NGO活動10年の軌跡と21世紀への展望チェルノブイリからの伝言
日本チェルノブイリ連帯基金(JCF):編
発行:オフィスエム
この版元の本一覧
A5判 120ページ 並製
定価:1,143円+税 総額を計算する
ISBN978-4-900918-33-7(4-900918-33-4) C0036
在庫あり
奥付の初版発行年月:2000年09月
書店発売日:2000年09月20日
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紹介

JCF・日本チェルノブイリ連帯基金(長野県松本市、理事長・鎌田實)は、今年10年目を迎えたNGO団体。チェルノブイリへの医療支援を中心に、多角的・継続的に支援活動をつづけてきた。チェルノブイリ事故勃発以来、原発の放射能漏れ事故や東海村臨界事故など、日本でも次々に原発事故が起き「自分ごと」として原発への危機感がつのっている。本書では、医療支援の実務を担ってきた信州大学医学部のスタッフの証言をはじめ、高木仁三郎(原子力情報資料室理事)、本橋成一(映画「ナージャの村」監督)、小室等(JCF理事・歌手)など、JCFの活動をさまざまな面から支えてきた面々の10年間の軌跡、そしてこれからへの提言を集大成した。原子力とどのように向き合えばいいか。今や世界を動かしつつあるNGOという潮流をどう考えればいいか。実績と実力のあるJCFが総力を結集してまとめ上げた現代人必読の書。

目次

[はじめに]一人の子どもの涙はすべての人類の悲しみよりも重い
/鎌田 實 JCF理事長・諏訪中央病院院長

1. 1986年〈4月26日〉の原点から… チェルノブイリの悲しみと向き合って
それは、1991年の4人の旅から始まった……。
日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)設立から3年目の軌跡をたどり、
ボランティアとは何か、いのちとは何か……。
NGOの原点を模索する熱い会話が繰り広げられた。
座談会 あれから3年 市民活動の限界を超えて…〈1994年『グランドゼロ』no.11より〉 
  鎌田 實 JCF理事長・諏訪中央病院院長
  吉永 宏 JCF理事・YMCA同盟広報室長 
  高橋卓志 JCF事務局長/神宮寺住職   司会・竹内万美子(JCF事務局)

2. いのちの連鎖を求めて ベラルーシからのメッセージ
8000キロ離れたベラルーシからの小さな声に人々が耳を傾ける時、
小さな声がささやかな力となってやがて大きなネットワークを結んでゆく……。
 タチアナ・ショウミヒナ ゴメリ州立病院・小児血液病棟主任
  時が流れ状況が変わっても、私たちは友達です
 ミハイル・ボカチェンコ ゴメリ州立病院・移植部主任
  日本(信州大学)で学んだ先端医療を活かして
 イリーナ・ニコラエバ  JCFモスクワ事務局・通訳
  フセフ・リュブリー(みんなが好き!)

3. 響きと影 豊穣の大地とはかりあえるほどに……
風のようにしなやかな感性と鳥のような大らかな眼が大地を旅するとき、
響きと影が交錯し、もう一つのチェルノブイリの物語を予言する……。
 対談 ベラルーシは美味しい!
  ●小室 等(JCF理事・歌手) ●貝原 浩(JCF理事・画家)
 ■番外編 ベラルーシは美味しい! ロシア料理レシピ

4. インタビュー&インタビュー 私とチェルノブイリ
人はなぜ、チェルノブイリに関わるのか、人はなぜ、もう一つのいのちを想うのか、
人はなぜ、パンのみでは生きられないのか……。
〈いのち〉と向き合った人々による〈いのちの証言〉。
 小池 健一 JCF理事・信州大学医学部助教授 ひと・医療・ベラルーシ
  ●海老名英治 JCF事務局 通信衛星による遠隔地医療    
 金井 貞徳 JCF理事・松商学園教諭 母親の死が教えてくれたこと  
 倉科 憲治 JCF理事・信州大学歯科口腔外科学教室教授 NGOにとって医療支援とは何か  
 廣浦  学 JCF理事・諏訪中央病院臨床工学科技師 継続する志とネットワーク  
 阿木 幸男 JCF理事・河合塾英語教師 僕のNGO論〈いくつかの疑問に答えて〉

5. 天国はいらない故郷を与えよ 映画「ナージャの村」が残したもの
時として、1葉の写真から全存在が揺すぶられることがある。
時として、1本の映画から失ったものが見えてくることがある。
カメラマン・本橋成一、筑豊からチェルノブイリへの30年間の眼差しの行方に、
人と大地といのちの営みが見えてくる……。
 本橋成一 JCF理事・写真家・映画監督
  チャイコバーバの悲しみ〈ぼくが「ナージャの村」を撮ったわけ〉  

6. 奪われし未来から… 科学者が検証したチェルノブイリ事故・東海村臨界事故
「これは、ぼくの遺言と思って下さい……」と、高木仁三郎さんは言われた。
病をおして私たちのインタビューに一語一語を噛みしめるように、高木さんは真摯に応答してくれた。約束の1時間を大幅に超過した。そして、長いインタビューは「希望」という言葉で終わった……。
 高木仁三郎 原子力資料情報室理事
  人類は科学技術とどう向き合っていくか〈チェルノブイリ事故を教訓として〉
[あとがき]8000キロの彼方への想い……
      神谷さだ子 JCF事務局長
■JCF_information ■JCF10年の歩み〈1991年〜2000年5月〉
アンケート ●私とJCF、そしてチェルノブイリ
 神谷さだ子(事務局長) 布山みな子(松本事務局スタッフ)
 高橋俊光(松本事務局スタッフ) 海老名英治(松本事務局スタッフ)
 水間みどり(京都事務局スタッフ) 中山万美子(非常勤スタッフ)

