いこと隣国の人びとに襲いかかっている苦しみのさまを、内部から見る視点を備えている。もちろん、イランの知識人が外部からなしているアフガニスタン「解釈」ではあるのだろうが、それだけ言って片づけるわけにはいかない、表現の切実さをもつ文章だった。上に引いた表題に彼が込めた意図は、「ついに私は、仏像は誰が破壊したのでもないという結論に達した。仏像は、恥辱のために崩れ落ちたのだ。アフガニスタンの虐げられた人びとに対し世界がここまで無関心であることを恥じ、自らの偉大さなど何の足しにもならないことと知って砕けたのだ」というものだった。この文章は、バーミヤン仏像破壊の直後に書かれており、当然にも「9・11」以前なのだが、俄かにアフガニスタンへの関心を外在的に高め、最悪の形でその国に干渉しようとしている世界のあり方をも射抜いてしまうだけの、批判の力をもつものだった。
 このような本こそが求められていると思い、緊急出版したいと考えた。翻訳者や映画『カンダハール』の配給担当・宣伝担当の人たちと相談した。マフマルバフの意向も尋ねたうえで、緊急出版が決まった。突貫作業を行ない、1カ月半後の11月20日過ぎには書店の店頭に並ぶことになった。
 発売後しばらくして、知り合いの大学生協の書店員から電話があり、すぐ売れたので追加注文したいと言ってきた。「いろいろ出ているけど、やっつけ本や戦争を煽る本ばかりで、そんなに売れてないよ。この本とチョムスキーの本(文春から出た『9・11 アメリカに報復する資格はない!』のこと)くらいじゃなにの、本当に売れていくのは」。
 売れているとはいっても、宣伝力のない私たちのこと、大出版社の本からすれば、ささやかなものでしかない。でも、米国大統領や日本の首相をはじめ政治家の言動に「否!」と言いたい人びと、マスメディアの一方的な報道に不信感をもつ人びとの手に確実に届ける努力をしたいと思う。

 それにしても、本というものは、人と人の繋がりのなかで発想され、出来ていくものだということを、あらためて実感する貴重な経験だった。


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「沖縄訪問記」うちなーすばとリュウキュウコノハズク

2001-12-19 水曜日

雲母書房 渡辺弘一郎 :http://www.kirara-s.co.jp/

 うちなーすばとリュウキュウコノハズク 幸運というべきか、今年に入って3回目の沖縄である。沖縄も随分安く行けるようにはなったが安月給の身、そうしょっちゅう飛べるわけでもない。必ずしも沖縄にハマったということでもないが、兎に角沖縄に行くとウンコの出がいい。行けば必ず泡盛を浴びるように呑んでしまうため、健全な生活をしているということは絶対にない。にも関わらずこの体調の良さ、気候があうのか食い物があうのか胃腸をはじめとして身体も精神も高揚してくる。 

 会社としての仕事は今回は1日だけ、営業をしてくるとか企画を立ち上げてくるとかいう言葉にいつまでも騙されてくれる会社でもなく、3泊4日の訪沖の間、会社負担は1泊のみである。折角の沖縄だ、構うものかと土日と代休を利用して沖縄を歩き回ってみることにした。貧乏を幸いに、少々汚い宿や粗食にも十分耐えられるよう身体は鍛えてある。それに沖縄の食い物は安くて旨い、宿も探せば安いところはいくらでもある。余計なお土産でも買わなければ、東京のつまらない居酒屋で同じ顔と呑んでいるよりよっぽど安く暮らせるのである。

 某NR出版会の販売促進会議をたった30分で辞して羽田へ向かう。このときのオレの完爾とした笑顔を見せてやりたい位だ。煩悩の全てを忘れ飛行機に乗り込んだ。テロ事件の影響か10月に行ったときは半分以上が空席だったが、今回は満員。不景気と相まって落ち込みの激しい沖縄観光業界の資金繰りはいかばかりかと思いを馳せることもない。入社以来未来永劫不景気ではないかと思われる出版界に身を置くものとして、よそ様の景気がどうなろうと知ったことではない。

