謀略・帝銀事件帝銀事件はこうして終わった
佐伯省:著
発行:批評社 この版元の本一覧
四六判 288ページ 並製
定価:2,000円+税 総額を計算する
ISBN978-4-8265-0345-7(4-8265-0345-8) C0021
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奥付の初版発行年月:2002年01月
書店発売日:2002年01月29日
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紹介

55年目の真実!
帝銀事件の死刑囚として獄死した平沢貞道は、犯人ではない。
真犯人Xは誰か?
多くの疑惑に包まれた戦後犯罪。なかでも帝銀事件、下山事件、松川事件は、GHQ(アメリカ占領軍)の関与を抜きには考えられない。帝銀事件は、陸軍中野学校出身の特務機関員Xが戦犯容疑の免除と引き替えに、アメリカ軍の謀略部員と結託して行なった最高機密の化学兵器(ACH)の実験をおびた凶悪な犯罪である。日本の刑事警察の手が及ぶ事件ではなかった。Xと親交のあった死刑囚平沢貞道の悲劇はそこからはじまっていたのである。

50年の歳月を、一身を賭して追跡した迫真のドキュメント。

目次

●第一章 不思議な歯医者
発端/帝銀事件/磯部主任弁護士/身上調査/行方不明者の不思議/『サン写真新聞』の特集記事

●第二章 虎の絵の金屏風
現地報告書/山田元主任弁護士/平沢貞通の家族のこと/共同通信社社会部記者斎藤茂男/事件後、平沢貞通の手元に入った金/虎の絵の金屏風の行方/平沢貞通の仙台刑務所送り/立川基地日系二世元通訳Tの話/平沢貞通の仲間たち

●第三章 重要参考人
重要参考人/能口ヒロシが逮捕された時期/帝銀事件と二回の未遂事件/安田銀行荏原支店事件の薬品/平沢貞通が金の出所を隠した理由/『甲斐手記』による詐欺事件関係者の面通し

●第四章 アリバイ
帝銀事件時の平沢貞通のアリバイと現在証明/能口ヒロシのアリバイと現在証明/帝銀事件とアメリカ進駐軍/特務機関員

●第五章 最高機密の化学兵器
警視庁捜査一課甲斐係長の捜査記録/伴元少佐の変節/伴少佐以外の九研究員の供述(『甲斐手記』より)/『甲斐手記』の返却と譲り受け/帝銀事件毒物/東大法医学教室筆頭助手野田金次郎/再審請求素案/総括

