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海を読み、魚を語る
沖縄県糸満における海の記憶の民族誌
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2015年3月
- 書店発売日
- 2015年3月25日
- 登録日
- 2015年1月22日
- 最終更新日
- 2015年4月27日
紹介
沖縄の海人(漁師)と魚売りのアンマー(お母さん)は海とどう関わりながら生活を切り拓いてきたのか?
海や魚を「読む」知識を通して人びとの暮らしの記憶を語る、長年のフィールドワークの成果。
目次
はじめに
序 章 糸満へ
1 問いの始まり
2 本書の背景
3 研究方法
第1章 糸満という町の記憶
1 土地の記憶
2 層になった記憶
3 糸満漁業史
4 魚売りの歴史
5 糸満漁業と魚売りの戦後史
第2章 魚に刻まれた記憶──アンマーたちの魚売り
1 糸満アンマーのいる風景
2 アンマー魚を読む
3 アンマー魚を語る
4 アンマーの専門分野と方名認識
5 スーパーマーケットの魚
6 糸満アンマーの魚
第3章 イノーの記憶──埋め立てられゆく海を読む
1 糸満のイノーとアンブシ
2 イノーの地名
3 埋め立てとイシヤー開拓
4 イシヤーを構成する要素
5 イノーに刻まれた海人たちの足跡
第4章 「海を読む」知識と技術の進歩
1 「人びとの知識」研究における科学的知識の扱い
2 上原佑強さんの漁経験
3 「海を読む」知識と、その構築過程
4 知識と漁実践
5 読めなくなってきた海
6 海を読んで漁をすること
第5章 天気を読んだ記憶
1 四八人の漁経験と技術の進歩
2 天気予報の進歩
3 天気を予測する知識
4 「天気を読む」知識から見る糸満漁師の戦後史
終 章 海とともにある暮らしの記憶が問いかける
1 海や魚を「読む」人びと
2 記憶によって「糸満」をとりもどす
あとがき
参照文献
付表1 魚類の方名・標準和名・学名対照表
付表2 魚類以外の生物の方名・標準和名・学名対照表
付表3 方言解説
付表4 海の地名
前書きなど
はじめに
広漠とした海に船を浮かべ、はるか水面下を泳ぐ魚をとることは、目に見えない対象を追うという意味でとくに難しい。漁師には、海底の地質・地形や潮の流れ、魚の行動などを総合的に把握し、適切な判断をする「海を読む」知識が必要とされる。また、陸に水揚げされた魚は、その土地の魚食文化によって価値付けられる。魚を販売する者には、魚の肉質や毒の有無はもとより、その魚の文化的な価値を判断する「魚を読む」知識が求められる。
私は沖縄を代表する漁師町・#糸満#いと まん#で、一九九六年から通算約一年六カ月にわたって文化人類学のフィールド調査を行い、漁師や魚売りの女性から海や魚を「読む」知識を学んだ。糸満の人びとは、いかに海(魚)と関わり、暮らしをたててきただろう。そして、その関わりはどのように変貌しようとしているだろう。それが大学院生のころの、私の研究テーマだった。
この研究をまとめ、博士学位論文として提出したのは二〇〇五年末である。二〇〇〇年を境に、私は糸満に頻繁に通わなくなっていた。調査に一区切りついたことや、海外に居住して次の研究テーマに取り掛かっていたことが、おもな理由だ。しかし、多くの人類学者が言うように、初めてフィールドワークをした地域社会は、その研究者の人生に大きな意味を持つ。
糸満は私の心のなかで一九九〇年代の姿のまま、きらきらとした存在としてあり続けた。いつか沖縄研究に戻らなければ、と思っていた。最初の調査で糸満に魅了されたときから、沖縄に向き合うことを自分の生涯にわたって取り組むべきことと考えてきたからだ。
再び沖縄に調査地をもどし、二〇一〇年に糸満を訪問した私は、その変貌ぶりに愕然とした。糸満では日本復帰を目前とした一九六〇年代末から海の埋め立てが進行しており、九〇年代にも広大な埋め立て地があった。それでも、町の中心は糸満の旧市街と一体となっており、漁撈集落として発展してきた「糸満」の歴史的連続性を感じられた。ところが、二〇一〇年には埋め立てはほぼ完成し、町の中心は埋立地に完全に移行していた。那覇から糸満の埋立地に延びる新しい道路は高架になり、車は糸満の旧市街をまたいでいく。人の動きに無視される旧市街は、見る影もなく衰退していた。この姿に接した私は、一九九〇年代の糸満で見聞したことや研究の成果を改めて世に問うことの必要性を感じた。
大学院生のころ私は、糸満の漁師や魚売りがいかに海との関係性を築いてきたかという視点から、糸満の生活文化について学んだ。それは、漁撈集落として糸満が蓄積してきた経験と記憶の層である。それは、糸満を糸満たらしめているもの──すなわち「文化」であり、アイデンティティの源である。
現在の糸満の姿に違和感を覚えるのは、それまでの糸満の暮らしの記憶と切れたところで新しい町がつくられているように思えるからだ。私は、「新しいものは真正な糸満ではない」と言いたいのではない。人びとの暮らしは、これまでもこれからも日々変わっていく。「伝統」という過去の実態があり、それから離れてはいけないと言っているのではない。
私にとって胸騒ぎがするのは、新しい町と古い町に連続性が見えず、「表の町」と「裏の町」のような二重構造になっている印象を受けるせいだと思う。糸満が歴史的に蓄積してきた経験のほとんどが、「日のあたらない場所」に追いやられているように感じる。埋立地につくられている新しい町は、現在「日のあたる場所」だが、糸満の経験に根差さないこの町は、どこか空虚だ。
糸満の「ルーツ」は、伝承や墓やさまざまな民俗行事にも見出すことはできるだろう。しかし、もっと日常的なところ、糸満に暮らした一人ひとりの思い出(記憶)のなかに、人をある土地に結びつける強力な磁場はある。「懐かしい」という気持ちを掻き立てる、ある風景、ある匂い、ある音。そのようなもののなかに故郷はあるし、それこそが根(ルーツ)であると考えることもできる。
本書では、糸満の人びとの「海とともにある暮らし」の記憶をたぐりよせることで、糸満が糸満であるところのもの、すなわち「文化」をさぐることを試みる。
この研究は、#大和#ヤマト#の大学院生であった私が糸満の海人(ウミンチュ=漁師)や魚売りのアンマー(お母さん)たちに出会い、彼らから多くを教わった、その記録である。私は「よそ者」ではあるが、本研究はよそ者の独り言では決してない。私と糸満の人びととの関わりの結果が本書である。
一九九六年初夏の糸満の、あのつきぬけるような空と、糸満漁師と魚売りの思い出に、本書を捧げる。
上記内容は本書刊行時のものです。