 寝不足の身、うとうとしながら気がつけば那覇空港。午後7時到着の便だというのにTシャツ一枚で十分という暖かさ。空港のカウンターでレンタカーを予約する。沖縄のレンタカーはタクシーよりもその台数が多く、しかも1泊借りても安いところは3500円からあるので、下手にバスやタクシーで移動するよりよほどいい。因みに、那覇空港から北部の国頭村辺土名までバスを乗り継いでいくと、片道で3500円近くかかる。黙って往復しても7000円を超える。レンタカーで行ったほうが時間も金もかからない。無理矢理つくった沖縄自動車道にしても那覇インターから名護市の許田まで、距離にして75キロといったところ。 1時間もかからない距離である。高速代金は1000円、東京から宇都宮に行くよりも近いのである。運転の下手なオレはせいぜい時速にして100キロしか出さないが、それでも他の車をどんどん追い抜いて行く。バーブ佐竹を歌いながらあっという間に終点の許田、名護を越えて大宜味、国頭へと入っていった。

 東京から那覇を経て、ストップオーバーすることなく一直線にやんばるの森へ向かったので、さすがに腹は減るし喉も渇く。国頭村の奥間にある道の駅オクマにある行きつけの(そう言わせてくれ!)屋台で1杯呑んでいくことにした。屋台のオヤジは「おいおいどうした、また来たのか?」と暖かく迎えてくれた。とりあえずシマー(泡盛のこと)とモツを注文し、乾いた身体を潤す。排他的といわれるやんばるの人たちだが、全くそんなことはない。初対面の相手でも遠慮なく話しかけてくれる。呑んでバカ話をしているぶんにはともかく、それ以上踏み込むとなると壁はあるというが、一度仲間と認められれば生涯の友として接してくれるともいう。まるでパシュトゥーン人である。 

 若い頃東大阪でヤクザをしていたという地元のオッサンが話し掛けてきた。何をしに来た?と聞くので「人に会いに、そしてやんばるを歩いてみようと思っている」と答えたら、ただでさえ険しい目つきをますます鋭くさせて「おまえ、まさかヤンバルテナガコガネ採るに来たんじゃあるまいな?だとしたら直ちに猟銃で撃ち殺す!」とウチナーグチなまりで脅された。こういうオッサンまでが自然保護を口走る、やんばる住民の意思に驚く。しかし、人間よりも動植物を大事に思っているオレに対してなんと失礼な。ましてや今回やんばるに来た目的の一つは、やんばるの森を守り、自然と共に生きていこうと戦う写真家、久高将和氏に会うためである。昆虫の密猟に来たなどと言えば本気で殺されかねない相手である。

 シマーを3杯飲み干し、そろそろ行こうと東京から流れ着いたという屋台のオヤジに酒代を聞いた。「1000 円!」嘘をつけ嘘を、という値段である。しかも次に来るときには泊めてやるともいう。ホモでさえなければそれは有り難いことなので、是非お願いしますと席を立った。 

 レンタカーを操り、ホテルに向かった。お気づきかも知れないが酔っぱらい運転である。それも酒気帯びどころではなく紛う方なき酒酔い運転、泡盛3杯が疲れた身体に心地よく染み渡っていくのはいいが、これを東京でやったとしたらえらいことになるだろう。しかしこの地域にはパトカーは1台しかいない。その1台と途中ですれ違ったが、勿論止められることもない。どうやって車を車庫に入れ、チェックインをしてベッドに潜り込んだか全く覚えていないほどべろべろだったが、このとおり生きているし、誰も轢いてはいない。

 やんばるの森は美しい。カリフラワーのような樹冠をもつイタジイが群生していて、茫々と連なる山並みはさながら緑の絨毯である。こんな小さな島国になんと豊かなことか。林道からほんの少し足を踏み入れたら、いきなり特別天然記念物に指定されているアカヒゲという鳥に出会った。お腹のぷっくりした可愛い鳥で、驚くことにわたしが1メートルほどまで近づいても逃げようとしない。アカヒゲ自らが国の天然記念物に指定されていることをなんと思っているか知らないが、この呑気さには呆れた。これではマングースや野良犬、野良猫の餌食となるのは如何ともしがたい。
 しかしこのアカヒゲやヤンバルクイナ、ノグチゲラ、イシカワガエル、といった固有種を含む貴重な生物を危機に追い込んでいるのはマングースや犬猫のせいではない。彼らを殺戮しているのは紛れもなく人間なのだ。山奥に必要もない林道を造り、ダムを造り、それが何のためかといえばカネのため。勿論人間とて食っていかなければならない。
 人間がはびこる限り自然は食いつぶされていく。それは仕方がないことだとしても、そろそろ必要最小限にとどめようという発想を人間側が持つ必要がある。 自然を大事に思う心を持つのは難しい。触れるべき自然そのものがどんどんなくなっているからだ。

