JR西日本と闘った4400日信楽列車事故
信楽列車事故遺族会・弁護団:編著
発行:現代人文社
この版元の本一覧
A5判 200ページ 並製
定価:1,900円+税 総額を計算する
ISBN978-4-87798-259-1(4-87798-259-0) C0036
在庫あり
奥付の初版発行年月:2005年05月
書店発売日:2005年06月08日
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紹介

列車正面衝突事故で、JR西日本は、事故原因は信楽高原鐡道にあるとし一貫して責任を認めなかった。JR西日本の体質に迫り事故原因を追及した遺族会・弁護団の闘いの記録。

目次

はしがき——生かされなかった信楽列車事故の教訓
はじめに——遺族として乗り越えた悲しみの日々 吉崎俊三
プロローグ 12年目の謝罪
第1部 事故、そして始まった遺族らの闘い
 第1章 事故
  幸福の日々
  事故発生
  怒り——遺体安置所にて
  信楽列車事故の概要
 第2章 遺族会、弁護団の結成
  難航した遺族会結成
  遺族会の結成
  遺族会事務局
  弁護団の結成
 第3章 逆なでを続けるJR西日本
  遺族会・弁護団の方針の確認
  紛糾した説明会開催申入れ
  マスコミで取り沙汰される事故原因
  第1回説明会
  第2回説明会
  第3回説明会
  第4回説明会
  説明会その後
  一周忌──遅すぎた中途半端な「おわび」
 第4章 遺族らと弁護団の取組み
  車両保存と資料館の建設
  慰霊碑の建立
  事故原因解明のための取組み
  感銘を受けたアメリカNTSB(国家運輸安全委員会)訪問
  運輸省への申入れ
  ようやく発表された捜査・調査結果と遺族らの失望
  R西日本関係者に対する刑事告訴
  検察審査会申立・不起訴不当決議
 第5章 犠牲者の死を無駄にしないために
  TASK結成へ
  大成功だったTASK設立総会
  欧州視察の旅へ
  とうとう動き始めた運輸省
  国際シンポジウム──独立した事故調査機関の設立を求めて
  法案可決──航空・鉄道事故調査委員会の発足
第2部 裁判
 第1章 法廷での新たなる闘い
  提訴──法廷に託した遺族らの思い
  立ちはだかる立証の壁
  刑事記録への期待
  SKR単独責任論の壁
  法人過失否定論の壁
 第2章 原告本人尋問と刑事記録の入手
  遺族らの本人尋問
  裁判所の文書送付嘱託決定
  鉄道事業法違反確定記録──JR西日本の免責を図る検察庁
 第3章 次々と明らかになる新事実
  直通乗入れ計画
  新たな信号設備と優先てこの設置
  優先てこによる22L赤固定のメカニズム
  ないに等しかった安全教育
  あまりに杜撰な代用閉そく方式違反──事前トラブル
  原告側主張の再構成──安全論の見地を踏まえて
 第4章 証人尋問
  信号関係証人に対する尋問
  SKR社員証人に対する尋問
  JR西日本運転士らに対する尋問
 第5章 第一審勝訴
  最終弁論
  勝訴判決
 第6章 控訴審──JR西日本の反撃
  JR西日本による控訴
  刑事裁判の判決
  JR西日本の控訴理由
  指令員の証人尋問
 第7章 再度の勝利
  弁論終結
  控訴審判決
  原告・弁護団声明
エピローグ 結末──再び12年目の謝罪
 第1章 謝罪を求めて
  JR西日本が上告を断念
  抗議
  そして、謝罪
  十三回忌
 第2章 長い闘いの日々を終えて(遺族らの声)
  主人に生かせてもらった私 後藤泰子
  裁判終結当時の心境 中原邦夫
  裁判を終えて 木村滋
 最終章 JR西日本の論理を問い続けて
  JR西日本の企業体質
  弁護団のその後
あとがき——12年間の弁護団の闘いを振り返って 国府泰道
刊行に寄せて——事故を記録する意味 柳田邦男