●終章 平沢貞通と能口ヒロシの関係
不思議な歯医者/能口という男/事件の全貌/平沢と能口のどちらが真犯人に適格か/帝銀事件とアメリカ軍関与説について

●参考資料
「帝銀事件」追跡50年—佐伯省氏へのインタビュー:聞き手・礫川全次

前書きなど

 昭和三三(一九五八)年暮れのことだった。私は埃っぽい木造事務室の椅子に座って考え事をしていた。京浜工業地帯の真っ只中にある建物で、周りは寂寞とした工場の群ればかり。
 私は小さな町工場を経営していた。毎月の末頃、事務員も工員もすべて集めて好きな物を食べさせ、好きなことを言わせるようにしていたのだが、今月は月末が大晦日に当たるため、月末恒例の会合は早目にしなくては、と考えていたのである。そして二一日に実施することに決めた。
 その二一日、皆と会食していると、口の中でガシッと何か固い物をんだ。細かい石でも入っていたか、と取り出してみると、右上の小臼歯に冠せてあった金冠がとれていて、それをんでしまったのだった。
 またあの歯医者に冠せてもらわなくては、と考えたが、すぐには治療に行かなかった。
 もともとその金冠は虫歯の治療で冠せたものではなく、別に痛みはなかったからだ。二年前、私が金を冠せてほしいと頼んだとき、能口ヒロシというその歯医者は「この歯にですか?」と怪訝そうに言ったが、私はかまわず冠せてもらった。今その金冠が落ちてしまったわけだ。こんなことが私の後々の人生を変えてしまおうとは、その時はもちろん思ってもみなかった。
 歯医者に行ったのは二四日の夜である。昼間電話をしたら、夜に来てくれ、ということだった。
 その歯医者は普段から一人でやっていた。五〇がらみの好男子で、知識人の雰囲気のある男だった。待合室には英文の雑誌などが置いてあり、脇に「private room」と英語で書かれた部屋があるのが何だか変わっていた。ドアは年中閉まっていたから、中がどうなっているのかはわからない。
 変わっていると言えば、予約制でもないのに患者が待ち合わせていないこともそうだった。治療時間も変わっていた。午前中は普通の歯科医院と同じだが、午後は六時から八時となっていた。私は初めのうち、この人は午後はどこか学校か病院へ診療に行っているのかと思っていた。
 その夜、私が玄関のドアを開けて入ると、診療室の戸がわずかに開いていた。私は久し振りの挨拶をした。二年前に金を冠せてもらって以来、ここへは一度も訪れていなかったからだ。
 治療台に座ってしばらくして、この男は変わったな、と私は思った。以前はもっと愛想が良かった。今晩はいやに押し黙っている。周囲の人気のない感じも気になった。
 歯にゴムを詰めただけで、その日の治療はあっという間に終わった。
「今日はこれだけにして、春になってから本格的な治療をしましょう。年末にもういっぺんゴムを詰め換えに来て下さい」
 私の具合が悪くなったのはその翌日からである。
 胃が焼けてキリキリした。ただの胸焼けなどというものではなかった。変なゲップが出て、食欲がなくなってきた。ゴムを詰め換えるから暮れにもういっぺん来てくれと言われていたが、それどころではなかった。
 結局、年末には歯医者へ行かず、正月になった。私はおせち料理もろくに食べられない状態で、どうしてこんなことになったのか、本当に不思議でならなかった。正月も四日ほど経つと、詰めてあったゴムは全部落ちてしまった。
 私が歯医者へ行ったのは八日だった。夕方、能口のほうから電話があって、私はまた夜に出掛けた。治療室にはやはり彼一人しかいなかった。
 治療台に腰をおろし、私はポカンと口を開けていた。彼は私の歯を覗き込んでから、隣の部屋へ行ってしまった。何をしているのか私にはわからない。カルテでも見ているのかと思っていた。やがて、ふたたび彼は傍にやって来て、
「この歯はどうなっていましたか」
 と尋ねた。ちょっと変な聞き方だと思った。
「暮れにゴムを詰め換えに来てくれと言われたけれど、来れなかったので」
「あ、そうですか」そう言って、彼はしばらく黙っていた。そして急に、「神経を抜きましょう!」と怒鳴った。びっくりするほどの勢いだった。痛くもないのに神経を抜くのかな、と私は思ったが、それにしてもたかが神経を抜くくらいのことになぜあんなに考えた上で、しかも大決断でも下すような勢いで言ったのだろう、と不審に感じた。
 彼はシャーレから何か薬を取り出すと、私の歯に詰め、ゴムで手早く覆った。
「神経を殺す薬を入れたので、二日後には必ず来て下さい」
 夜道を帰りながら、変な男だな、と私は思っていた。あるとんでもない記憶が脳裏に浮かんだのはその時である。それは電撃を受けたようなショックで胸に突きささった。私は大変なことを思い出してしまったのだった。
 家に帰ると妻が待っていた。私は台所兼食堂の椅子に座って、
「俺はどういうわけか、あの歯医者が帝銀事件の真犯人のような気がしてならないのだ……」
 と、二年前に自分が経験したことを初めて妻に話し始めた。(「発端」より)

版元から一言

55年目にしてはじめて帝銀事件の真相が明らかになる、迫真のドキュメント。



コメントとトラックバック 1件 »

  1. この本は『疑惑α 帝銀事件 不思議な歯医者』と同じ内容です。私は朝日新聞の書評にてみうらじゅん氏が薦めていたので興味をもち購読、大変におもしろい本でした。しかしこの著者については調べてもよくわからない。詳しく知りたい。

    コメント by じょいとい — 2008/5/7 水曜日 @ 19:07:06

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