 自然を大事に思うには、まず自然の中に入っていかなければならない。そして一度は自然を破壊しなければならない。植物や昆虫を採取し、魚や獣を食らい、そうやって自然と関わってこそ、本能が呼び覚まされるのだ。自然保護は教育でも社会でもない。本能でこれは大事だと思うことが運動の原動力となる。
 久高氏はまさにそういう人であった。見るからに気合い十分のオッサンで、ツムラの毛生え薬のCMにまで出演して活動を続けている。やんばるを愛し、人間による破壊から森を守ろうと戦っている。このあたりでもコノハズクを口笛で呼び寄せられるのはこの人だけだそうだ。彼にとってはやんばるの森はこどものころからの遊び場だったという。その森を切り開かれて金に変えられてしまう痛みはわたしにはよくわかる。

 かつて京都は美山町にある原生林の中に数年暮らしていたことがある。山へ行けばカモシカやツキノワグマの気配を感じ、森に行けばキノコや木の実を採取し、川へ行けばアマゴやカジカと戯れる。今も年に一度は訪れて遊んでいるのだが、行くたびに川のかたちが変わっていく。或る年は用もない道が造られ、翌年は大きな岩がなくなっている、といった具合である。地元の殆どの人間が反対しているにもかかわらずである。好きな女の子が犯されているような気になる。

 久高氏は、国頭村で自然を潰すのではなく、共存することによって利益を得て、地元に還元していこうという活動を数十年にわたって続けてきた。しかし住民の意識が変わってきたのはここ10年ほどの間だという。職種や立場に関わらず様々な人たちを巻き込み、ようやく形になりつつあるそうだ。直に全く新しいエコツーリズムが立ち上がる。子ども騙しの環境保護にも何にもなっていない日本のエコツーリズムに、波紋が広がるよう、切に祈っている。

 久高氏の事務所で、その日の朝保護されたというリュウキュウコノハズクに会った。怪我をして道路に落ちていたという。そっと箱のふたを開けると、まんまるの鋭い目でじっとこちらの目をのぞき込んできた。そのまま微動だにせずわたしの目を見つめている。何かを言われているような気がしてならなかった。ただし、この鳥は余りにも可愛い。小型のふくろうで、当然猛禽類に分類されるにもかかわらず、抱きしめたいほどの可愛さである。これだけでもやんばるに来た価値はあると、紅イモムーチーと泡盛を買い求め、帰路についた。 

 さて、大急ぎで書きとばしたため、無駄なことばかり書いていて何が言いたいのか自分でも判らない。情けないがご勘弁いただきたい。タイトルにあるうちなーすばとは、沖縄ソバのことだが、全く触れられずじまい。最近は内地でも沖縄ソバを出す店が増えては来たが、矢張り本場の多様性には敵わない。生物も多様だが、沖縄の場合同じソバでも店によってかなり味が違うことがある。この何でもありのチャンプルー文化から生まれてくる多様性に、もう少し関わってみたいと思っている。


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「本紙含め10枚」はあんまりだ

2001-12-12 水曜日

オフィスエム 丸山慎二 :http://www.avis.ne.jp/~emu/

 ある書店でのことです。昔ながらの、夫婦で細々とやっている小さな店。ご主人はほとんど配達で外出していることが多く、奥さんが店番をしている。小社の近くでもあり、だいたい月に一、二度は顔を出していて、行くとたいてい奥さんの口から「売れないわよねえ……」なんていう話がはじまる。
 先日、「ちょっと見てよ」と引っぱり出してきたのが、ファクスの長い長い束なのです。
 取次から送られてきた新刊案内やらフェアやらの大量のチラシでした。「今朝、店に出てみたらこれじゃない、もう何とかして! 全部うちの用紙なんだから」と。僕に怒らないで下さいよ。

 最初のページには、いとも簡単に「本紙含め10枚」と書いてある。ちょうどお客もいなかったので、二人で端と端を持ってズルズル伸ばしてみました。A4サイズの用紙なので約30センチ×10枚=3メートルにもなるんです。20坪もないほどの書店だから店の隅と隅で顔を見合わせて、しばらく二人で笑ってしまいました。「こ〜んなに長いのに、うちで必要だったのは1枚よ、イ・チ・マ・イ」だって。

