発行:吉備人出版
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A5判 157ページ 並製
定価:1,200円+税 総額を計算する
ISBN978-4-86069-126-4(4-86069-126-1) C0061
在庫あり
奥付の初版発行年月:2006年05月
書店発売日:2006年05月10日
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紹介
BSEや鳥インフルエンザ問題、遺伝子組み換え問題、農薬や食品添加物の問題などが起こる中で、日本の農業と食料政策は、本当に国民の暮らしと健康を守ってきたのだろうか。現状は、食料を他国に依存し、先進国で最低の自給率である。アメリカや企業任せの食と農を私たちの手に取り戻し、地域の農と食に目を向け、生活者と生産者のネットワーク作りを呼びかける。
地方から地産地消の実践を勧める書。
目次
第1章 人を良くすると書く「食」なのに
人の心と体を健康にするはずの食の現状
人間の結末を示した、贅沢病に取りつかれた動物の実態
悪性新生物(癌)から逃れられない私たちの運命
密かに増え続ける化学物質過敏症
第2章 戦後の日本が選択した農と食とは
戦後、急激に変化した農業生産の謎
農業保全型社会を軽視した結末の現在と未来
日本農業の常識となった農薬と化学肥料、その功罪
家畜の命を軽視する畜産業
食生活を変えた食品添加物と食関連産業
主体性を失った食生活がもたらしているもの
第3章 農と食を外国に託した壮大な実験を続ける日本の行方とは
大規模な企業型アメリカ農業を支え続ける日本
主体性のある日本型食生活を捨て、家畜化された食生活へ
大騒ぎしてきた米の価格問題で隠されてきたこと
増え続ける輸入農作物
農業後継者不足の終点
世界の人口と食環境
円相場と食料輸入
第4章 百の議論ではなく、地産地消の実践と継続を
フード・マイレージと地産地消
近代農法に対し異なる選択をした農家と生活者、しかし、農政は…
取りもどそう、暮らしに主体性を
キラリと輝く地域農業とその担い手
今こそ、主体性を持った地産地消の宣言と実践と継続を
第5章 生活者から寄せられた農、食、環境への思い
変革の世紀−これからの食と農−
地球環境問題と地産地消
ディスカバー中島地区「育てる喜び、食べるたのしみ」
果物問屋の独り言 129食と農で地域おこし 13240年間進歩なし
食べる
暮らしの喜び〜重なり合う地産地消
前書きなど
はじめに
今から40年前の、私の農と食に関する記憶を振り返ってみます。父親の勤めていた製油所が閉鎖されるまで、母親は農業をしていました。牛、馬、羊、豚などの家畜を飼いながら、祖母と堆肥作りに励み、冬に馬の引く雪ゾリに乗って田んぼへそれらを撒いていました。町では堆肥コンクールなども開かれ、地元の農協が全国大会で表彰されたこともありました。私もよく家畜小屋から、フォークを刺すと尿が跳ね返るような敷きわらを堆肥舎に運んでいました。そして、時間があれば田んぼや畑に連れて行かれ、農作業を手伝っていました。日曜日には家族で田んぼへ行き、蕗の葉で作ったヒシャクで沢の水を飲んだり、きな粉ご飯に干しタラの煮物の昼食を食べていました。
当時の農作業は手作業が主体で、母と祖母は指に鉄の爪をつけて、四つん這いになって草取りをしていました。私が小学校6年のとき、父に転勤の指示が来たときの、「ああ、これで百姓をしなくていい」と言った母の安堵した顔を今でも鮮明に覚えています。今思うと、当時の農作業の過酷さを示す言葉でした。その後、歩行型の耕運機が導入され、田舎の隅々にまで化学肥料と農薬が普及し定着しました。
