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泣いた牛
- 初版年月日
- 2010年12月
- 書店発売日
- 2010年12月25日
- 登録日
- 2010年11月15日
- 最終更新日
- 2013年4月8日
紹介
小学低学年以上を対象にした創作。
今は、無人の島、八丈小島で、生まれ育った著者の子ども時代。昭和30年代の離島での暮らしを3姉妹を通して描く5つの物語。 電気もない、お店もない、交通手段は、牛にたよる生活環境のなかで、こころ寄せ合って明るく、温かく、強く大自然のなかで生きる島の人々。
目次
岩のり採り
台風が来た
台風のおくりもの
ツバキの花咲くころ
泣いた牛
前書きなど
東京から南へ二百九十キロメートル離れた伊豆七島の南端、八丈島の北西七・五キロメートルの海上に、面積三・一平方キロメートルの小さな島があります。八丈島の二十分の一にもみたない小島ですが、最盛期には五百人ほどの人びとが住んでいました。
島の肌は、太平洋の黒潮の荒波に、日夜洗われています。その孤島こそが、私が生まれ育った八丈小島なのです。
生活条件の厳しさもあり、過疎化の流れは止まらず、老人と子どもだけの島になりつつありました。そこで、ついに昭和四十四年、全島民九十一人が島を離れました。その後、無人島として新たな歴史を刻んでいます。
昭和三十七年、私は、大自然豊かな島のなかにたくさんの思い出を残し、中学二年生修了と同時に、親元から旅たちました。
ここに収めた作品は、私が小学生の、昭和三十年代初め、八丈小島がまだ光り輝いていたころの出来事を題材として、物語風にまとめあげたものです。
当時、病院の無い八丈小島では、学校の先生方がお医者さんの代りになっていました。
商店は一軒も無かったので、日常必要な品物は、月に数回の定期船で、八丈島の商店から仕入れ、運んでもらっていました。
水道もありませんので、雨水を貯水タンクにためて使っていました。車も、ありません。
第一、走る道路がないのです。荷物の運搬は人びとが背負い、バッテリー電池など重いものは牛で運んでいました。電気もありませんので、ランプ生活でした。
初めて小島を訪れた人は、驚くことばかりだったでしょう。テレビ、洗濯機、冷蔵庫がもてはやされていた時代のことですから・・。
でも、生まれ育った私たちにとっては、それが当然のこととして、慣れ親しんできたので、「大変だ」とか「苦労」とかいう言葉は、あまり目にしませんでした。
一つの小さな村が、一つの大きな家族として、助けあって生きることを、子どものころから自然と身につけていたからなのです。
私にとっての、そんな貴重な体験が、現代の多くの小・中学生の皆さんの目には、どのように映ることでしょうか。
ほんのわずかでも、孤島生活の一端を理解していただければ幸いに思います。
私の中学時代、へん地教育を志して八丈小島に赴任された若き漆原智良先生。あれから五十年の歳月が流れた現在は、児童文学作家として活躍し、私を含めた、教え子たちに温かい眼差しを注いでくださっています。
(高橋 文子)
2010年11月 晩秋
版元から一言
家族の絆、生きる力、大自然、愛 すべてがきらきらひかる物語です。
無人の島の今も、明るく、温かく、元気に生きた島の人々の楽しそうな笑い声が聞こえてきます。
上記内容は本書刊行時のものです。