 たった1回のファクスなのです。もちろん、送っているのは取次だけではない、版元からも直接、いろいろピ〜ヒャララと送信されてくる。この規模の書店でこうなのだから、大型店となればさぞかしファクスのぐるぐるとぐろ状態が察せられるのです。
 書店に1冊でも多く売ってほしい立場としては、ファクスは販促情報を伝える有効な手段です。とはいえ、使える情報が10枚中に1枚では、あまりにも無駄が多いと言えませんか。書店員のなかには全部目を通さないと気が済まないという人も知っていますが、開店前から閉店後までひたすら業務に追われ、しかもつねに人手不足のなか、という状況で、本一点ごとのファクス情報になどとても対応しきれないというのが現実だと思うのです。

 小社では読者向けに「ホンのおまけ」という通信を出していて、営業は営業で書店向けに「配ホンのおまけ」という書評情報や売れ筋情報などを送っている。なるべく補充などの荷物に同封するようにしているが、速報性からファクスを使うことも少なくない。気をつけなくては、とあらためて思うのです。
 この業界、何かにつけ、過剰印刷→過剰配本→大量返本→大量在庫もしくは断裁、という無駄の連鎖を反省しつつも、日々こんなところにも小さな(小さくない、いや長い!)無駄が転がっている世界なのだなあ、と3メートルの端をつまみながら考えてしまいました。

 大量の無駄を出せるのも、ある意味では資本力がいることで、小社みたいに「超」がつくような零細出版社では、できるだけロスを出さずに一点一点の本を売りきっていくことが生命線でもあります。ただ、少ない初版部数でスタートしても、油断してると(というわけでは決してないのですが思うように売れなかったりすると)、あっという間に在庫の山が、経営者にとっては印刷製本所からの請求の山が出来てしまいます。
 本を作ること自体が限りある資源を消費しているわけですから、肝に銘じて「本を作って読者に届ける」出版という行為をしなければなりませんっ。と格好のいいことを思いつつも、営業としては一冊でも多く売れることを目指し、沢山売れることを何よりも代え難いヨロコビとしているのですが……。

 不特定多数に向けて売るのではなく、特定の、つまり必要としている読者に必要とされている本を確実に届けること。初版から増刷につなげて、さらに増刷と長く売っていく。そのために、本の情報を書店や読者に無駄なくタイムリーにピンポイントで伝える営業を!……あ、これができるのなら、はじめから堅実な出版社になってるんだけどなあ。


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北国の出版社

2001-12-5 水曜日

亜璃西社 和田由美 :http://www.alicesha.co.jp/

 初めまして、(株)亜璃西社の代表をつとめる和田由美です。
ホームページ(http://www.alicesha.co.jp/)を見て頂くとわかりますが、1980年代末(88年)に、北の地・札幌で産声を上げた出版社です。小さな出版社の例に漏れず、青息吐息の自転車操業で、 14年目を迎えています。もともと、3度の飯より本が好きで、編集プロダクションを基盤に書籍の出版社を旗揚げした訳ですが、実際には資金が潤沢に無ければ、自在に本が作れないという“悲哀”を身にしみて感じています。同業の方には当たり前のことでしょうが、たまには愚痴ってみたいのです。

 ところで、最近のアフガン問題について、各テレビ局は、膨大な時間を費やして報道しています。本来なら「映像の力は凄い」と言いたいところですが、知りたい情報はなかなか届かず、何がなんだかさっぱりわかりません。そんな時、手に入れた一冊の本、中村哲著『医者井戸を掘る−アフガン旱魃との闘い』(石風社・定価1800円)は、私の素朴な疑問に対し、誠実に答えてくれました。何よりも、国際社会から見捨てられたアフガンの現状を、これほど温かい眼差しで伝えてくれる中村さんという人物に、大きな感銘を受けました。わたしとしては、自信喪失しつつあった「活字の力」ですが、まだまだ底力があることを、この本が実証してくれたような気がします。この本の著者はもとより、出版社並びに編集者の方に敬意を表したいと思います。

 話は変わりますが、亜璃西社の最新作は、友人の前川公美夫さん(名著『北海道音楽史』の著者でもある)が書き上げた、異色のノンフィクション「響け『時計台の鐘』(定価2000円+税)です。“♪とけいーだいのーかねがなる”で始まる「時計台の鐘」は、古くから住む札幌市民なら誰でも知っている名曲です。けれども、この名曲が“いかにして生まれたか”を知る人は、ほとんど居ません。前川さんは偶然にも、時計台の建物の中にテスト盤のSPレコードが保存されているのを発見。それを機に、名曲が生まれるまでを徹底的に取材し、知られざる逸話まで探り出しています。また、レコード会社の協力を得て、SP盤の復刻をディスク化、巻末にCDを付けました。CD付きの本は、亜璃西社としては初めての試みです。まだまだ、思い通りの本造りはできていませんが、石風社さんに勇気をもらったことでもあり、先達の皆さんを見習いながら、北国の出版社ならではの本を出し続けていきたいと思っています。


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ウイルスにやられた!!

