書店員向け情報 HELP
書店注文情報
在庫ステータス
取引情報
『芸術の日本』仏・英・独語版復刻集成 全6巻+別冊解説
復刻版
原書: Le Japon artistique / Artistic Japan / Japanischer Formenschatz, 1888-1891
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2013年1月
- 書店発売日
- 2013年1月30日
- 登録日
- 2013年1月9日
- 最終更新日
- 2013年1月31日
紹介
●19世紀末フランス、ドイツ、イギリスで3年間発行され、西洋での日本美術研究のカノンとなった最重要芸術雑誌『芸術の日本』の3か国語版の復刻集成。
●ジャポニスム・ブームに大きな影響を与えた美術商で日本美術の西洋への紹介者としても多大な足跡を残したS. ビングが発行し、仏、英、独3か国の芸術家、批評家、日本美術コレクターなど計16名による専門テーマの論文36点と約350枚の色刷り複製図版を全36号に収録、美麗な表紙とともに3か国で出版した大型判月刊誌。
●執筆陣はルイ・ゴンス、テオドール・デュレ、エドモン・ド・ゴンクール、ユストゥス・ブリンクマン、マーカス・B・ヒューイッシュ、ウィリアム・アンダーソン等、ジャポニスム・ブームの中心人物。
●当時の多くの芸術家が本誌を購読し、その影響はヨーロッパからアメリカの美術・工芸界にまで及んだ。なかでもゴッホはパリから送られてくる本誌を愛読し、本誌中の北斎などの浮世絵図版から日本美術を受容したことが知られる。
●稀少な英語、ドイツ語版も収録(本文テキストのみ)することにより、各国語とフランス語テキストの対照や、ヨーロッパ全体のジャポニスムの広がりの研究資料としての活用も可能にする。
●掲載論文は、絵画、工芸だけでなく、建築、舞台芸術、詩歌なども含む日本文化全体を対象としており、ジャポニスム研究や美術史研究の資料としてだけでなく、比較文学・文化や日本と西洋の文化接触史の資料としても一級の文献。
■論文著者と執筆記事
A. L. リバティー「日本の産業美術」
H. セイモア・トロウアー「根付と置物」
J. ブリンクマン 「日本美術における詩歌の伝統」
S. ビング「序論」 / 「歴史における絵画の起源」 / 「日本の版画」
アリ・ルナン「北斎『漫画』」 / 「日本美術のなかの動物」
アンドレ・ルクー「日本の演劇」 / 「ある日本の芝居」
ヴィクトル・シャンピエ「日本の建築」
ウィリアム・アンダーソン「広重」
エドモン・ド・ゴンクール「四十七士の一人が作った携帯用筆記具」
エルネスト・アール「笠翁とその一派」
ギュスタヴ・ジェフロワ「日本の風景画家」
テオドール・デュレ「日本の版画」 / 「櫛」
フィリップ・ビュルティ「刀」/ 「刀ー脇差」 / 「日本の陶器」
マルカス B. ヒュイッシュ「収集の方法」
リュシアン・ファリーズ「金銀細工師の仕事」
ルイ・ゴンス「装飾にみる日本人の天分」 / 「光琳」
ロジェ・マルクス「極東及び日本の美術の役割と影響」
(タイトル和訳は『芸術の日本』(美術公論社刊)による。)
目次
Vol. 1: Le Japon artistique, Documents d’Art et d’Industrie, No. 1-12
フランス語版第1-12号1888年-89年 (約305頁)
Vol. 2: Artistic Japan, Illustrations and Essays, No. 1-12 & Japanischer Formenschatz, No. 1-12
英語版 & ドイツ語版1-12号 本文テキストページのみ (約375頁)
Vol. 3: Le Japon artistique, Documents d’Art et d’Industrie, No. 13-24
フランス語版第2巻(13-18号)1889年-90年 (約310頁)
Vol. 4: Artistic Japan, Illustrations and Essays, No. 13-24 & Japanischer Formenschatz, No. 13-24
英語版 & ドイツ語版13-24号 本文テキストページのみ (約375頁)
Vol. 5: Le Japon artistique, Documents d’Art et d’Industrie, No. 25-36,
フランス語版第25-36号 1890-91年 (約300頁)
Vol. 6: Artistic Japan, Illustrations and Essays, No. 25-36 & Japanischer Formenschatz, No. 25-36
英語版 & ドイツ語版25-36号 本文テキストページのみ (約340頁)
前書きなど
■解説文より
…日本の美術を参照しながら装飾工芸を推進し、新しい運動を起こすことを目指したこの雑誌の刊行目的は、「それが生まれた土地の文化を知る」という根本的な態度によって、さらなる広がりを見せ、結局のところ目的を乗り越えていった。『芸術の日本』誌はたった3年の命ではあったが、西欧世界に漠然と広まっていた日本美術、すなわち西欧の規範では理解不可能な独自の文化を持つ、豊かな創造を生み出した国の諸特徴を語ることによって、自分たちの文化を相対化するに至った。その結果、世界を構築していると考えられていた神を頂点とするヒエラルキーが否定され、人間中心の考えが崩れ、遠近法の基礎となった写実の重要性が失われ、精神性に対して身体感覚や現実の生活を見直すという、いわばパラダイムの転換が行われたのだ。
しかし彼らがいかに日本美術を称賛し、日本人の芸術性を語っても、それは日本が直接教えたものではない。それは彼ら自身が発見したものであり、日本人の側ではそのような認識すら乏しかった。そのため、ほとんど同時に日本は西欧化=近代化を推し進め、まなざしはすれ違った。この雑誌に盛り込まれた多数の言説には、いくばくかの事実認識の誤謬が含まれているかもしれない。しかしそれは大した問題ではない。ビングを初めとする西欧の人々が真摯に異文化を理解しようと務め、自らの文化を脱構築しようと試みた軌跡が、ここに読み取れるのである。それは実際に日本美術がどうであったか、というよりも、日本美術をどのようなものとして理解しようとしたか、であり、この時代の西欧人の危機意識と新たなものへと脱皮しようとするエネルギーを秘めた論説集となったのである。
馬渕明子
関連リンク
上記内容は本書刊行時のものです。