前書きなど

[はじめに]一人の子どもの涙はすべての人類の悲しみよりも重い
/鎌田 實 JCF理事長・諏訪中央病院院長
 1990年に、旧ソ連のマリーナという女性が、白血病の子供をぼくの勤務している諏訪中央病院で治療して欲しいと訪ねてきた。それ以前にも、彼女は東京の大きな大学病院を幾つか訪ねて、ロシアの子供たちを助けて欲しいと訴えてきたらしい。
 当時のソ連は、まだ共産党の一党独裁体制の時代であり、日本との関係も決して良好とは言えなかった。そのことが原因していたのか、東京の大きな大学病院では、ことごとくマリーナのチェルノブイリの子供たちを救って欲しいという訴えは、退けられたのである。そんなときマリーナは、ある大学病院の医師から、「長野県の諏訪中央病院へ行けば何とかしてくれるのではないか」と、言われたという。
 諏訪中央病院は、〈日本の中でも特色のある地域医療を展開していて、困っている人は、あそこへ行けば助けてくれるだろ〉と思われていたようである。当時のぼくは、病院内の改革と同時に、自分たちの理想とする地域医療の模索と実践を繰り返しており、日々多忙を極めていた。マリーナから、「チェルノブイリの子供を助けて欲しい」と要請があったときも、忸怩たる想いを抱きつつも、ぼくは「イエス」とは言えなかったのである。一旦、事が動き出したら、簡単には手を引けないという、事の重大さが脳裏をよぎったことも一つの理由であった……。
 その翌年、周囲からの「どうしてもチェルノブイリに行って欲しい」という強い要請に、ようやく重い腰を上げたものの、その時点でもまだぼくの心は迷っていた。しかし、そんな迷いとは裏腹に、青春時代に読んだドストエフスキーやトルストイ、ツルゲーネフの母なる大地を、一度この目で見てみたいとも思ったことも事実である。日本ではぼくらぐらいまでの世代には、青春時代にロシア文学を読み、ロシア民謡を歌い、悠久の大地へ憧れを抱いた人たちが、ぼくの周りには多くいた。ぼくもご多分に漏れず、ロシア的なるものに大いなる憧れを抱いていた一人であった。
 今にして思うと、そういった青春の残り火のごとき想いが、ぼくをチェルノブイリに向かわせたのかもしれない。8000キロ離れたベラルーシへの医療支援という、ハードでかつシビアな活動の内実と、センチメンタルな心情とが一見場違いのように思われるかもしれないが、ハードな活動を10年間も続けられてきたことの根底には、そういったセンチメンタルな心情が流れていたことも事実である。それは、人がパンのみに生きられないことの証しでもあるようにも思えるのだが。
 91年、とうとうぼくはロシアの大地に足を踏み入れた。しかし、その時に至っても、まだぼくの中では、チェルノブイリを支援しようとは思っていなかった。そんなぼくのかたくなな気持を大きく変えた出来事があった。
 モスクワの科学アカデミーのヒトロフ教授のところを訪問した時のことである。ヒトロフ教授は、共産党がソ連を一党支配している時代に、ぼくたち日本人が初めて訪ねて行ったにもかかわらず、チェルノブイリで起きた惨状を、ありのままに情報公開してくれたのである。KGBが大手を振っているこの国で、これほどまでに手の内を証してくれたヒトロフ教授の真摯な勇気に、ぼくはある種の感動をもって聞いていた。そのとき、もしかするとこの国は変わり始めるのかなとも思った。
 ヒトロフは、一番汚染が激しいチェチェルスクという町の名前を告げ︱︱外国の支援が一つも入っていない大変な汚染地帯へ行って欲しい。ぜひチェチェルスクを見て欲しい︱︱と言ったのである。
 ヒトロフの同僚のグズネソフ教授は、別れ際にぼくの手を握りしめ、
 「〈一人の子供の涙はすべての人類の悲しみよりも重い〉と、ドストエフスキーは言っています。今、チェルノブイリの子供たちが泣いています。悲しいことに、ソ連の大人たちは、チェルノブイリの子供たちを救えません。日本の医療者に期待しています……」
 その時、ぼくは静かに決意した。〈チェルノブイリの子供たちを救いたい〉と。それからぼくらは、日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)を設立した。あれから瞬く間に10年の歳月が流れた……。
 ぼくは今も自問している。一人の子供の涙と人類の悲しみについて。

版元から一言

高木仁三郎氏(原子力資料情報室理事・故人)……本文より
日本の問題とかソ連の問題とかではなく、人類が科学技術とどう向き合っていくのか、いわば一つの世紀を貫くような課題として、そこから教訓を引き出して学んでいかないといけないのではないかという気がします。

関連リンク

版元紹介ページ
JCF・日本チェルノブイリ連帯基金

著者プロフィール

日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)(ニホンチェルノブイリレンタイキキン)

長野県松本市に拠点を置くNGO。チェルノブイリ原発事故後のベラルーシへの医療支援活動を中心に行っている。
●本部/〒390-0303長野県松本市浅間温泉2-12-12
TEL.0263-46-4218/http://www.jca.apc.org/~jcf/

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