2001-11-28 水曜日

凱風社 新田準 :http://www.gaifu.co.jp/

 11月27日の朝、いつものようにパソコンを起動し、メールを見た。例によっていろいろなメールが、知人、著者、見知らぬ人から入っていた。おかしなメールがあればいつもは、即棄てているが、この日はどういうわけか、一つのメールに変にこだわってしまった。

 そのメールは題名がなく添付ファイルがついている「典型的な」アヤしいメールだ。ただ、なにかわからない文章が本文にある。メール初心者の著者などがときどき「文字化け」したメールを送ってくることがある。おまけに前日、メキシコから本のまとめ買いの問い合わせがあったのだが、最初のメールはひどい文字化けをしていた。

 そんなことが頭にあったせいか、そのアヤしいメールを開いていろいろな言語でエンコードをやってしまった。しかし結局、文字化けは直らない。むろん添付ファイルは開いていない。ここでやめて削除すればまだ助かったかもしれない。ところがよせばいいのに「文字化けしてメールが読めません」と書いて「返信」してしまった。

 そのあとは「大騒ぎ」。知人から「オカしなメールが入った」という電話がジャンジャンかかり、あわててメールを開けてみると宛先不明のリターン・メールが山のように届いている。閉じて開いて2回で合計37通入っていた。アドレス帳のみなさんには、すぐにお詫びと削除依頼のメールを書いたが、結果はどうだったのだろう。

 ここでやめればまだよかった。すっかり頭に血がのぼって冷静さを失っていた私は、パソコンのウィルス防止ソフトのアップデートをはじめた。インターネットでその会社のサイトにゆき、最新バージョンをダウンロードする。アセっている私は、ほとんで説明を読まずにクリックを続けた。ダウンロードプログラムが動き始めたが、20分も30分も動き続けているうえに、ダウンロードと同時にアップロードもしているようだ。ここでまたバタバタしてしまった。

 パソコンをいったん閉じようとすると、突然、「バージョンアップをするには再起動が必要」というウィンドウが開いた。「あっ、うまくいったんだな」と安心して再起動——するはずだったのに、どういうわけか再起動しなくなってたパソコンは今、私の机の上で昏倒したまま突っ伏して寝ている。

 チキショウ、犯人を見つけたらただじゃおかないぞ。姿をかくして不特定の人に多大な迷惑をかける。じつに卑劣千万な犯罪行為だ。


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鮮やかに生きる女性の本を続々と刊行!

2001-11-21 水曜日

亜紀書房 小林英貴 :http://www.akishobo.com/

 亜紀書房では今までに、アジアを中心とした国際関連の人文書や教育関連の書籍などを出版し、おかげ様で読者の皆さんに評価を頂いています。新世紀を迎えてはや一年を過ぎようとしている今、小社の書籍群に新たな路線が加わり、パワーアップをいたします。

●節約本の流れ
 当社には従来から女性書の蓄積があります。代表的なものとしては、小幡玻矢子さんの節約シリーズがあります。『超節約クッキング』『超節約生活』の2書が新刊で、地道ながら確実なファンを掴んでいます。小幡さんにはほかに『楽しい10万円生活』という一書もあります。
 その流れを受けて最新刊として『シングルママの極楽貧乏生活』を発刊したばかりです。おかげ様ですぐに重版がかかり、この種の分野にはまだまだ類書が可能だなと実感しています。
 著者である天竺浪女さんは、小さい子供を抱えて離婚、あまた就職試験を受けるも採用なし。その一部始終と財布の中身を彼女のサイト「はっぴい晩餐」(http://vt.sakura.ne.jp/~bansan/)で公開したところ、2年で40万アクセスを数えるほどの人気サイトになりました。ホームページ上と著書で彼女は、新しい貧乏の在り方をユーモラスに描き、脱力系の生き方こそ今に相応しいと説いています。そして、本書の影響で連載が2本決まるなど、新たな展開が始まっています。
 当社ではこの節約・貧乏ラインをこれからも追いかけていきます。