前書きなど

信楽列車事故と裁判の概要

 1991(平成3)年5月14日、滋賀県甲賀郡水口町の紫香宮跡駅付近で、信楽高原鐡道(SKR)の信楽発貴生川行普通列車(2両編成)が、世界陶芸祭へ向かう乗客を満載して、同鉄道に直通乗り入れしたJR西日本の京都発信楽行臨時快速列車(3両編成)と正面衝突し、死者42名、重軽傷614名の大惨事となった。
 事故後、JR西日本は、事故原因は全てSKRにあるとして、一貫して責任を認めようとせず、社長も謝罪しなかった。
 JR西日本の姿勢に憤慨した遺族らは、事故原因の究明とJR西日本の責任追及のために遺族会・弁護団を結成し、事故車輌の保存、運輸省や国会への働きかけ、海外調査など様々な活動を展開した。
 1992(平成4)年12月24日、大津地方検察庁は、SKR関係者3名を業務上過失往来危険罪、業務上過失致死傷の疑いで起訴したが、JR関係者の刑事責任を追及することはなかった。1993(平成5)年10月14日、検察庁が不問に付したJR西日本の責任を、自らの手で明らかにすべく、犠牲者9名の遺族23名が、JR西日本及びSKRを被告として、大阪地裁に損害賠償を求める裁判を提起した。裁判のなかで、JR西日本は、その責任を徹底して争い、遺族らと激しい攻防を繰り広げた。そして、1999(平成11)年3月29日、大阪地裁は、鉄道両社の責任を認めて遺族ら勝訴の判決を下した。JR西日本はなお控訴して争ったが、2002(平成14)年12月26日、大阪高裁も、JR西日本の安全管理体制の不備を認め、JR西日本の控訴を棄却した。JR西日本は上告を断念し、翌2003(平成15)年3月15日、JR社長が遺族らに対して、初めてその責任を認めて謝罪した。
 また、信楽列車事故の遺族らが結成した鉄道安全推進会議(TASK)は、ねばり強く国に鉄道事故調査機関の設立を訴え続けた。その活動は、事故から10年目の2001年、航空・鉄道事故調査委員会を発足させる大きな原動力となった。


-----はしがき-----
——生かされなかった信楽列車事故の教訓
 鉄道の安全を祈念し、本書の筆を置いた直後の2005年4月25日朝、衝撃的なニュースが飛び込んできた。JR西日本宝塚線(福知山線)の尼崎駅付近で快速電車が脱線横転し、多数の死傷者が出ているというのである。
 テレビに映し出された無惨にひしゃげた車両。必死の救出活動。救出され、現場で放心状態の乗客たち。しかし、救出活動もむなしく、刻々と伝えられる死傷者の数が増えていく。失われた肉親の安否を求めて、病院を探し回る人々。手がかりを得られず、沈痛な面持ちで遺体安置所に向かう人たちの姿、最後の望みを絶たれ悲しみに暮れる遺族らの姿も繰り返し流されるようになった。他方、JR西日本本社では、「鉄道事業者としておわび申し上げる」と頭を下げる社長の姿がアップとなっていた。
 すべてが、14年前に起こった信楽列車事故の繰り返しであった。そして、犠牲者の数は、信楽列車事故の数を超え、とうとう100人を超えてしまった。
 どうして、JR西日本で、このような大惨事が繰り返されたのか。この稿を書いている時点で、尼崎事故の原因の詳細は未だ明らかとはされていない。しかし、少なくとも、信楽列車事故を招いたJR西日本の企業体質が、その背景に存在することだけは間違いないであろう。現に、この事故直前に、信楽列車事故でも問題となった社内での報告不備やダイヤ至上主義、厳罰主義などが繰り返し報じられている。
 信楽列車事故の教訓は生かされなかった。あの事故で最愛の肉親を奪われ、その死を無駄にしたくないと、12年間4400日の長きにわたって必死で闘い続けた遺族たちにとって、これほどつらいことはない。あらためて深い悲しみと憤りを覚える。今度こそ二度と同じ悲劇を繰り返さないために、信楽列車事故の教訓を再確認しておく必要があるであろう。本書が、その一助となり、少しでも真の鉄道安全の確立のために役立つことを願ってやまない。
2005年5月
編著者

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