このころ、地域の人々はたくさんの野菜を作っていました。そして、大根や里芋の葉の部分は、乾燥して冬の食料にしていました。毎年、春と秋に山へ、オオイタドリの仲間であるサシボ、ワラビ、ゼンマイ、ミズ、キノコなどの山菜を採りに行き、加工し保存していました。自宅の横にあった、たくさんの樽に詰められた漬け物が並ぶ漬け物小屋が懐かしく思い出されます。よく母親の指示で、家の裏にあった田んぼに、ドジョウ、フナ、タニシ、セリなどを捕りに行きました。それらの料理も食卓に上がり、本当に美味しかったことを今でも忘れません。秋には家族と親戚が一緒になって、味噌造りもしていました。
年に一度の祭りに来る夜店も、多くの子どもが楽しみにしていました。真っ赤な色に染められた、いわゆる偽ジュースを得意げに飲み、物珍しさに得体の知れない物も食べていました。小学校の半ばでしょうか、農協からブリキ製の容器が組合員宅に配布され、中にはモナカで包まれたカレーの素、ジュースの素、化学調味料などの加工食品もたくさん入っていました。そのころ、農家における食の洋風化も急速に進みました。小学校でも給食が始まり、脱脂粉乳で作ったミルクやコッペパン、それに家庭で口にしたことのない洋食などの料理も次々に登場しました。以来、冬に薪ストーブの上で温めていた、母親たちが作ってくれた弁当の匂いも、教室に漂うことはなくなりました。
当時、町には大きなスーパーもなく、小さな八百屋、豆腐屋、パン屋、酒屋などがありました。母親の作った農産物を八百屋や豆腐屋に持って行き、うどんや豆腐と交換していました。また、酒屋では日本酒の量り売りをしており、夕方に私が祖父の使いで瓶を下げて買いに行っていました。
現代社会に、当時の農と食の面影を垣間見ることは到底できません。時間に追いかけられ、家族そろって食事をする回数も減っていると聞きます。若者たちの農に関する意識も薄れているようです。ここ数年、北は北海道から南は沖縄まで、国を挙げて地産地消運動を展開し、農と食に関する理解を深めようとしています。しかし、行政が笛を吹けど、地産地消は思うように進んでいません。むしろ、国民の関心の低さから、農と食を取り巻く環境はより一層厳しくなり、小さな子どもから大人まで生活習慣病になって当たり前の時代に突入しています。 戦後、破壊されてきた日本の農と食は、このまま進めば取り返しのつかないことになります。いや取り返しのつかない局面を迎えているのです。
この本は、日本人にとってかけがえのない農と食を、アメリカや企業任せの農と食を、私たちの手に取りもどすために書いたものです。国をあてにしないで、私たちに必要な農と食の姿は、私たちの手で創り上げていくしかありません。まずは戦後の農と食の移り変わりを知り、とてつもなく変わり果てた現実に怒りをぶつけましょう。そこから、私たちの農と食に主体性を取りもどす暮らしが始まります。日本で初めて有機農業を推進した岡山から全国に地産地消宣言をします。
版元から一言
農と食を他国に依存し、先進国で最低の食料自給率を誇る日本の農業政策を批判し、地域から地産地消を実践していくことを勧める。
著者プロフィール
岸田 芳朗(きしだ よしろう)
1953年秋田県生まれ。1978年より岡山大学農学部附属農場の教員。2005年より岡山大学大学院専任教員、岡山大学農学部附属山陽圏フィールド科学センター兼任。1994年よりアゾラ−−合鴨水稲同時作の研究と普及に本格的に取り組み、0日ヒナ放飼とカモの水田内仕上げなど岡山大学方式を提唱。日本ばかりでなく中国、フィリッピン、ベトナムなどでも合鴨農法に関する技術支援を行っている。2001年〜2003年度まで全国合鴨水稲会の事務局長を務め、会報誌の充実に努めた。他にも中国四国食農ねっとわーくの事務局長などを担当し市民運動に参加しながら、生産者と生活者との相互支援システムの開発に取り組み中。現在、農業保全型社会の構築を目指し、実践を中心に取り組み中。2000年度岡山市文化奨励賞を受賞。
主な著書:『除草剤を使わないイネ作り』(共著、農山漁村文化協会 1999年)、『日本の食料と農業』(共著、弘学出版 2003年)、『生産者と消費者が育む有機農業』(筑波書房 2003年)など。
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