●熱い生き方の女性の本
 少子高齢化で女性の職場進出はもっと加速されると思われます。政府も男女共同参画社会の実現をうたっています。とすれば、働く女性のための本が必要になってきます。政治も経済も女性の関心領域に入ってくるはずです。
 当社では働く女性が、いかに考え、いかに動き、いかに生きるかをテーマの中心に据えて、続々と女性書を刊行していきます。既刊としては『日航スチュワーデス 魅力の礼儀作法』『ポジティブになれる人ほど幸福に近づける』があります。
 そこに『33歳、子供2人、それでもコピーライターになりたかった』が新刊として加わりました。著者は、専業主婦歴10年からプロのコピーライターを目指し、新人賞も受賞、いまは働く女性のための教室を運営し、しかも自然食レストランも開店した長井和子さん。彼女に勇気づけられて専業主婦から脱出して新たなことを始める女性が増えています。
 新年にはフードコーディネーターの草分け藤原勝子さんの『私は食の演出家』、料理研究家岸朝子さんの『老いのひとり暮らし歴8年』が新刊として加わります(いずれも仮題)。
 これからも女性陣の強力新刊が続きますので、よろしくご注目下さい。


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非常識な人々

2001-11-14 水曜日

編書房 國岡克知子 :http://www.amushobo.com/

 今年の9月で編(あむ)書房も4年目に入った。10冊目の『図書館逍遥』(小田光雄著、2001年9月14日発売)は刷り部数は少ないが、確実に本好きの人に支持をされているようで、返品も今のところ少ない。出版不況の折、まあまあというところだと感謝している。最終的には返品がどれくらいになるのかまだわからないが、この本は図書館にずいぶん入れていただいた。こちらとしても図書館に入れていただきたい本として意図して出版はしたが。

 ところで、3年前に会社を立ち上げたときに「これからはeメールの時代になる。きっとホームページで注文をとることになるだろう」と考えた。しかしそれは大間違いだった。HPのつくり方が悪いのかもしれないが、メールでの注文は思ったよりもぜんぜん少ない。HPの効果は宣伝に役立っているだけかもしれない。

 もっと言ってしまえば、自社の宣伝よりもむしろ利用されている感じがする。最近よく売り込みのメールが入る。それはイラストレーターであったり、著者であったり様々だが、少なくともこちらの会社がどんな本を出しているのかぐらいは調べてからメールを出して欲しいものだ。先日もいきなり、「僕のHPの詩を読んでください。そして詩の出版に手を貸してください」という依頼。どうも詩が苦手のせいもあるが、彼のHPにまで行って彼の詩を読まされてしまった。そのあとで、「冗談じゃない、忙しいのになぜこんなふうに非常識な人につきあわなくちゃいけないんだろう」と腹がたってきた。
こういう人は本当に多い。イラストレーターにしてもテープ起こしの仕事にしても、相手の仕事ぶりや人柄を知ってからでなければ、小社のような零細出版社であっても、まず仕事は依頼しない。まして著者ともなれば、見ず知らずの相手と仕事をすることはぜったいに有り得ない。アメリカの大学の講師をしている日本人からいきなり国際便で原稿を送りつけられて、「お宅で出版して欲しい」と言われたこともあった。私から見るとトンデモ本だ。大出版社なら日常茶飯事のことかも知れないが、零細出版社にしてみれば「なに考えているんだろうこの人!」となってしまう。もちろんすぐに国際便で送り返してしまったが、お金はかかるし、いやな思いはさせられるし、非常識な人々が多いのにあきれる。

 他にも非常識な人々がいる。就職活動中の大学生だ。真面目な人もなかにはいるが、たいていはこちらの出版物を読んでもいない、どんな本をだしているのかさえ調べもしないで「採用予定をお知らせください」というメール。採用予定など永遠にないのになあ。身勝手な人々にうんざりさせられる。それともこれは今の社会では常識なのか? 自分の都合だけ考えている人々ばかりの世の中はなんともさみしい。


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小泉メルマガ「らいおんはーと」に挑戦!

2001-11-7 水曜日

ロゼッタストーン 弘中百合子 :http://www.rosetta.jp/

小泉メルマガ「らいおんはーと」に挑戦!

