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水俣病患者とともに
日吉フミコ 闘いの記録
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2001年9月
- 書店発売日
- 2001年9月1日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2015年8月22日
紹介
水俣病に関してすでに多くの記録や論説が出た。しかし、水俣病事件史に関してきわめて重要な水俣市議会や市民会議の動きの部分が大きく欠落していた。本書の主人公・日吉フミコが活躍する、市議会での「肝っ玉おっ母」のやりとりは、実に臨場感にあふれてとにかく面白い。そして議会民主主義とは何か、と問いかけているようである。
目次
[主な内容]◎日吉フミコが闘った水俣市議会の記録◎
第一章 会社の言うことは信じられない
第二章 受難続く患者と家族
第三章 二十二年間、水銀が海に流された
第四章 世論を巻き起こす運動を
第五章 「公正円満、早期解決」の大合唱
第六章 確約書を迫る厚生省
第七章 チッソへの抗議も許されない
第八章 あっせん費用、水俣市が立て替え
第九章 第三者機関にだまされる
◎日吉フミコの生い立ち
水俣病と女性たち/幼き日々
◎対談/日吉フミコ+松本勉
市民会議と水俣病裁判(一次)
◎日吉フミコ行動録
前書きなど
●本書を推薦します●
白木博次(元東京大学医学部長)
私は熊本の水俣病の第三次訴訟の原告側の証人として出廷したが、相良裁判長はほぼ完全に私の証言を採用した。が間もなく広島高裁支部に転勤となり、私の証言は生かされなかった。本書の主人公日吉フミコさんが水俣市議会で、唯一人患者側に立って闘った迫力に満ちた全記録は、「水俣ほたるの家便り」の責任者であった松本勉さんの協力なしには日の目をみる機会はなかったであろうことを記し、広く御購読を心からお勧めする。
青山俊介(水俣フォーラム副代表)
日吉フミコさんに初めてお会いしたのは一九六八年の初夏、水俣病の公式確認から一二年を経た時期であった。日吉さんは市民会議を結成し、孤立し、その病苦を自ら、そして家族で一身に負い苦しんでおられた患者互助会の支援に奮闘されていた。水俣病に係わる市民の連帯はこの市民会議の活動が端緒となり、一九六九年の提訴、各地での水俣病を告発する運動に繋がっていったと思う。本書は、三五年にわたる日吉さんの水俣病患者支援史を追うことで、水俣病事件を市民の視点から捉えなおす機会を与えてくれる。ぜひ、多くの方々にご一読いただきたい。
坂本フジエ(水俣病患者家族)
日吉フミコ先生は、胎児性患者と出会ったことがきっかけで、患者のために何かできないかと考え、市会議員になった方でした。そして、一九六八年に水俣病市民会議ができた時は、本当に嬉しかったです。それまで、患者の立場に立って考え、助言したり行動したりしてくれる人は、だれ一人いませんでした。市民会議ができたことで、国が「水俣病の原因はチッソ」と認め、私たちは裁判にふみきることができました。私たちは、一生日吉先生のことを忘れることはありません。
版元から一言
●各紙絶賛●
熊本日日新聞評(00・9・6)
患者支援の記録一冊に/議会議事録を基に仲間らまとめる
西日本新聞評(00・9・4)
対決、支援、脅迫生々しく…/活動記録集を出版
朝日新聞評(00・9・1)
水俣病運動の母奮闘ぶりたどる/被害者救済へ行政・議会に直言
毎日新聞評(00・9・6)
支援活動のエピソードつづる/行動記録を発刊
関連リンク
上記内容は本書刊行時のものです。