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闘う小児科医 山田 真(著) - ジャパンマシニスト社
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【利用可】

闘う小児科医 (タタカウショウニカイ) ワハハ先生の青春 (ワハハセンセイノセイシュン)

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四六判
264ページ
上製
定価 1,800円+税
ISBN
978-4-88049-124-0   COPY
ISBN 13
9784880491240   COPY
ISBN 10h
4-88049-124-1   COPY
ISBN 10
4880491241   COPY
出版者記号
88049   COPY
Cコード
C0036  
0:一般 0:単行本 36:社会
出版社在庫情報
不明
初版年月日
2005年8月
書店発売日
登録日
2010年2月18日
最終更新日
2012年3月16日
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紹介

それは1968年東大医学部から始まった
トホホでおちゃめ、まっすぐで熱い生き方
ワハハ先生の言葉に励まされ支えられた子育て。ご近所にこんな小児科医がいてくれたらと何度も思った。そんなあなたに贈る、ワハハ先生誕生の物語。
 1968年東大医学部。東大闘争の序章となったインターン制度との闘いから、森永ヒ素ミルク事件・水俣との出会い。町医者としてのスタート、そして障害者運動へ。 麻雀と演劇に明け暮れていた医学生は、こうして闘う小児科医となった。

目次

はじめに
I 一九六〇年春・進路 
  上京 12 
  東大入学 17
  ぼくらのアイドル「こまどり姉妹」 22
  デモより麻雀 27
  『資本論』より「ガラスの動物園」 32
  演説と同情と演劇と 42
II 一九六七年初春・激動
  卒業試験ボイコット 50
  「医局講座制」を告発 55
  ストライキ突入 61
  ああ、「反革命分子」 67
  くやし涙 73
  とうとう委員長に 79
  無期停学 85
III 一九六七年秋・闘争
  町医者への道 94
  ホームレスの患者さんたち 100
  病気とつきあっていく術を学ぶ 106
  大量処分 113
  東大闘争のきっかけ 122
  燃えあがった六日間 129
  終息に向かうなかで 136
IV 一九七〇年春・出会い
  森永ミルク中毒の教訓 152
  企業と癒着する医者 158
  一万一七七八名への責任 165
  お母さんたちの後悔と自責 171
  ぼくにとっての「歴史的な一日」 179
  鍼をたずさえ三里塚 186
  大規模な公害「水俣病」 194
  医学の悪用がおこなわれるとき 204
V 一九七三年秋・誕生
  残念ですが閉院します 212
  ボーナスはジョニ黒 129
  小倉で会いたい人がいる 225
  五ヶ月の遠距離恋愛 231
  「正しい医者」への違和感 238
  娘の誕生。――障害者運動、ふたたび 245
  こどもたちを分けるな 252
 
 おわりに 259

前書きなど

トホホでおちゃめ、まっすぐで熱い生き方
ぼくは、第二次世界大戦のまっ最中に生まれたのです。そして、六ヶ月後には日本も戦争に突入したのでした。
 軍医である父と軍国の母・である母とのあいだに生まれたひとり息子であるぼくは、ほっておけば右翼的な大人になる運命だったのでしょうが、時代の波はぼくを少しちがう人間にしてくれました。
 小学校に入学したのは一九四七年ですが、その年は戦後民主教育が正式にスタートしたといってよい年で、先生たちは平和、人権、平等といったことの大切さを生徒たちに一生懸命伝えようとしていました。戦後日本の平和は、日本が戦争中、アジアの人たちにたいへんな被害を与えたことの反省がないままに作られた虚妄であったといえるかもしれませんが、多くの国民が平和を維持しようとがんばっていたのは確かだと思います。そんななかで、先生たちもがんばり、先生たちの労働組合である日本教職員組合は活発に闘っていましたから、ぼくも無意識のうちに影響を受けていたのでしょう。
 高校に入ると、数学の時間なのにフランス革命について熱っぽく語り、その結果、生徒たちがみな「ラ・マルセイェーズ」をフランス語で歌えるようになってしまうという、そんな授業をする先生もいました。そしてぼくは、受験勉強に集中しなければならない三年生になっても生徒会活動にうちこんでいたりして、ちょっとした政治少年気どりでした。でも、心情的には右翼少年だったと思います。
 それがいまは世間から少し変わった医者だといわれるようになりました。反体制的な医者・といった古めかしい言葉でぼくを呼んでくれる人もいます。確かに、大学の同窓会に行ってみたりすると、自分がまわりの同級生たちと相当ちがっていることが実感されます。
 同級生はみな、あの一九六〇年代に、ぼくと同じ風に吹かれていたのに、どうしてちがってしまったのかとは思いますが、ともあれぼくにとってあの風がなかったらいまのような生き方をしていなかったのは確かなことのように思われます。
 東大闘争から四〇年もの歳月が経とうとしていますが、当時、闘いの端っこでうごめいていたぼくがその後をどう生きたのか、思い出をたどってみることにします。
(「はじめに」より一部抜粋)

著者プロフィール

山田 真  (ヤマダマコト)  (

八王子中央診療所所長。「障害児を普通学校へ全国連絡会」世話人。『ちいさい・お
おきい・よわい・つよい』編集代表。著書『はじめてであう小児科の本』(福音館書
店)、『子育て みんな好きなようにやればいい』(太郎次郎社)、『子育て・楽天
主義』(講談社)ほか多数。

上記内容は本書刊行時のものです。