季刊ロゼッタストーンを発行している(株)ロゼッタストーンです。11月 15日に、女性国会議員メルマガ「ヴィーナスはあと」を創刊することにしました。これは、もちろん、小泉メルマガ「らいおんはーと」を意識したものです。暗く物騒な世の中には、らいおん(野獣)の勇ましい声だけでなく、ヴィーナス(美女?)たちの優しい視点も必要なのではないかと思ったのです。

「ヴィーナスはあと」には、福島瑞穂さん、水島広子さん、川田悦子さんなど、党派を超えて、19人の女性国会議員が参加してくれることになりました(全女性国会議員の4分の1以上)。小泉首相のようなスーパースターはいませんが、数だけなら負けません。グループで存在感を示す永田町の「モーニング娘。」をめざそうと思っています。配信日は、小泉メルマガと同じ毎週木曜日。自民党の参加者もいるので、小泉首相と敵対するものではありませんが、官邸のメルマガでは書けないような永田町の本音を発信していく予定です。

なぜ、こんなに「小泉メルマガ」を意識するか、というと、ロゼッタストーン本誌が「類似誌がない」ということで、とても苦労しているからです。雑誌(紙媒体)の世界では、成功している雑誌と似たものを創ってその雑誌と同じ発売日に発行する、というのが定石です。そうすることで、書店もどこに置けばいいのかはっきりわかるし、同じ系列の雑誌が並ぶことで、そのコーナー全体も目立つ。読者層が同じなので、成功している雑誌を買いに来た人が、新しく出た雑誌を発見して買ってくれるかもしれない。買う側にとっても、探しやすく選びやすい。……と、まさにいいことづくめなのです。

ところが、季刊ロゼッタストーンのように、類似誌がない場合は、まず書店がどこへ置けばいいかわかりません。読者もどの売り場で探せばいいかわかりません。実際、書店によっても、号によっても、置く場所が違っています。そんなわけで、ロゼッタストーンは、書店で探すのがとても難しい雑誌になってしまったのです。宣伝力のない小さな会社が、個性的な雑誌を出版することの厳しさを、最近身にしみて実感しています。

そんなわけで、今回発行するメルマガでは、小泉メルマガの知名度をちょっとだけ利用させていただくことにしました。相手は登録者が百万人を超える巨大メディアですから、赤ちゃんと横綱くらいの力の差があります。はたして出版界の「定石」は、インターネットの世界でも通用するのでしょうか。この「ヴィーナスはあと」が創刊後、どんな経緯をたどるのか、ぜひ、見守ってください。

※「ヴィーナスはあと」に興味がおありの方は、ロゼッタストーンホームページをご覧ください。(http://www.rosetta.jp


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ブゲン、ブンザイということ

2001-10-31 水曜日

未知谷 飯島徹 :http://

 現在この文章はATOK12で書いておりますので、「分限、分際」と一回で変換されます。気持ちの良いことです。少し以前の辞書ですと、なかなかいきなりは、変換してくれなかったものです。つまり、ワープロソフトの辞書機能が良くなったことを喜ぶものです。となれば、ここでこの文章の目的は終了してしまいます。

 ここに認めておきたかったことは、必要があって読んだ石上玄一郎氏の小説『精神病学教室』の一節から考えたことです。さして長くもありませんので引用します。
「——女の胎に生まれたものの頤には鰓(「さい」という音では出ずコード入力)裂がある。尾てい(漢字が出ません)骨を持っているものの思想には限界がある。人間は自分で自分の頭髪を掴んで宙につるしあげることができぬように人間の産み出した科学も畢竟、人間自身を超えて進むことはできない。」

 絶妙のフレーズではありませんか。
 身分制度を復活させろといった議論を展開しようと言うのではありません。このところ喧しい世の中の状況を見て居ると、分限とか分際といった言葉を思い起こさざるを得ないと言いたいのです。せめてそのくらいは、と。身分が制度になると不都合も生ずるだろうけれど、英国紳士の如く自ら律することの出来ぬ人間にとっては必然かも知れないと思う訣(「けつ」と打たなければ出ません)です。

 人は生まれながらに自由なる人間となる訣ではない。段階を経て絶対精神へと進化して行くのだ。とは『精神現象学』(ヘーゲル)で、新訳を小社未知谷で刊行いたしました(これは宣伝)が、自分がどれだけの能力をどこまで発揮できる状態にあって、それが世の中でどういう意味を持つのかという認識を訣(「かく」と打つと出ない)いて出発する訣(「わけ」では出ない)には行かなかろうと思う次第です。
いらいらしてきました。申し上げたいことの輪郭はあるかと思います。お察し下さい。


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南アジア学会 in 金沢

2001-10-24 水曜日

深澤孝之 :http://

 10月6、7日と金沢で「南アジア学会」があった。私はそれに参加してみて、専門書の出版についていくつか考えさせられた。以下、そのことについて述べてみたい。

 ひとつ目は、国内で比較的読者をえにくいこの分野では、自分の研究の成果を日本語ではなく英語で発表して、世界に向けて出版したいと考えている研究者が少なくないということである。
 私にそのことを教えてくれて、日本でそうした出版形態をおこなった場合、流通問題に関して強力な相談相手となるであろうインドのManohar書店を紹介してくれたのは、拓殖大学教授の坂田貞二先生である。先生は、私の大学時代の恩師の大先輩にあたる方で、学生時代にその著作にはずいぶんお世話になったものの、お目にかかるのは今回が初めてであった。また、先生は若き日、出版社にお勤めになられていたこともあり、教員になってからも出版には並々ならぬ情熱を注いできたようで、出版事情に非常にくわしく、本の製作費や刷部数についてかなり突っ込んだ質問をして、私は冷や汗をかかされた。
 またManohar書店のほうは、ニューデリーに事務所をかまえる書店兼版元である。社会科学系の出版社のなかではインド1位なのだそうだ。今回の日本のみならず、世界各地で開かれる「南アジア」関係の学会に直接足を運び、会場で自社の出版物や他社の関連書籍を販売している。インド自体、英語が公用語のひとつであることもあって、Manohar書店では、当初よりマーケットは世界であったようだ。自社の出版物とインド国内の有力出版社の本を海外に紹介するほか、自社本の著者についてみてみると、国内の研究者のみならず日本、ヨーロッパ、北アメリカ、オーストラリア等じつに様々である。さらに、海外の出版社との共同出版の実績もあって、もちろんその販売代理業もおこなう。じっさい、学会期間中もManohar書店は非常に繁盛していた。

 ふたつ目は、この学会所属の研究者は、デジタルデータの扱いに関する意識が非常に高いことである。インドがIT大国だからであろうか。(じっさい、公用語だけで18を数えるこの国の言語を、どのようにコンピュータ上で表示させるかという多言語処理に関する研究発表があった。)いや、それよりもあまり販売の見込めないこの専門書の分野で、著者なりに製作コストに敏感にならざるを得ない現実があるのでは、と私はひそかに思った。
 具体的には、著者が出版社に原稿を提出する場合、FD等におさめられたデジタルデータと紙に打ちだされたハードコピーの両方を渡す。デジタルデータのほうは、例えばWordで作成したものであっても、テキストにおとして保存したものを送る。そしてハードコピーのほうには、テキストで表示できない文字やレイアウト上の注意を赤字で書き込む、といった基本的な事柄だ。

 この出版の第一歩であるデジタルデータの作成に関して、著者側と出版社側でなかなか意思の疎通がうまくできていないのではないか、と私はずっと思ってきた。これは著者の責任というよりも、むしろ出版社の責任だろう。今回、会場で何人かの方とこの問題について話してみて、テキストなんて当然ですよ、とみな口を揃えて言うのにおどろき、さらには、そのまた何人かは、TeX(テフ)を使って英語論文を書いているという方までいて、文科系なのにスゴイ、と私を仰天させた。そして、なぜ出版社のほうではデジタルデータの作成に関してこうしてくれ、ああしてくれと何も言ってこないのか。そんなことは些細なことなのだから、どんどん言ってくれて構わないし、むしろそうした部分に労力を使ってでも、これまで採算ベースに乗らなかったような企画が実現すれば、そのほうがずっといいだろう、という注文を受けた。おっしゃるとおりである。

 学会がおわった翌朝、ホテルから犀川まで歩いてみた。15分くらいの距離である。香林坊の交差点にはなぜか渋谷と同じ109が。そこを曲がって、金沢随一の繁華街片町の商店街をぶらぶら行く。途中、九谷焼をおいた店や金箔をあしらった和紙をかざった土産物屋のまえを通りすぎる。人通りはまばらで、金沢という街自体、とても小さくてきれいな印象をうける。ほどなく犀川にほとりにでたが、これも小さくてきれいな川だった。金沢らしい、と思った。


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